ルカによる福音書8章

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

イエス様と共に旅をした女性たち 8章1〜3節

「そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。」
(「ルカによる福音書」8章1〜3節、口語訳)

この箇所の出来事はイエス様が公に活動なさっていた時期に同行していた女性たちが食事やその他の日常の事柄に関してイエス様と弟子たちに対して熱心に奉仕していたという貴重な情報を提供しています。

「ヨハネによる福音書」によると、イエス様と弟子たちの共通の財布を預かっていたのはイスカリオテのユダです(「ヨハネによる福音書」12章6節)。しかし生活するためにはお金だけでは十分ではなく、例えば食材を仕入れて調理する人々も必要でした。ここに出てくる女性たちは経済的な援助に加えて自らの手でもイエス様の一行にお仕えしていたのです。

ここで名前が挙げられている三人の女性たちの中で最も有名なのは「マグダラと呼ばれるマリヤ」です。マグダラはガリラヤ湖の西岸の村でした。

「ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ」は過越の祭の朝(イースターの朝)にイエス様の墓に来た人々の中の一人としてその名が挙げられています(24章10節)。彼女の夫クーザはヘロデ王の役人であり、その息子はイエス様に癒していただいたと考えられています(「ヨハネによる福音書」4章46〜54節)。

「スザンナ」は聖書ではこの箇所だけに登場します。彼女については他には何も知られていません。

イエス様に女性の弟子たちがいたことは当時では例外的なことでした。ユダヤ人は少女たちには律法を教えなかったし、ラビには女性の弟子はいませんでした。「イエスは当時の社会の慣習や考えかたに囚われていた」と主張されることもありますが、この箇所からも分かるように、実際にはそうではなかったのです。

また「ルカによる福音書」に記述されているのはイエス様の言行のほんの一部分にすぎないことをこの箇所の冒頭部分は私たちに教えてくれます。

御言葉を蒔く仕事は無駄にはならない 8章4〜15節

イエス様の語られた種蒔きの譬は弟子たちを勇気づけるものでした。蒔いた神様の御言葉のうちの一部がたとえ無駄になったとしても、他の一部は百倍もの実を結ぶからです。

当時のイスラエルでは畑には石ころがたくさん落ちていました。良い土地だけに種を蒔く余裕はなかったので、収穫が得られるかもしれないあらゆる土地に種を蒔いていかなければなりませんでした。その意味で、譬に出てくる種蒔き人のやりかたはいたって普通であり、とくに種を浪費しすぎたり蒔きかたが大雑把すぎたりしたというわけではありません。自分が蒔いた土地のうちの一部分からだけではなくすべての場所から収穫が得られることを種蒔きが待ち望んでいたのはたしかです。

神様の御言葉を蒔く作業もこれと同じように行わなければなりません。これは、最良の土地だけを探すべきではないということであり、またその一方で、収穫を得られることを常に待ち続けるべきだということであり、「蒔いても一部はどうせ失敗する!」などと考えるべきではないということです。

神様は些細なことで諦めはなさらないということもこの譬からはわかります。これは、御国には不適格であるように見える人々も神様は御国へ招いておられるという意味です。

種蒔きの結果は4種類に分けることができます。それと同様に福音を宣べ伝えるときにも次の4種類の人々に出会うことになります。

1)御言葉をまったく受け付けない人々

2)御言葉を信じはするものの、迫害や苦難が起こると信仰を捨ててしまう人々(教会の創立以来いつの時代にも棄教者たちがいました)

3)御言葉を信じるけれども、時の経過とともにこの世の主流へ舞い戻ってしまう人々(彼らを「世俗化したキリスト教徒」と呼ぶこともできるでしょう)

4)御言葉を終わりまで信じ続ける人々

「そこで言われた、「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬で話すのである。」」
(「ルカによる福音書」8章10節、口語訳)

上節でイエス様は「私の弟子たちだけが神様の御国の奥義を知ることを許されている」と言っておられます。これは不公正に感じられる考えかたかもしれません。おそらくイエス様のこの発言の背景には、「全員に福音を聞く機会があったのはたしかだが、イエス様を信じる人々だけがそれを受け入れて理解することができた。しかし教会の外に留まった非信仰者たちはそれを理解しがたい謎であるとみなした」という事情があったものと思われます。イエス様の十字架での犠牲死の意味を考えると、まさにこのような分裂がイエス様の十字架刑の場で現出したことに気がつかされます。十字架はキリスト信仰者たちにとっては、イエス様の身代わりの死のゆえに自分たちの罪の赦しをいただける場所であるのに対して、イエス様を信じていない他の人々にとっては、無意味な刑死か、あるいは無実な者を不当な裁判によって殺した冤罪事件にすぎなかったということになります。

