ルカによる福音書21章

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

やもめのなけなしの献金  21章1〜4節

「イエスは目をあげて、金持たちがさいせん箱に献金を投げ入れるのを見られ、また、ある貧しいやもめが、レプタ二つを入れるのを見て言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持っている生活費全部を入れたからである」。」
(「ルカによる福音書」21章1〜4節、口語訳)

この箇所にはファリサイ派の偽善的な宗教性とは正反対の事例が出てきます(20章47節も参照してください)。あるやもめが持っているなけなしの生活費全部を献金したのです。このことは彼女が神様に完全に信頼を寄せていたことを如実に表しています。彼女の信仰心は純粋であり、それゆえ神様に受け入れていただけるものでした。

別の時代の別の社会におけるお金の価値が現在の私たちの社会でどれほどの金額に相当するのかを正確に算出するのはほぼ不可能です。やもめの献金は64分の1デナリでした。今の平均的な日給を一万円と考えると、やもめの献金額は約150円に相当するといったところでしょうか。しかしここで覚えておくべきなのは、イエス様の時代の社会と現代の社会ではお金の意味が異なっていることです。

やもめの献金したお金レプタは銅貨であり、ユダヤ人が使用していた唯一の硬貨として新約聖書に出てきます。

エルサレム神殿の「女たちの前庭」には(神殿にこのような庭がなければそもそも女性は犠牲を捧げることができませんでした)13個の献金箱が置いてありました。そのうちの12個の箱には集められた献金の使用目的と献金すべき定額が記されていました。十三番目の献金箱は自由献金のためのものでした。献金箱は「ラッパ」と呼ばれていました。献金箱の端に献金を盗むのを防止するために取り付けられたラッパの形状の部分があったからです。

この貧しいやもめがレプタを二つ献金箱に入れたことには深い意味があります。もしも彼女がひとつだけを入れたのならば、十分の一税の五倍を献金として捧げ、残りの一枚を自分のものとしておくこともできたでしょう。しかし彼女はレプタ一枚や二枚のような少額のお金では長くは生きていけないことをよく知っていました。どのみち彼女は神様の助けにすがって生きていくほかなかったのです。彼女は「信仰の数学」を正しく計算することができたとも言えます。

イエス様は「最も重要な問題は献金を捧げた後に何が残っているかである」と教えておられます。2010年に世界で最も裕福な人々が資産の半分を慈善事業に寄付するように求められたことがあり、彼らの多くはその要求に何らかの形で応じました。にもかかわらず、彼らの莫大な寄付金はこの貧しいやもめのレプタ二枚よりも小額だったと言えます。かりに誰かが一千億円を寄付したとしても、その人は残りの一千億円で十分に暮らしていくことができます。しかも使えきれないほどのお金が日々どんどん増えていくのです。

イエス様はこの出来事の前にも神殿の献金箱のそばに座っていたことがありました(「ヨハネによる福音書」8章20節)。

神殿の崩壊 21章5〜6節

「ある人々が、見事な石と奉納物とで宮が飾られていることを話していたので、イエスは言われた、「あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう」。」
(「ルカによる福音書」21章5〜6節、口語訳)

イエス様と一緒に旅してきた者たちの中には、生まれて初めてエルサレムに来て直に神殿を見た人々もいたことでしょう。彼らが神殿の壮麗さに見惚れたのも無理はありません。

紀元前18年にヘロデ大王は、紀元前515年にエルサレムに建てられてからずっと立っていたゼルバベルの神殿を解体して代わりに新しい神殿を建てるように命じました。しかしユダヤ人たちはその新しい神殿を以前の神殿と同一のものとみなしたので「三つの神殿」ではなく「二つの神殿」について話したのです。ヘロデ大王による神殿の建築事業はイエス様の時代にはまだ完成していませんでした(なお「ヨハネによる福音書」2章20節からは、その箇所の会話が交わされた時点でもすでに46年間も神殿建築が続けられていたことがわかります)。この神殿は西暦63年になってようやく完成しました。ということは、この神殿は西暦70年に破壊されるまでわずか7年間しか存在できなかったのです。

エドム人であったヘロデ大王は宗教的にみてユダヤ教徒ではありませんでした。しかし当時の多くの支配者のやりかたにならい、彼も壮麗な建造物を建てさせました。そうすることで彼の名が歴史に刻まれるようにするためでした。

ヘロデ大王は神殿に巨大な立方体の大理石をはじめとする様々な寄贈を行いました。とりわけ豪奢だったのは黄金でできたブドウの房でした。ユダヤ人歴史家ヨセフスは物事を現実よりも誇張して記述する傾向がある著述家ですが、そのブドウの房は大人の男性ほどの大きさであったと述べています。

