ルカによる福音書1章

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

献呈の言葉 1章1〜4節

直接本題に入るのが普通のユダヤ人の書きかたです(「マタイによる福音書」1章1節、「マルコによる福音書」1章1節)。それとは異なり、ルカはギリシア人の流儀に従い、序文を付してから福音書を書き始めています。

「わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。」
(「ルカによる福音書」1章1〜4節、口語訳)

上掲の箇所はギリシア語原文では全体が一つの文になっています。「ルカによる福音書」のギリシア語は新約聖書の文書の中では言語的に最良のものであり、執筆者の学識の高さを窺わせます。

「ルカによる福音書」の受取手とされる「テオピロ」という人物は誰なのでしょうか。このギリシア名の意味は「神様の友人」です。それゆえ「受取手は個人ではなく「テオピロ」という秘密の名を冠する集団だったのではないか」と考える人々もいます。しかし上掲の最後の部分(4節)はテオピロが一個人であったことを裏付けるような書きかたになっています。「テオピロ」が秘密の名なのか個人名なのかは推定の域を出ません。ともあれ「ルカによる福音書」の受取手について私たちは聖書に書かれている以上のことは知りません。

テオピロが「ルカによる福音書」を広める「出版者」のような存在だったのか、あるいは高位の役職にあるローマ人だったのか、あるいはその両方だったのか、たしかなことは言えません。ルカはこの人物に対して「閣下よ」(ギリシア語で「クラティステ」)という尊称をもって呼びかけています。これは字義通りだと「最強」あるいは「最高」という意味の言葉です。この尊称は新約聖書では他の三つの箇所だけで用いられています。それらは「使徒言行録」23章26節および24章3節(総督ペリクスに対して)と「使徒言行録」26章25節(総督フェストに対して)です。

「ルカによる福音書」のはじめの数節はキリスト教が歴史的な宗教であることを私たちに思い起こさせてくれます。キリスト教は実際に起きた出来事に基づいているのです。「人間は何を感じ何を経験したのか」ではなく「神様が何を歴史の中で行われたのか」ということがキリスト教では重要になります。キリスト教信仰は人間の理性や理解の範疇にその全てが収まるものではありませんが、その一方では、人間の理性や理解力に密接に関わるものであることもたしかです。

ルカは福音書を第二世代のキリスト信仰者たちに向けて書きました。彼らは自分ではイエス様を見たことがありません。しかし彼らと同じように現代の私たちも、当時イエス様の公活動を直で目撃できた人々の証言に「ルカによる福音書」を通して触れることができます(2節)。

洗礼者ヨハネの誕生についての啓示 1章5〜25節

イエス様の誕生について「ルカによる福音書」はイエス様の母親マリアの視点から、「マタイによる福音書」はイエス様の父親ヨセフの視点から書いていると言われることがあります。ルカがパウロ一行の一員としてエルサレムにやって来た西暦50年代に母マリアがまだ生きていたのかどうかは不明です。しかしその時にルカは少なくともイエス様の弟ヤコブとは会っています(「使徒言行録」21章18節)。

イエス様の幼少期の出来事についての記述にはアラム語の影響が見られます。アラム語が属するセム語族に特有の表現が用いられていることからそれがわかります。日本語訳ではこのことははっきり見てとれませんが、例えば1章8節(ギリシア語の「エゲネト」は「(かくかくしかじかのことが)起こった」という意味)や1章20節(ギリシア語の「カイ・イドゥー」は「そして、見よ!」という意味)を挙げることができます。このような原語特有の表現が現代語の流暢さを重視する翻訳で消去されるのは正確な聖書理解の上で問題になると思われます。

イエス様の幼少期についてのルカの記述にセム語の影響がみられるということは、イエス様の誕生についてルカが得た情報が異邦の諸宗教ではなくパレスティナのユダヤ教に由来するものであったことを示唆しています。異邦の諸宗教では神々と人間たちとの間に子どもが生まれるのはめずらしい話ではありませんでした。イエス様の幼少時代をめぐるルカの記述は決して当時の異教的な世界観に適合させるために捏造された作り話などではなく、ヘロデ大王の時代に実際に起きた歴史上の出来事だったのです。ヘロデ大王は紀元前37年から紀元前4年までの間にユダヤの支配者の座にありました。このことからもわかるように、西暦500年代になってようやく確定した「西暦」という暦は本来ならばイエス様の生誕年を元年とするはずでしたが、実際にはそれとは約6〜7年のずれが生じました。

ルカは福音書の記述する出来事が歴史的に真実であることを強調しています。そして彼は神様の活動に付随して起こる超自然的な出来事についても明記しています。超自然的な出来事がない福音は存在しないのです!

