マルコによる福音書7章 人間の規則か、それとも神様の御言葉か
反対、そして食い違う意見 7章1~13節
6章の終わりで私たちは、イエス様の周りに出入りする人が次第に増えていくのを見ました。ともすると忘れられてしまうことですが、この段階ではイエス様はまだガリラヤで活動なさっていたのです。ガリラヤからユダヤの地方やエルサレムまでは、距離的にかなり離れていました。しかし、イエス様の周りの人々の動きが活発になっていくにつれて、エルサレムの律法学者たち専門家の立場からこのムーブメントについて何らかの評価を下すことになるのは時間の問題でもありました。ですから律法学者やファリサイ派がイエス様の御許を訪れたのは、不思議ではありません。彼らがイエス様に従っている人々の生活習慣について注意を喚起したのも、納得がいきます。律法学者たちの生活態度はモーセの律法に基づくものであり、さらには律法の伝統的な解釈に基づく細かい諸規則をも遵守するものでもあったからです。
彼らとイエス様との間の意見のずれが表面化したのは、「食事の前に手を洗う」とか「市場から帰ったら身を清める」というファリサイ派の慣習についてでした。ここでの争点は、現代的な意味での「洗い」ではなく、宗教的に意味付けされた「清め」です。モーセの律法が定めてはいないこうした人間のしきたりに対して、ファリサイ派は「レビ記」20章7節にその根拠を求めました(「あなたがたは自分を聖別して、聖なる者とならなければなりません。私はあなたがたの神、主です。」)。イエス様の弟子たちがこの慣習に従わなかったため、ファリサイ派や律法学者はその理由をイエス様に尋ねました。イエス様は、どうして弟子たちがそうするかを説明したり、細かい点について議論したりはしませんでした。イエス様はファリサイ派の「聖なる生活への憧れ」をここでいっぺんに打ち砕いたのです。人を神様の御許へと導かないような「しきたり」はすべて、形骸化した「聖なる習慣」にすぎません。厳格な律法遵守を目標として掲げた律法学者たちは、神様の御言葉を守るどころか、逆に御言葉を他の人からも自分からも遠ざけてしまいました。
イエス様は、いかに人間の言い伝えが神様の御言葉を無視する結果を招くものか、具体例を挙げています。聖書以外の文献からも知られるように、両親の財産を相続した息子がその財産を神殿に献納するというケースが、当時は実際にありました。そして、奉納者本人だけは奉納した財産から生きている間はずっと生活費を享受できるという仕組みでした。さらに奉納者は、(おそらく自分とは険悪な関係にある)両親の世話をする義務からも解放されたのです。律法がこのように解釈されたのは、「神殿に犠牲の捧げ物をすることはモーセの第一戒(「あなたには他の神があってはならない」)に基づいている。それゆえモーセの第四戒(「父と母を敬え」)よりも優先して実行されるべきである」、というように、律法の諸規則を序列化する考えがおそらくあったのではないでしょうか。しかし、イエス様はこのような人間の論理を容認されません。神様の御言葉は具体的で聖なるものであり、人間による解釈がそれを斥けてはいけないのです。
イエス様のこの主張を読むときに現代の私たちが心得ておくべきなのは、当時ファリサイ派や律法学者の教えを批判したのはイエス様だけではなかった、ということです。死海のほとりに住んでいたエッセネ派は、ファリサイ派や律法学者の教えをイエス様よりも厳しく批判していました。また神殿の祭司階級の間で堅固な支持を受けていたサドカイ派は、多くの争点でファリサイ派の人々とはまったく反対の立場をとっていました。このように当時のユダヤ教は、「ひとつの石から切り出された彫像」のようなものではなかったのです。ユダヤ教とは、問題によっては相互に激しく論争を展開した多様な宗教運動を一括する名称であり、律法の基本的な諸問題に加えて、民族的な紐帯という問題とも密接に関連する複合的な現象だったとも言えましょう。
民に宣教を率直に語る 7章14~23節