上掲の節にあるイエス様の預言 (19章44節も参照してください)は文字通りに実現します。ローマ軍によるエルサレム征服の際にこの神殿は焼失してしまったのです。この神殿には大量の金が貯蔵されていましたが、火災で溶けてしまいました。焼け跡から金を探し求めるために、人々は石を一つ一つ分離しては調べました。その後で、当時のやりかたにならって神殿の建物の石たちは新しい建物に再利用されたため、当時の神殿の跡は今日ではまったく残っていません。

一般のイメージとは異なり、ユダヤ人たちは「嘆きの壁」を使うのを好みません。この壁は神殿ではなくその麓の部分に相当し、ヘロデ大王が計画した大神殿の建設を可能にするために山の頂上部が拡張されてできたものでした。その壁の最大級の石は高さ3.5 メートル、長さ14.5 メートル、重さ約400 トンにもなります。ユダヤ人歴史家ヨセフスは「この神殿には全長25メートルにも及ぶ石さえ存在した」と述べています。

「終わり時」についての最初のしるし 21章7〜19節

すべての共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)には「終わりの時」についてのイエス様の教えが含まれています(「マタイによる福音書」24〜25章、「マルコによる福音書」13章、「ルカによる福音書」21章5〜38節および17章20〜37節)。「ヨハネによる福音書」にはそれに直接対応するような教えは含まれていませんが、ヨハネが書き記した「ヨハネの黙示録」は他の三つの福音書の「終わりの時」に関する教えと同じような説明を与えています。

マルコはこれらの会話がオリーブ山で行​​われたと伝えています(「マルコによる福音書」13章3節)。

おそらく質問者たちはエルサレム神殿が破壊される時(21章7節)について知りたかったのでしょうが、イエス様のお答えは全世界の終わりにかかわるものでした。

「終わりの時」の最初の「しるし」は、偽教師たちや偽キリストたちの出現です(21章8節)。

それに続いて戦争と騒乱が起こり(21章9節)、畑が荒れ果てるために飢饉が起こり、疫病が蔓延します(21章11節)。さらに、大地震や天からのすさまじい前兆など、自然界に激変が起こることになります(21章11節)。

「しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。」
(「ルカによる福音書」21章12〜15節、口語訳)

上掲の箇所にあるように、キリスト信仰者たちはその信仰のゆえに迫害を受けます(12章51〜53節)。ユダヤ人の会堂は学校や裁判所でもありました(12章11〜12節)。キリスト信仰者たちに対してローマ帝国で広域に行なわれた最初の迫害には西暦60年代のネロ帝の時代のものと90年代のドミティアヌス帝の時代のものがあります。

自分が逮捕されて投獄されたことを自分の信仰について他の人々に証する機会と考えた典型的な例がパウロです(「使徒言行録」25章23節〜26章32節および28章31節)。

信仰のゆえに投獄されたある中国人キリスト信仰者は牢屋の番人たちから次のような意地悪な質問を受けました。 「もしもお前の神がそれほど偉大なら、なぜお前は牢屋にいるのだ?」 それに対してこのキリスト信仰者は次のように答えたそうです。 「そうでなければ誰があなたたちに福音を宣べ伝えることができるだろうか?」

上掲の箇所のように、イエス様は、キリスト信仰者たちが法廷で告発される時に「御自分のものたち」である彼らに適切な言葉を授ける弁護者や助け手として聖霊様を送ると約束してくださいました(「ヨハネによる福音書」14章15〜17節および16章13〜16節)。最初の殉教者ステパノを告発した人々はステパノとの議論で悉く論破され面子を潰されました(「使徒言行録」6章9〜10節)。

「しかし、あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。また、あなたがたの中で殺されるものもあろう。また、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう。」
(「ルカによる福音書」21章16〜19節、口語訳)

キリスト信仰者になることは特にイスラム世界では自分の家族との宗教的な断絶を生じさせます。キリスト教に改宗した元ムスリムを過激派イスラム教徒が殺害する場合さえ起きています。「その棄教者は殺されるのが早ければ早いほど悪事を働く期間が短くなるのだから、もしかしたらまだ救われるかもしれない」というのが彼らの言い分です。

「あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない」という御言葉は永遠の世界との関連で理解されるべきです。神様は「御自分のものたち」を一人たりとも永遠に失うことはなさらないのです。

聖書は「終わりの時」について述べるときには、信仰的な意味で目を覚まし耐え忍び続ける重要性を常に強調しています(21章34〜38節)。

エルサレムの滅亡 21章20〜33節

「エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は、そこから出て行くがよい。また、いなかにいる者は市内にはいってはいけない。」
(「ルカによる福音書」21章20〜21節、口語訳)

