ルカによる福音書13章

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

悔い改めない者は滅びる 13章1〜5節

この箇所でイエス様は二つの出来事の例を挙げておられます。ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、それを彼らの犠牲の血に混ぜたこと(13章1節)とシロアムの塔が倒れたために十八人おし殺されたこと(13章4節))です。聖書以外の歴史書にはこのどちらの出来事についても記録が残っていません。ピラトは残虐な支配者だったことが知られており、第一の出来事は彼の統治時代について私たちがもっている印象とよく合致しています。

ユダヤ人たちはエルサレム神殿でのみ犠牲を捧げました。おそらく上述の第一の出来事は何か大きな祭りの時に起こった事件であると思われます。犠牲動物の屠殺には平信徒たちもそれを助けるために参加していたからです。

ガリラヤ人たちは反乱を度々企ててきたことで有名でした。後の歴史に大きな影響を与えることになる西暦66年の反乱もガリラヤから始まったものです。上述の第一の出来事は反ローマ的な「ゼーロータイ(熱心党)」と呼ばれる集団の中の誰かが仲間を裏切ってローマ人に通報したために起きた事件だったものかもしれません。

どうしてこの出来事をイエス様に知らせる人々がいたのでしょうか。まず、それが当時起きたばかりの新しい事件(ニュース)だったからでしょう。ところで彼らにはイエス様を罠にかけようとする悪意があったのでしょうか。ここでいう「罠」とは、ユダヤ人とローマ人のどちらの側にイエス様がつくつもりかをはっきりさせるという意味です。もしもイエス様がローマ人の側につくならば、民衆はイエス様を捨てるでしょう。もしもイエス様が反乱を起こすユダヤ人の側につくならば、イエス様をローマ人に通報することができるでしょう。これは「マタイによる福音書」22章15〜22節での「税金を皇帝に払うべきかどうか」という問答に類似しています。

イエス様はまずユダヤ人にとって馴染み深い因果関係についての考えかたについてお答えになりました。それは「罪のせいで不幸な事故に巻き込まれる」という考えかたです(「ヨブ記」4章7〜8節、22章5〜11節、「ヨハネによる福音書」9章1〜3節)。しかしイエス様はこの考えかたに同調なさらず、むしろそれを二度も否定されました。イエス様によれば、この問題の核心は「救われた者たちはどうなるのか?」ということであり、「すでに死んだ者たちではなく、まだこの世で生きている者たちのことについてこそ考えるべきである」ということです(「ルカによる福音書」9章59〜60節)。

ピラトはエルサレムに水道を建設しましたが、この水道はシロアムの池に通じていました。シロアムの塔が倒れたために十八人おし殺された事故は、まさにこの水道建設工事かあるいは何か他の建設工事が原因であった可能性もあります。

「偶然や運命という考えかたは聖書にはない」ということを知っておくのは重要です。歴史は神様によって統べられているからです。ここでイエス様は前章(12章)の終わりで扱った「自分の寿命を知る者は誰一人いない」というテーマに関わる発言をなさっています。「今」が救いの日であり(「コリントの信徒への第二の手紙」6章1〜2節)、「今」が神様の恵みを受け入れるべき時なのです。

古くから伝承されてきた教会の祈りとして「突然死というよくない出来事から、どうか神様、お守りください!」というものがあります。これは「死ぬ心の準備ができていない間はまだ死にませんように!」という意味です。終わりの瞬間がいつやってくるのか、誰にもわからないのですから、いつ死ぬことになってもよいように私たちは日頃から心構えをしておくべきなのです!

「また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。」
(「ルカによる福音書」13章4節、口語訳)

「罪の負債」は12章58〜59節と関連する表現です。正確にはギリシア語原文で「負債者たち」(「オフェイレタイ」)と書かれています。

「あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。」
(「ルカによる福音書」13章3節および5節、口語訳)

口語訳では3節と5節は全く同文に訳されています。ギリシア語原文でもほぼ同じ分の繰り返しになっています。

「悔い改める」という動詞は3節でも5節でも、底本として採用されたギリシア語原文では現在形になっており「継続的な行為」を表現しています。それに対して、別の写本群では3節も5節も同じ動詞はアオリスト形になっており「一回限りの行為」を表現しています。神様に対して、一回限りの悔い改めをすることも日々継続する悔い改めをすることも、そのどちらもがキリスト信仰者の人生における悔い改めのあるべき姿であると言えましょう。

恵みの時 13章6〜9節

「それから、この譬を語られた、「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。」
(「ルカによる福音書」13章6〜9節、口語訳)

これはフィンランドのルター派の教会では新年の礼拝で用いられる聖書の箇所のひとつです。いわば、毎年ごとに「恵みの年」が始まるのです。ラテン語では紀元後の西暦にはAnno Domini(略してA.D.)が付いていますが、これは「主の年に」という意味です。

