ルカによる福音書10章
七十二人の弟子たちを派遣する 10章1〜20節
イエス様が七十二人もの大勢の弟子たちを伝道に派遣する出来事を福音書で述べているのはルカだけです。この箇所の古いギリシア語写本には弟子たちの人数として72のほかに70も挙げられています。
「70」は異邦人伝道を示唆するものとも考えられます。当時のユダヤ人たちは異邦人民族が70存在すると考えていました。ラビたちはイスラエルが七十匹のオオカミの群れの中にいる羊のような存在であると教えました(「創世記」10章に関する教え)。ギリシア語七十人訳旧約聖書(セプトゥアギンタ)は諸国民の総数を72としています。またユダヤ人の代表議会であるサンヘドリンには七十人の議員および大祭司が所属していました。
72という数(6x12=72)はイスラエルによる伝道活動の完了を含意していると考えることもできます。
「財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな。」
(「ルカによる福音書」10章4節、口語訳)
イエス様は弟子たちに「あいさつするな」と命じておられます。これには中近東で当時一般的だった挨拶にまつわる儀礼的な様式が大変時間のかかる行為だったことも関係しています。イエス様が弟子たちに命じられた伝道旅行は緊急を要するものであり、弟子たちは遅延なく旅を続けていかなければならなかったのです。
弟子たちの役割は「収穫者」でした。収穫物自体は神様によって実らしていただいたものだったからです。今日でもこのことはよく覚えておくべきです。伝道の目的とは、新たな信仰者を自分たちのグループや教会に引き入れることではなく、神様の御国の新しい御民を得ることだからです。
「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちの中でなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰の中にすわって、悔い改めたであろう。」
(「ルカによる福音書」10章13節、口語訳)
新約聖書で「コラジン」が登場するのはここだけであり、「ベツサイダ」も数回言及されているにすぎません。私たちはこれらの町がイエス様を拒絶する原因になった出来事について何も知っていません。このことからも新約聖書に述べられていない事柄がたくさんあるということがわかります(「ヨハネによる福音書」21章25節)。
「あなたがたに言っておく。その日には、この町よりもソドムの方が耐えやすいであろう。」
(「ルカによる福音書」10章12節、口語訳)
「ソドムも死者の中から復活させられるが、それは厳しい裁きを受けるためである」とラビたちは教えました。
「私たちの人生はどのようなものか」、「私たちはどのようなことを経験し行うことができるのか」ということではなく、「私たちの人生が終わった後に何が起きるのか」ということこそがキリスト信仰者にとって重要な問題です。それは「私たちの名前が天にしるされているのかどうか」ということです。天の御国に入れることこそが私たちの目標なのであり、この世におけるすべてのものは、この目標を達成するために役立つか妨げるかのどちらかなのです。
時の中心 10章21〜24節
ルカは神様による人類の救いの歴史を次の三つに区分しています。
1)約束の時 〜 最初の人間たちの罪の堕落から洗礼者ヨハネまでの時
2)成就の時 〜 イエス様がこの地上で生活しておられた時
3)聖霊様、教会、最後の時 〜 聖霊降臨からイエス様の再臨までの時
旧約聖書で約束された預言が成就する「時」が今や目前に迫っていました。それゆえに弟子たちは「さいわいである」と言われるのです。彼らは多くの人々が長い間待ち続けてきた約束の成就を実際に目の当たりにすることができるからです。
イエス様はこの世の歴史の中心であり、この地上で生きたことのある最重要人物です。イエス様は「時の中心」なのです。
憐れみ深いサマリヤ人 10章25〜37節
「するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、 「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。」
(「ルカによる福音書」10章25節、口語訳)
ある律法学者が上記の難問を出題してイエス様の実力をテストしようとしました。律法の専門家としてその律法学者は、どうすれば人間が救われるのか、もちろん知っているはずでした。彼の質問はイエス様を試みるためのものだったのです(「マタイによる福音書」15章14節での「目の不自由な人の手を引いて行く目の不自由な者」や「マタイによる福音書」23章13〜36節でのイエス様のファリサイ派や律法学者たちに対する「わざわいだ」という宣告も参考になります)。
この律法学者はイエス様が質問に正しく答えるかどうか知ろうとしました。自分が正しい答えを知っていると思い込んでいた彼はイエス様も同じ正解を知っているかどうか試したのです。
しかしイエス様は仕掛けられた罠には嵌まらず、その学者に対して逆に質問を返されました。「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」と尋ねられたのです(10章26節)。その律法学者は旧約聖書の二つの指導原理を一つに集約してイエス様の質問への答えとしました。その二つの指導原理とは、神様を愛すること(「申命記」6章4〜9節のイスラエルの信仰告白からの引用)と隣り人を愛すること(「レビ記」19章18節)です。おそらく律法学者はイエス様が律法と矛盾する返答をすることを予期していたものと思われます。
