マルコによる福音書1章 時は満ちた
福音書の見出し 1章1節
「マルコによる福音書」は、当時としてはめずらしい単純なやりかたで始まります。福音書の最初の節は、同時に福音書全体の見出しにもなっています。そこでは、キリストの死と復活の時にようやくあきらかにされるべく想像の余地を残して伏せられていたことがらが、直接に語られているのです。それは、ナザレ人イエスがキリストであり神様の御子でもある、ということです。福音書の目的は、キリストの福音、喜ばしきメッセージについて語ることです。
「福音」という言葉にはたくさんの意味があります。私たちは、「マルコによる福音書」とか「マタイによる福音書」などという表現に慣れています。しかし、本当の福音はただひとつであり、神様から人々へのメッセージなのです。新約聖書で福音は、マタイ、マルコ、ルカやヨハネによって語られています。それぞれの福音書の視点は互いに異なっていますが、すべてには共通したメッセージがあります。福音とは、罪深い者である人間たち宛ての神様からの喜びの便りである、ということです。
洗礼者ヨハネの説教 1章2~8節
新約聖書の魅力的な登場人物たちの中でも、洗礼者ヨハネは見る者の目を釘付けにするような存在です。ヨハネの容姿も説教も、旧約聖書の預言者たち、とりわけエリヤを思い起こさせます。洗礼者ヨハネの生活は、厳しい節制と質素に貫かれていました。そして、このような生活を送っている者にふさわしく、彼の説教もまた厳しさにみなぎっていました。その説教は大勢の民衆をひきつけました。洗礼者ヨハネについては、福音書記者のほかにも、当時のユダヤ人歴史家ヨセフスが書き記しています。イエス様の多くの弟子たちが元々はヨハネの弟子であったことを、私たちは知っています。また、ヨハネの弟子たちは後にキリスト教会と競合するようなグループを形成し、「洗礼者ヨハネこそが来るべきキリストであった」と信じていたことも、知られています。
「マルコによる福音書」は他の福音書と同様、ヨハネ自身にはさほど注意を払わずに、むしろヨハネがキリストの先駆者であり、新約と旧約の間のつながりを示している点に注目しています。イエス様の活動は、旧約聖書以来語られてきた神様のみわざがここで新しい局面に入ったことを、意味していました。これを如実に示しているのが、ヨハネの登場です。彼は「イザヤ書」(40章3節)や「マラキ書」(3章1節)が預言した「偉大なる主の到来を告げる使者」なのです。神様が約束された救いのみわざは、ヨハネの活動をもって実現し始めました。ヨハネの宣教は厳しい悔い改めの説教でした。それに心動かされて、人々は自らの罪を告白し、その証印として洗礼を受けました。ヨハネの洗礼は罪の赦しを保証するものではなく、父と子と聖霊の御名によるものでもありませんでした。それは罪の告白であり、神様の憐れみに信頼して御手に自分をゆだねることでした。一方で当時の人々は、神様がこの世の出来事に対して革新的なやりかたで参入して事態を改善してくださることも願っていました。
イエス様の受洗と試練 1章9~12節
マルコは、イエス様がヨハネから洗礼を受けた後に遭遇した試練について、さりげない口調で語っています。考えてみれば、イエス様が洗礼を受けたのは非常に不思議な出来事でもあります。ヨハネの洗礼は、受洗者が罪を告白し神様の裁きの下に服することを意味していたからです。他の福音書は、ヨハネはイエス様が彼から洗礼を受けようとするのを妨げようとした様子を伝えています。ともかくも、イエス様が洗礼を受けられた瞬間に、決定的に新しい何かが起こりました。天が大きく開いて聖霊様が鳩のようにイエス様の上に降られ、神様の御声が皆の前で証して「あなたは私の愛する子、あなたは私の心に適っている」という御言葉を告げたのでした。すでにこの段階で、「マルコによる福音書」の読者は、当時その場に居合わせた人々が思い惑い、後世の人々の間でも意見が分かれることになる事柄を知ることができます。それは、「イエス様は、たんなる人間ではなく神様の御子であり、神様の権威に基づいて御父から委ねられた使命を成就するためにこの世に来られた」、という真理です。
初期のキリスト教会の中には、「イエスは、はじめから神の子だったのではなく、神が彼を受洗の時に「養子」としたのだ」と教える者たちがいました。この聖書の箇所について、今でもこうした説明を支持する聖書学者がたくさんいます。しかし、直接聖書に書かれていないことを聖書から無理やり深読みするべきではありません。一方では、「ヨハネによる福音書」の1章には、キリストは時の始まる前からすでに存在しておられたことが語られています。つまり「キリスト養子説」に対しては、それを否定する聖書の御言葉がはっきり存在している、ということです。
