ルカによる福音書6章
イエス様と安息日 6章1〜11節
麦畑の穂を摘むことと他の所有者の畑の作物を食べることは旧約聖書で許可されています(「申命記」23章25節、ただしその際、摘む道具(鎌)の使用は禁じられていました)。しかしファリサイ派や律法学者たちは、イエス様の弟子たちが安息日に仕事をするのを禁じた律法規定を破ったものとみなしました。弟子たちは穂をつみ、手でもみながら食べていたからです(6章1節)。
ファリサイ派は安息日にかかわる39の禁止事項をひとまとめにしていました。律法遵守に熱心な(正統派)ユダヤ人たちにとって安息日は現代においても公にユダヤ教信仰を実践する重要な曜日です。やや大袈裟に言えば、律法で許可が明記されていない事柄はすべて安息日に行うことが禁じられていると解釈するのがファリサイ派の流儀でした。
安息日規定を破ると厳罰に処されます。それゆえ「自分の弟子たちの行為は安息日規定に違反するものではなかった」というように弁明するのが普通でしょう。ところが弟子たちの行為への非難に対して、イエス様は次のように事実上弟子たちが安息日規定を破ったことを認めるような返答をなさっています。
「そこでイエスが答えて言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えていたとき、ダビデのしたことについて、読んだことがないのか。すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほかだれも食べてはならぬ供えのパンを取って食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。」
(「ルカによる福音書」6章3〜4節、口語訳)
かつてダビデとその供の者たちも安息日に新しいものに取り替えられる神の家の供物のパンを食べることで律法規定を破ったのです。そして、この出来事が安息日に起こったと当時の律法学者たちが解釈していたことがイエス様の説明からわかります。
イエス様の弟子たちは律法規定が禁じていると律法学者たちが解釈していた事柄を行ったことになります。しかし律法学者たちやファリサイ派が尊敬しているダビデと同じようにイエス様とその弟子たちも安息日にかかわる律法規定を破る権利があるとイエス様は主張なさったのです。これはイエス様がダビデのような尊敬を受けて当然の人物だったということを意味しています。実のところイエス様はダビデ以上のお方であり安息日の主なのです。
「また彼らに言われた、
「人の子は安息日の主である」。
(「ルカによる福音書」6章5節、口語訳)
「安息日の主」とはどういう意味でしょうか。この名称によってイエス様は御自分が神そのものであることを示唆しておられると思われます。安息日は神様によって定められた律法規定でした(「出エジプト記」20章8〜11節、「申命記」5章12〜15節)。そして律法を授けられたお方だけがこの規定を再度解釈し直す権利をお持ちなのです。
ところで私たち現代のキリスト信仰者たちも休日を聖別するべきなのでしょうか。実はこのような質問には欠けている点があります。休日は重荷などではなく、神様がすでに天地創造の時点で設定なさった賜物だからです(「創世記」2章2節、「ヘブライの信徒への手紙」4章4節)。休日は人間の生活にとって不可欠の要素なのであり、人が休むことを忘れると好ましくない結果が生じます。
安息日に仕事をすることは許されているのか?