聖書で「ぶどう園」はイスラエルを意味していることがしばしばあります。その最も有名な箇所は「イザヤ書」5章1〜7節でしょう。今回扱う箇所ではぶどう園に育ったいちじくの木がテーマになっています。いちじくの木とぶどうの木は共に「ヨエル書」1章7、12節に挙げられています(「ナホム書」3章12節、「マルコによる福音書」11章14節も参考になります)。「ミカ書」4章4節と「ゼカリヤ書」3章10節では、それらは平和の時を表しています。「ホセア書」9章10、16節では、いちじくの木が実を結ばない状態は預言者ホセアの時代の北王国イスラエル(「エフライム」)の偶像礼拝という罪の中に人々が生きている状態を象徴しています。

イエス様の譬には「いちじくの木とぶどうの木が何を意味しているのか」という問題に比べると、より容易に解釈できる次のような二つのポイントがあります。

1)ぶどう園の所有者は神様を表している(20章9〜16節が参考になります)。

2)「園丁」はイエス様を表している。

「いちじくの木」は「恵みの時」が尽きようとしているイスラエルを表している、と伝統的に解釈されてきました。実際の歴史でも西暦70年にイスラエルの信仰生活の中心であるエルサレムは滅ぼされてしまいました。

Kenneth E. Baileyという聖書学者は別の解釈を提示しています。それによると「いちじくの木」はイスラエルの宗教的指導者の集まりを表しています。彼らには(ほぼ文字通りの意味で)一年間の猶予期間が与えられていました。聖霊降臨の起きたペンテコステ(ユダヤ教での「七週の祭り」に相当します)には「神様のものであるイスラエル」の指導者集団として使徒たちが立てられました(「ペテロの第一の手紙」4章17節も参考になります)。この解釈を支持する根拠としては「ルカによる福音書」20章9〜20節(特に16〜20節)の、ぶどう園を借りていた悪い農夫たちの顛末を挙げることができます。この譬は、イスラエルの宗教的指導者たちがぶどう園を枯らし荒れ果てた状態にしてしまったことを示唆しています(6章43〜45節、「マタイによる福音書」23章15節)。

イエス様はエルサレムへの旅の途上にありました(9章51節、13章22節)。イエス様の約三年間の公の活動は今や終わりに近づきました。そしてイエス様はユダヤ人の宗教的指導者たちにもう一度だけ(悔い改める)機会をお与えになったのです。いちじくの木がもう一年だけ「恵みの時」(猶予期間)を延長してもらえたかどうかはこの箇所の譬には書かれていません。たとえ延長できたとしても、はたしていちじくの木が実を結んだかどうかについても記されていません。歴史的に見ると、ユダヤ人の宗教的指導者たちは根こそぎ除去されてしまう結末を迎えました。彼らは悔い改めにふさわしい実を結ばなかったのです(13章7節、3章7〜9節での洗礼者ヨハネの悔い改めへの説教も参考になります)。

イエス様は安息日に人の病気を癒して安らぎをお与えになる 13章10〜17節

安息日規定を守ることや破ることはイエス様とファリサイ派の間でしばしば論争を巻き起こしたテーマです(例えば「マタイによる福音書」12章1〜8節および11〜12節、「マルコによる福音書」2章23〜28節および3章1〜6節、「ルカによる福音書」6章6〜11節および14章1〜6節、「ヨハネによる福音書」5章1〜18節)。ユダヤ教の教師であるラビたちは旧約聖書の安息日規定(「出エジプト記」20章9〜11節、「申命記」5章12〜15節)を彼らなりの解釈に基づいてまとめた613個の安息日規定によって「補足」しました。これら613個の規定のうちで365個の規定は禁止の形であり248個の規定は命令の形になっています。これらに加えてさらに父祖に由来する伝統的規定もありました。やや単純化していうと、ラビたちは律法で特に許可が明記されていないことを全て禁止事項とみなしたのです。その一方で、ラビたちは上述の諸規定を実に巧みにかいくぐることにも長けていました。

それに対して、この問題に関するイエス様の基本的な考えかたは「安息日は人間のために設けられているのであってその逆ではない」というものでした(「マルコによる福音書」2章27節)。それゆえ、今扱っている箇所で長年の病気を癒やされた女性も、イエス様に出会うために特定の日を待つ必要はなく、(安息日であっても)すぐさまイエス様の御許に来ることが許されたのです。

「ところが会堂司は、イエスが安息日に病気をいやされたことを憤り、群衆にむかって言った、「働くべき日は六日ある。その間に、なおしてもらいにきなさい。安息日にはいけない」。」
(「ルカによる福音書」13章14節、口語訳)

