マルコによる福音書2章1~3章6節 あなたの罪は赦されます

フィンランド語原版執筆者: 
エルッキ・コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

イエス様の権威の大きさ 2章1~12節

 すでに1章で、私たちはイエス様の権威をめぐる問題に遭遇しました。イエス様はどうして病人を癒すことができたのでしょうか?イエス様はどのようにしてサタンの不遜をくじき、汚れた霊を追い払うことができたのでしょうか?2章のはじめでは、この問題がさらに追求されます。

イエス様は再びカペルナウムで教えておられました。イエス様のおられた家の周りには多くの人々が集まりました。家の中にはもはや余地がなく、入り口に近づくことさえかないません。困り果てたある人たちは極端な行動に出ました。当時の家の建物の屋根はとてもこわれやすいものでした。それを利用して、イエス様の頭上で突然何かが起こりはじめました。屋根がはがされ、そこに開けられた穴からイエス様のいるところへと、身体の麻痺した人がつり下ろされてきたのです。イエス様はすぐにその男の人に「罪の赦し」を宣言しました。その場に居合わせた律法学者たちにとって、これは認めがたいことでした。「ただ神のみが罪を赦すことができる。もしも人間が「罪の赦し」を宣言するならば、それは神を冒涜する行為だ」、というわけです。イエス様は律法学者たちの心中を読み取り、それに対して、ひとつの質問を彼らに投げかけて応答なさいました。とはいえイエス様は、彼らから質問の答えを期待していたわけではありません。「この世では大言壮語がまかり通っているが、それに伴う偉大な業がなされることはほとんどない」、とイエス様は言われたかったのではないでしょうか。イエス様が身体の麻痺した人を立ち上がらせ、健康にして自分の家に帰らせたときには、その場に居合わせた人皆がさらに大きな驚嘆に包まれました。

 このようにイエス様の権威は、人々の心に次のような疑問を投げかけたのです。 「ただ神のみが罪を赦すことができる。ただ神のみが身体の麻痺した人を癒すことができる。もしもイエスが勝手に罪の赦しを宣言することで神を侮辱したのだったら、病人はどうして実際に癒されたのだろう?御自分を侮辱する者が大きな奇跡を行うのを神が許すはずがないではないか。しかし、もしもイエスが神の権威によって人の罪を赦したのであれば、このイエスという者はいったい何者なのだろうか?」

 「マルコによる福音書」では、「人の子」という言葉がこの箇所ではじめて登場します。新約聖書でこの言葉は、イエス様のみを指す言葉として用いられています。しかもほとんどの場合、イエス様御自身がそれを口にされています。この言葉をイエス様以外の者が用いる例は、ステファノ(「使徒言行録」7章56節)と、不思議そうに尋ねるユダヤ人たち(「ヨハネによる福音書」12章34節)くらいしか見当たりません。「人の子」という言葉の歴史的な背景には、「ダニエル書」にある「天からやって来る大いなる支配者」への言及が関係しています。この「支配者」は、神様がお立てになった者としてすべての国民をたゆまずに支配している、とされます(「ダニエル書」7章13~14節)。

お金を捨てた取税人 2章13~17節

 ライ病を患う人の他にも、社会組織から疎外されていたグループがありました。たとえば、当時のユダヤ民族を武力で鎮圧した支配者層と密接な関係にあった人々です。なかでも一般のユダヤ人から嫌われていたのは、「取税人」と呼ばれる人々でした。彼らは、ユダヤ人から税金を取り立ててローマ帝国に納めさせる仲介業を営むユダヤ人でした。当時のローマ人は、税金を取り立てるための過酷で単純なシステムを持っていました。どの属州で誰が税金を徴収するかを決めるためにローマで競札が行われ、競りに勝った者が国に一定の金額を支払い、自らの担当する属州から私益を吸い上げる、というやりかたです。もちろん彼らは、自らが方々の町や村に出かけていくような真似はせず、代行として仲介業者を大勢採用して税金を徴収する権利を貸与しました。この徴税システムでは、その各段階における担当者が本来の税金に不当に加算した額を要求し、ユダヤの民から私益をせしめました。このシステムの末端で働いていたのが、町や村で汚職を行った「取税人」と呼ばれるユダヤ人たちです。彼らの不当な税金の取り立て方が問題視されることは、まずありませんでした。そのため、取税人のグループは他のユダヤ人たちから嫌悪されていたのです。

