ルカによる福音書20章

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

「イエス様はどのような権威をお持ちなのか」についてイエス様御自身に尋ねる 20章1〜8節

受難週にイエス様とその敵対者たちとの間で交わされた計六回にわたる論争についてルカは書き留めています。

マルコはこの箇所の出来事が受難週の火曜日に起きたと記しています(「マルコによる福音書」11章19〜20節)。しかしルカにとってより重要だったのは出来事の起きた日時ではなく場所のほうでした。すなわち論争が行われた場所がエルサレム神殿だったという点です(20章1節)。

一番目の論争は、イエス様の持っておられる権威をめぐるものでした。イエス様による宮清めが特にこの論争に影響していたのは確実です(19章45〜48節)。このイエス様の行為は神殿祭司たちの占有していた権威に真っ向から対抗するものだったからです。しかしまた、イエス様の活動全般もこの論争の背景にあったこと否めません。イエス様が罪人たちに罪の赦しの宣言をなさったことが敵対者たちを何度も苛立たせました。

「そこで、イエスは答えて言われた、「わたしも、ひと言たずねよう。それに答えてほしい。ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか」。」
(「ルカによる福音書」20章3〜4節、口語訳)

受けた質問に対して逆に質問に返すのはラビたちの討論における常套手段でした。洗礼者ヨハネに関するイエス様の応答(あるいは逆質問)がイエス様の有する権威をめぐる問題についての応答(あるいは逆質問)でもあったことをその場にいた誰もが理解しました。さらにこのとき祭司たち、律法学者たち、そして神殿の関係者たちは「そもそも神様は話すことができるのか」という神学的な問題に対しても彼らなりの返答を考えなければならなくなりました。

イエス様の反対者たちである最高議会の祭司と平信徒の代表者たち(20章1節)は普段から互いに仲が悪く、イエス様にどう答えるべきかあれこれ勘案したものの、ついに明確な返答をする勇気を持てませんでした。

最高議会が洗礼者ヨハネの活動を禁止できなかったのは、彼が民衆から支持されていたからです。ファリサイ派は洗礼者ヨハネに「どのような権威によって活動しているのか」と尋ねました(「ヨハネによる福音書」1章19〜27節)。しかしそれだけでは何の解決にもなりませんでした。最高議会の代表者たちが洗礼者ヨハネを預言者と信じていなかったのは明白でした。しかし民衆は、旧約時代の最後の預言者マラキの後で四百年間にわたって一人も預言者が現れなかった長い空白期間がとうとう終わり、洗礼者ヨハネが新しい預言者として現れたことを信じていました。それゆえ、民衆の宗教的な指導者たちは洗礼者ヨハネを表立って攻撃するリスクをとれなかったのです。

「しかし、もし人からだと言えば、民衆はみな、ヨハネを預言者だと信じているから、わたしたちを石で打つだろう。」
(「ルカによる福音書」20章6節、口語訳)

イエス様の質問に対して正直に答えるのは身の危険を招くものでした。それゆえ、イエス様の敵対者たちは「知らない」と答えるほかありませんでした(20章7節)。

イエス様への信仰のゆえに最初の殉教者となったステパノは彼らとは異なるやりかたを選びました。彼は正直に答えると石打の死刑に処せられることをよく知っていたにもかかわらず、沈黙しませんでした(「使徒言行録」6章12節〜7章60節)。石打の刑は神様を侮辱した者に対する厳罰でした。「自分はイエス様に従う」とステパノが信仰告白したことがこの侮辱罪にあたると解釈されたのです。

イエス様の敵対者たちがイエス様に「知らない」と言って正直に答えなかったことは、彼らが属していた最高議会にこそ信仰の問題を正当に評価する職務上の責任があったにもかかわらず、彼らには「信仰」の評価能力がなかったことを端的に示しています。

しかし彼らはこのように答えることで、自分が職務も満足に果たせない不適格者であると認めることになってしまったのです。

「イエスはこれに対して言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」。」
(「ルカによる福音書」20章8節、口語訳)

イエス様も彼らの質問にはお答えになりませんでした。真理に意義を見出さない者たちに答えるのは無意味だからです。とはいえ、事実上次の箇所でイエス様は彼らに対して譬を通してお答えになったとも言えます(20章9〜19節)。