キリスト信仰者たちはイエス様のこの助言に素直に従いました。西暦66年にユダヤ人たちがローマ帝国に対する反乱を起こしたとき、キリスト教徒たちはヨルダン川東部のデカポリスの都市の一つであるペラに退避したと教父エウセビオスは伝えています。

通常の場合、人々は田舎の地方から城壁に囲まれた都市へと避難しました。しかし今回はローマ人たちが戦争用の壁でエルサレムを包囲したため、人々がエルサレム市内に逃げ込んで籠城したのはローマ人の思う壺となりました。長期間続いた包囲戦の果てにエルサレムの防御システムは飢餓のために崩壊することになります。現実よりも誇張して歴史を叙述する傾向のあったユダヤ人歴史家ヨセフスはローマ人の読者たちのためにローマ側の大勝利を誇張して著書「ユダヤ戦争」を書いています。エルサレム市の包囲で110万人が死亡し9万7千人が捕虜になったと彼は述べているのです。それに対して、ドイツの聖書学者ヨアヒム・エレミアスは当時のエルサレム市には約3万人が住んでいたと推定しています。たとえエルサレム周辺の田舎の地方から難民がエルサレム市に流れ込んで来ていたと考えても、ヨセフスの挙げている大袈裟な人数は非現実的です。

神様は御自分の民もエルサレム市も神殿もローマの攻撃から守ってくださいませんでした。「それは、聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日であるから」です(21章22節、また「申命記」28章62〜68節に記されている、神様からの離反がもたらす呪いについても参照してください)。

「彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。」
(「ルカによる福音書」21章24節、口語訳)

この節のイエス様の預言はユダヤ人たちが西暦132〜135年に起こすことになる反乱に関連しています。その反乱でバル・コクバ(「星の子」という意味の名)という人物が自分をメシア(救世主)であると宣言しました。しかしローマ軍が反乱を鎮圧し、ユダヤ人全員をエルサレムから追放し、エルサレム市を「アエリア・カピトリーナ」と改名することになります。こうしてユダヤ人が自分の国土を持たない長い時代が始まりました。ようやくそれが終わったのは1948年のことです。

なお、この節でも「異邦人」(「エトネー」(複数形))はユダヤ人以外のすべての民族を指しています。このグループには非ユダヤ人キリスト信仰者も全員含まれています。

「終わりの時」についてのイエス様の発言を読むことは「山脈を遠方から眺めているようなもの」とも言えます。実際には互いに離れている山々の頂上は、遠くから眺めるとまるで互いに近接しているかのように見えます。そして西暦 70年が一つの山頂であり、西暦135年がもう一つの山頂であったと考えることができるのです。イエス様による預言の中にはすでに実現したものもあれば、これからの実現が待たれているものもあります。

人の子の到来 21章25〜33節

この箇所の出来事をエルサレム滅亡の出来事(21章20〜24節)に結び付けて説明する聖書訳もあります(例えば1992年版フィンランド語訳)。 しかし次節がエルサレムの住民ではなく人類について述べているのは明らかです。

「人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである。」
(「ルカによる福音書」21章26節、口語訳)

「イエスは自分の再臨がすぐ次の世代には起こると信じていたが、エルサレムの滅亡後にそれは起こらなかった。だから人々がイエスの再臨を待ち続けるのは意味がない」などという聖書の自由主義的(非聖書的)解釈が百年間以上も喧伝されてきましたが、「イエスは間違ったことを言っていてふたたび戻っては来ない(再臨しない)ことを上節はそれとなく示唆している」と考えるのは聖書的に見て本当に妥当なのでしょうか。

「そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。」
(「ルカによる福音書」21章27節、口語訳)

キリストは再臨なさる時に「大いなる力と栄光とをもって」雲に乗ってこの世にやって来られます。ここではキリストについて「人の子」という表現が用いられています。しかしこのイエス様の発言の「元」となっている「ダニエル書」7章13〜14節について「人の子」とは訳さずに「人の外見をしている」というようにあえて曖昧に訳している現代語訳もあります(口語訳では「人の子のような者」と訳しています)。残念なことに、キリスト教会で用いられている新しい聖書訳の中には他の箇所や事柄についても「旧約聖書と新約聖書の間の密接な関連性」を意図的に弱めたり破棄したりする翻訳も見られるようになってきています。

「これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから。」
(「ルカによる福音書」21章28節、口語訳)

あらゆる困難や苦痛があったとしても(21章25〜26節)、キリスト信仰者たちは喜ぶことができます。彼らの救いの解放が近づいているからです。私たちを罪の負債から贖い出す身代金は、ゴルゴタの真ん中の十字架にかかられたイエス様の犠牲死によってすでに支払われています。

「それから一つの譬を話された、「いちじくの木を、またすべての木を見なさい。はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと、自分で気づくのである。このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、神の国が近いのだとさとりなさい。」」
(「ルカによる福音書」21章29〜31節、口語訳)

