ルカによる福音書4章
イエス様の受ける誘惑 4章1〜13節
「さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔のこころみに会われた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。」
(「ルカによる福音書」4章1〜2節、口語訳)「この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。」
(「ヘブライの信徒への手紙」4章15節、口語訳)
イエス様を悪魔から誘惑を受けるように荒野へと導いたのは聖霊様であったとルカが強調していることに注目しましょう。このことからもわかるように、キリスト信仰者が試練や誘惑にあう理由は、神様に見捨てられたからであるとか、信仰を失ったからであるとかということではありません。神様は私たちを試練や誘惑を通しても成長させようとなさっているのです。
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」10章13節、口語訳)。
「四十日のあいだ」(「ルカによる福音書」4章2節)という表現は、モーセがシナイ山で過ごした四十日間(「出エジプト記」34章28節)や、エリヤの四十日間の逃避行(「列王記上」19章8節)や、とりわけ次の引用聖句にあるようにイスラエルの民の四十年間の荒野の旅との関連性を示唆します。
「あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。」
(「申命記」8章2節、口語訳)
イエス様が用いられた旧約聖書からの引用も上記の箇所と同じ文脈にあることに注目しましょう。例えば「ルカによる福音書」4章8節は「申命記」6章13節と、「ルカによる福音書」4章12節は「申命記」6章16節と、「ルカによる福音書」4章4節は「申命記」8章3節とそれぞれ対応しています。
メシアの遭遇する誘惑や試練については旧約聖書には予言されていません。イエス様の受けた試練では、かつて楽園でアダムとエバが受けた誘惑や試練が再び繰り返されています。旧約聖書のアダムと同様に新約聖書のアダムであるイエス様も「神様の御意思に従うか、それとも悪魔の誘惑に従うか」という二者選択を迫られました。旧約聖書のアダムはサタン(蛇)に屈しましたが、新約聖書のアダムはサタンに勝利なさったのです。
「ルカによる福音書」4章に記されている三つの誘惑・試練はそれ自体としてみればよいことばかりです。石をパンに変えることは誰も傷つけはしません。後にイエス様も五千人に食べ物を分け与える奇跡を行なわれています。イエス様が全世界を治める有能な為政者となるのもよいことです。またイエス様が神様の御子メシアとして公に宣言することもよいことです。
しかし問題なのは、悪魔によるこれら三つの誘惑・試練が神様の御意思に沿ったものではなかったということです。これらは「苦しみを甘受する主の僕」であるメシアの歩むべき道にはふさわしくないことばかりでした。
「それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。」
(「ルカによる福音書」4章5〜7節、口語訳)
悪魔による二番目の誘惑・試練はイエス様をユダヤ人たちが待望していた政治的なメシア(救済者)という立場に据えることを意味していました(「ヨハネによる福音書」6章14〜15節および18章33〜40節)。歴史を通じて多くの人間がこの誘惑に屈し、権力と富の祭壇にすべてを犠牲として捧げてきたのです。
ところでサタンはイエス様にささやいているような「この世の支配者」なのでしょうか。これは本当であるとも偽りであるとも言えます。宗教改革者マルティン・ルターはサタンを「神様のサタン」とか「神様によって縛られている犬」と呼んでいます。サタンはたしかに「権力」をもっていますが、それも神様によって許された限度内で、しかも神様から取り上げられるまでの期間にのみ行使できるようになっているのです。
「それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。」
(「ルカによる福音書」4章9〜12節、口語訳)
悪魔による三番目の誘惑・試練は「(栄光の)メシアはエルサレムの神殿の頂上に現れて自分がメシアであることを皆に知らしめることになる」という当時のユダヤ人たちのメシア理解に結びついています。しかしこの時点では、メシアが民に知られることになる、神様が定められた「時」はまだ到来していなかったのです(「マタイによる福音書」16章20節も参考になります)。