すでに以前にもイエス様に対して「あなたはどのような権威をお持ちなのか」という質問がなされたことがありました(「ヨハネによる福音書」2章18〜22節)。しかしその時の話し合いでは質問者たちがイエス様の話を誤解したまま終わりました。彼らはイエス様が「御自分のからだ」についてではなく「エルサレム神殿」について話されているものと思い込んでしまったのです。

ぶどう園を借りた農夫たちの譬 20章9〜19節

この箇所の譬の歴史的背景には、イスラエルを万軍の主のぶどう園とみなすユダヤ人によく知られていた考えかたがあります(「イザヤ書」5章1〜7節)。

当時、特にガリラヤでは農夫に貸し出されていた土地がたくさんありました。裕福な土地の所有者はローマに住み、農夫たちに貸した土地から借用料を徴収していたのです。ところが、この箇所の譬に出てくる農夫たちは借用料を払おうとはしませんでした。この背景にはユダヤ教の律法の釈義書であるタルムードの教えがあります。それによると、土地の所有権が誰のものか曖昧で、その土地を借用者が少なくとも三年間自分で管理していた場合には、自分のものとして要求できるとされています。農夫たちが土地の所有者の後継を殺そうとするのは、この教えと関連しています(20章14節)。「土地の借用料を払わない」という一つの犯罪に加えて(なぜなら土地の借用料を払ってしまうとその土地が誰に属するものかを明示することになるからです)、「土地の所有者の後継を殺害する」というもう一つの犯罪にも農夫たちは手を染めました。そうすることで彼らは最終的にその土地を我が物とできるはずだったからです。

農夫たちの元に送られた土地の所有者の僕たちは農夫たちから段階的にいっそう酷い扱いを受けるようになっていきます(20章10〜12節)。土地の所有者には律法の後ろ添えがあったはずですが、彼は常人には理解不能なほど忍耐強く、最後には自分の息子を農夫たちの元に遣わしました(20章13節)。

私利私欲に塗れた農夫たちは土地の所有者の跡取り息子をぶどう園の外で殺害しました(20章15節)。もしも園内で殺害した場合には、土地そのものが流された血によって宗教的な意味で穢されてしまい、その土地で収穫されたぶどうを販売することもできなくなるからです。イエス様もエルサレム市外で殺されました(「ヨハネによる福音書」19章17節、「ヘブライの信徒への手紙」13章12〜13節も参考になります)。イエス様の死は全人類を「聖別」するものでした。この譬の農夫がやったのと同じような見せかけの偽善として、過越の羊を食せなくなるような宗教的な穢れを受けるリスクを避けるためにユダヤ人の指導者たちがピラトの宮殿に赴こうとはしなかった例を挙げることができます。その一方で、彼らは冤罪によってイエス様を殺害することには少しも躊躇しませんでした(「ヨハネによる福音書」18章28節)。

跡取り息子を殺害されたことで土地の所有者の忍耐は限界に達しました。彼は犯罪に加担した者どもをぶどう園の外で死刑にし、その土地を他の者たちに貸し与えたのです。

信仰者にとってこの譬のもつメッセージは明確です。イスラエルは万軍の主に選ばれた「神の御民」だったにもかかわらず、神様に対して不実だったのです。ある意味で旧約聖書は御民が主に背き続けてきた歴史ととらえることもできます。最終的に神様は愛する独り子を御民のもとに遣わしました(20章13節には3章22節にと同様の表現がみられますが、後者はイエス様が洗礼を受けられた時に天から声が聞こえた出来事についてです)。ユダヤ人の考えかたによれば「愛する息子」はしばしば「独り子」を意味しています(「創世記」22章2節)。神様の独り子イエス様は殺害され、神様の御国は異邦人たちに与えられることになりました(「ローマの信徒への手紙」11章11〜12節)。

「「彼は出てきて、この農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう」。人々はこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。」 (「ルカによる福音書」20章16節、口語訳)

イエス様の譬はそれを聴いていた人々を喜ばせませんでした。この「人々」にはイスラエルの宗教的指導者たちも含まれていたと思われます。

「そこで、イエスは彼らを見つめて言われた、「それでは、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった』と書いてあるのは、どういうことか。」」
(「ルカによる福音書」20章17節、口語訳)

