ルカによる福音書7章
大いなる信仰 7章1〜10節
この箇所の出来事に登場する百卒長(部下を百人ももつ隊長)はヘロデ・アンティパスの軍隊の士官でした。彼は旧約聖書の神様を畏れ敬う異邦人でした(7章5、9節、「使徒言行録」10章2節)。彼はユダヤ教に興味を示した異邦人だったのです。
彼が建てさせたシナゴーグ(会堂)の場所には西暦100年代の終わり頃に新たにシナゴーグが建てられました。その廃墟は現在でも目にすることができます。おそらく廃墟の一部はイエス様の時代にあったこのシナゴーグに由来するものでしょう。
「そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください。わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。」
(「ルカによる福音書」7章6〜8節、口語訳)
この百卒長のケースは、日常生活で実際に出会う事例をどのように信仰生活に適用するべきか、私たちに示唆を与えてくれます。
「信仰生活を正しく送るためにあえて労苦する必要はない」と多くの人は考えているようです。しかし例えば庭は手入れを怠ると荒れて雑草が伸び放題になり価値のある花々は枯れていきます。
百卒長の発言はルター派の礼拝式文で罪の告白の部(「主よ、私はあなたが私の心の汚れた部屋に来てくださるのにふさわしい者などではありません」)の例文のひとつになっています(7章6節)。
「イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。」
(「ルカによる福音書」7章9節、口語訳)
大いなる信仰とはどのようなものなのでしょうか。それは自分自身については大それたことを考えず、イエス様から大いなることを期待する心のことです。
死の主 7章11〜17節
この箇所の舞台となるナインはナザレから南東約5キロメートルのところにありました。
ユダヤ人は死者を死んだその日に葬りました。この箇所での死者はやもめの一人息子でした。死んだ息子の母親であった彼女の世話をしてくれる家族がもはや誰もいなくなってしまったのです。これから彼女は遠い親戚たちの援助に頼って生きていくほかなくなりました。
「ルカによる福音書」だけがこのやもめの一人息子を死から蘇らせる出来事について語っています。「ヨハネによる福音書」はラザロを死から蘇らせる最も有名な出来事について述べています(「ヨハネによる福音書」11章38〜44節)。「マタイによる福音書」9章18〜26節と「マルコによる福音書」5章21〜43節はヤイロの娘の復活についてのみ語っており、この出来事については「ルカによる福音書」8章40〜56節にも記述があります。さらにまだ何か他にも死者の復活が当時起きたのか、また「ルカによる福音書」7章22節にある「死人は生きかえり」という出来事は福音書で語られている上記の出来事のうちのどれかに該当するものなのかどうかは謎のままです。
旧約聖書には死者の復活について二つの出来事が述べられています。それらはエリヤ(「列王記上」17章17〜24節)とエリシャ(「列王記下」4章18〜37節)の行った奇跡でした。
「そののち、間もなく、ナインという町へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。」
(「ルカによる福音書」7章11〜12節、口語訳)
死者は町の外に葬られました(7章12節)。大勢の群衆がイエス様と死者の後をついていきました。死者は蓋の開いた棺に入れられて運ばれました(これは7章15節からわかります)。当時のユダヤ教文献もこれと同様の慣習について記しています。
イエス様は棺をかついでいる者たちを立ち止まらせて、ここでも死者の復活の奇跡をなさいました。百卒長の僕の場合はまだ死んではいなかったものの、死にかけていたのはたしかです(7章2節)。それに対して、やもめの一人息子の場合はすでにこの世を去っていました。しかし、神様であられるイエス様は彼を再びこの世に戻らせる権威を持っておられたのです。
「主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、「泣かないでいなさい」と言われた。」
(「ルカによる福音書」7章13節、口語訳)
「ルカによる福音書」はこの節ではじめてイエス様について「主」という呼称を用いています。この表現はパウロも聖書として引用した七十人訳ギリシア語旧約聖書(ギリシア語名で「セプトゥアギンタ」)では神様の御名として用いられています。
イエス様への洗礼者ヨハネの質問 「ルカによる福音書」7章18〜23節
