ルカによる福音書17章

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

信仰生活の指針と模範例  「ルカによる福音書」17〜18章

これから扱う箇所は十字架へと至るイエス様の受難の前に起きた出来事です。ここでのイエス様のお話はイエス様が種々の状況下で話された内容をルカがこの箇所にひとつにまとめて記したものなのか、それともイエス様がさまざまな内容を扱って長いお話をされたものをそのままルカが福音書に入れたものなのかを決めることはできません。

これらの章に述べられている内容の一部は「マタイによる福音書」にもありますが、それは「ルカによる福音書」とは異なる文脈で述べられています。

「ルカによる福音書」17章4節と「マタイによる福音書」18章21〜22節
「ルカによる福音書」17章6節と「マタイによる福音書」17章20節
「ルカによる福音書」17章31節と「マタイによる福音書」24章17〜18節

イエス様が同じ内容について何度も繰り返し民衆に教える機会があったことは確実です。それを踏まえると、ルカがこの箇所でイエス様の一貫した長大なお話を引用しているのに対して、マタイは対応するいくつものお話を他の文脈で行われたイエス様のお話から抽出していると考えることもできます。

 

躓き、罪の赦し、信仰 17章1〜6節

イエス様は非現実主義者でも夢想家でもありませんでした。イエス様は御自分に従う者たちを、御自身で用意された正しい道から逸らそうと誘惑する数多くの悪がこの世にあることをご存知でした。このような誘惑をもたらす者は「ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられ」ひどく苦しく恥ずかしい死に方をするのが分相応なのです(17章2節)。この世での最悪の懲罰でさえ、永遠の世での懲罰の重さには及びません。

「強い」キリスト信仰者たちのもつ「自由」は「弱い」キリスト信仰者たちの信仰をつまずかせるものとなってはいけません(「ローマの信徒への手紙」14章1〜5節、「コリントの信徒への第一の手紙」8章7〜13節)。どのようなものであろうとも、神様の御国に不利益をもたらしてはいけないのです!

「もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。」
(「ルカによる福音書」17章4節、口語訳)

このような信仰の兄弟(「マタイによる福音書」18章22節には「七たびを七十倍するまで」とあります)は、キリスト信仰者が信仰の兄弟姉妹にその罪を赦すことに疲れてはいけないことを示す模範例となっています。キリスト信仰者は各々が何度も繰り返して罪を赦さなければならないのです。とはいえ例外もあります。教会が罪人を処罰する規定について、イエス様は上述とは異なる指示を与えておられるのです。これは、第一に個人的に叱責する、第二に証人の臨席する場で叱責する、第三に教会員たちの面前で叱責する、最後に、それでも悔い改めようとしないならば教会から除名するという順序で行われます(「マタイによる福音書」18章15〜18節)。このことに関連して宗教改革者マルティン・ルターは「生活での過ちは人間的だが、教えにおける過ちは悪魔的である!」という言葉を残しています。

「使徒たちは主に「わたしたちの信仰を増してください」と言った。そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。」」
(「ルカによる福音書」17章5〜6節、口語訳)

桑の木は他の種類の木よりも地中深くしっかりと根を張っていく植物として知られていました。ルカの「からし種一粒ほどの信仰」と対応するようにしてマタイは「山をも移す信仰」について述べています(「マタイによる福音書」17章20節)。このような桑の木が自ら土から抜け出して海に自分を植えることは不可能です。要するにこれは「信仰に不可能なことは何もない」ということを表しているのです。

たとえ小さくても信仰にはすべてが含まれています。信仰とは神様から私たちへの賜物だからです。信仰は神様の万能性に基づくものであり、神様に不可能なことは何もありません。

「この箇所でイエス様は特別な信仰の賜物(「コリントの信徒への第一の手紙」12章9節)を意味している」と推測する人たちもいます。この「賜物」とは、神様による限りない可能性を証明するような行いを実現できる信仰のことです。しかし必ずしもそのようにこの箇所を理解する必要はありません。宗教改革者マルティン・ルターは「この世での最大の奇跡とは罪人が救われることである」と言いました。このように、ごく日常的な信仰にも実に多くの奇跡が含まれているのです。