「隅のかしら石」およびそれと内容的に類似する表現は旧約聖書や新約聖書に出てきます。例えば「イザヤ書」8章14節(「さまたげの石、つまずきの岩」)、「ダニエル書」2章34節(「一つの石が人手によらずに切り出されて、その像の鉄と粘土との足を撃ち、これを砕きました。」)、「ルカによる福音書」2章34節(「この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。」)などもそうですし、「詩篇」118篇でのホサナ讃歌(25〜26節)の直前の箇所もそうです(22節(「家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった。」))。この「ホサナ」は民衆がついこの間まではイエス様に対して叫んだ歌でもありました(19章38節)。

「このとき、律法学者たちや祭司長たちはイエスに手をかけようと思ったが、民衆を恐れた。いまの譬が自分たちに当てて語られたのだと、悟ったからである。」
(「ルカによる福音書」20章19節、口語訳)

最高議会からイエス様の御許に派遣された者たちは、この譬がまさしく彼ら自身に向けられた警告であると理解したにもかかわらず、この譬での土地の借用人たちのような行動に移ろうとしました。すなわち、主の愛する独り子を殺害しようと思ったのです。とはいえ、そのようなことをしても彼らが神様の御国を我が物とすることはできません。20章14節は、イエス様が御自分を殺そうと敵対者たちが目論んでいたことをあらかじめ知っておられたことを示しています(19章47節も参考になります)。しかしそれさえも、彼らがイエス様を殺害しようとする意図を妨げはしませんでした。

この20章でルカは三つの異なる「時間」を表すギリシア語の言葉を用いています。20章9節の「クロノス」(経過する時間)、20章10節の「カイロス」(定められた時)、20章34節の「アイオーン」(時代)です。

神様は人々に悔い改める時間的猶予を与えておられるのです。しかし、この期間は無制限ではありません!

皇帝へ税金を納めるべきか否か 20章20〜26節

「そこで、彼らは機会をうかがい、義人を装うまわし者どもを送って、イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした。」
(「ルカによる福音書」20章20節、口語訳)

この節の前の19節の主語は「律法学者たちや祭司長たち」です。そのことから、上節の「彼ら」も「律法学者たちや祭司長たち」を指していると推定し解釈する翻訳もあります。その一方で、この箇所の並行記事にあたる「マタイによる福音書」22章15〜16節と「マルコによる福音書」12章13節では、イエス様に意地悪な質問をして罠に嵌めようとしたのはマタイでは「パリサイ人たち」と「ヘロデ党の者たち」、マルコでは「パリサイ人やヘロデ党の者を数人」になっています。これらの異同に基づいて福音書の間に矛盾があると主張するのは意味がありません。例えば、ファリサイ派の律法学者もいただろうし、ヘロデ党に属する祭司長もいたかもしれないからです。ですから、原文に忠実に「彼ら」は「彼ら」とだけ訳すことで満足するべきなのです。

20章21節でイエス様は「先生!」(ギリシア語原文で「ディダスカレ!」)と呼ばれています。あたかも「ラビ!」(ユダヤ教の教師)と言われているかのようです。このように人をおだててから罠に陥れるのは普通の人間相手ならば実に容易です。

「ところで、カイザルに貢を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか。」
(「ルカによる福音書」20章22節、口語訳)

この質問は「あなたは配偶者に暴力を振るうのをやめたのか?」という類の質問と似たり寄ったりのものです。この種の質問には「はい」(「よい」)と答えても「いいえ」(いけない)と答えても返答した者が罠に嵌まることを質問者は想定しています。おそらく質問者たちが期待し希望していたイエス様の答えは「いけない」というものだったのでしょう。その場合にはイエス様をローマ帝国への反乱の首謀者としてローマ人たちのところに連行することができたはずだからです(20章20節)。イエス様の答えは実質的には「いけない」と言ったのも同然であると周りの人々から理解されていたことが後の箇所からわかってきます(23章2節)。

イエス様に死刑の判決を下すことがイエス様の敵対者たちの目的でしたが(「ヨハネによる福音書」18章31節)、ユダヤ教の教義をめぐる論争のみを根拠にローマ人たちがイエス様に死刑を宣告するように仕向けることは不可能でした。それゆえ、ローマ人たちにも認めてもらえるような重い罪状(例えば反乱)を捏造する必要に彼らは迫られていたのです。

一方で、もしもイエス様が「よい」と答えて、ローマ皇帝に「貢」を払うように勧めたならば、今度は民衆がイエス様に反対するようになったことでしょう。

「イエスは彼らの悪巧みを見破って言われた、」
(「ルカによる福音書」20章23節、口語訳)