悪魔は神様の御言葉を故意に改変して「もしあなたが神の子であるなら」(4章3節および9節)と言っていることに注目しましょう。ルカは3章23節でイエス様が神様の御子であられることに間接的に言及しています。にもかかわらず、悪魔はそれを不確実で信用ならないものにしようとしたのです。
イエス様は神様の御言葉を自己防御と悪魔撃退の武器として用いられます(「エフェソの信徒への手紙」6章1〜9節)。私たちもこの正しい信仰の武器を適切に用いていくべきです。
誘惑・試練の中にあるときには「いま自分は逃げるべきなのか、それとも対抗するべきなのか」と常に自問するべきです。多くの堕落は逃げるべき時に対抗し始めたために起きてしまいました。しかしその一方で、いつも逃げ回ってばかりいては私たちの信仰が強められることもありません。
「悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。」
(「ルカによる福音書」4章13節、口語訳)
サタンがここで一時的にイエス様を離れたことは、イエス様がゲッセマネの園の時に至るまで(22章39〜46節)の間、サタンとの戦いがまったくなかったという意味ではありません。その間にも敗北者たち(サタンとその一味)は霊的な戦場から撤退することを余儀なくされ続けたということです。
悪魔は曖昧で抽象的な「悪」という概念的な存在ではなく、明確な個性を持つ悪そのものであり、独自の名を持ち神様に敵対する者です。
ナザレ、ガリラヤ湖畔での宣教 4章14節〜5章26節
「ルカによる福音書」では4章14節から始まり実に9章50節まで及ぶ範囲の箇所を「イエス様のガリラヤでの活動」といった見出しをつけて他の部分から区別することができます。この箇所の後にはさらに長大な箇所(9章51節〜19章27節)が続いており、そこでは「イエス様のエルサレムへの旅」が描かれます。
ルカは福音書の元になった資料を意識的にある種の形式に整理しました。しかしこれはルカが歴史を改変したという意味ではまったくなく、むしろイエス様をめぐる事象に関する資料の中からとりわけ包括的なイエス様の実像に合っている部分を巧みに抽出して読者に伝えようとしたという意味なのです。
ガリラヤへの帰還 4章14〜15節
「ヨハネによる福音書」1〜4章はイエス様の公の場での伝道活動の初期の出来事の数々について述べています。それに対して「ルカによる福音書」はそれらには触れることなく、イエス様の公の活動の描写をイエス様の住んでおられたガリラヤ地方の故郷の町ナザレでの出来事から始めています。
ガリラヤはイスラエルで人々が最も密集して住んでいた地域のひとつでした。当時のユダヤ人歴史家ヨセフスの著書「ユダヤ戦記」によれば、ガリラヤには204の町があり、それらの町には15000人以上の住民が住んでいました。残念ながらヨセフスには他の箇所でも事実を誇張して書く傾向があることが知られています。「ユダヤ戦記」はユダヤ人のためにではなくローマ人のために書かれたものでした。大袈裟に書くことでヨセフスはローマ軍がユダヤ人たちに対して大勝利を収めた歴史的意義を強調しようとしたのです。
ルカはイエス様の公の活動が神様の御霊(聖霊様)の導きによってなされたことを多くの箇所で強調しています。洗礼者ヨハネが投獄された事件はたしかにイエス様が北方のガリラヤ地方に戻られた理由のひとつではありました。しかし実はまさにイエス様の故郷への帰還こそが神様の御計画の中に元々含まれていたということがその最大の理由だったのです。
十字架の躓きが明らかになる 「ルカによる福音書」4章16〜30節
時事問題を記事にするメディアには新聞や雑誌、テレビやラジオ、インターネットなどいろいろあります。記事の書きかたとしては、出来事の顛末について早々と冒頭で知らせてしまい、それに続く部分で出来事全体の詳細を描写していくというやりかたがあります。例えばテレビの探偵物などでも最初に犯行を見せるという手法が取られることがよくあります。
ルカもイエス様の活動全体を叙述する際にそれと同じようなやりかたをしています。語り始めの時点で要点を語ってしまうのです。例えば今扱っている箇所はイエス様が故郷で拒絶されてしまう出来事について述べていますが、これはイエス様によってもたらされる救いがイエス様の活動全体を通してユダヤ人たちには正当に評価されることがなく受け入れられなかったことと、神様の御民には受け入れられなかったイエス様の福音は後になってから異邦人たち(非ユダヤ人たち)には受け入れたことを先取りしています。
