ルカによる福音書
- ルカによる福音書を読むか聴く(口語訳)
「ルカによる福音書」ガイドブック
フィンランド語版著者 パシ・フヤネン (フィンランド・ルーテル福音協会牧師、宣教師)
日本語版翻訳・編集者 高木賢 (フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)
聖書の日本語訳は原則として口語訳に従っています。
聖書の引用箇所について「1章5節」などのように章節のみが記されているものはそれが「ルカによる福音書」からの引用であることとします。ただし例えば「「マタイによる福音書」1章5節および3章3節」を記されている場合には、「および」以降の箇所も「マタイによる福音書」からの引用であることとします。
福音書の誕生
イエス様の活動について書き記した文書(すなわち福音書)の誕生
使徒ヨハネは福音書を記した動機について次のように述べています。
「イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」
(「ヨハネによる福音書」20章30〜31節、口語訳)
「どのように聖書が生まれたのか?」についてよりも「どうして聖書は生まれたのか?」について知ることのほうが聖書の読者たちにとって大切なことでした。もちろん「聖書がどのように生まれたのか?」を知ることは私たちが聖書をよりよく理解することを助けてくれます。それゆえ私たちはこれから「ルカによる福音書」の誕生した経緯について学んで行きたいと思います。
「福音」という言葉は聖書では二つの異なる意味を持っています。
1)イエス様についての良い知らせ(福音)
2)この良い知らせ(福音)について述べている福音書
ここで私たちは主として2)の意味で「福音」という言葉を用います。
福音書の誕生の経緯は次の四つの段階に分けることができます。
1)イエス様の公の活動
イエス様の公の活動はおよそ三年間にわたって続けられました。その間、イエス様の話されたことを何千もの人々が聴くことになりました。福音書の誕生に最も重要な役割を担った人々はイエス様の弟子たちのグループ、とりわけイエス様が特別に選ばれた「十二使徒」でした。
2)口承伝承
イエス様がこの世で公に活動されていた当時、読み書きができるユダヤ人はあまりいませんでした。しかしユダヤ人たちは聞いた事柄を、それがかなり長いものでも暗記することに長けていたので、読み書きが出来ないことがそれを他の人たちに伝えていくための妨げにはなりませんでした。私たち現代人は重要な出来事や事柄を紙やコンピューターなどのさまざまな媒体に記していきますが、彼らは自分の頭に記憶として留めたのです。そしてこのようなやりかたからは、イエス様について実際に伝承されてきたのとは若干異なる言表も生み出されていくことになりました。とはいえイエス様の公活動をその場で直に目撃していた人々はそれらの言表の内容の真偽を適切に識別することができたのです。
3)文書化された伝承
時がたつと共にイエス様に実際に会った人々やイエス様の教えを直接聴いたことのある人々の数は減っていきました。口承伝承が間違って伝えられないように、またイエス様についての福音が消失しないようにするために、イエス様の教えや行いについて最も重要な事柄が書き留められていくようになりました。
そしてイエス様の公活動の目撃者がいなかった地域にもキリスト教伝道が拡大していくにつれて、イエス様の人生の最も重要な出来事について文章として書き留めて保存する必要性が出てきました。
福音書の誕生する以前にイエス様についてどのような事柄が書き留められていたのか、正確には知られていません。これらの文書は現在残っていないからです。ただしイエス様の受難の出来事についてはすでに非常に早い時期には書き留められていたものと推定されています。
4)福音書
「ルカによる福音書」1章1〜4節にはルカが福音書を書いた動機が述べられています。キリスト教信仰を他の人々に対して説教したり教えたりしていくときにイエス様について十分に広範で明瞭なイメージを正しく伝承していくためにいくつかの福音書が誕生したのです。福音書の中で一番先に書かれたものは「マルコによる福音書」です。この福音書をマタイとルカはそれぞれ自分たちの福音書を記す際に利用しました。時系列的にみて一番遅く書かれたのが「ヨハネによる福音書」です。この福音書は他の三つの福音書(「共観福音書」と呼ばれています)とは異なる視点で書かれています。
「イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。」
(「ヨハネによる福音書」21章25節、口語訳)