この節の「悪巧み」という言葉(「パヌールギア」)はギリシア語ではかなり強い意味の表現です。

今問題になっている「貢」は、個人がローマ人の貨幣によって払わなければならないある種の税金のことです。この税金は皇帝が私的に利用するために徴収されました。それゆえ、宗教熱心なユダヤ人にはこの税金の支払いに反対する大義名分があったのです。税金のために用いられた貨幣にはさまざまな種類のものがありました。多くの皇帝の時代にわたり、ラテン語(ローマ帝国の公用語)やギリシア語(ローマ帝国の特に東方部での共通語)で記された貨幣が鋳造されました。当時皇帝だったティベリウスはラテン語の貨幣に「皇帝ティベリウス、神のようなアウグストゥスの(あるいは「崇拝されるべき」)息子」と記しました。ギリシア語の貨幣でも皇帝アウグストゥスを「神」として扱っています。このようなテキストはユダヤ人たちにはおぞましいものでした。

宗教熱心なユダヤ人はこのような涜神的内容が刻まれた異邦人の貨幣を神殿の領域に持ち込むことを許しませんでした。質問者の中にそのような貨幣を携えてイエス様に見せた者がいたことになります(20章24節)。

「するとイエスは彼らに言われた、「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。」
(「ルカによる福音書」20章25節、口語訳)

教父テルトゥリアヌスは上節のイエス様のお答えについて次のような優れた解釈を披露しています。「皇帝に貨幣を与えなさい。その貨幣には彼の肖像があるからです。しかし心は神様に差し出しなさい。心には神様の似姿があるからです」(「創世記」1章27節も参照してください)。

このような異教的な貨幣は、手放すためにそれで税金を払ったほうが、それを保持し続けるよりも律法に忠実な態度だと言えるでしょう。現実ではユダヤ人たちは商人や職人としてローマ帝国の広大さを存分に利用して収益を上げていました。にもかかわらず、彼らは税金を皇帝に進んで納めようとは考えもしなかったのです。

宗教改革者マルティン・ルターは「二王国論」という教えを説きました。「国家も教会も両者ともに神様の御意思に基づいてその存在を許されているが、国家での支配権と教会での支配権とは互いに分離して考えるべきである」とルターは教えました。使徒パウロが世俗の公的権力に仕えるように奨励したことも注目に値します(「ローマの信徒への手紙」13章1〜8節)。彼自身はローマの国家権力によって散々苦しめられたにもかかわらず、そのように教えたのです。

復活をめぐる質問 20章27〜40節

サドカイ派(20章27節)はユダヤ人の最高議会で多数派を形成していました。彼らはダビデ王とソロモン王の時代の祭司ザドクの子孫であり(「列王記上」1章8節および2章35節)、祭司階級の最上位を占めていました。当時のサドカイ派は世俗化しきっており、復活も天使も霊の存在も信じなくなっていました(「使徒言行録」23章8節)。また彼らはファリサイ派の収集した口述伝承も評価せず、聖典として旧約聖書の最初の五冊(いわゆる「モーセ五書」)しか認めませんでした。彼らの宗教観は実質的にはこの俗世に関わる事柄ばかりになっていました。(聖書を無視する)現代の自由主義的な西欧のキリスト教信仰は多くの点で当時のサドカイ派と似ていると言えます。

サドカイ派はエルサレム神殿およびそこでの礼拝儀式を高く評価していました。彼らは最高位の祭司階級として神殿を通して大きな権力を持っていたのですから、それも当然です。

サドカイ派は権力を振るうばかりで、宗教的な思索には無頓着でした。また彼らはローマ人たちと協働することに熱心でした。そうすることで彼らの権力も保持されたからです。西暦70年にエルサレムが滅亡し、神殿という権力基盤を失ったサドカイ派は消え去りました。その後で唯一残ったユダヤ教の宗派はファリサイ派でした。サドカイ派の考えかたについては、彼らの敵対者やユダヤ人歴史家ヨセフスの書物から窺い知ることができます。

「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もしある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。ところで、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、そして次男、三男と、次々に、その女をめとり、七人とも同様に、子をもうけずに死にました。のちに、その女も死にました。さて、復活の時には、この女は七人のうち、だれの妻になるのですか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。」
(「ルカによる福音書」20章28〜33節、口語訳)