予想外にもイエス様は律法学者のその答えを承認なさいました。しかし律法学者は負けたまま引き下がることを好まず、当時論争になっていた質問を取り上げます。それは「隣り人とはいったい誰のことか?」という質問です。
隣人愛を説いた前述の旧約聖書の箇所はイスラエルの人々(「レビ記」19章18節の「あなたの民の人々」)を指しています。しかしイエス様の時代の律法の釈義者たちの中には律法に忠実なユダヤ人のみを「隣り人」とみなす人々がいたのです。これは「神様の律法を愛する者たちのみを愛するべきである」という考えかたでした。
「すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。」
(「ルカによる福音書」10章29節、口語訳)
イエス様は隣人愛について語られるとき、いったい誰のことを「隣り人」と考えておられたのでしょうか。まさしくこの問題に答えるためにイエス様は「憐れみ深いサマリヤ人」についての話をなさったのです。
エルサレムからエリコまでの距離は27キロメートルありました。当時、その道は岩だらけで人の住んでいないユダヤの荒野を通っていかなければなりませんでした。この旅程での道は1キロメートルほどの下りになっており、強盗どもにとって好都合な道でした。
(ユダヤ人の)男の人がこの道の途上で強盗に襲われるところからイエス様の話は始まります。「強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った」のです(10章30節)。ここでイエス様が実際に起きた事件について話しておられる可能性もあります。あるいはまたこの事件はイエス様による架空の話であった可能性もあります。しかしこのことは事件の叙述の解釈や教えの内容には意味を持っていません。ともあれ、イエス様が描写された状況は当時の人々の生活で実際に起きてもおかしくないことでした。
ひとりの祭司がその道を下ってきましたが、強盗に襲われ半殺しになった人を見ると、向こう側を通って行ってしまいました(10章31節)。彼には急用があったのです。また彼がかりに半殺しになった人を助けようとしたとしても「強盗がまだそばに潜んでいて自分も強盗に襲われてしまうのではないか?」という恐れを抱いたのではないでしょうか。あるいは彼はモーセの律法によって自分の行為を心の中で正当化したのかもしれません(「レビ記」21章1〜4節)。祭司たちは近親の死の場合にかぎって自分を穢れた状態にさらすことが許されていたのです。しかも倒れていた男の人はもうすでに死んでいた可能性もありました。律法によると、死者に触れたことで穢れた場合には清くなるまでに一週間もかかるとされており(「民数記」19章11〜13節)、その間、祭司は職務を果たせなくなります。
祭司が通り過ぎた後に、神殿に仕えるレビ人もこの場所にさしかかりましたが、倒れている男の人を見ると、祭司と同じく道の向こう側を通って行ってしまいました(10章32節)。
エルサレム神殿では毎週三百人の祭司と四百人のレビ人が仕えていました。当時、祭司もレビ人もそれぞれの一族が年に二度、一週間ずつ、神殿でお仕えすることになっていました。この事件の現場に居合わせた祭司とレビ人は一週間の神殿での奉仕の番のためにエルサレムに上っていく途中だったのかもしれませんし、あるいは神殿での務めを終えて帰る途中だったのかもしれません。
そして三番目にその場を通りかかったのはサマリヤ人でした。
「ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。」
(「ルカによる福音書」10章33〜35節、口語訳)
エルサレムとエリコの中程に「憐れみ深いサマリヤ人の家」なるものがあります。しかしその家にこの名が付いたのは、たんに出来事を記念するためのものか、それともそれが出来事の中に出てきた宿屋だからなのかははっきりしません。サマリヤ人が支払った「デナリ二つ」は当時の二ヶ月分の宿泊費として十分な金額でした。ローマ人歴史家ポリュビウスによれば、当時のイタリアでの宿屋は一日分の宿泊料として半アスだったと証言しているからです(1アスは16分の1デナリに相当しました)。
「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか。」
(「ルカによる福音書」10章36節、口語訳)
こうして律法学者はやっかいな質問に答える立場に追い込まれました。彼は隣人愛の模範を示した者を「サマリヤ人」とどうしても呼びたくなかったため、「その人に慈悲深い行いをした人です」とイエス様に答えました(10章37節)。
「私の隣り人」とは誰のことでしょうか。この箇所の出来事に基づいて例えば「神様が私の道の前に導かれた人間」であると定義することができるでしょう。遠くで起きている事柄を改善しようとするのは比較的容易です。しかし私のすぐ近くで起きている困難な問題に直に向き合うことがはたして私にはできるでしょうか。隣人愛は私から時間やお金を要求するものであるかもしれません。なぜなら、隣人愛はたんなる美しい理論的な原則などではないからです。
キリストについての描写なのか?