ユダヤ人歴史家ヨセフスが語るところによれば、ヘロデは洗礼者ヨハネをヨルダン側東岸にあったマケルス城に投獄していました(3章19〜20節)。
そのような場所にまでイエス様の公の活動の評判が伝わっていたのです。洗礼者ヨハネは二人の弟子をイエス様の御許に送り、「あなたが来るべきメシアなのか?」と尋ねさせました。もしもイエス様がメシアであるならば、洗礼者ヨハネはメシアの道を準備するという自分に課された使命を全うしたことになります。
ところで洗礼者ヨハネはイエス様がメシアであることを疑っていたのでしょうか。「洗礼者ヨハネはただ自分の弟子たちのためを思ってわざわざこのような質問を彼らにさせた」と考える人々もいます。それによれば、「洗礼者ヨハネは自分が殺される前にイエス様がメシアであるという最後の証を弟子たちに与えたかった」とされます。さらにまた「彼は弟子たちに彼の時代が終わったこと、そしてこれから弟子たちはイエス様に従っていくべきであることを具体的に伝えた」という意味にもなります。宗教改革者マルティン・ルターもこの箇所についてそのように解釈しています。
洗礼者ヨハネの質問の意図には別の解釈もあります。それによれば、「投獄されていた洗礼者ヨハネはイエス様が旧約聖書にその到来が約束されていたメシアかどうか確信が持てなくなった」とされます。「メシアは神様を蔑ろにする悪者どもを裁くためにやってくる」と洗礼者ヨハネは宣教していたからです(3章15〜18節)。ところがイエス様は神様を蔑ろにする悪者どもに対する処罰を始められませんでした。洗礼者ヨハネを投獄した悪行についてさえも神様による復讐はなされませんでした。
困難な状況下では偉大な宗教的英雄でさえその信仰が揺らぐ場合があります(旧約聖書からはエリヤの例を挙げることができます(「列王記上」19章1〜4節))。人が疑いの心に囚われるのは特に珍しいことではありませんが、疑念に対しては正しい態度で臨むべきです。それは、ここでの洗礼者ヨハネのように、イエス様の御許に行くという態度です。
この箇所でも上述のどちらの解釈が正しいのかを知ることはできません。 両者ともに有意義な教えを私たちに与えてくれるものだからです。
「そのとき、イエスはさまざまの病苦と悪霊とに悩む人々をいやし、また多くの盲人を見えるようにしておられたが、答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしたことを、ヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。」」
(「ルカによる福音書」7章21〜22節、口語訳)
洗礼者ヨハネが派遣した二人の弟子たちがイエス様の御許に来た時に、イエス様は彼らに言葉ではなく行いを示すことでお答えになりました。
ただしここで奇跡がイエス様をメシアにしたのではないことに注意しなければなりません。むしろイエス様の奇跡はメシアの時代が始まったことを告げるしるしであり証拠だったのです。
福音書には死者からの復活について全部で三つの出来事が記録されています。それらの中で一番有名なのはラザロの復活です(「ヨハネによる福音書」11章1〜44節)。次に有名なのはヤイロの娘の復活です(「ルカによる福音書」8章40〜56節)。三番目はナインのやもめの息子の復活です。つい先ほど見たように、この奇跡について「ルカによる福音書」は洗礼者ヨハネの質問の場面の直前の箇所で語っています(7章11〜17節)。
復活の奇跡はとても重要な出来事ですが、イエス様によればメシアの時代の到来を告げる最大のしるしは貧しい人々に福音が宣べ伝えられていることです。ここで「ルカによる福音書」がいう「貧しい人々」とは経済的に貧しい人々だけではなく霊的に貧しい人々のことも指しています。後者の例としては7章36〜50節に登場する「罪の女」を挙げることができます。「貧しい人々への福音」という表現は「罪の赦しの恵みの福音」と言い換えることもできます。これは「人は自分の力や業績によっては決して神様の御国に入ることができない」という救いのメッセージなのです。
「わたしにつまずかない者は、さいわいである。」
(「ルカによる福音書」7章23節、口語訳)
イエス様からの恵みの福音を拒絶しない人は救いのさいわいにあずかっているのです。
洗礼者ヨハネについてのイエス様の質問 7章24〜35節
洗礼者ヨハネとは何者でしょうか。イエス様は三つの選択肢を提示されています。
1)洗礼者ヨハネは取るに足りない者だったとする立場(7章24節) しかし、そのような者が(実際に洗礼者ヨハネが行ったように)夥しい群衆をヨルダン川へと導くことがはたしてできたでしょうか。