エルサレム神殿には当時約二万人の祭司がいました。彼らは24の組に分けられており、アビヤの組は8番目の組でした(1章5節、「歴代志上」24章10節)。

それぞれの組は半年の間に約1週間、神殿で祭司の務めを果たす当番を受け持ちました。主の聖所に入って香をたくこと(1章9節)は祭司にとって一生に一度あるかないかくらいの大いに栄誉ある務めでした。主の聖所に入って香をたく目的は主の民の祈りを神様の御前に差し出すことにありました(「詩篇」141篇2節、「ヨハネの黙示録」5章8節を参照してください)。

香壇は神殿の聖所内にありました。その聖所で香をたいていた祭司ザカリヤの前に主の御使(ガブリエル)が現れたのです。ユダヤ教文献には七名の最も重要な天使たちの名前が挙げられていますが、聖書にはそれらのうちの二名だけが登場します。
1)ウリエル
2)ラファエル
3)ラグエル
4)ミカエル(「ダニエル書」10章13、21節、「ユダの手紙」9節、「ヨハネの黙示録」12章7節)
5)サラキエル
6)ガブリエル(「ダニエル書」8章16節および9章21節)
7)レミエル

ヘブライ語でガブリエルの名は「主は(私の)英雄なり」あるいは「偉大なる神の男」といった意味を持ち、ザカリヤの名は「主は覚えられる」、エリサベツの名は「神様は言われた」、ヨハネの名は「神様は憐れみ深い」という意味になります。

400年もの間、預言者不在の暗黒時代が続きましたが、それが今や終わろうとしていること、ザカリヤとエリサベツが授かることになる息子は預言者でもありナジル人でもあることをガブリエルは告げました(「民数記」6章1〜12節を参照してください。旧約聖書の最も有名なナジル人たちはサムソン(「士師記」13章4〜7節)とサムエル(「サムエル記上」1章11節)です)。

ガブリエルは「恐れるな、ザカリヤよ、」(1章13節より)という言葉でザカリヤに話しかけます。聖なる神様が間近に臨在するのは人間にとって恐ろしい出来事ですが、人が救われるためには必要不可欠なことでもあります。神様から離脱する者たちは永遠の地獄に落ちることになるからです。ザカリヤとエリサベツの息子として生まれる洗礼者ヨハネに賦与された使命とは、神様の御許へと民を呼び戻して、来るべきメシアのために道を備えることでした(1章17節)。

当時の祭司たちも神様に信頼を置いていませんでした。「ルカによる福音書」と「使徒言行録」での後の記述からそれが明らかになります。主の御使の言うことを信じられなかったザカリヤは御使からひとつのしるしを与えられます。

「時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたはものが言えない人になり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる。」 (「ルカによる福音書」1章20節、口語訳に若干の変更を加えました)

主の御使の言った通りにザカリヤはものが言えなくなり、祭司としての大事な務であったにもかかわらず、神殿に集まった民に「主の祝福」(「民数記」6章24〜26節)を宣言することができなくなってしまいました。

エリサベツは自分の妊娠が外見からもわかるようになってからようやく人前に姿を見せました(1章25節)。以前ならばエリサベツが妊娠したとは誰も信じようとしなかったことでしょう。

救い主の誕生についての啓示 1章26〜38節

当時ユダヤ人の少女たちは若ければ12歳には婚約するのが普通でした。新郎新婦が別々に住んでいた場合であっても、婚約は法的にみて結婚と同等のものとみなされました。

「ルカによる福音書」は現在使用されている教会の暦に影響を与えました。聖ヨハネ祭からクリスマスまでは6ヶ月の間隔があることにもそれが表れています(1章13節)。

「御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。」
(「ルカによる福音書」1章28節、口語訳)

ローマ・カトリック教会の「アヴェマリア」という挨拶(あるいは祈り)は上節の御使たちの挨拶に由来しています。

マリアもガブリエルの来訪に驚きました。しかし彼女は疑ったのではなく(1章45節からそれがわかります)、不思議に思っただけでした。神様の御意思に従うこと(1章38節)は侮蔑(「ヨハネによる福音書」8章41節、「マルコによる福音書」6章3節)や、死刑の判決を受ける危険(「申命記」22章23〜24節)さえも意味していました。婚外出産の子どもやその母親の立場は当時のユダヤ社会と今の西欧社会ではまったく異なるものでした。