「イエス様の受洗」の大切な点は、神様の御子が神様の面前で罪の告白をなさったということです。「唯一の罪なきお方である神様の御子が、ヨハネから受けた洗礼において、私たちの罪の重荷を御自分の上に担い、それと同時に、私たちの罪過の責任を代わりに引き受けてくださった」、と私たちキリスト信仰者は信じています。ここに福音の核心があります。すなわち、罪のないお方が罪人となられ、罪深い存在である人間がこのお方のゆえに罪のない存在になるのです。
イエス様の試練については、「マタイによる福音書」や「ルカによる福音書」の中で詳述されています。神様の多くの恵みの約束はまさしく「荒野」に関係があり(「イザヤ書」35章がその一例です)、イエス様の受けられた40日間の試練の期間は、明らかにイスラエルの民の40年間にわたる荒野での旅と対照をなしています。たとえば、イスラエルの民は荒野の試みに負けましたが、それとは反対に、イエス様は御父様に対して忠実を貫かれたのです。
福音の始動 1章14~15節
ヘロデ王は洗礼者ヨハネを投獄し、しばらく後に殺させました(6章14~29節)。しかしそのようなことによっては、神様の御声を沈黙させることはできません。ヨハネが死して黙すると、今度はイエス様がかわりに活動を始められたのです。イエス様の教えの中には、人々を悔い改めへと導こうとする旧約聖書の預言者たちのメッセージが響いています。しかしそこにはまた、今までの預言者とはまったく異なる新しい面もあらわれています。それは、「今や神様の時は満ちた」、という点です。まもなく神様は一切を刷新するべく公けに活動なさる、というのです。神様の御国はもう間近に迫って来ており、今までの長い「待機時間」がようやく終わろうとしています。この「時が満ちる」というメッセージは、何百年もの間イスラエルの人々が待ち続けていた希望にかかわるものです。旧約聖書の預言者たちは敢然と人々の前に現れて、来たるべきキリストと主の御国にかかわる神様の約束を伝えました。とうとうその約束が実現する時が来たのです。当時の人々にとって、イエス様の説教がどれほど力強く響き、豊かな内容に満ちたものだったかは、現代の私たちの理解を超えるものです。
最初の弟子たち 1章16~20節
イエス様はこの世での人生の大部分をガリラヤで過ごし活動されました。またそこで最初の弟子たちを召されました。イエス様が御自分に従うよう人々を率直にお招きになる様子を、福音は活写しています。弟子となった人たちは、漁師という自分の職業をその場で捨てて、自分の網を他の人に譲りました。神様の御子としてのイエス様の人柄には、弟子たちを共に引き連れて行動に導くような、名状しがたい特別な何かがあったのでしょう。こうして、ペテロやアンデレ、またヤコブとヨハネは、イエス様と共に出発したのでした。彼らはイエス様に最も近しい弟子として、後世の教会が賞賛し模範とするような「召し」を受けたのです。12人の使徒たちには、すべての弟子たちの中でも明らかに特別な地位が与えられていました。
カペルナウムでのイエス様 1章21~28節
ガリラヤ地方のカペルナウムという町のシナゴーグ(ユダヤ人の集会堂)でイエス様は、「マルコによる福音書」が記す最初の奇跡、「しるしのみわざ」を行われました。当時のユダヤ人の唯一の神殿はエルサレムにありました。神様に犠牲を捧げることはその場所でのみ許されていました。エルサレム神殿以外では、各地に多くのシナゴーグが建てられて、そこでは安息日ごとに「律法と預言者」(旧約聖書のことです)が朗読されました。礼拝ではユダヤ人男性には、聖書の箇所を読みその内容を説明することが許されていました。カペルナウムのシナゴーグを訪れたイエス様は、このユダヤ人の慣習を活用なさいました。イエス様の説教は、聴衆を驚嘆させました。それは律法学者たちの教えとはまったく異なる本物の「権威」に満ちていたからです。イエス様が律法学者の伝統に従っていないことは、聞き手たちにとっては明らかでした。そこに居合わせた人々をさらに驚かせたのは、説教と関連してもう一つの「権威」が示された時でした。すなわち、イエス様は人から汚れた霊を追い出されたのです。
「汚れた霊」、すなわちデーモンを人から追い出すという記述は、遅くとも紀元前200年前頃にはユダヤ教文献の中に見られるようになります。汚れた霊は、神様の敵サタンが人の中に送り込んだものです。イエス様がこの世で生きておられた時代には、職業として世の諸霊を操る者たちが大勢いました。彼らの大部分はユダヤ人であり、ギリシア人やローマ人はあまりいませんでした。彼らはその秘術によって、ローマの支配階級の人々、たとえば、後に皇帝となるティトゥス・ウェスパシアヌスやその部下たちを驚愕させました。