このような叙述のやりかたは聖書自体にもあてはまります。例えば宗教改革者マルティン・ルターは「聖書の冒頭の書である「創世記」に聖書全体のメッセージがすでに含まれており、聖書の他の書物群はその説明にすぎない」とさえ言っています。
「そこで彼らに言われた、「あなたがたは、きっと『医者よ、自分自身をいやせ』ということわざを引いて、カペナウムで行われたと聞いていた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう」。」
(「ルカによる福音書」4章23節、口語訳)
上節からわかるように、イエス様のガリラヤでの出来事はイエス様の公の活動の最初期のものではありませんでした。しかしルカはこの出来事からイエス様の公の活動を描き始めています。
ユダヤ人たちが礼拝を行う会堂(シナゴーグ)の誕生した経緯の詳細はわかっていません。エルサレム神殿が紀元前586年に破壊され、それまで動物の犠牲を捧げることで行なわれていた神様への礼拝儀式ができなくなったために、ユダヤ人たちは新たな礼拝の守りかたの模索を余儀なくされました。バビロン捕囚の時代には、シナゴーグを中心とする新たな礼拝生活がユダヤ人の間で広く受け入れられるようになりました。それゆえ、捕囚期が終わり多くのユダヤ人がエルサレムに帰還して紀元前515年に神殿を再建した後でもシナゴーグでの礼拝生活は守り続けられることになったのです。
イエス様の時代のシナゴーグの礼拝式文では初めに次のようなイスラエルの信仰告白を唱えます。
「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。」 (「申命記」6章4〜9節、口語訳)
その次には祈りが続きます。さらにその後に、ヘブライ語で旧約聖書の最初の五書(律法を扱う書物群のことでヘブライ語では「トーラー」と呼ばれます)からの抜粋箇所が朗読され、その内容についてアラム語で(あるいはディアスポラ・ユダヤ人(ユダヤ以外の地に離散していたユダヤ人)の間ではギリシア語で)解き明かしがなされました。次に「預言者」と呼ばれる旧約聖書の書物群の中からの抜粋箇所が朗読され、これについても解き明かしがなされましたが、それには説教が付け加えられることもありました。礼拝の最後に(祭司が礼拝に居合わせた場合には)主の祝福すなわちアロンの祝福(「民数記」6章23〜27節)を唱えました。
今扱っている箇所で、イエス様は会堂でその安息日に朗読するべき聖書(「イザヤ書」)の箇所を自らお選びになり(4章17節)、「イザヤ書」61章1〜2節を朗読なさいました。イエス様によるこの箇所の解き明かしは「ルカによる福音書」では短く記されています(「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」(4章21節)。イエス様の説教の内容についてルカが述べているのはこれだけですが、続く4章22節からもそれがわかるように、イエス様がこれ以外の言葉を話されなかったという意味ではありません。
この時にイエス様が選ばれた聖句は(苦難の)主の僕の歌に関連する「イザヤ書」の箇所の一つです。「主の僕」関連の箇所の中で最も有名なのは「イザヤ書」53章です。イザヤは苦しみを受ける「主の僕」がたんに油のみによってではなく御霊によっても油注がれ聖別されたことを述べています。旧約聖書の内容をよく知った上で、ルカが以前の箇所でイエス様の受洗と試練について語っていたことを思い出すと、聖書の福音書理解がはるかに容易になります。イエス様も旧約聖書の出来事を説教の中で次のように引用なさっています。
「よく聞いておきなさい。エリヤの時代に、三年六か月にわたって天が閉じ、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめがいたのに、エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで、ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめにだけつかわされた。また預言者エリシャの時代に、イスラエルには多くのらい病人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた。」
(「ルカによる福音書」4章25〜27節、口語訳)。
ルカはイエス様をめぐる叙述に旧約聖書の内容をとても上手に結びつけています。細部についての理解を逸したくなければ、聖書を急いで読むべきではありません。
ヨセフの息子か、神様の御子か?