2)洗礼者ヨハネは普通の意味での偉人だったとする立場(7章25節) しかし、洗礼者ヨハネは王の城ではなく王の獄舎に入れられたのです。
3)洗礼者ヨハネは預言者だったとする立場(7章26節)。しかも、どこかしこで見かけるようなありきたりの預言者ではなく、旧約における最後の預言者でありメシアより前にこの世に来てメシアに道を備える者だったとする立場
旧約聖書の最後の「マラキ書」の次の引用箇所がそれについて述べています。
「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。」
(「マラキ書」3章1節、口語訳)。
イエス様が次の箇所で言っておられるように、洗礼者ヨハネは旧約の頂点とも言える偉大な預言者であったにもかかわらず、恵みの契約すなわち新約の世界に生きている最小の者よりも小さい存在でした。
「あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。」
(「ルカによる福音書」7章28節、口語訳)
実に恵みは律法を凌駕するのです(「ローマの信徒への手紙」5章20〜21節も参考になります)。たとえ人が律法を最高のやりかたで実行できたとしても、その律法の遵守は常に不完全なものにならざるをえません。それとは対照的に、恵みはすでに完全なものです。恵みは人間ではなく神様による御業だからです。
以上のことを踏まえて考えると、洗礼者ヨハネが神様の御国の一員ではなかったかのように上掲の節を解釈するべきではないことがわかります。
イエス様と洗礼者ヨハネの間には互いに異なる点がたくさんありました。例えば律法を遵守するという点について、洗礼者ヨハネは「厳格すぎる」と批判され、イエス様は「自由すぎる」と非難されました。
しかし洗礼者ヨハネとイエス様の間には何らかの共通点もありました。ファリサイ派や律法学者からは認められなかったのに、罪人たちからは慕われて従われたという点です。
「だから今の時代の人々を何に比べようか。彼らは何に似ているか。
それは子供たちが広場にすわって、互に呼びかけ、
『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。
弔いの歌を歌ったのに、泣いてくれなかった』
と言うのに似ている。」
(「ルカによる福音書」7章31〜32節、口語訳)
人間は神様からの招きを聞き入れず神様の御意思に従わない口実をいつでも捻り出すことができることを上掲の箇所は教えています。神様からの招きを「暗すぎる」と感じたり、あるいは「喜ばしすぎる」と考えたりして、そのまま素直に受け入れようとはしない人はたくさんいます。
神様からの招きを冷たく拒み続けたあげく、ついには御国の外側に出て行ってしまう人もいます。「ルカによる福音書」7章36〜50節に出てくるファリサイ派のシモンがその例です。
「しかし、知恵の正しいことは、そのすべての子が証明する。」
(「ルカによる福音書」7章35節、口語訳)
旧約聖書では大文字で書かれた「知恵」が神様の御名の一つとして用いられていました(例えば「箴言」1章20〜21節)。
イエス様は人間の心の奥底までも見抜かれる 7章36〜50節
この箇所の出来事は福音書の中で最も美しい宝石のようであると言われています。
以前の箇所でイエス様は罪人たちと一緒に食事されました(5章30節)。この箇所ではファリサイ派とも一緒に食事なさっています(7章36節)。当時、シナゴーグ(会堂)を訪れたユダヤ教の教師に食事を安息日に提供することは立派な善行であると一般的にみなされていました。ファリサイ派のシモンが通常の礼儀正しい作法に従わなかったのは、彼が内心でイエス様を軽蔑していたからか、あるいは(こちらのほうがより真実に近いと思われるのですが)イエス様を試みるために食事に招いたからかのどちらかでしょう。
当時の食事会では低い寝椅子に横たわって食事をしました。その姿勢は身体を左の肘にもたれさせながら、足をテーブルの下にではなく反対方向に向けるというものでした。
イエス様が食事をしておられると、その部屋に「罪の女」がやってきました(7章37節)。彼女は自分の涙でイエス様の足を濡らし、自分の髪でそれを拭い、高価な香油をその上に塗りました。
この女性がイエス様に行った親切な行為は当時のユダヤ人社会では容認されるどころか、むしろそれとは正反対のものとみなされました。それには問題行為が三つも含まれていたからです。第一に、女性である彼女が男性だけの食事会に入ってきました。第二に、彼女が公の場で髪を広げた行為は夫が妻を離婚する正当な理由とみなされうるものでした。第三に、彼女は公の場で男性に触れたのです。