ふつつかな僕たち 17章7〜10節

「あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いをするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。」
(「ルカによる福音書」17章7〜10節、口語訳)

この箇所の譬について「イエス様は仕事や僕の権利について意見を述べておられる」というように理解するべきではありません。イエス様は当時の人々の実生活の例を引き合いに出されただけなのです。

現代で家事をこなす親の一日は当時の僕の一日に似ているところがあります。しかしこの物語の主要なテーマは「仕事の量」ではありません。この物語によってイエス様は人が霊的に高慢になるのを抑えようとなさっているのです。誰であれキリスト信仰者には霊的に高慢になってしまう危険があるからです。

キリスト信仰者は神様に対して「常に借りがある状態」にいます。神様から賜っている愛という「負債」を、私たちからの愛によって神様に完全にお返しすることはできません。「今や私は自分のやるべきことをすべて成し遂げたから休むことにしよう」と言うこともできません。イエス様御自身が福音伝道の仕事を完成させるためにこの世に再臨なさるその時まで、私たちキリスト信仰者は福音を全世界に宣べ伝え続けていかなければならないからです。

この箇所は「神様の御国は自分の報酬として受け取ることはできず、神様の恵みによってのみいただける」ということを私たちに思い起こさせます。

試練の中の信仰 17章11〜19節

「らい病」(口語訳)あるいはハンセン病は他の人々から隔離されるのを余儀なくされる病気でした。この病を患う人は当時の社会の外側に締め出されたのです。この箇所で、病気以外のこと(宗教)については互いに憎しみ合っていた人々(九人のユダヤ人と一人のサマリヤ人)をこの病は一致団結させたようです。彼らは一緒に声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と叫び声をあげたのです(17章13節)。

「イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。」
(「ルカによる福音書」17章14節、口語訳)

祭司にからだを見せるよう病人たちにイエス様は命じられましたが、彼らがそれに従うためにはイエス様を信頼する心が必要でした。ルカが述べているように、病人たちは祭司のところに行く途中で病が癒やされたのであり、出発した時点ではイエス様と出会う前にそうであったようにまだ病気に苦しめられていたのです。しかし、彼らは出発しなかったら癒やされることもなかったでしょう。「ヨハネによる福音書」9章6〜7節も同じようなケースについて記しています。目の不自由な人はイエス様の御言葉に従ってシロアムの池で目を洗った後で、目が癒されたのです。

これは「キリスト信仰者の人生の歩み」についての描写でもあります。もしも自分が完全に罪のない状態になるのを待ち続けるなら、キリスト信仰者としての人生を歩み始めることさえできないでしょう。私たちは「キリスト信仰者としてこの世を歩む間に神様が私たちの中で御業を行ってくださる」と信じながら歩み始めるべきなのです。天の御国に到着した時にようやく私たちは「完全な者」になれるからです。

ユダヤ教の祭司は当時の社会で医者や保健監視員のような役割も担っていました。祭司は病が癒えた病人にそれを正式に認めて社会に復帰する許可を与えます(「レビ記」13〜14章)。らい病あるいはハンセン病は当時不治の病とみなされていました。この病が癒されることは死者からの復活に相当するほどの奇跡とさえ考えられることがありました。

この箇所の癒しの奇跡では、サマリヤ人だけが病を癒やされたことを感謝するためにイエス様のところへ戻りました。その一方で、癒されたユダヤ人たちはエルサレムに向けて出発しました。癒されたサマリヤ人だけが自分の真の祭司のところに戻ってきたのです。そしてこのサマリヤ人にのみ真の感謝の心が生まれました。もしかしたら残りの九人のユダヤ人たちは自分たちが病気から癒されたことをユダヤ人だけが持っている当たり前の特権であるかのように考えたのかもしれません。