賜物の活用 8章16〜18節

「だれもあかりをともして、それを何かの器でおおいかぶせたり、寝台の下に置いたりはしない。燭台の上に置いて、はいって来る人たちに光が見えるようにするのである。隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう。」
(「ルカによる福音書」8章16〜18節、口語訳)

神様は福音を人から隠すためにではなく人前に示すためにお与えになりました。福音の反対者がどれほど大勢いようとも、福音という種を蒔く作業(福音伝道)をやめてはいけないのです。

神様からいただいた賜物を私たちが使わないでしまっておくと、神様はそれを私たちから取り去ってしまわれるかもしれません。新しい言葉を勉強するのはそれを忘れるためではありません。しかしそれを使わないでいると忘れてしまいます。

「だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう。」
(「ルカによる福音書」8章18節、口語訳)

上節はイスラエルの民の状況に当てはめることができます。彼らは自分たちが神様に選ばれた特別な御民であるという自覚を持っていました。それはまちがってはいません。しかし彼らはその意味を誤解したがために、真のメシアなるイエス様を見捨ててしまいました。その結果、神様に選ばれた御民の地位を彼らはキリスト信仰者たちへ譲り渡すことになったのです。

誰がイエス様の真の家族か? 8章19〜21節

すでに「ルカによる福音書」の書かれた頃には「イエス様への信仰があるかないか」によってそれぞれの家族は実質上分裂していました(12章49〜53節)。同様のことは現代でも起きており、とりわけイスラム教徒の世界では大きな問題になっています。もしもムスリム(イスラム教徒)がキリスト信仰者になると、その人は家族や親戚全員から排除されることになるからです。中近東の文化圏で生きる人にとっては家族や親戚が今も昔も現代の西欧世界でよりもはるかに大きな意味をもっています。

イエス様への信仰、それを通して天の御国に入ることは他の全てにまさる最重要事項です。

この箇所からは、イエス様の父親ヨセフがすでに死去していたことに気付かされます。また「マルコによる福音書」6章3節にはイエス様の兄弟たちの名前が記載されています。それによるとイエス様には少なくとも四人の弟と二人の妹がいたことがわかります。

イエス様は被造物世界全体の主である

「ルカによる福音書」8章の終わりには四つの奇跡、力ある御業が記されています。それらはイエス様の支配力が四つの反対者たちを超越するものであったことを表しています。イエス様の四種類の支配力は次のとおりです。

1)自然の力を越える支配力(8章22〜25節)
2)悪霊の力を越える支配力(8章26〜39節)
3)病気の力を越える支配力(8章40〜48節)
4)死の力を越える支配力(8章49〜56節)

これら四つの力ある御業について、キリスト信仰者はもはや病気になったり死んだり自然の猛威の影響下におかれる必要がなくなるという意味に解釈する人もいるかもしれませんが、この出来事の教訓はそのような考えかたとはまさに正反対のものです。

キリスト信仰者も自分の人生において神様の敵対者の仕業と遭遇せざるを得ません。しかしイエス様はすでにサタンに勝利しておられるので、最終的な勝利を収めるのは神様であり、また神様と共に活きているキリスト信仰者たちなのです。

神様は同じ苦境に置かれている人々に対して一様に同じような対応をなさるとはかぎりません。今回、イエス様は嵐を鎮められました。しかしローマへ向けて船旅を続けていた使徒パウロは嵐の海の上を二週間も漂流しました(「使徒言行録」27章27節)。

神様は敵対者に勝利なさいました。しかし私たちの抱えている問題(例えば病気など)に対する神様の応答がいつも同じやりかたであるとはかぎりません。例えば病が癒やされる代わりに病に耐える力を神様が与えてくださる場合もあります。

自然の諸力の主 8章22〜25節

ルカによる福音書」8章「ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。」
(「ルカによる福音書」8章22〜25節、口語訳)

ガリラヤ湖の水面は海面よりも約200メートル低くなっています。この湖には島が一つもありません。地中海から吹きつける風が山の斜面を下るときに冷えて、湖に嵐を引き起こしました。熟練の漁師でさえこの嵐に巻き込まれることがありました。嵐は突然起きたからです。

