教義

執筆者: 
エルッキ・コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

ルーテル教会は、旧新約聖書が信仰と行為の唯一明確なる規範たることを主張し、信条として使徒信条ニケア信条、アタナシウス信条、アウグスブルク信仰告白、同弁証論、大・小教理問答、シュマルカルド信条、和協信条を採用します。

ルーテル教会信条集 (一致信条書) (書店の教文館のサイトへ)


「ルーテル教会信条集」(「一致信条書」)の内容と読み方について

聖書とルーテル教会の信条について

 どのキリスト教会も自分の信条をもっています。それらは文書化されている場合もあるし、されていない場合もあります。一方では、文書化されている信条や教義項目に対して否定的な立場をとる教会もあります。しかし、実際には彼らもまた固有の信条をもっているのです。文書化された教義に反対するこうした教会の「信条」は、多くの場合、強い影響力を持つ教師たちや教会内部の一握りの指導者たちのキリスト教理解に左右されます。古い伝統を有するローマ・カトリック教会やギリシア正教会などと同じく、ルーテル教会の信条もまた文書化されています。これはよいことなのです。文書化された教義に信仰の基礎を置くかぎり、私たちルーテル教会の教えは曖昧なものではなくなるし、その内容が揺らぐこともなくなるからです。ルーテル教会の教えは、聖書と「ルーテル教会信条集」(「一致信条書」とも呼ばれます)とに書かれていることを内容としています。

 ルーテル教会では、教会の教師たちは聖書と「一致信条書」とに従って教えるように義務付けられています。ただしその際、聖書と「一致信条書」が同列に置かれるわけではありません。聖書のみがルター派の信条を吟味する基準とされます。ルター派の信条に従って教える教師として、私たちは次のように宣言したいと思います。
「私たちはルター派の教えに従ってキリスト教についてこのように教えます。なぜなら、これは聖書に従った教えだからです。それとちがう教え方をする人は、私たちがまちがって教えていることを聖書に基づいて示してごらんなさい。」

「一致信条書」は分厚すぎて難解な書物か?

 「一致信条書」はルター派の信条文書を集めた書物です。そこに含まれている一連の文書にはそれぞれ誕生までの歴史的な経緯があります。後にこれらの文書はルーテル教会の信条としてひとつにまとめられたのです。

「一致信条書」を実際に手に取ってみると、あまりにも分厚いのでため息がでてくるかもしれません。しかし、ちょっとしたコツや使い方を覚えれば、すっかり状況が変わることを実感します。「一致信条書」は大いに読む価値がある書物です。しかし、どこから読み始めたほうがよいか、知っておくといろいろと役に立ちます。私(エルッキ)は次の順序で読み進めることをお勧めします。

1)比較的よく知られているもの

ルーテル教会の礼拝などで普段から出会うことが多い幾つかの信条が「一致信条書」には収められています。これらの基本的な信条を暗唱できる人もたくさんいるのではないでしょうか。皆さんもぜひここから始めてみましょう。ルター派は、キリスト教が宗教改革の始まった1500年代に誕生したなどと一度も思い込んだことはないし、キリスト教の歴史を使徒の時代から直接ルターの時代に飛び越えて考えるような真似もしませんでした。ですから当然、古くからある教会の3つの信条文書が「一致信条書」には収められています。それらは、「使徒信条」、「ニケア信条」、「アタナシウス信条」です。

読者は、これらの基本信条に加えて、ルターの「小教理問答書」を読むとよいでしょう。この小冊子にはキリスト教の中心的な内容が簡潔にまとめられているからです。それは、十戒、使徒信条、洗礼、聖餐、懺悔(ざんげ)、主の祈りなどです。これらの項目を毎日のように復習することが望ましいです。

2)比較的取り組みやすく学びやすいもの

 次に紹介する一連の信条文書は前のものよりも少し難しめですが、それほど大変でもありません。ここには、神学の専門家ではない普通の聖書の読者の人たちがかなり多くのことを学べる内容が含まれています。