イエス様がある男の人の萎えた手を安息日に癒されたとき、イエス様とその反対者たちとの間に別の論争が起きました。律法学者たちの理解によれば、安息日には命の危険にある人だけを助けることが許されており、病気が死に直結するものでない場合にはその癒しは平日になってからにするべきであると考えられていました。
「安息日に許されているのは良いことを行うことなのか、それとも悪いことを行うことなのか?」というイエス様の質問はこの問題の核心をついています。ファリサイ派の律法解釈はせっかくの神様からの賜物を呪いのようなものに変えてしまったのです。
上記の質問に対してイエス様は御自分でお答えになりました。イエス様はまさに安息日にその男の人の手を癒されたのです。
人がイエス様を信じるようになる模範例
この癒しの出来事は人がイエス様を信じるようになる過程を最良のかたちで描いていると思われます。
イエス様は「手を伸ばしなさい」(6章10節)と病人に命じられましたが、これはその病人にとって不可能なことのはずでした。まさにそれこそが病気の問題だったからです。もしも手がまず先に癒されたのなら、病人はその手を伸ばすことができたはずです。
しかし癒やされるための前提としてその病人が手を伸ばすことをイエス様は要求なさいました。そのために病人は行き場のない窮地に立たされたように見えました。しかし躊躇することなく病人はイエス様が命じられた通りに行いました。するとその手は癒やされたのです。
「手を伸ばすことと手が癒されることのどちらが先に起きたのか?」といった議論を果てしなく続けることはできるでしょうが、それでも最終的には「この出来事は説明できない神様の奇跡であった」という結論に至るほかないでしょう。
「イエス様を信じなさい!」と人に言うときにもこれと同じような状況が生じています。人は自分の力では信じるようにはなれません。人がイエス様を信じるようになるのは、その人の中で神様が働きかけてくださったおかげなのです。神様が信仰を賜らないかぎり、人は信じるようにはなれません。信仰は完全に神様による御業なのです。
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」
(「フィリピの信徒への手紙」2章13節、口語訳)
たとえ癒された人が後になって「自分の力で手を伸ばしたのだ」と自慢したとしても、その言うことは信じてもらえなかったでしょう。ところが、誰かが「私は自分の力で神様を信じるようになった」と主張すると、それをそのまま信じてしまう人は今も多いようです。
新しいイスラエルの「族長たち」が選ばれる 6章12〜16節
「このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。すなわち、ペテロとも呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、それからイスカリオテのユダ。このユダが裏切者となったのである。」
(「ルカによる福音書」6章12〜16節、口語訳)
ルカはこの箇所でイエス様に従ってきた人々を「弟子」と「使徒」という二つのグループに分けています。「使徒」には「権限を与えられた代行者」や「大使」という意味があります。
十二人の使徒たちは「新しいイスラエル」の礎となりましたが、「古いイスラエル」に対してはイエス様は次のような厳しい言葉をかけられました。
「それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。」
(「マタイによる福音書」21章43節、口語訳)
十二使徒の名前のリストは福音書によって若干異なっています。しかしこれには容易に説明がつきます。
「ヨハネによる福音書」は「バルトロマイ」を「ナタナエル」と呼んでいます(「ヨハネによる福音書」1章43〜51節)が、前者はギリシア名で後者はヘブライ名なのです。イエス様の最初の弟子たちの中には他にもヘブライ名とギリシア名の両方を持つ者が多くいました。
日本語訳では原語での違いが消えてしまっていますが、「ルカによる福音書」での「熱心党(ギリシア語で「ゼーローテース」)と呼ばれたシモン」のことを、「マタイによる福音書」10章4節と「マルコによる福音書」3章18節では「熱心党(ギリシア語で「カナナイオス」)のシモン」と呼んでいます。研究者たちは「カナナイオス」が「ゼーローテース」の集団(ゼーロータイ党)すなわち熱心党の党員を意味していることに気づいたのです。
ゼーロータイ党(熱心党)は反乱に失敗した後、西暦6年に形成されたグループです。党員たちは極端な愛国主義者であり、ローマ帝国の支配権に断固反対しました。現代なら彼らが「テロリスト」と呼ばれたのはまちがいありません。