イエス様が汚れた霊に取り付かれた男と出会ったとき、強力なせめぎ合いが起きましたが、イエス様は御自分の真の姿を見抜いたデーモンを沈黙させました。デーモンはイエス様の厳命に従うことを余儀なくされ、さらに驚くべきことには、今まで憑依していた男から出て行かざるを得なくなりました。神様の御子としてのイエス様の権威が福音をもたらしたのです。イエス様の力ある説教、とりわけデーモンの追い出しに、それが反映されています。人は自らの力によっては、サタンを軽蔑することもそれに反抗することもできません。それができるのは神様のみだからです。イエス様が「デーモンと戦う」という大胆な行為をなさったのは、どうしてなのでしょうか。また、デーモンがイエス様に敗北して二番手に甘んじたのは、なぜなのでしょうか。その答えはひとつだけです。イエス様は神様の権威に基づいて活動なさった、ということです。この出来事を通じて、イエス様の評判はガリラヤ全体に広まったのでした。
病人の癒し 1章29~34節
イエス様の権威には「病人の癒し」という出来事もかかわってきます。シモン(ペテロのこと)の舅やほかの多くの病人は、イエス様こそがまことの主によって天から派遣されたお方であり、父なる神様の代行者として永遠の命を人々に賜る神様の御子である、という事実を目の当たりにしました。ここでもまたデーモンは、イエス様の本質について周囲に言いふらすことを禁じられました。この奇妙な出来事は、いわゆる「メシアの秘密」と呼ばれるテーマに関係しています。これについては序を参照してください。
「イエス運動」の拡大 1章35~39節
イエス様のたった一日の活動によって、カペルナウムは騒然となりました。皆がイエス様を捜し求めましたが、徒労に終わりました。イエス様は祈るために孤独な場所に退かれたからです。ようやく弟子たちがイエス様を見つけたときには、イエス様は彼らを隣村に連れ出して、そこでも福音を告げ知らせました。それによって悪霊は退き、病人は癒されました。このようにして、「神様の火」が順次その地方一帯に燃え広がって行ったのです。
「神様の火」が灯った最初の場所がガリラヤ地方の小さな町や村であったのは、注目に値します。まだこの段階では、ガリラヤの大きな中心部でも、もちろんユダヤでも、イエス様は宣教してはおられませんでした。
ライ病人の清め 1章40~45節
イエス様の時代のパレスティナ地方には、社会組織の外部に追いやられた人々がいました。私たちは「マルコによる福音書」を通して、このような人々の様々なグループに出会うことになります。
そのうちのひとつは、ライ病人のグループです。当時ライ病はやっかいな不治の皮膚病とみなされていました。この病気に罹った者は他から隔離され、追放されました。後代のユダヤ教のラビたちの教えを調べてみると、この追放は徹底したものであったことがわかります。ライ病人に石を投げつける、という手段が行使される場合さえありました。「人は何らかの罪を犯した結果、ライ病に罹るのだ」、と一般の人々は考えました。その罪とはたとえば、「高慢な目、嘘をつく舌、罪のない者の血を流させる手、神様をないがしろにしたひどい考えを好む心、悪い行いへと急ぐ足、証人の立場にありながら恥知らずな嘘をつくこと、兄弟の間に怒りの火を掻き立てること」、といった罪のことです。
イエス様はライ病の男をごらんになり癒しを行われました。こうすることによって、「病人は他の人々と比べてより罪深くまた侮蔑に価する存在である」、という当時の一般的なユダヤ人の考えを斥けたのです。「この癒しについては誰にも話してはいけない」、という絶対的な禁止命令が、この箇所にも出てきます。またしても「メシアの秘密」です!ところが、癒された男性はイエス様の命令を無視して、イエス様のなさった奇跡について周囲に話して回りました。その後イエス様は、町々の狭い道端での活動を中止して、いろいろなところから人がご自分のところに来やすいようにと、荒野に留まるようになりました。
聖書の引用箇所は以下の原語聖書をもとに高木が訳出しました。
Novum Testamentum Graece et Latine. (27. Auflage. 1994. Nestle-Aland. Deutsche Bibelgesellschaft. Stuttgart.)
Biblia Hebraica Stuttgartensia. (Dritte, verbesserte Auflage. 1987. Deutsche Bibelgesellschaft. Stuttgart.)