「いと高き者の力がマリアをおおうこと」(1章35節)ことは、旧約聖書で「雲の柱」にイスラエルの民がおおわれて荒野を歩んだことを想起させます。「雲の柱」は神様の間近な臨在を表すものでした(「出エジプト記」13章20〜22節)。イエス様の誕生は神様による奇跡です。私たち人間にはそれを説明したり理解したりすることができません。イエス様の誕生に対応する旧約聖書にある唯一の予型(すなわち、イエス様によって実現する未来を予め示唆する旧約聖書の出来事)はアダムの創造です(「コリントの信徒への第一の手紙」15章20〜24節)。

「イエス」という名はヘブライ語では「イェホシュア」といい旧約聖書の「ヨシュア」と同形であり、「主は助けである」とか「主は救い主である」という意味があります。

マリアはエリサベツの親族でした(1章36節)。彼女はレビ人(祭司の一族)だったのです。このようにしてイエス様はマリアを通して王家の者でもあり祭司の一族でもあったことになります。

イエス様が処女からお生まれになったこと(「処女懐胎」)を否定しようとする人々は「それではイエス様が神様になったのはいつからなのか?」という質問に納得のいく答えを用意しなければならなくなります。もしもイエス様が受胎の瞬間から神様ではなかったとするならば、神様になったのはいつからなのかが問題になってくるからです。キリスト教会はごく初期の段階から「イエス様は神様の養子になった」と主張する種々の誤ったキリスト論(「養子論」)を異端として退けてきました。

マリアのエリサベツ訪問 1章39〜45節

ガリラヤからエルサレムへの旅は徒歩でおよそ三日間かかりました。エリサベツがどこに住んでいたのか、聖書は何も述べていません。かなり後の時代の教会の伝承によれば、それはエルサレムの西方6キロメートルに位置していた「エン・カリム」という場所であったとされます。当時の祭司の大多数はエルサレム以外の地に住んでおり、年に二度だけ特定の一週間の務めの時にエルサレムにやって来たということが知られていますが、それが歴史的にも正しかったことを「ルカによる福音書」1章23節は証しています。

「主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。」 (「ルカによる福音書」1章43節)

このエリサベツの証にも注目してください。「マリアは神様(ギリシア語原文では「私の主」)の母である」という証です。これはイエス様が受胎の瞬間からずっと神様であられたことを証しているのです。

そしてマリアは女たちの中で最も祝福された者でもありました(1章42節)。

マグニフィカト(「マリアの讃歌」) 1章46〜56節

この箇所は「マグニフィカト」あるいは「マリアの讃歌」と呼ばれる有名な箇所であり、多くの讃美歌作者に新しい歌を生み出すインスピレーションを与え続けてきました。「マグニフィカト」(Magnificat)はラテン語版聖書ウルガタのこの箇所の冒頭にある言葉であり、「彼女(あるいは彼)は賛美する」という意味です。

宗教改革者マルティン・ルターも西暦1521年にマグニフィカト(「マリアの讃歌」)ついての解説書を書いています。

マグニフィカト(「マリアの讃歌」)は「ルカによる福音書」に記されているイエス様の幼少時代の出来事をめぐる四つの讃歌のうちの最初のものです。これら四つの讃歌にはすべてラテン語名がついています。それらはウルガタでのそれぞれの箇所の冒頭の言葉から取られています。

1章68〜79節 ザカリヤの讃歌、Benedictus(「祝福された者」)
2章14節 御使たちの賛美、Gloria in Excelsis Deo(「高き所に神様への栄光がありますように」)
シメオンの讃歌、Nunc Dimittis(今あなたは(私を)去らせてくださいます)

これら四つの讃歌は瞬く間にキリスト信仰者の信仰生活において次のように大切な位置を占めるようになりました。

1)Magnificat 夕べの祈り(vesper)において
2)Benedictus 朝の祈り(laudes)において
3)Nunc Dimittis 1日の終わりの祈りの時(kompletorium)において
4)Gloria in Excelsis Deo 礼拝の式文において

マリアの讃歌はルカに典型的にみられる「貧者の信仰深さ」を表しています。神様は貧者や下層者を選ばれ、富者を捨てられます(「マタイによる福音書」5章3節の「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」というイエス様の言葉も参照してください)。

「主はみ腕をもって力をふるい、 心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、 権力ある者を王座から引きおろし、 卑しい者を引き上げ、 飢えている者を良いもので飽かせ、 富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。」
(「ルカによる福音書」1章51〜53節、口語訳)

上掲の箇所における「時制」は驚くべきものです。動詞はすべて未来形になっているのに、マリアは救いの御業があたかもすでに実現したかのように神様を賛美しているからです。神様の御計画が成就することは全く確実なので、それについてあたかもすでに実現した真実であるかのように語ることができるということなのです。

「わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを とこしえにあわれむと約束なさったとおりに。」
(「ルカによる福音書」1章55節、口語訳)

旧約聖書の主要な登場人物であるアブラハムは「ルカによる福音書」と「使徒言行録」で合わせて22回もその名が出てきます。しかしこれは意外なことではありません。アブラハムは信仰者の始祖とも言える存在だからです(「ヨハネによる福音書」8章39節、「ローマの信徒への手紙」4章1〜12節を参照してください)。

また旧約聖書にある讃歌の中で「マリアの讃歌」に最も似ていると思われるのは「ハンナの讃歌」です(「サムエル記上」2章1〜10節)。

なお「マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。」(「ルカによる福音書」1章56節)という記述からはマリアがエリサベツの出産の時にエリサベツのもとにいたのかどうかはわかりません。

洗礼者ヨハネの誕生 1章57〜66節

ルカは洗礼者ヨハネの誕生については特に何も記していませんが、割礼や命名の由来については詳細に語っています。大昔のユダヤ人たちは子どもが生まれるとすぐに命名しましたが、後の時代には割礼の時すなわち誕生して八日目に男の子に名前を授けるやりかたが一般化しました(「レビ記」12章3節)。実は「ルカによる福音書」の記述(1章59節、2章21節)が、現在残っている文献の中でこのような子どもの名付けの時期の変遷について記している最初のケースになります。

一般的にユダヤ人の男の子には父親ではなく祖父の名前を与える習わしがありました(「マタイによる福音書」10章2節のゼベダイの息子たちのケースも参考になります)。

御使ガブリエルはすでにこの子にヨハネという名を与えていました(1章13節)。人々がザカリヤに「合図で尋ねた」(1章62節)のは、ザカリヤが耳も聴こえず話すこともできない状態にあったからか(1章22節の表現はそれを示唆しています)、あるいは一般的に(私たちも同様ですが)口の聞けない人は耳も聞こえないだろうと考えられがちであるからかのどちらかでしょう。

「ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。」
(「ルカによる福音書」1章63〜64節、口語訳)

ザカリヤがもってこさせた「書板」は棒切れで書き込むことができるワックスの塗られた板でした。書いた文字はワックスを再び板の上に延ばして塗ることで消すことができました。

次の引用からわかるように、割礼は旧約聖書で洗礼の予型の一つとなっています。

「あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。」
(「コロサイの信徒への手紙」2章11〜12節、口語訳)。

ザカリヤの讃歌 1章67〜80節

「父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、」
(「ルカによる福音書」1章67節、口語訳)

上節のように「ルカによる福音書」は聖霊様による御業に多くの箇所で言及しています。

「幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。 主のみまえに先立って行き、その道を備え、罪のゆるしによる救を その民に知らせるのであるから。」
(「ルカによる福音書」1章76〜77節、口語訳)

父ザカリヤからの洗礼者ヨハネに対する語りかけ(「幼な子よ」)であるこの箇所からも、イエス様がはじめから神様(「主」)と認知されていたことがわかります。

私たちにとって「預言」(1章67節)とは、これから未来に起こることへの「予言」という意味に限定して理解されることが多いですが、聖書の「預言」には、過去、現在、未来という三つの次元があります。これはザカリヤの讃歌にもあてはまります。

この讃歌からは当時のユダヤ人たちがこの世的な意味でのメシアを熱心に待ち望んでいたことが伝わってきます(1章69、71、74節)。しかしイエス様の十字架の死と復活の後ではこのような讃歌が書かれることはなかったでしょう。この点については後ほど「ルカによる福音書」の最終章で再び取り上げることにします。

またザカリヤの讃歌は初代のキリスト信仰者たちにとっての「聖書」が旧約聖書であったこと(「ペテロの第二の手紙」1章19〜21節)やキリスト教信仰が旧約聖書に啓示された事柄に基づいていることを想起させます。

「幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。」
(「ルカによる福音書」1章80節、口語訳)

すでに高齢であったザカリヤとエリサベツは息子のヨハネが生まれた後まもなく死去したと思われます。孤児になったヨハネをエッセネ派が養子にしたのではないかという仮説もあります。当時俗世から離れて荒野で禁欲的な共同生活を営むユダヤ教の分派であったエッセネ派にはそのような慣習があったことが知られているからです。またヨハネが荒野に留まって生活したのは孤独の中に身を置いて神様から教えを受けていたからであると考えることもできます(上節および3章2節)。