このサドカイ派の質問は一見すると旧約聖書に基づくもののようです。しかし、実は彼らが神様の啓示の意味を全く理解していなかったということを、イエス様は上の質問への返答によって示されました(「マタイによる福音書」22章29節、「マルコによる福音書」12章24節)。

サドカイ派は神様の啓示を歪曲させることで、それが実行不可能な間違ったものであることを示そうとしました。それと同じようなことを現代の多くの無神論者もキリスト教を批判するときに行っています。

サドカイ派の質問は「土地」というものについてのユダヤ人の理解に結びついていました。彼らは「すべての土地は神様のものである」とみなしていました。イスラエルの民はヨシュアの指導によって到達した「約束の地」を獲得後、十二部族の親族や家族に分割しました。いったん分けられた土地をある親族のものから他の親族のものに移すことは許されませんでした。このような土地の売買は禁じられていたのです。ただし、五十年ごとに訪れる次の「ヨベルの年」(「レビ記」25章)まで貸し出すことは許されていました。ヨベルの年になると土地は元の所有者に返還されたのです。この箇所に出てくるように、男性が実子のいないまま死んだ場合に、彼に最も近しい血縁の男性が死んだ彼の未亡人と結婚しなければならず、彼らの間に生まれた最初の子どもは死んだ男性の子どもとみなされて、死んだ男性の資産と土地を受け継ぐという習わしがありました。この慣習は「レビラト婚」と呼ばれています(「民数記」36章1〜13節、「申命記」25章5〜6節、また「ルツ記」4章1〜6節も参照してください)。

サドカイ派の考えかたによれば人間の復活は不可能なことです。この譬に出てくる女性は復活後に七人の男性全員の妻となることはありえないからです(20章33節)。ファリサイ派もこの種の問題を考えていました。復活について持っている彼らのイメージは、来るべき命は「現在の命よりも若干改善されているもの」といったものでした。彼らならば、サドカイ派の質問に「その女性は復活した後で最初の夫と結婚している」と答えたことでしょう。ファリサイ派は「復活してからでも子どもを作ることができる」と教えていました。かつてイスラム教は復活についての教えに関してファリサイ派の影響を受けました。死後の世界についての明確なイメージを提供することで人々を勧誘できるところがイスラム教の強みの一つであるとも言われます。

「彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。」
(「ルカによる福音書」20章36節、口語訳)

サドカイ派の質問に対するイエス様の答えは、例えばファリサイ派のそれとはまったく異なるものでした。復活はこの世の続きなどではなく、復活すると私たちは天使のような存在になるというのです(この点についてイエス様がもっと多くのことを語っていてくださったら本当によかったのにと思います)。天の御国の家族は一つだけです。そこでは私たち全員が神様の子どもなのです。

聖書は他の箇所でも「復活後の世界はどのようなものか」について語っていません。聖書が主に教えているのは「復活の後の世界はどのようなものではないか」ということです(「イザヤ書」25章8節)。例えばそこにはもはや死が存在しません。

イエス様によるサドカイ派への批判はもう一つあります。天使の存在です。

「死人がよみがえることは、モーセも柴の篇で、主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、これを示した。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである。」
(「ルカによる福音書」20章37〜38節、口語訳)

最後にイエス様は「すでにモーセ五書も復活について教えている」とサドカイ派に指摘なさいました。燃える柴のところでモーセが神様と出会った時に、神様は御自分を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んでおられます(「出エジプト記」3章6節)。アブラハムもイサクもヤコブもずっと昔に死んだ人々ですが、神様に対しては皆が「生きている者」だということです。それゆえ、復活は絶対に存在することになります。

「かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。」
(「ルカによる福音書」20章35節、口語訳)

この節でイエス様が「救われる者たちの復活」について述べておられることに注目しましょう。それゆえ、この箇所に基づいて「地獄が存在しない」といった主張を正当化することはできないのです。

「律法学者のうちのある人々が答えて言った、「先生、仰せのとおりです」。彼らはそれ以上何もあえて問いかけようとしなかった。」
(「ルカによる福音書」20章39〜40節、口語訳)