「ルカによる福音書」での「ヤコブの子ユダ」を「マタイによる福音書」10章3節と「マルコによる福音書」3章18節は「タダイ」と呼んでいます。おそらくこの弟子はイスカリオテのユダによる裏切りがあった後で「ユダ」というヘブライ名の使用を避けるようになったのではないでしょうか。
多くの使徒たちについてはほとんど知られていません。一番よくわかっているのはペテロについてです。しかし彼についてもそれほどたくさん知られているわけではありません。
使徒たちは普通のユダヤ人でした。おそらくイスカリオテのユダのみが南のユダ地方出身で、残りは全員ガリラヤ出身であったと思われます。
イスカリオテのユダの「イスカリオテ」とは「カリオテの男」(ヘブライ語で「イシュ」は男を意味します)という意味であると一般的には解釈されています。すなわち彼はユダ地方にあるカリオテという町の出身だったことになります。また別の解釈によれば「イスカリオテ」は「シカリオト」という単語に由来するものとされます。これは短剣を携えた熱心党員のことを意味しています。常日頃から彼らは群衆に紛れてローマ人たちや、熱心党に敵視された人たちのことを暗殺していました。この解釈に従えば、イスカリオテのユダはイエス様の弟子たちの中にいた二人目の熱心党員だったことになります。
平地での説教、危機にさらされた人々の助け手 6章17節〜7章17節
「ルカによる福音書」の「平地での説教」は「マタイによる福音書」の「山上での説教」と同じものでしょうか。たしかに両者には多くの共通点が見られます。例えば「さいわいなるかな」という宣言をはじめとして内容的な共通点が多いのです。しかしもちろん相違点もあります。山上での説教は平地での説教よりも長いですし、「ルカによる福音書」は説教が平地でなされたことを殊更強調しています。
イエス様が同じ内容について何度も説教なさったのは確実でしょうから「ルカによる福音書」と「マタイによる福音書」の文章の間に相違点や共通点があるのは奇妙ではありません。当然ながら現代の教会においても最も重要な内容については説教で根気良く繰り返して教えなければなりません。内容が重要であればあるほどそれだけ念入りに反復して聴衆に教えていかなければならないのです。
三つのグループ 「ルカによる福音書」6章17〜19節
「ルカによる福音書」はイエス様の聴衆の中には1)使徒たち、2)弟子たち、3)大群衆という三つのグループがあったことを記しています。
私たちはあたかも十二弟子だけがイエス様に従っていたかのような印象を受けてはいないでしょうか。しかし次の引用箇所からもわかるように、イエス様の弟子たちは実際にはたくさんいました。
「そういうわけで、主イエスがわたしたちの間にゆききされた期間中、すなわち、ヨハネのバプテスマの時から始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、だれかひとりが、わたしたちに加わって主の復活の証人にならねばならない」。」
(「使徒言行録」1章21〜22節、口語訳)
イスカリオテのユダの代わりに新しい使徒を選ばなければならなくなったとき、上記の条件を満たす大勢の弟子たちの中からその候補者を選出することになり、最終選考に残った二人の候補者の中からマッテヤが使徒として選ばれました。
イエス様の弟子集団の中には女性も含まれていました。彼女たちはイエス様や使徒たちに従いながら経済的に援助していました(8章1〜3節)。
イエス様の弟子たちがどれほど多かったのかはわかりません。また彼らがどれだけ固定したグループだったのか、例えば新しく弟子になった人や弟子をやめた人がたくさんいたのか、あるいはほぼ同じ顔ぶれがいつも集まっていたのかなどについてもわかっていません。
十二人の使徒の特別な地位は彼らだけがイエス様に従っていたことにではなく、イエス様がある特別な使命のために彼らを選ばれたことに基づいていました。このことに注目しましょう。彼らは新しいイスラエルの十二人の「族長」だったのです。
イエス様が民を教えるために山から下りられたことは、モーセが神様の律法を携えてシナイ山から下りてきた故事を彷彿とさせます。
「モーセはそのあかしの板二枚を手にして、シナイ山から下ったが、その山を下ったとき、モーセは、さきに主と語ったゆえに、顔の皮が光を放っているのを知らなかった。アロンとイスラエルの人々とがみな、モーセを見ると、彼の顔の皮が光を放っていたので、彼らは恐れてこれに近づかなかった。モーセは彼らを呼んだ。アロンと会衆のかしらたちとがみな、モーセのもとに帰ってきたので、モーセは彼らと語った。その後、イスラエルの人々がみな近よったので、モーセは主がシナイ山で彼に語られたことを、ことごとく彼らにさとした。」 (「出エジプト記」34章29〜32節、口語訳)。
イエス様がもたらしたのは新しい律法ではなく恵みを伝える福音でした。その具体的な内容は平地での説教をより詳しく調べていくうちに明らかになります。