漁師の船が転覆する危険も少なくありませんでした。さらに悪いことに、弟子たちとイエス様が船に乗って移動していたのは夜だったのです(8章23節には「渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた」とあります。また「マルコによる福音書」7章35〜36節も参照してください)。

イエス様が嵐を鎮められた後、弟子たちには「いったいイエス様は何者なのか?」という疑問が湧きました。これら力ある御業のすべてはこの疑問に対するイエス様の答えであると言えます。イエス様は自分たちが勝手に想像していたのとは異なる何か特別なお方であるということが弟子たちにも少しずつわかってきました。当時の彼らはイエス様を偉大な教師とみなしていましたが、実はイエス様は神様御自身だったのです。

悪霊たちの主 「ルカによる福音書」8章26〜39節

ガリラヤ湖の東岸に着いたイエス様と弟子たちはこうして異邦人(非ユダヤ人)の地域にやってきたことになります。この地域は「デカポリス」と呼ばれていました(ギリシア語で10は「デカ」、都市は「ポリス」と言います)。そこにはヘレニズム時代にできた10の都市から構成される国があり、当時はローマ帝国に属していました。デカポリスの首都はゲラサであり、「ゲラサ人の地」(8章26節)という名称はそこに由来していると考えられます。

その地でイエス様は悪霊に取り憑かれた男に出会いました。ローマ帝国の軍隊は六千人単位で構成され「レギオン」と呼ばれていましたが、悪霊に取り憑かれた男が自己申告した名前「レギオン」(8章30節)を文字通りに受け取るべきではないでしょう。「マルコによる福音書」はこの出来事について、イエス様によってこの男から追い出された悪霊たちが取り憑いて溺死した豚の数は約二千匹であったと記しています(「マルコによる福音書」5章13節)。

悪霊たちはイエス様に時間的な猶予を乞いました。彼らはイエス様によって直ちに「底知れぬ所」に落とされるはずだったからです(8章31節)。しかし悪霊たちはイエス様からせっかくいただいたこの時間的な猶予を有効に使うことができず、豚の群れに取り憑いて溺死させたため、自らも一緒に滅んでしまいました。悪の力が自分自身に跳ね返ってきたのです!

この出来事で「罪のない」豚たちが溺れ死んだことは多くの聖書研究者にとって説明がやっかいな問題となりました。しかし、すべての所有物は神様からお借りした物であることをここで思い起こしましょう。神様は人間に貸し与えた物を望まれる時に取り去る権利を有しておられます。立て続けに起きた過酷な苦難に苦しめられたヨブについて旧約聖書は次のように書いています。

「このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、そして言った、
「わたしは裸で母の胎を出た。
また裸でかしこに帰ろう。
主が与え、主が取られたのだ。
主のみ名はほむべきかな」。
すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。」
(「ヨブ記」1章20〜22節、口語訳)

おそらく溺れ死んだ豚たちは町に住んでいた誰か大地主の所有物で、召使を牧者として世話を任せていたものだと思われます。

当時の豚たちは旋毛虫症に感染していた場合が多かったため、豚の群れが溺死したことは町の住民たちにとってはむしろよいことであったとさえ考えることもできます。

「それから、ゲラサの地方の民衆はこぞって、自分たちの所から立ち去ってくださるようにとイエスに頼んだ。彼らが非常な恐怖に襲われていたからである。そこで、イエスは舟に乗って帰りかけられた。」
(「ルカによる福音書」8章37節、口語訳)

他所から来た得体の知れない者(イエス様)に対する恐れから、「ゲラサ人の地」の民衆はこぞって「自分たちの所から立ち去ってください」とイエス様に頼みました。

いくつかの細部について

8章27節の「墓場」について、翻訳によってはそれが本当は「墓場の洞穴」であって、その中には人が住むことができたと説明しています。

「「家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい」。そこで彼は立ち去って、自分にイエスがして下さったことを、ことごとく町中に言いひろめた。」
(「ルカによる福音書」8章39節、口語訳)

この節でイエス様に悪霊を追い出していただいた男に対してイエス様はそのことについて黙っているように命じるどころか、むしろこの神様の御業について人々に宣べ伝えるように奨励しています。ところが、8章56節の別のケースでは、イエス様に瀕死の娘を助けられた両親に対してイエス様はこの奇跡について黙っているように命じておられます。両者のケースでイエス様の指示が異なっているのは、異邦人の居住地域であるゲラサの人々には、ユダヤ人たちとは異なり、まちがったメシア待望が元々なかったからであると説明することができます。