教父オリゲネス(西暦約185年〜254年)は「憐れみ深いサマリヤ人」の出来事についてアレゴリーや象徴に基づく解釈を提示しました(「アレゴリー」とは抽象的な事柄や考えかたを具体的な形象を用いて表現する技法で「寓意」とも訳されます)。宗教改革者マルティン・ルターはオリゲネスの解釈をその細部には批判を加えたものの、その主要部は承認しました。オリゲネスによれば、この出来事は「救いの道」について教えようとしています。ここで10章25節の律法学者の質問(「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」)を思い出してください。
オリゲネスの解釈によると、強盗にあった者は「人間」、エルサレムは「天」、エリコは「この世」、強盗は「サタンとその一味」、祭司は「律法」、レビ人は「預言者」、憐れみ深いサマリヤ人は「イエス様」、家畜は「教会」、宿屋は「キリスト信仰者たちの集まり」、オリブ油とぶどう酒は「聖礼典(サクラメント)」、帰りがけに宿屋による約束は「イエス様の再臨」をそれぞれ表しているとされます。
このサマリヤ人の譬には二つの層があると考えられます。第一の層は隣り人について、第二の層は救いについて述べています。第一の層の対象になっているのは自己満足しているファリサイ派であり、第二の層の対象になっているのはイエス様の教えに心から聴き入りたい人々です。イエス様のこの譬は、ファリサイ派にとっては「私の隣り人とは誰のことか?」という質問だけに答えるものでしたが、イエス様を信じる人々にとっては「永遠の命を得るために私は何をしなければならないのか?」という大切な質問にも答えを与えてくれるものだったのです。
この譬の最終的な結論は「行いによる義の獲得」とは異なる何かでした。この譬を注意深く聴いていた者は皆、「憐れみ深いサマリヤ人」のような隣人愛を行うことなど自分にはできないことを理解しました。行いによって救われることは不可能であることが示されたのです(18章26節を参照してください)。そして後に残ったのは、恵みによって救われる可能性だけでした。
生活の只中に信仰を!