会堂司は平信徒でもあり、役人でもあり、儀式の進行係でもあるような存在でしたが、イエス様によれば彼はいわば「ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる」ようなことをしていました(「マタイによる福音書」23章24節)。彼の偽善性は、イエス様の行いを正そうとしたのに群衆にむかって話しかけたところにも表れています。

「それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか。」
(「ルカによる福音書」13章16節、口語訳)

イエス様は病の女性をサタンの呪縛から解放なさいました。天地創造が完了して神様はすべてを「よし」とされました(「創世記」1章31節)。ところが人類の罪の堕落は病気をこの世に持ち込んでしまったのです。

神様は「御自分のもの」である人々に安息日の休息を提供してくださいます(「ヘブライの信徒への手紙」4章9節には「こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。」と書かれています)。癒された女性はこの「休息」にあらかじめ少しばかり与ることができたのです。

この箇所を読みながら私たちは次のように自問するとよいでしょう。「私たちにも自分で勝手に設定した「安息日規定」のようなものがあるのだろうか?私たちの信仰生活に関わる活動規定は、かえって神様が私たちの人生に働きかけられる妨げになってはいないだろうか?」と。

からし種とパン種 13章18〜21節

この箇所の譬も、小さな始まりから何か大きなものができてくることを強調しています。

からし種はユダヤ人たちに知られていた穀物の種のうちでも最小のサイズのものでした。からしの野菜は3〜4メートルほどの高さに成長します。からしの木は8メートルもの高さに成長します。例えば「エゼキエル書」17章22〜24節に出てくる大きな木はイスラエルの民を、鳥たちは異邦の諸国民を表しています。

パン種は新約聖書では否定的な文脈で出てくることが多い表現ですが(12章1節を参照してください)、この箇所では明らかに肯定的な事柄を表しています。小さなパン種が粉全体をすっかり膨らませるのです(13章21節の「三斗の粉」の量は約36リットルに相当します)。

神様の御国は何もないに等しい状態から始まりました。この世におられた時のイエス様の活動領域はパレスチナに限定されていました。ところが現在ではすでに地球全体にわたって御国は広がり続けています(「マタイによる福音書」28章18〜20節)。とりわけ永遠の世において、御国のみが永続することが明らかになります。

パン種の譬は私たちに次のようなことを自問するように促しています。神様の御意思は私たちの中のあらゆるところに入り込むことができているでしょうか。それとも、私たちは神様の御意思を内側に受け入れないような境界線を私たちの中のどこかに作ってしまっているのでしょうか。

誰が救われるのか? 13章22〜30節

ある人が神学的な質問(哲学的とさえ言える質問)をイエス様にしました。「主よ、救われる人は少ないのですか」(13章23節より)という質問です。ここでもイエス様は論点を一般的な質問から個人的な質問へとずらしてお答えになりました。「(私たちのように)救われる人は少ないのですか?」と尋ねられたイエス様は「救われる人々の中にあなたは含まれているのですか?」と逆に質問を返されるのです。信仰に関わる事柄はたんに理論的なものではなく、常に個人的なものであるべきなのです。信仰とは人が頭で考える知識ではなく、人の生きかたそのものだからです。

「そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから」。」
(「ルカによる福音書」13章24節、口語訳)

「狭い戸口」という表現でイエス様は何を意味しておられるのでしょうか。これを「非常に努力することによってなんとか狭い戸口から入れるのにふさわしい者になる」という意味に受け取るキリスト信仰者がどうやら多いようです。しかしこの箇所をより広い福音書の文脈の中でとらえると(13章22節〜14章35節)、イエス様は人間が戸口を狭くするような限界を作っている様々な要因を列挙なさっていることに気が付きます。

戸口の「狭さ」は、戸口から入るのを妨げる様々な原因を表しているとも解釈できます。狭い戸口から入るために努力が必要であるということは、信仰に関わる事柄を真剣に受け止めて真面目に信仰生活を送るように促しているものと説明することができます。

イエス様によれば、戸口を狭くしている第一の要因は「時間」です。戸が閉じられる瞬間がいずれ必ずやって来るということです(13章25節、「マタイによる福音書」25章10節)。たとえその戸口がどれほど広かったとしても、閉じられてしまった戸から中に入ることはできません。すぐその後の13章34〜35節でイエス様はユダヤ人たちが開かれた戸から中に入ろうとしなかったことを嘆いておられます。13章26節によれば、かつて彼らはイエス様と一緒に「飲み食い」したことがあり、これは現実の歴史の中で起きた出来事でした。イエス様が彼らのもとにおられたときに開いていた戸口から彼らは中に入ろうとせず、外にとどまりました(13章26節)。彼らは「時のしるし」を読み取ろうとしなかったのです(12章54〜59節)。「まだ後からでも戸口から中に入れる」と彼らは勝手に思い込んでいました。ところが、実はそれでは手遅れだったのです。