人は数時間もかければ福音書に記されているイエス様のすべての発言や行いを読み終えることができるでしょう。しかし実際にはイエス様は約三年の間にわたって弟子たちに教え続けられました。このことからもわかるように、福音書とはイエス様のこの世での歩みを網羅的に書き留めたものではなく、いくつかの最も重要な出来事を記録したものなのです。比喩的に言えば、福音書はイエス様の全生涯についての「映画」ではなく、イエス様の公活動の最も重要な出来事を切り取った「写真」のようなものです。
福音書記者たちは「どうしてイエス様が私たちにとって大切な存在なのか?」について語りたいと考えました。すべての福音書がとりわけイエス様の受難の出来事を重視して記述しているのはそのためです。
全世界の救い主
ルカが福音書を書いた動機や「ルカによる福音書」の特徴を考えるとき、福音書の誕生に影響を与えた出来事についてルカ自身が語っている福音書の冒頭(1章1〜4節)を無視することはできません。このことについては福音書の内容を具体的に章節単位で考察していくときに再び取り上げます。
ルカはおそらく新約聖書の執筆者たちの中でユダヤ人ではなかった唯一の人物だと思われます。ルカは福音書を異邦人(非ユダヤ人)たちに向けて書いており、イエス様が全世界の人々の救い主としてこの世にお生まれになったことを強調しています。このことは、貧しい人々をはじめとして、律法主義的なユダヤ人から差別されていた人々がイエス様に受け入れていただいたいろいろな出来事についてルカがたくさん記述していることからもわかります。
女性たちが救いにあずかる出来事に関しても「ルカによる福音書」は他の福音書よりも多く記述しています。例えば「ルカによる福音書」は他の福音書には出てこない13人の女性たちについて描写しています。
次の箇所は「ルカによる福音書」の核心を伝えています。
「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。」
(「ルカによる福音書」19章10節、口語訳)
ここでルカが言いたいのは「すべての人が救われる」ということではなく「すべての人は救われることができる」ということです。イエス様は全世界のすべての人の罪の贖い主であり救い主なのです。
誰が「ルカによる福音書」を書いたのか?
新約聖書の中では「ルカによる福音書」が最長の文書であり「使徒言行録」は二番目に長い文書となっています。これら二つを合わせると新約聖書全体の実に七分の二を占めることになり、新約聖書にあるパウロの手紙をすべて合わせたものよりも長くなっています。
ところで誰がこれら二つの文書を書いたのでしょうか。二つとも「テオピロ」に献呈されていること(「ルカによる福音書」1章1節、「使徒言行録」1章1節)や、「使徒言行録」の冒頭で「第一巻」すなわち「ルカによる福音書」に言及されていることから、これらが同一人物によって書かれたことがわかります。
「使徒言行録」には執筆者についてひとつ重要なヒントがあります。「わたしたち」を主語として出来事が進行していく箇所です(「使徒言行録」16章10〜17節、20章5〜15節、21章1節〜28章16節)。この執筆者はパウロの伝道旅行に同行していたのです(とはいえ「ルカはここで誰か他の人物の旅行記を引用している」という異論を唱える研究者もいます)。
「使徒言行録」で「わたしたち」が主語となっている箇所の執筆者はその箇所で名が挙げられているパウロの同行者たちの中にはいないと思われます。その一方で、「わたしたち」が主語になっている箇所の末尾にはローマでのパウロの獄中生活が描かれています。この時期にパウロが書いた獄中書簡の中でパウロが名前を挙げて挨拶を送っている人々の中に「使徒言行録」の「わたしたち」を主語とする旅行記の部分を記したパウロの同行者が含まれているのはたしかだと思われます。この条件に該当する人物としてはマルコやエパフラスなど六名ほどいますが、彼らの中でもとりわけルカがその執筆者であったと推定できる次のような根拠があります。まず、ルカはパウロの獄中書簡で二度名前が挙がっており(「コロサイの信徒への手紙」4章14節、「フィレモンへの手紙」24節)、また「テモテへの第二の手紙」4章11節にもその名が出てきます。そして例えばムラトリ正典目録(約170年頃)や教父エイレナイオス(約180年頃)など初期のキリスト教会の伝承もこの書物が医者ルカによって書かれたものであるという一致した見解を示しています。
この伝統的な見解に対しては反対意見も提示されてきました。しかし私(このガイドブックの執筆者であるパシ・フヤネン)は伝統的な見解のほうがそれに対する反論(およびその根拠なるもの)よりも信頼できると考えています。
キリスト教会の古くからの伝承によれば、ルカはシリヤのアンティオキア出身であり、未婚のまま84年にボイオティア(現在のギリシアに含まれる地域)で死去しました。「使徒言行録」13章1節に出てくる「クレネ人ルキオ」がルカその人であると考える人もいます。
いつどこで?