「いちじくの木」はユダヤ人たちを表す象徴です(13章6〜9節、「ホセア書」9章10節。なお「イザヤ書」24章も参考になります)。またこれは家庭の幸福を表す比喩でもありました(「ミカ書」4章4節、「ゼカリヤ書」3章10節。さらに「列王記上」5章5節も参考になります)。ここでの「いちじくの木」は、ユダヤ人たちの間にキリストを信じるリヴァイヴァル(信仰覚醒運動)が起きる時が「キリストの再臨は近い」という「しるし」であることを示唆しているのかもしれません(「ローマの信徒への手紙」11章25〜27節)。

いちじくの木は一年の間に三回ほど実を結びます。春に葉が芽吹く前の早熟の実、夏に収穫される熟した実、そして秋の晩熟の実です。いちじくは聖書に最初に登場する木の種類でもあります。

「よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。」
(「ルカによる福音書」21章32〜33節、口語訳)

上掲の箇所の「この時代」(あるいは「この世代」(ギリシア語で「ヘー・ゲネア・ハウテー」))についてはこれまでも様々な説明が試みられてきました。聖書を自由に恣意的に解釈する神学は「イエスは自分の再臨の時期について誤った判断を下した」と主張します。しかしこの主張こそがまちがいであることの証として、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない」(「使徒言行録」1章7節より)というイエス様の御言葉を挙げることができます。「この時代」(あるいは「この世代」)とは、「終わりの時」の訪れを予告する最後の「しるし」が実現し始める時代を示唆するものと捉えることができます。また「「この世代」はユダヤ人たちを意味している」という主張もあります。ユダヤ人たちは諸々の非ユダヤ民族の間に混じり合って生活してきたのに、驚くべきやりかたでユダヤ人としてのアイデンティティーを保ち続けてきました。さらにまた「「この世代」はキリスト信仰者たちを示唆している」とも言われています。度重なる迫害を受けて彷徨を余儀なくされるにもかかわらず、キリスト信仰者たちは最後まで信仰を保ち続けることになるからです(18章8節も参照してください)。

「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。」とイエス様が言われているように、神様の啓示は永遠に有効であり続けます(「申命記」29章28節(口語訳では29節)も参照してください)。

目を覚ましていなさい! 21章34〜38節

「終わりの時」の「しるし」がどれほど見えるような現象になっていたとしても、終わりの到来は人々を驚かせることになるでしょう。フィンランド神学者アンッシ・シモヨキは「私たちはこれらのしるしが歴史として実現してから、ようやくそれが「しるし」だったと気づくことになるのだ」と言ったことがありますが、本当にその通りだと思います。それゆえ、私たちが終わりの時に備えることができる唯一の生きかたは、常日頃から信仰をもって霊的に目覚めていることなのです(21章36節。また「テサロニケの信徒への第一の手紙」5章1〜11節も参照してください)。「その瞬間が来たときに、ちょうどよく目を覚ませばよい」などという悠長な考えかたをするべきではありません。1923〜1946年にフィンランド・ルーテル福音協会の会長を務めたカウコ・ヴェイッコ・タンミネン牧師は説教の中で「キリスト信仰者たちには「目を覚ましていなさい!」と声をかけることができるけれども、キリストを信じていない人々には「目を覚ましなさい!」と言わなければならない」と教えました。

神様の敵対者は私たちにさまざまな罠を仕掛けてきます(21章35節、「イザヤ書」24章17節)。

私たちは自分の力によっては「目を覚ましている」ことさえできません。そのため、この点でも神様なる聖霊様の助けが必要となります。このことをしっかり覚えておきましょう。私たちはイエス様の助けによってのみ信仰的に「勝利」することができるのです(「ローマの信徒への手紙」8章35〜39節)。

「イエスは昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた。」
(「ルカによる福音書」21章37節、口語訳)

イエス様は寒空の下、オリーブ山で夜を過ごされたのでしょうか。イエス様を逮捕するためにやって来た人々は、イエス様が「いつものように」(22章39節)行かれた場所でイエス様を見つけることになるからです。あるいはイエス様はどこかの友人の家に滞在されていたのかもしれません。イエス様の一行には借りたロバがありました(19章30〜31節)。エルサレム市は巡礼者たちでいっぱいだったので、夜に泊まる場所がなかったのです。イエス様の一行がエルサレムの外で宿泊したのは安全確保のためでもあったのかもしれません。エルサレム市の中で宿泊すると、イエス様が夜に捕まって投獄されてしまう危険があったからです。

「民衆はみな、み教を聞こうとして、いつも朝早く宮に行き、イエスのもとに集まった。」
(「ルカによる福音書」21章38節、口語訳)

このように、まだこの時にはイエス様は民衆から大きな支持を受けていたのです。