マルコによる福音書
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序論
マルコによる福音書を書いた人物、書かれた場所と時期
古くからあるキリスト教の伝承は、「福音書記者マルコがペテロの通訳者としてキリストの弟子たちの長であるペテロに従ってあらゆるところに行った」、と語っています(「パピアス断片集」)。そして最後には、ローマでペテロの語ったイエス様の教えを書き留めた、というのです。パピアスの証言などの伝承の信憑性を疑う学者は多くいました。それはともかく、「マルコによる福音書」はしばしばペテロの視点から書かれている、という点は注目に値します。この福音書には、イエス様の実弟でありエルサレムの初代キリスト教会の後の指導者でもあったヤコブについては、その名前さえ述べられていません。「ペテロの第一の手紙」5章13節は、ペテロとマルコが一緒にローマにいたと語っています(その箇所で「バビロン」はあきらかにローマをさしています)。ルカとマタイが「マルコによる福音書」からその大部分をそれぞれの福音書に引用した後でもなお、初代教会は「マルコによる福音書」を大切に保存しました。マルコの背後にとても信頼できる伝承の継承者がいたのは、まちがいありません。こういうわけで、ペテロとマルコの間にはなんらかの関係があった、と自然に推定することができます。
福音書の書かれた場所と時期を正確に決定するのは困難です。前述のように、ローマで書かれたという説が古くからあります。この福音書は、ユダヤ人に対してというより、異邦人に対して書かれています。書かれた時期は、およそ西暦70年頃、エルサレムが崩壊する少し前か、あるいは崩壊した後まもなくのことであるのは、まちがいなさそうです。
福音書の特徴
「マルコによる福音書」は「受難のキリスト」について語っています。私たち現代人には理解しがたいことですが、十字架につけられた神様の御子についてのメッセージは、当時の古代世界の人々にとって、中傷的で到底受け入れがたいものでした。十字架刑は、考えうる限り最も屈辱的な死に方だったのです。初代教会の多くのキリスト信仰者がイエス様の十字架を恥じたのは、無理もありません。ところが、こうした恥の意識は「マルコによる福音書」には痕跡すらありません。福音書の約半分の箇所で、「イエス様の受難」が語られています。イエス様が捨て去られることになるのを暗示する暗雲は、すでに福音書のはじめのほうに見えます(たとえば3章22~30節、6章1~6節)。イエス様がこの世に来られたのは、周りから仕えられるためではなく、辱めを受け十字架で殺されるためでした。このように、福音は「十字架の神学」に基づいて読まれるべきなのです。
「マルコによる福音書」のもうひとつのはっきりとした特徴は、いわゆる「メシアの秘密」と呼ばれるものです。イエス様は、御自分が本当は誰であるか、決して誰にも告げないようにと、悪霊ばかりではなく御自分の弟子たちに対しても命じられました。イエス様の真のお姿は、すでに洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった瞬間に顕示されました(1章11節)。また、わずか少数の目撃者のいる中で「栄光の山」においても示されました(9章7節)。これらの例外的な「時」を除けば、イエス様がキリスト(つまりメシア)であることは長い間非常に注意深く隠されていました。どのような権威によってイエス様が活動されているか、いろいろな人たちが、時には怪しみつつ、時には怒りながら、問いただしました。しかし、彼らが答えを得ることはありませんでした。これはいまだに「マルコによる福音書」研究における難問です。ともかく、「メシアの秘密」は、祭司長たちと全議会の前であきらかにされます(14章55節以降)。そこでイエス様は、大祭司の質問に明確にお答えになりました。イエス様は神様の御子でありキリストなのです。このことを、イエス様の死の際に、ローマの百人隊長もまた公に告白します(15章39節)。おそらく、「メシアの秘密」によって、福音書は私たちに、「イエス様が真のキリストであることは、辱めを受け私たちのために十字架にかけられたお方としてのみはっきり示される」ことを教えているのでしょう。多くのユダヤ人たちは、キリストが政治的な解放者とか目に見える具体的な「神の国」の創始者になってくれることを、勝手に期待していたのです。このように、「メシアの秘密」もまた、「マルコによる福音書」の「十字架の神学」の一部なのです。
「マルコによる福音書」の3番目の特徴は、この福音書がイエス様の奇跡について頻繁に言及していることです。これは、奇妙な出来事についてなら人が喜んで読むから、ということではありません。神様は旧約の民の只中で偉大な奇跡を行ってくださいました。この同じ神様は、奇跡が再び繰り返される「新しい救いの時」がこれから到来することを、聖書の中で約束してくださいました(たとえば「イザヤ書」35章)。イエス様の働きを通して、旧約聖書に語られている多くの奇跡が繰り返されました。それらの奇跡は、ナザレのイエスという存在が神様の権威に基づいて活動し、御自分の民を新しい時代の中に移動させたことを示していました。
福音書の内容の区分け
「マルコによる福音書」については、その舞台となっている地域に基づき区分して取り扱うのが最善のやりかたであると思えます。
はじめの部分(1章1節~8章26節)は、主にガリラヤにおけるイエス様の活動について語っています。
次の部分(8章27節~10章)は、エルサレムとゴルゴタへと向かわれるイエス様を描いています。
最後の部分(11章~16章)は、エルサレムにおけるイエス様の受難と復活について語っています。