イエス様は「キリスト信仰者の信仰が日常生活でも具体的な行動を通して目に見える形で現れるものになるようにしなさい」と教えておられます。信仰は私たちの生活において何か特別な孤島のようなものではなく、私たちのすべての行いを通して目に見える形で現れるべきものなのです。
ユダヤ人たちの信仰告白もこのことについて述べています。それは「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」(10章27節)という命令です。神様との関係および神様への信仰はキリスト信仰者の人生全体に関わることなのです。人生の一部を信仰の外側に捨てると、信仰が歪んでしまいます。例えば、感情の大切さを強調しすぎると霊的な事柄ばかり偏って強調するようになり、意志決定の重要性を強調しすぎると律法の実行に基づく義(自己正当化)のみを追求するようになります。理性を全面的に信頼しすぎると温かみのない教義的な純粋さを求めるようになり、信仰に関して中途半端な態度をとっていると、日曜日だけキリスト教徒になるような偽善的な生きかたをするようになってしまいます。
私たちは信仰を日々の生活の中で表していくことができるでしょうか。また、神様の御意思を日常の中で具体化していくことができるのでしょうか。
私たちがキリスト教信仰者を自認し、信仰についてよく口にしている場合であっても、肝心の実生活が信仰とかけ離れているならば、信仰をもたずにこの世的な価値観に従って生きている人たちが私たちの言う「信仰なるもの」を理解しないであろうことは明らかでしょう。あるいは、私たちが「小羊の血によって洗われること」や「新たに生まれること」や「洗礼の恵みに戻ること」についてそのまま語るならば、私たちが彼らから誤解されてしまうのもほぼ確実でしょう。私たちはイエス様や信仰について、世俗的な考えかたをしている聞き手にも理解できるような話しかたで伝えていくべきなのです。
とはいえ、これは決して容易なことではありません。一般の人々の理解を助けるために福音を新しい言い回しで宣べ伝えようとするとき、それが福音のメッセージ自体を薄めたり変えたりしてはいけないからです。喩え話の活用は今日でもよいやりかたのひとつです。しかし核心をついた有用な喩え話をすることは簡単ではありません。
キリストのメッセージが理解されやすい形で今日の人々にも伝わるように、教会の職員たちのためだけではなくキリスト信仰者ひとりひとりのためにも聖霊様による導きを祈るのはとても必要なことです。
マルタとマリア 10章38〜42節
ルカが「憐れみ深いサマリヤ人」の話のすぐ後にマルタとマリアの家での出来事について語っているのは偶然ではないでしょう。よい行いと隣人愛はそれ自体としてみるとたしかに大いに価値のあるものですが、もしも人生で最も大切なものが欠けているなら、それらも意味を失ってしまうということをマルタとマリアの出来事は教えてくれるからです。
あるアメリカ人のゴスペル歌手は「私たちは人生でイエス様をよりいっそう必要としている」と言いました。様々なことに忙殺されていると私たちは最重要なものを見失ってしまいます。それ自体は「良いこと」が「最善なこと」に対する最悪の敵になってしまうことがあるのです。
マルタとマリアは兄弟のラザロと一緒にエルサレムの近くにあるベタニヤに住んでいました(「ヨハネによる福音書」11章1、18節)。イエス様がマルタとマリアの家を訪問なさったときの様子はイエス様の公の活動での日常がどのようなものであったかを活写しています。イエス様は昼間に旅をして人々に教え、夕方になるとどこかに宿泊してそこでも人々に教え、また食事を取られたのです。
女性が男性を客として招くのはユダヤ人社会では例外的なことでした(8章1〜3節も参考になります)。しかしそれよりもさらに奇妙なのは、イエス様が女性であるマリアに教えたということです。「イエスもまた当時の規則や考えかたに囚われていた」といった主張もときおり聞かれますが、実際にはそうではなかったことをこのエピソードは雄弁に証しています。
イエス様と弟子たちに対して急いで給仕しなければならないこの忙しい時にマリアが家事を中断してイエス様のお話に聴き入っていたことをマルタは好ましく思いませんでした。ところがイエス様はマリアが「弟子の一人」という立場を離れて給仕の仕事に戻るようマリアに命じようとはなさいませんでした。マリアの選んだのは良いこと、実のところ最善のことであり、彼女から取り上げられるべきことではなかったからです(ギリシア語原文では動詞「取り上げられる」(「アファイレテーセタイ」)は受動態未来形であり、最後の裁きでの神様による最終的な判決を示唆しているとも解釈できます)。
「主は答えて言われた、
「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。」
(「ルカによる福音書」10章41〜42節、口語訳)
マルタとマリアの出来事の与える主要な教訓は「私たちの人生の意味や目的は何か?」ということです。本来、私たちは天の御国に入り永遠の命を得るために神様によって創造されました。私たちが天の御国に入って永遠の命を得ることを他の何物によっても妨げさせてはいけないのです。
イエス様のマルタへの返答は食事に出される料理の種類の数を指していると解釈されたこともあります。イエス様はマルタに「料理は一種類で十分である」と言われたという解釈です。しかしこのような珍妙な解釈ではマルタとマリアの話の核心が見えてきません。福音書の他の話と同様にこの話にもひとつの主要な教訓が含まれているのです。