「さいわいなるもの」という宣言 「ルカによる福音書」6章20〜23節
ここからはひとまとまりの長い箇所が始まります(6章20節〜8章3節)。これに相当する箇所は「マルコによる福音書」には見当たりませんが「マタイによる福音書」には同様の内容を含む箇所があります。それゆえ、ルカとマタイの両福音書はいわゆる「Q資料」と呼ばれるイエス様の語録を集めた原資料に基づいていると推定されていいます。
イエス様は人間の次の4つのグループに対して「さいわいだ」と言っておられます。しかし通常の基準で考えると彼らは「さいわいだ」と祝福されるような人々ではありませんでした。
1)貧しい人たち(6章20節)
2)いま飢えている人たち(6章21節)
3)いま泣いている人たち(6章21節)
4)人の子のために迫害される人たち(6章22節)
「貧しい人たち」とは依拠したり信頼したりする対象が何もない人々のことです。このような人たちは完全に神様の恵みと助けにすがって生きています(「マタイによる福音書」5章3節では彼らは「こころの貧しい人たち」と呼ばれています)。
「マタイによる福音書」5章6節でイエス様は「義に飢えかわいている人たち」について「さいわいだ」と言っておられます。私たちがこの箇所から読み取るべきなのは、貧しさ自体が救いをもたらすということではなく、貧しい人が神様により頼むことの大切さです。
たしかに貧困は大きな問題です。人は貧しさのせいで神様の御意思に逆らったり神様を呪ったりする場合さえあるからです。次の「箴言」の箇所も参照してください。
「わたしは二つのことをあなたに求めます、
わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
うそ、偽りをわたしから遠ざけ、
貧しくもなく、また富みもせず、
ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
飽き足りて、あなたを知らないといい、
「主とはだれか」と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、
わたしの神の名を汚すことのないためです。」
(「箴言」30章7〜9節、口語訳)。
「さいわいだ」という宣言の核心は、その理由はいろいろあるにせよ、神様により頼む人間はさいわいだということです。
「人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。」
(「ルカによる福音書」6章22〜23節、口語訳)
弟子たちがこれから受けることになる苦難についてイエス様はあらかじめ警告しておられます。しかしそこにはイエス様からの慰めも含まれています。人々に捨てられることは神様からも捨てられるという意味ではないのです。
「わざわいだ」という宣言 「ルカによる福音書」6章24〜26節
「さいわいだ」という宣言の正反対のものがこの「わざわいだ」という宣言になります。「わざわいだ」は裁きではなく哀れに思うことの表現です。
神様の御国では通常の価値観における上下関係が逆転します。私たちの普通の感覚ではイエス様の平地での説教で「さいわいだ」と言われている人々はむしろ惨めな境遇の人々です。これと同様の逆転関係はイエス様の語られた金持ちとラザロの物語にも見られます(16章19〜31節)。
パウロの手紙を読んでいると、パウロは正しい教えを宣べ伝えるだけではなく、間違った教えについては警告していることに気付かされます(例えば「フィリピの信徒への手紙」3章17〜21節)。
「人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。」
(「ルカによる福音書」6章26節、口語訳)
キリスト教会の使命は人々からほめられることではなく、福音を伝えて前進していくことです。一般の人々からほめられるようになった教会は、神様の御意思を忠実に宣べ伝えるのをやめて人々の要望に迎合してしまっている可能性があります(「列王記上」22章1〜38節での主の預言者ミカと偽預言者たちについての記述を参照してください)。
世俗主義(英語でsecularism)は「今の世」を表すラテン語の「saeculum」に由来する用語です。魂の敵である悪魔は私たちが神様と永遠の命とを忘れてしまうよう、この世とその誘惑に私たちをできるかぎりきつく縛り付けようと躍起になっています。そのような誘惑の代表例が富です。
「しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。
慰めを受けてしまっているからである。」
(「ルカによる福音書」6章24節、口語訳)
富の誘惑に負けた人は創り主ではなく被造物を崇拝するようになってしまいます。
「彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。」