イエス様の説教は聴衆を魅了しました。「長い間待望していたメシアがついに現れた」と彼らは賛美しました。しかし彼らにとって躓きになりうる点もありました。それは「ヨセフの息子であるイエスが本当にメシアでありうるのか?」という疑いです。この聴衆の疑問はイエス様の存在をめぐる問題の核心に触れるものです。イエス様は「ヨセフの息子」すなわち単なる人間にすぎないのか、それともマリアの子でもあり神様の御子でもある、すなわち人でも神様でもある存在なのか、という問題です(3章23節も参考になります)。イエス様を人間としか見ることができない者はイエス様の中にこの世の救い主を認めることができません。
イエス様の説教には別の躓きも含まれていました。「ユダヤ人は救われる特権を独占しているわけではない」というイエス様の指摘です。ユダヤ人たちにとってメシアはイスラエルのための救い主でした。ところが神様はこの世に人類全体のための救い主を遣わされたのです。
イエス様は聴衆が御自分を信じようとしなかったことを見てとられました。聴衆はさらなる証拠や不思議な奇跡(しるし)をイエス様から要求しました。しかしイエス様は「医者よ、自分自身をいやせ」ということわざを引いて聴衆の要求を退けました。ここで福音書の読者の中には、十字架につけられたイエス様に対して群衆が投げつけた酷い言葉、「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。」(「マタイによる福音書」27章42節)を思い出す人もいるでしょう。イエス様は旧約聖書に出てくる主の預言者たちが民衆から受けた仕打ちも引用して聴衆に「否!」と言われました。イスラエルが主の預言者たちの伝えようとした神様のメッセージを拒絶したがゆえに、神様は預言者たちを今度は異邦人たちのところへと遣わされたのです。
これは「歴史から人間は何も学ばない」ということを学べる歴史の事例になっています。イエス様の時代のユダヤ人たちは旧約聖書に出てくる主の預言者たちの時代の父祖たちよりも賢くなってはいませんでした。イエス様に起きたことと同様のことがパウロやペテロやその他の使徒たちが福音を宣教した時にも繰り返し起きていたことが「使徒言行録」からわかります。
イエス様が宣教なさった福音は、それを聞いていた民には受け入れられませんでした。それどころか聴衆たちは怒り狂い、イエス様を殺そうとしました。ナザレの近くには町がその上に建っている丘の崖が二つもありました(それらは8メートルと60メートルの高さの崖でした)。イエス様は民衆が欲しがっていた「しるし」をお与えになりました。それは「イエス様が彼らの間を素通りされてナザレを(おそらくは)最終的に見捨てられた」という「しるし」でした。これ以降、イエス様の活動拠点となる町はガリラヤ湖畔の町、カペルナウムに移ることになります(4章31節)。
もうひとつの極端なケース 4章31〜44節
カペルナウムはガリラヤ湖の北岸にあるガリラヤ最大の町でした。今日でもそこには(イエス様の時代よりも少し後の時代の)シナゴーグの廃墟や「ペテロの家」の廃墟を見ることができます。
ナザレの時とまったく同じようなやりかたでカペルナウムでもイエス様の活動が始められたことに注目しましょう。イエス様はシナゴーグで説教なさったのです。しかし今回の聴衆はイエス様の説教を受け入れました。そしてその後で奇跡が起きました。ナザレではイエス様は奇跡を行われませんでした。そこでは誰一人イエス様を信じようとはしなかったからです。ところがカペルナウムではイエス様を信じる人々がいたためにイエス様は奇跡を行われました。奇跡は信仰に続いて起こるものであり、その逆ではありません。
どうしてこのようなちがいがあるのかを説明することはできません。今日でも同じことが起きています。福音を信じて受け入れる人々もいれば信じない人々もいます。
現代人の多くは「自分には教養がある」と思い込み、「悪霊なるものは病気の原因を説明しようとした昔の人々の妄想にすぎず、実際には存在しない」と主張します。しかし昔に戻るまでもなく、例えばアフリカに行ってみるだけでも、悪霊が実在する世界と出会うことになります。
しかしその一方で、別のタイプの極論も避けるべきです。すべての病気が悪魔によるものではないからです。イエス様は病人たちを癒やされましたし、悪霊に憑かれた人々も癒されました(4章40〜41節)。
イエス様は二人の病人を安息日に癒やされました。シモンのしゅうとめの病気が直ちに完治したのです(4章39節)。これは癒しが奇跡であったことを示しています。
「日が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった。」
(「ルカによる福音書」4章40節、口語訳)。
安息日が過ぎてから大勢の病人たちがイエス様の御許に押し寄せてきました。安息日が終わったために人々が再び病人たちを運んだり引き連れてきたりしたからです。しかしイエス様は彼らを集団ごとにではなく一人ずつ癒やされました。これは今日でも覚えておいたほうがよいことです。イエス様は私たちをいつも個人として扱って接してくださるので、全ての人を一様に同じようには癒やされないのです。「皆を同じように癒してくれ」という要求は的外れです。イエス様による個々人の治療には「あえて癒やさない」という処置も含まれているからです!