それゆえ、食事会の主催者であったファリサイ派のシモンは「イエスは預言者ではありえない」と考え始めたのです。イエス様は彼女が上述のようなことを御自分に行うのを許されたこと、また彼女が「罪の女」だったことがその根拠となりました。「もしもイエスが真の預言者だとしたら、罪深い女が自分に触っていることに気づくはずだ」というのが彼の考えかたです。シモンは自らの罪を悔いる心を彼女の行為の中に見なかったか、あるいは認めたくなかったのです。
当然ながらイエス様はその女性が「罪の女」であることを看破しておられました。そしてその女性の心だけではなくシモンの心も見抜いておられました。イエス様がこの世に来られたのはまさしく罪人たちを救うためだったのです。イエス様は以前の箇所で次のように言われました。
「イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。」
(「ルカによる福音書」5章31〜32節、口語訳)
イエス様とその女性は以前すでに出会っていたと思われます。彼女のイエス様への親切な行いはイエス様がかつて彼女の罪を赦されたことへの感謝の表れであったと考えられるからです(7章47節ではギリシア語原文で「その多くの罪はゆるされているのである。」の箇所で完了形の動詞が用いられていることに注目しましょう)。
イエス様はシモンに次のような質問をしました。
「イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。」
(「ルカによる福音書」7章41〜42節、口語訳)
五十デナリの借金は当時の約二ヶ月分の給料に、また五百デナリは当時の約二年分の給料にそれぞれ相当するものでした。「どちらの借金を帳消しにしてもらった者がより深く感謝の気持ちを持つだろうか?」とイエス様はお尋ねになったのです。シモンは「それはより多くの負債を帳消しにしてもらった者のほうです」と認めるほかありませんでした。
「それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。」」
(「ルカによる福音書」7章44〜46節、口語訳)
ファリサイ派のシモンはイエス様を食事会に招待はしましたが、イエス様に親切な態度を取ることは意図的に避けていました。それは、自分がイエス様の弟子であるという疑いを周りからもたれないようにするためでした。そして、シモンのそのような心もイエス様にはお見通しだったのです。
次にイエス様はさきほどの質問を罪の女とシモンのケースに適用なさいました。シモンは自分が罪の赦しを受ける必要がある人間だとは全く思っていなかったか、思っていたとしても、ほんの少しだけだろうと思い込んでいました。イエス様によれば、まさしくそのせいでシモンはイエス様のことを少ししか愛することができなかったのです。それとは対照的に、罪の女は自分が罪の赦しをたくさん必要としていることをよく知っていました。それゆえに彼女はイエス様のことをたくさん愛せたのです。
そもそも「罪が多いのか、それとも少ないのか」とか「どのような罪なのか」といったことに神様の恵みは注目しません。実はこの問題における「罪」とは、すべての人間に生まれながら染み付いている大元の罪である「原罪」のことを指しています。これは「人間が神様から離れて生きている」という罪です(「ヨハネによる福音書」1章29節の「世の罪」もそれと内容的に同じものです)。
神様のほうからせっかく罪の赦しを提供していただいているのに、人間のほうではそれを受け入れようとしないから問題が難しくなるのです!
「そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。」
(「ルカによる福音書」7章48節、口語訳)
イエス様は「罪の女」の罪を赦す宣言をなさいました。すでに指摘したように、ギリシア語原文ではこの箇所の動詞は完了形になっています、これは「終わりまで実現した行為」を表す時制です。ここでは「あなたの罪は完全に赦されたし、赦されたままの状態になっている」という意味になります。それとは対照的に、シモンに対する罪の赦しはこの箇所には記述が全くありません!
今回もまた、イエス様による罪の赦しの宣言はこれを聞いた人々の間でひどく不評でした(7章49節)。「罪を赦せるのは神だけだ。しかしこのイエスが神でありうるはずがない」と彼らは不平を呟いたのです。
人々がどのような今までの状況の中からやってきたのか(人の過去)ではなくて、彼らはこれからどこへ行こうとしているのか(人の未来)ということのほうにこそ関心をもつべきであることをこの出来事は私たちに教えています。
神様にとって、救われるのが完全に無理であるような絶望的な状況にこの世で陥っている人は実は誰もいないのです。