この箇所に対応する「マタイによる福音書」7章21〜23節は、戸を閉じたのがイエス様であったことを明示しています(7章22節の「わたしにむかって」に注目してください)。イエス様が「戸」なのです(「ヨハネによる福音書」10章7節(「羊の門」)および14章6節)。このことも戸口を狭くしている一つの要因です。「正しい戸」はイエス様おひとりだけだからです。

「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが、神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。それから人々が、東から西から、また南から北からきて、神の国で宴会の席につくであろう。こうしてあとのもので先になるものがあり、また、先のものであとになるものもある。」
(「ルカによる福音書」13章28〜30節、口語訳)

上掲の箇所はふたたび最後の裁きと滅び(御国の外に投げ出されること)について述べています。最後の裁きの時には立場が入れ替わるというのです。自分が救われることを当然だと思い込んでいた者たち(イエス様を信じないユダヤ人たち)は御国の外に投げ出されるが、イエス様を信じている異邦人たちは御国の中に入れるということです。

「主にあがなわれた者は言え。
主は彼らを悩みからあがない、
もろもろの国から、
東、西、北、南から彼らを集められた。」
(「詩篇」107篇2〜3節、口語訳)

上掲の「詩篇」の箇所で、主によってあがなわれこの世のあらゆる方角から集められた人々は実際に異邦人だったのです。

神様の御計画のスケジュール 13章31〜35節

「ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています」。」
(「ルカによる福音書」13章31節、口語訳)

ファリサイ派はユダヤの地にできるかぎり速やかにイエス様を送り、そこで捕らえるつもりだったのでしょうか。あるいは、上節のヘロデの陰謀についての警告は善良な動機からなされたものだったのでしょうか。それに対してイエス様は「父なる神様の御計画こそが自分の活動を導いている」というようにお答えになりました。

ヘロデ・アンティパスはガリラヤとペレア(ヨルダン川の東岸地域)を紀元前4年から西暦39年まで支配していました。彼はヘロデ大王の息子であり、父親と同様に、ユダヤ人ではなくエドム人でした。それゆえ、いつかダビデの子孫から出現することが旧約聖書で預言されていたユダヤ人のメシアは、彼にとって真の脅威となりうる存在でした。このことからみて、ヘロデがイエス様を抹殺すべく策略をめぐらしたのは事実だったと思われます(「マタイによる福音書」2章16〜18節のヘロデの命令によってベツレヘムで幼児が殺害された事件を参照してください)。イエス様は十字架にかけられる聖金曜日にヘロデの面前に連行されます。その時のイエス様がヘロデに何も話そうとされなかったことをルカは強調しています(23章8〜12節)。

「そこで彼らに言われた、「あのきつねのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終えるであろう。しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』。」」
(「ルカによる福音書」13章32〜33節、口語訳)

「きつね」はヘロデの狡猾さではなく弱さを揶揄した表現でしょう。ユダヤ人たちにとって「きつね」のイメージは弱々しい哀れな動物というものでした。

「きょうもあすも」とは「短い時」を意味する当時いたって普通に使われていた表現でした。イエス様がユダヤに出発なさったのは実際には三日目ではなく、もっと後になってからでした。

「三日目」は、聖金曜日に死なれたイエス様が三日目のイースターの日曜日に復活なさることを明らかに示唆しています(9章22節、「ホセア書」6章2節)。

エルサレムで殺された預言者たちは、旧約聖書には二人だけその名前が出てきます。ゼカリヤ(「歴代志下」24章20〜22節)とウリヤ(「エレミヤ書」26章20〜23節)です。「エルサレム」はこの文脈でユダヤ民族全体か、あるいはその指導者たちを指しているものと思われます。

「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。」
(「ルカによる福音書」13章34節、口語訳)

上掲の箇所の内容をイエス様が言われたのは、マタイの対応箇所では受難週の出来事とされています(「マタイによる福音書」23章37〜39節)。きっとイエス様は同じことをいろいろな機会に何度も繰り返して民衆に教えられたのでしょう。

「幾たび」という表現は、イエス様がそれまですでに何度もエルサレムを訪れていたということか(「ヨハネによる福音書」2章12節および4章45節(一度目)および5章1節(二度目)、7章10節(三度目)、10章22節(四度目))、あるいは神様が御民を何百年にもわたって御許へと招かれたのに御民はそれに応じようとしなかったということのいずれか(あるいは両方)を意味していると思われます。

旧約聖書でも「翼」は神様による守りを表すイメージとして用いられています(「申命記」32章11節、「詩篇」17篇8〜9節および36篇8節(口語訳では7節))。