他方、この取税人とはまったく異なるタイプのグループを形成していたのが「ファリサイ人(あるいは、ファリサイ派)」と呼ばれる人々です。高度に組織化された厳しい規律の枠組みの中で生活を送ったこのグループは、神様がモーセに授けられた律法の厳格な遵守実行を信仰生活の要としていました。ファリサイ派は祭司階級や教養人階層から輩出しましたが、次第にあらゆる階層のユダヤ人たちから強い支持を受けるようになっていきました。このグループの目標は、全国民をモーセの律法に従わせることでした。彼らは律法に詳細な注釈を施し、「神様の命令を柵によって守る」ことを、すなわち神聖な戒めを破るわずかな危険さえも回避することを追求しました。ファリサイ派は細目にわたる規則を定め、知悉し、教えを広めました。その結果、彼らは宗教的に傲慢になり一般の人々を見下しました。また、ファリサイ派のようには細かい規則を知らず守れない人々は、神様に対して深い罪悪感を覚えるようになりました。

一般的なキリスト信仰者は、ファリサイ人に対してとても否定的な印象をもっています。そのために、彼らについて聖書が提示するイメージの全体を考えようとしません。神殿祭司からなるエリート階級であったサドカイ派など他のグループとは異なり、ファリサイ派の人々はイエス様を侮蔑して遠ざけたりはしませんでした。イエス様はファリサイ人の家の食事会に招待されてさえいます(「ルカによる福音書」7章36~50節)。彼らはイエス様との宗教的な対話を続けました。そのなかにはニコデモのように、人目を避けて夜ひそかに行われた問答もあったことでしょう(「ヨハネによる福音書」3章)。しかし他方では、彼らはイエス様と激しい議論を交わすこともありました。イエス様の復活の後で、何千人ものファリサイ人たちが、「イエス様こそがキリストであった」、と確信したのは間違いありません(「使徒言行録」15章5節、21章20節)。たしかにイエス様はファリサイ人たちの偽善的な面を厳しく批判して、「ファリサイ派の義は神様の御前では十分ではない」、と言われました(「マタイによる福音書」5章20節)。しかし、神様の真理を聴いて学ぼうとする私たちキリスト信仰者の姿勢が、当時のファリサイ派の人々の宗教的な熱心さにはとうてい及ぶものではないことも明らかでしょう。

 イエス様は取税人レビを他の人々と同様に弟子として召されました。するとレビは、それまで座っていた商売机を放り出して、イエス様に従いました。新弟子レビは盛大な祝会を催し、そこに友人たちを招待しました。取税人が多く集まっているこの祝会には、ふだんは神様についてまったく関心を持たない人々も参加していました。このようにして生じた構図は奇妙なものでした。イエス様はその夕べを、当地で最も悪名高い「罪人たち」と共に過ごしたことになるからです。イエス様のこの非常識な行動を苦々しく思ったファリサイ人たちに対して、イエス様は、「医者が要るのは健康な者ではなく、病人です」、と短くお答えになりました。イエス様がお召しになるのは、罪のない人ではなく、罪深い者なのです。

新しい信仰、新しい習慣 2章18~22節

 ユダヤ人たちにとって断食は、信仰生活の中心的な位置を占める大切な宗教的行為でした。断食は、罪の告白や祈りや貧しい人の援助などと並行して実行されました。断食のやりかたや習慣については、それぞれユダヤ人のグループによってかなりのばらつきがありました。他方、イエス様とその弟子たちはそもそも断食しませんでした。このことは、周囲の一部の人々の注目を集めました。