病の主 8章40〜48節

「ここに、十二年間も長血をわずらっていて、医者のために自分の身代をみな使い果してしまったが、だれにもなおしてもらえなかった女がいた。」
(「ルカによる福音書」8章43節、口語訳)

長血を患っていたこの女性はユダヤ教的には穢れた存在であったため、ユダヤ教の礼拝に参加することが許されていませんでした。また穢れずに彼女に触れることも誰にもできませんでした(「レビ記」15章25〜27節)。彼女が他の人から知られないようなやりかたで密かに癒やされることを望んだのはおそらくこのためです。彼女は「イエス様も自分に触れられるのを嫌がるかもしれない」と恐れたのでしょう。

しかし真の信仰には公に信仰を告白することも含まれています。それゆえ、イエス様はこの女性が人前に出てくることを望まれたのです。そうすることで長年の病から癒やされたことが周囲の人々にも明らかになったので、彼女はもはや他の人から避けられる必要がない存在になれたのです。

ルカは上節で(ただこの箇所は現在残っている聖書写本の一部にしか含まれていないのですが)、この女性が全財産を医者の費用に使い果たしたにもかかわらず病気が少しもよくならなかったと述べています。しかしマルコの該当箇所(「マルコによる福音書」5章26節)とは異なり、ルカは女性の受けた苦しみや医者の治療が助けになるどころかむしろ病状を悪化させたことについては記していません。そしてこれは「ルカによる福音書」の書き手が医者を職業とするルカであったことの証拠であるとみなされています。

「この女がうしろから近寄ってみ衣のふさにさわったところ、その長血がたちまち止まってしまった。」
(「ルカによる福音書」8章44節、口語訳)

イエス様の「み衣のふさ」は、イエス様が旧約聖書の律法の要求に従っておられたこと(「民数記」15章37〜41節)、しかしファリサイ派による律法のすべての解釈や拡大解釈には追従なさらなかったことを示しています。

「そこでイエスが女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。」
(「ルカによる福音書」8章48節、口語訳)

死の主 「ルカによる福音書」8章49〜56節

会堂司ヤイロの一人娘である12歳の子どもが病気で死にかけていました(8章42節)。自分の娘が死んだという知らせを聞いた後でもなおヤイロはイエス様が助けてくださることを信じていました。彼はイエス様が死んだ娘を復活させてくださるとはさすがに思わなかったでしょう。それでも彼はイエス様から何らかの助けをいただけると信頼していたのです。そして彼はその信仰が自分の期待を超えるかたちで実現するのを目の当たりにすることになります。なんとイエス様は彼の娘を死から蘇らせてくださったのです。

「イエスがまだ話しておられるうちに、会堂司の家から人がきて、「お嬢さんはなくなられました。この上、先生を煩わすには及びません」と言った。」
(「ルカによる福音書」8章49節、口語訳)

普通の「先生」ならばヤイロの死んだ娘には何もできなかったことでしょう。しかしイエス様はただの先生ではなくそれよりもはるかに優るお方でした。イエス様は命の造り主で与え手なる神様であられたのです。

「しかしイエスはこれを聞いて会堂司にむかって言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」。」
(「ルカによる福音書」8章50節、口語訳)

ギリシア語の「ソーゾー」という動詞は「癒す」とも「救う」とも訳すことができます。口語訳の場合だと、前掲の8章48節では「救ったのです」(能動態完了形)、上節の8章50節では「助かるのだ」(受動態未来形)がこの動詞で表現されています。

この箇所に対応するマルコの文章をかなり短縮しているルカは、イエス様が周囲に五人しかいない状況で娘を復活させたこと(「マルコによる福音書」5章40節(「子供の父母と供の者たちだけを連れて」))を明示していませんが、まさにそのような状況下でこの復活の奇跡が起きたことを前提として福音書を綴っています。もしもそうでなければ、イエス様が「この出来事をだれにも話さないように」と娘の両親に命じられた(8章56節)理由がなくなりますし、ルカはこれらの五人の名前を挙げてもいるからです(8章51節)。

聖書の文章からある細部の描写が欠けているからといって、書き手がその欠けている内容について知らなかったとはかぎりません。

「人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた、「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているだけである」。」
(「ルカによる福音書」8章52節、口語訳)

この箇所の「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているだけである」というイエス様の御言葉は(「ヨハネによる福音書」11章11節と同様に)「死」について「眠りについた」という言いかたをしてもよい根拠をキリスト信仰者に与えています。