伝統的な見解によれば、「ルカによる福音書」が執筆されたのはパウロがローマで投獄されていた時期であるとされています。すなわち西暦62年頃にルカは福音書を書いたことになります。この解釈は「使徒言行録」の終わりかたに納得のいく説明を与えます。
この見解と合わせてしばしば話題になるのが、ルカの二つの文書はパウロを裁判で弁護するために書かれたという解釈です(例えばかつてスウェーデンのルーテル教会のビショップだったBo Giertzがこの解釈をとっています)。これによるとテオピロはパウロの裁判に影響力をもちうる高位の官職に就いていたローマ人であるとされます。ルカは「キリスト教とは何か」について正しい内容を文書で明示することでキリスト教を弁護したとも言われます。
執筆時期に関する伝統的な見解をとるならば、「ルカによる福音書」は遅くとも西暦64年には書かれたことになります。真実に近いと思われる執筆時期は前述の通り西暦62年です。「使徒言行録」の終わりかたについて自然な説明付けをすることができるからです。
とはいえ一方では、上記の推定による執筆時期は早すぎるという反対意見もあります。ルカは「マルコによる福音書」を引用したと一般的に考えられているからです。新約聖書学では「マタイによる福音書」や「ルカによる福音書」の元になった資料は二つあったという見解が有力視されています。それらは「マルコによる福音書」と、「Q資料」と呼ばれるイエス様の発言を収集した資料です。
このいわゆる「二資料仮説」は一般に広く認められていますが問題点も含んでいます。もしもマルコが福音書を西暦60年頃に書いたのだとすれば、ルカも福音書を前述の西暦62年に書くことは可能であったということです。
批判的な研究者たちは「ルカによる福音書」を西暦80〜90年代になってようやく成立した書物であると推定しています。その根拠のひとつとして持ち出されるのが「ルカはエルサレムの陥落に関わるマルコの文章に変更を加えた」という仮説であり(「ルカによる福音書」19章43〜44節と「マルコによる福音書」13章1〜8節を比較してください)、それに依拠して「ルカはエルサレム陥落(西暦70年)が現実のものとなってから福音書を書いた」という結論が下されます。
しかし私(パシ・フヤネン)はこの仮説に対しては「ルカは他の箇所でも一般的にマルコの文章を変更している」ということによっても反論できると考えます。さらに「ルカとほぼ同じ時期に福音書を書いたマタイはどうしてエルサレム陥落についての記述内容をルカのように変更しなかったのか?」という疑問も出てきます。また、もしもルカが仮にこの福音書の執筆者ではなかったとしたら、当時の教会でよく知られていた人物ではない誰かをあえて「ルカによる福音書」の執筆者「ルカ」として捏造した意図もわからなくなります。
「ルカによる福音書」はローマで書かれたものと思われます。マルコもまたローマで福音書を書いたとされています。
「旅行記」
ルカは福音書の内容を主に地理的に区分整理し叙述しています。「ルカによる福音書」は例えば次のような小項目に細分することができます。
1)1〜2章 イエス様の誕生と子ども時代
2)3章1節〜4章13節 イエス様の活動のはじめ
3)4章14節〜9章50節 イエス様のガリラヤでの活動
4)9章51節〜19章27節 エルサレムへの旅
5)19章28節〜21章38節 イエス様のエルサレムでの活動
6)22〜24章 イエス様の受苦、死、復活
イエス様のガリラヤからエルサレムへの旅について約10章分も書かれていることがひときわ目をひきます。この意味で「ルカによる福音書」はある種の旅行記とみなすこともできます。この福音書からはイエス様が常に旅を続けているような印象を受けます。
ルカは福音書の元になった資料を意識的にある種の形式に整理しました。しかしこれはルカが歴史を改変したという意味ではまったくなく、むしろイエス様をめぐる事象に関する資料の中からとりわけ包括的なイエス様の実像に合っている部分を巧みに抽出して読者に伝えようとしたという意味なのです。
「ルカによる福音書」は良質なギリシア語で書かれています。とはいえ、ギリシア語旧訳聖書(七十人訳)の影響や、(とりわけ1〜2章では)ヘブライ語やアラム語といったセム語の影響が見られる箇所もあります。それらはルカが福音書を書く際に使用した資料に由来するものです。パウロが二年間カイザリヤで投獄されていた西暦50年代の終わり頃に(「使徒言行録」24〜26章に記述されています)ルカはそれらの資料を探しては収集していたと推定されるからです。
「ルカによる福音書」のうち約半分は他の福音書にはない内容(23の譬や、イエス様による20の奇跡やしるし)を含んでいます。洗礼者ヨハネの誕生からはじまりイエス様の昇天の描写で閉じられる「ルカによる福音書」は四つの福音書の中でも最長となる期間の様々な出来事を扱っています。
「神学博士 吉村博明のルカによる福音書に基づいている説教」
マルティン・ルターのルカによる福音書の教え
- ルカによる福音書 (ルターの聖書日課集)
マルティン・ルター(1483年~1546年)はドイツ人の神学者、牧師、宗教改革の創始者でした。