(「ローマの信徒への手紙」1章25節、口語訳)
「楽観主義者は自分がたった今人生で最高の時を過ごしていると信じているが、悲観主義者は実にそれゆえに恐れを抱く」などと言われます。キリスト信仰者として私たちはこのような楽観主義者でも悲観主義者でもありません。最高の時はまだこれから先に待っていることを知っているからです。天の御国に入ってようやく私たちは、神様がどれほど素晴らしいことを「私たちの受け継ぐもの」としてあらかじめ準備してくださっていたか、実際に見ることができるようになるのです。
黄金律 「ルカによる福音書」6章27〜36節
「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。」
(「ルカによる福音書」6章31節、口語訳)
この節は「黄金律」と呼ばれる人生訓です。同じ内容を否定の形で表したもの(「人々にしてほしくないと、あなたがたの望むことを、人々にもしてはいけない」)は他の宗教にも見られます(例えばユダヤ教のラビ・ヒレルや儒教の孔子など)。
宗教改革者マルティン・ルターの倫理観において黄金律は中心的な位置を占めています。誰もこの規則から逃げられないことを彼は指摘しています。自分に何をしてほしいか誰もがよく知っているからです。
イエス様はこの箇所で、悪いことを行わないだけでは十分ではなく、よいことを行う必要があることを強調しておられます(「マタイによる福音書」12章43〜45節も参考になります)。公正の完全な実現を要求する人は恵みも神様の愛も見つけることができません。
「あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。」
(「ルカによる福音書」6章36節、口語訳)
どのような量りであなたがたは量っているのか? 「ルカによる福音書」6章37〜42節
この箇所でイエス様は、私たちが律法の要求するところに従って他の人々に接していこうとするならば、私たち自身もそれ以外の接しかたを神様から要求できないということを教えておられます。私たちは公正ではなくむしろ恵みを神様から期待するべきなのです。
「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。」
(「ルカによる福音書」6章41〜42節、口語訳)
「自分の目にある梁」は、神様の御前で私たちが抱え込んでいる絶望的なまでに大きな罪の重荷を象徴しています。もしも私たちが自分の罪さえも見えないのなら、隣人の私たちに対するそれよりはるかに小さな罪についてどうして私たちは裁くことができましょうか。私たちはまず自分自身の罪深さを見つめるべきなのです。その後でなら他の人たちに対しても悔い改めるように勧めることができます(「イザヤ書」6章1〜10節)。
その一方では、この箇所を引き合いに出して、他の人たちに教えたり奨励したりするのをことごとく禁じようとする人々が今までしばしば現れてきました。たしかに、もしも完全な人々だけが他の人々の信仰生活を正すように奨励する権利があるのならば、このような奨励はまったくできなくなってしまいます。しかし、上掲の箇所でイエス様の言われていることを注意深く読むならば、イエス様が「物事の正しい順序」について話しておられることに気がつくことでしょう。「まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。」とイエス様は言われているのです。
罪について適切な態度で叱責することもキリスト教信仰には含まれているのです。使徒パウロも次のように奨励しています。
「兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである。ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」6章1〜5節、口語訳)
キリストという基盤 「ルカによる福音書」6章43〜49節
よい譬えには説明を加える必要がありません。この箇所の二つの譬えも余計な説明で台無しにするべきではありません。
あえて説明を付けるならば、「よい行いがよい人間にするのではなく、よい人間がよい行いをするのである」というマルティン・ルターの説明が最良でしょう。
「わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。」
(「ルカによる福音書」6章46節、口語訳)
活ける純粋な信仰にはいつでも人間とその行いを変える力があることをこの節は私たちに思い起こさせてくれます(「申命記」29章28節(口語訳では29節)、「ヤコブの手紙」2章14〜26節も参考になります)。
過酷な時代と環境は建築物の基盤の脆弱性を明るみに出します。しかし順境の時には質の悪い建築物も倒れることがありません。