 断食について人々の質問を受けたイエス様の答えは、次のように要約できるでしょう。 「古い部分と新しい部分を集めて、それらを一緒に結び合わせることはできません。古い服を新しい布によって修繕はできないし、新しいぶどう酒を古い皮袋に注ぎ入れることはできません」。断食の問題を解く鍵は、「イエス様が共におられる」という点にあります。イエス様が「御自分に属する者たち」と共におられるとき、実は彼らは祝会の席に連なっています。そして、お祝いの最中に断食などは行わないものです。ところがイエス様が共におられない場合には、置かれた状況がまったく異なるので、人は断食することになります。

安息日を破るふたつの犯罪? 2章23節~3章6節

 イエス様がこの世で生活されていた時代に一般的に最もよく知られていたユダヤ人の宗教的な目印は、割礼(1)であり、安息日の遵守でした。モーセの律法によれば、安息日(今のカレンダーでほぼ土曜日にあたる日)は「休みの日」です。宗教的に特別なこの日を、仕事をすることで破って汚してはいけないのです。安息日規定をめぐり、安息日に行ってよいことといけないことに関して様々な解釈が生まれました。前述したようにこれらの解釈の背景には、神様の律法を破らないよう極度に細心の注意を払う、という姿勢があります。今取り上げている福音書の箇所で、イエス様は安息日規定に関する二つの主要な解釈に反して活動したため、律法学者の怒りを買うことになりました。

 この箇所の前半が記述しているように、ある安息日にイエス様の弟子たちは麦畑を通り過ぎた際に、麦の穂をつんで手でもみ、実を食べて飢えをしのぎました。この行為は決して「盗み」ではなかったものの(「申命記」23章25節)、安息日になされた仕事として解釈される行いでした。先生は生徒たちの行動について最終的な責任を取るものです。それゆえ、ファリサイ人たちはイエス様に直接くってかかりました。イエス様は旧約聖書の一例をもちだして(「サムエル記上」21章)、律法の目的をより普遍的に教えました。

「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではありません。休みの日は、ふつうの場合でも、神様から人々への賜物なのであって、人を束縛する手かせ足かせなどではありません。さらに言えば、人の子は安息日の主なのです。」 イエス様を安息日律法の違反者として責めたとき、実は律法学者たちは「神の領域」に足を踏み入れるという「越権行為」を犯していたのです。

 この箇所の後半は、病人の癒しについて語っています。「癒し」もまた安息日での仕事と解釈されるべきものでした。「今度イエスは何をしでかすつもりか」、と周囲にいた人々が厳しい視線を向けていたのはそのためです。伝統的なユダヤ人のやりかたに従ってイエス様は、ファリサイ派とヘロデ党の人々に対して直接教えはじめる代わりに「質問」を投げかけました。返答があまりにも難しい質問だったため、彼らは黙っていました。彼らの反応を見届けた後で、イエス様は病人を癒されました。そして安息日での癒しの行為が我が身に招く結果をいっさい気になさいませんでした。病人の癒しの出来事を通じて、ファリサイ人たちの怒りが次第につのりはじめました。この怒りが、最終的にはイエス様の十字架刑につながっていきます。その意味で、「マルコによる福音書」はイエス様の死をすでにここで予告しているとも言えます。この福音書が「長大な序章を備えた(イエス様の)受難史」であるといわれるのは、このためでもあります。


(1) 割礼(かつれい)とは、男子の性器の包皮を切除することです。創世記17章9-14節には、アブラハムと神様との間の永遠の契約として、男子には生まれてから8日目に割礼を行うべきことが記されています。


聖書の引用箇所は以下の原語聖書をもとに高木が訳出しました。
Novum Testamentum Graece et Latine. (27. Auflage. 1994. Nestle-Aland. Deutsche Bibelgesellschaft. Stuttgart.)
Biblia Hebraica Stuttgartensia. (Dritte, verbesserte Auflage. 1987. Deutsche Bibelgesellschaft. Stuttgart.)