ところで、このサマリヤ人は健康だけではなくもっと大きなものもいただきました。彼は「救い」にもあずかることができたのです(この点で「列王記下」5章1〜19節でシリア王の軍勢の長ナアマンが同じ病気から癒やされた奇跡も参考になります)。

人の子の予想外の到来 17章20〜37節

「神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。」
(「ルカによる福音書」17章20〜21節、口語訳)

ファリサイ派は「いつどこでこの世の終わりが始まるのか」熱心に考察しました。それゆえ、この箇所でのファリサイ派の質問はごく自然なものでした。彼はイエス様がこの興味深い問題にどう答えるか知りたかったのです。

上掲の箇所でのイエス様のお答えについては教父の時代以来二つの異なる解釈が提示されています。すなわち「神様の御国はあなたがたの内側にある」あるいは「神様の御国はあなたがたの間にある」という解釈です。現代の聖書研究によれば、後者の解釈のほうがよりイエス様の真意に近いと考えられています。そしてこの解釈は文脈にもよく合っています。イエス様は敵対者たちに対して、神様の御国はその到来を待つ必要はなく、彼らの目の前にあり、御自分を通してすでにこの世に来ていることを告げられたのです。

神様の御国はいつか必ず起こる「救いの成就」として到来するものでもあります。しかしこの成就は人々が予測し観測できるような形では起きません。それゆえ、御国の到来がいつ起きてもよいように私たちは常に心構えをしておく必要があります。これが「世の終わり」についてのイエス様の教え(終末論)において(とりわけ「マタイによる福音書」では)強調されている点です。

「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。」
(「マタイによる福音書」24章42節、口語訳)

「世の終わりが来る時を自分は知っている」と思い込んでいる者は「目を覚ましていること」をやめてしまいます。「世の終わりを計測できる者は、来るべき世の外側に取り残されることになるだろう」というユダヤ人の諺があります。

世の終わりが来る前の時代にキリストに従う信仰者たちは様々な圧迫を受けて苦しむことになります。それゆえに、彼らは新たな時の始まりを大いに待ち望むのです(17章22節)。しかしその一方では、ある人々は圧迫され苦しめられるうちに誤ったやりかたで自らの安全や慰めを得ようとするようになる場合もあります(17章23節)。

キリストの再臨は稲妻と同じように明瞭に知覚できる出来事です。そのため、その時にはこのことについて誰かに尋ねたり助言を求めたりする必要はなくなります。

イエス様の再臨には常に驚きが伴います。たとえそれを待ち続けていて多くの予兆を見ていたとしても、世の終わりの到来はやはり驚くべき出来事なのです。その時に救われるのは、すべての望みをイエス様においてきた人々だけです。人間はこの世から何かを一緒にもっていくことはできません。イエス様だけが私たちを救いへと運んでくださるのです。この世に属するものはこの世に取り残されることになります。

世界教会評議会(World Council of Churches)は1954年のエヴァンストン会議で「私たちは未来がどうなるかについては知らないが、誰が来られるかについては知っている。それはイエス・キリストだ」と宣言しました。

マルティン・ルターは天の御国で私たちは次の三つの驚きに包まれることになると教えました。

(1)天の御国には、そこで私たちが会えるとは期待していなかった多くの人々がいるという驚き

(2)天の御国には、そこで私たちが当然会えるだろうと思っていた多くの人々が欠けているという驚き

(3)天の御国には、自分自身がいるという最大の驚き

私たち人間には「麦と毒麦」を分別する権利はありません。驚くようなやりかたで驚くような時に私たちを分別なさるのは神様なのです(「マタイによる福音書」13章24〜30節および36〜43節)。

「〔ふたりの男が畑におれば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう〕」。
(「ルカによる福音書」17章36節、口語訳)

この節は「ルカによる福音書」の最も古い写本群には入っていません。角括弧(〔・・・〕)がついているのはそのためです。おそらくある段階で写本した誰かが偶然あるいは意図的に「マタイによる福音書」24章40節から「ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう」という文をこの文脈に結び付けたのかもしれません。