 1530年に神聖ローマ皇帝カール5世の面前で朗読された「アウグスブルク信仰告白」は、ルーテル教会の主要信条と呼ばれています。この文書には、ルター派の教えの内容とキリスト教会で早急な改革を要する項目とに関する信条が簡潔に列挙されています。この文書よりもはるかに長い文書が「シュマルカルド信条」です。信仰の根幹に関わる争いが生じた時に、「アウクスブルク信仰告白」に立つルター派のプロテスタント諸侯はルターにルター派の信条の内容を大まかにふたつのグループに分けるように依頼しました。その一つはローマ・カトリック教会と話し合いの余地がある項目を含み、もう一つはカトリックと一切妥協できない項目を含むものでした。ルター自身が「シュマルカルド信条」を執筆し、ルターの支持者たちはこの信仰告白文書に賛同の署名をしました。この文書と一括して読まれるべきなのが、ルターの盟友メランヒトンが執筆した「教皇の権威と首位権についての小論」という文書です。

 ルターの「大教理問答書」は、私たちが信仰生活を送る上で最良とも言えるガイドブックです。とりわけ十戒の説明は素晴らしく、ぜひ読みましょう。この本を読めば、本当にたくさんのことを学べます。

3)本格的な取り組みを要する信条文書

 さて、あと残っているのはふたつの信条だけです。ここまでくれば、あなたはずいぶんいろいろなことを学んだことになります。今や広範な教義文書に取り組む時です。そのふたつの文書とは「アウグスブルク信仰告白弁証論」と「和協信条」です。「一致信条書」の原書(Die Bekenntnisschriften der evangelisch-lutherischen Kirche: hrsg. im Gedenkjahr d. Augsburg. Konfession 1930)は1218ページありますが、上記のふたつの信条は合わせて原書の半分を超える630ページもの長さです。

 「アウグスブルク信仰告白弁証論」を理解するためには、まずその成立過程を知っておく必要があります。ルター派は神聖ローマ皇帝カール5世に「アウグスブルク信仰告白」を提出しました。それに対して、カトリック側は「反駁書」(confutatio)を記しました。この「反駁書」を反駁することを目的として、メランヒトンはさらに「アウグスブルク信仰告白弁証論」を執筆しました。この文書は簡潔な「アウグスブルク信仰告白」の正しい読み方を教えてくれる解説書です。

 「和協信条」は理論的な考察を少しでも好む人には大変お勧めできる信条文書です。この文書の成立過程は波乱に富んでいます。ルターの死後まもなくして、神聖ローマ皇帝の軍隊が北ドイツのほぼ全域を制圧しました。多くの人がルター派の信仰のゆえにその地位や役職や命さえも失いました。その一方では、相手側の要求を受け入れて、ルター派の信仰を捨てたり、あるいはルター派の信条の一部に関して妥協したりする人たちもいました。皇帝の軍隊が帰還した後でも、北ドイツ地方では、ルター派のキリスト教徒たちはお互いに対する不信感を募らせたままでした。これら複雑な対立関係にあった諸派を紆余曲折の末にルター派として結束させたのが「和協信条」だったのです。この文書は当時の神学論争の主要項目を落ち着いて穏やかにまた聖書的に取り扱っています。この文書を読めば、そこに取り上げられている種々の争点が実に現代のキリスト信仰者の置かれている状況にもあてはまることに気がつくことでしょう。たとえば、この文書に書かれてあることと同じようなテーマについて、私たちは聖書研究会などで話し合う場合があります。「一致信条書」を手に入れたある人は、「なぜ他のところから答えを探そうとするのか。それは無駄なことだ。答えはこの本の中に書かれているのだから」、と言いました。

4)結論

 私たちが生活しているこの現代は、人々が「教義」そのものに興味をもたない時代です。しかし、「一致信条書」から信仰に関わる大切なことを学んだ経験のある人は、こうした現代の風潮を大変残念に思うことでしょう。次から次へと新奇なことを主張する教師たちに振り回されないで、聖書とルター派の信仰に深く根を下ろしている人たちは、ますます少なくなってきています。彼らのような人たちはその数が少なくなればなるほど、その存在の大切さが浮かび上がってきています。これから先の時代でも、ルター派の信条の大切さを理解して他の人たちのこともキリストの十字架のもとに導いていく人たちが必要とされます。

あなたもそのような人になりたくはないですか。