神様の御言葉を「改善」することはできない
「そして、ユダヤの諸会堂で教を説かれた。」
(「ルカによる福音書」4章44節、口語訳)
ギリシア語原語聖書の写本群の中には上節について「ガリラヤ」と書いてあるものもあります。しかし(量的には後期の写本群よりは少ないものの)初期の写本群には「ユダヤ」と書かれています。このちがいを説明するのは簡単です。ルカはもともと「ユダヤ」と書いたのですが、それを複製した写本者たちの一部はそれをまちがいとみなして彼らの考えかたにとって都合の良い「ガリラヤ」に変更したのです。
なぜルカはガリラヤでの出来事について語っているのにユダヤと書いたのでしょうか。それは「ユダヤ」がユダヤ人の住んでいる全ての地域(ユダヤ、サマリヤ、ガリラヤ)を含む総称でもあったからです(1章5節を参照してください)。
この「ガリラヤ」と「ユダヤ」という小さなちがいからわかることは、神様の御言葉を「改善」すべきではないということです。新しい説明が古くからある説明よりも改悪されていることがあり得るからです。私たちは聖書に含まれている文言自体を変更したいとは考えません。その代わり、文言の意味を新たにより聖書的な解釈を探究するのです。
円環を描きつつ接近してくる
カペルナウムの住民たちはナザレの住民たちとは正反対でした。彼らはイエス様を自分たちのところにずっと引き留めておきたがったのです。
このことも私たちにとって大切な教えと警告を含んでいます。イエス様を自分たちのグループだけの「所有物」にしようとするのは正しくないということです。「我々のグループに入っている者だけが救われるのだ!」と言い張るようなときにはこのような間違いが起きています。誰が救われるのかを決めるのは私たちではなく神様だからです。
しかしこれら二つの町(カペルナウムとナザレ)の住民の考えかたには多くの共通点もありました。両者ともに「イエス様は(私たちだけではなく)全ての人間の救い主でありうるのかどうか?」という同じ問題に悩まされていたという点です。
一般的にみて、様々な異端は互いに似通った特徴をもって教会史の中に繰り返し現れてきました。それは、異端がいつも正しい教えからほど遠い教えであるとはかぎらず、むしろ正しい教えと見分けがつかないほどよく似ていることさえあるという点です。比喩的に言えば、異端と正しい教えとはいつも直線の両端点に対置できるとはかぎらず、むしろそれらふたつの点が円環を描いて互いにほとんど接しているように見える場合もあるのです。まさにそれゆえに「些細な違い」が実に危険なのです。
「しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。」
(「ルカによる福音書」4章43節、口語訳)
上節で再びイエス様はこれから展開される宣教計画を前よりも詳細に踏み込んで開示しておられます。
メシアの秘密
「悪霊も「あなたこそ神の子です」と叫びながら多くの人々から出ていった。しかし、イエスは彼らを戒めて、物を言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスはキリストだと知っていたからである。」
(「ルカによる福音書」4章41節、口語訳)
イエス様による癒しの奇跡をよく見てみると奇妙な特徴に気付かされます。イエス様はユダヤ人住民の地域で病人たちを癒やされるときに「癒しの出来事について他言しないように!」と命じられるのですが、これは必要のない指示ではないかという印象を受けるのです。ところがその一方で、イエス様は異邦人の居住地域で人々を癒やされるときには「癒しの出来事について周りの人々に語っていくように!」と奨励なさるのです(例えば8章39節)。
この違いの理由についてはすでに以前にも少し触れました。ユダヤ人たちはメシアに対する間違った期待を抱いていました。彼らのために民族国家の独立を取り戻してくれるこの世的な支配者としてのメシアを彼らは待望していたのです(特に「ヨハネによる福音書」6章14〜15節を参照してください)。しかしイエス様はそのようなメシアになろうとされませんでした。それゆえにイエス様はユダヤ人居住地域で癒された人々にはこの奇跡について他言しないように命じられたのです。それに対して、そもそもメシア待望をもっていない異邦人(非ユダヤ人)居住地域では同じような危険は存在しなかったのです。