律法学者たちは多くの点でイエス様の教えに近い考えかたをしていました。それゆえ、彼らにはイエス様の教えを受け入れることが比較的容易でした。ファリサイ派はサドカイ派との関係がよくありませんでした。サドカイ派についての新約聖書の言及は数回にとどまり、「ルカによる福音書」ではこの箇所だけです。彼らはイエス様とはきわめて遠い存在であり、彼らとイエス様の間には論争さえ起きなかったのです。そういうこともあってサドカイ派はイエス様に質問する意欲も失ってしまいました。

ダビデの子とダビデの主 20章41〜44節

今度はイエス様が質問なさる番です。

「ダビデの歌
主はわが主に言われる、
「わたしがあなたのもろもろの敵を
あなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。
主はあなたの力あるつえをシオンから出される。
あなたはもろもろの敵のなかで治めよ。
あなたの民は、あなたがその軍勢を
聖なる山々に導く日に
心から喜んでおのれをささげるであろう。
あなたの若者は朝の胎から出る露のように
あなたに来るであろう。
主は誓いを立てて、み心を変えられることはない、
「あなたはメルキゼデクの位にしたがって
とこしえに祭司である」。
主はあなたの右におられて、
その怒りの日に王たちを打ち破られる。
主はもろもろの国のなかでさばきを行い、
しかばねをもって満たし、
広い地を治める首領たちを打ち破られる。
彼は道のほとりの川からくんで飲み、
それによって、そのこうべをあげるであろう。」
(「詩篇」110篇)

ダビデのいわゆる「王の詩篇」たちと同様に、ラビたちはこの「詩篇」110篇もメシア(すなわちキリスト)についての詩篇とみなしました。

イエス様の投げかけられた質問は「どうして人々はキリストをダビデの子だと言うのか」というものでした。もしもメシアがダビデの子孫ならば、ダビデよりも下位の存在ということになります。そうだとすれば「どうしてメシアはダビデの主でありうるのか」ということが問題になります。この場合、メシアはダビデよりも上位の存在になるからです。

この問題に対する答えは単純です。メシアはダビデの子であり子孫ですが、同時に神様の御子でもあるがゆえに、ダビデの主でもあるのです(この「主」は神様を表しています)。ラビ文献はイエス様の時代以後、二百年にわたって「詩篇」110篇について沈黙し続けました。ラビたちはこの問題をあえて考えようとはしなかったのです。この問題へのイエス様の答えは彼らには受け入れ難いものであったからです。

最高議会で尋問された際に御自分がメシアかどうか問われたイエス様はまさしく「詩篇」110篇を引用することでお答えになりました(22章69節)。

イエス様は彼らの世俗的なメシア待望が根本的に間違っていることをふたたび指摘なさいました。「メシアを人となられた神様として受け入れる」という選択肢があったにもかかわらず、ファリサイ派にとってそれは受け入れがたいものでした。

律法学者たちには気をつけよ! 20章45〜47節

マタイではこの論争の後でイエス様の「わざわいだ」という一連の長い託宣が律法学者たちやファリサイ派に向けられます(「マタイによる福音書」23章1〜39節)。マタイはユダヤ人たちに向けて、ルカは異邦人たちに向けてそれぞれ福音書を書いています。それゆえ、ルカが律法学者たちを批判する必要性はマタイよりも少なかったと言えます(とはいえ、ルカも12章1〜3節でファリサイ派に対するイエス様の批判を書き記しています)。

イエス様は「律法学者たちは三つの罪を犯している」と述べておられます。それらは虚栄、貪欲、自己満足です(20章46〜47節の他に「マタイによる福音書」6章1〜6節も参照してください)。

「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くのを好み、広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう。」
(「ルカによる福音書」20章46〜47節、口語訳)

律法学者たちの正装には長い衣も含まれていました。これは今の牧師のストラの原型にもなっています。

律法学者たちの礼拝はその大部分が見せかけだけの演出のようなものでした。光はすっかり暗闇に取って代わられたのです(11章35節でイエス様は「だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。」と警告しておられます)。

律法学者たちは人々に律法を教えることの対価として報酬を得てはいけないことになっていましたが、贈り物を受け取ることは許されていました。彼らはやもめたちから得た遺産の返礼として彼女たちのために祈るという約束もしました。遺憾ながら、このようなやりかたは一部のキリスト教徒たちの間では今も行われています。

もちろん律法学者たちはよいことも行いました。彼らは旧約聖書のヘブライ語のテキストとユダヤ教の伝承を後世のために保存し継承したのです。