ファリサイ派や律法学者の教えに対するイエス様の批判はここで終わりませんでした。律法遵守をめぐる問題への回答を、イエス様は御許に集まった人々にわかりやすく説明しました。人間にとって危険なのは、外部から人に入ってくるものではなく、人の内部から出てくるものなのです。人が食べるものはまずお腹の中に入り、それから外に排泄されるので、食べ物は人にとって危険なものではありません。それとは逆に人間をだめにするのは、悪い行いを生み出す悪い心なのです。そしてイエス様は、「悪い行い」について具体例を列挙しました(不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、そしり、高慢、愚痴)。このようにイエス様は、ファリサイ派や律法学者とは異なり、あらゆる食べ物を清いものとされました。
奇跡を生む信仰 7章24~30節
この箇所はフェニキア生まれの(つまりユダヤ人ではない)女の信仰について語っています。この出来事を読み解く前に、しばしば忘れられている次のことを思い起こすべきでしょう。それは、神様は律法をユダヤ人に対してのみお与えになったことと、ユダヤ人だけが神の民の構成員であったということです。ユダヤ人は「異邦人」(つまりユダヤ人以外の民族)とは付き合わず、彼らと一緒に食べることも彼らと婚姻関係をもつこともしませんでした。ユダヤ人はまた、異邦人が崇拝している神々を崇拝するようなことはせず、全般的に見れば、異邦人と関わりを持とうとはしませんでした。特に宗教に関して言えば、異邦人は、神様が御自分の民であるユダヤ人に与えたあらゆる特権からすっかり締め出されていました。
ユダヤ人だったイエス様も、この地上におられた間、死刑の判決を受けた時を別とすれば、ほとんどまったく異邦人と交流なさいませんでした。この箇所の出来事に登場するフェニキアの女がユダヤ人から見てどのような立場にあったかは、当時の人々にはいわずと知れたことでしたが、現代の私たちはそれを意識して思い起こす必要があるのです。
この哀れな女はイエス様に対して助けを求めて叫びますが、イエス様はそ知らぬふりをなさいました。これはまさしくユダヤ人のやりかたでした。イエス様がこの女の助けを求める叫びに対して「たとえ」によってお答えになる、というのもユダヤ人に典型的なやりかたです。「ユダヤ人は神様の子どもだが、他の民族は犬に過ぎないのだから、子どもたちにあげるために取り分けてあるパンを犬に与えるのはふさわしくない」、というのがそのたとえです。自分の娘が悪霊によってひどく苦しめられている緊急事態の中で、フェニキアの女はイエス様の言いかたに傷つくこともなく、憤激してイエス様の許から立ち去ることもありませんでした。「テーブルから落ちてくるお子さんたちの食べ残しを待ち構えている子犬の立場に、我が身を置いてもかまいません」、と女はイエス様に答えました。この彼女の信仰がイエス様の態度を変えました。主は彼女を助けて、立ち去らせました。
現代の読者はこうしたイエス様の振る舞いに戸惑いを覚えます。しかし、こうしたイエス様の態度の背景には、イエス様の使命があったのです。それは、イエス様は神様の御心を成就するために御自分の民(ユダヤ民族)の中に来た、ということです。「まず子どもたちに十分食べさせなさい」、とイエス様は言われています。まだこの段階では「異邦人の時代」は来ていませんでした。神様の御計画によれば、異邦人の出番が来るのはもっと後になってからのことだったのです。フェニキアの女はあきらめることなく粘り強くイエス様に懇願し続けました。あらゆる時代のあらゆるキリスト信仰者にとって、彼女は粘り強い信仰の模範となりました。さらにフェニキアの女は、神様はすべての民族をキリストにおいて招いておられることを、「マルコによる福音書」の読者(異邦人も大勢いたと思われる)にも示したのです。
耳が聞こえない人が聴こえるように 7章31~37節
イエス様はツロの地方を後にし、相当な距離を踏破してデカポリスの地方に到達し、そこを通ってゲネサレ湖に戻られました。そこでイエス様は話すことも聴くこともできない人に出会いました。どのようにしてイエス様がその人を癒されたのか、「マルコによる福音書」は詳細に記述しています。またしてもイエス様は癒された人に対して、「このことについて誰にも話してはいけない」、と禁止なさいました。しかし今回もまた、イエス様が禁じれば禁じるほど、かえって癒しの奇跡の噂がますます広まっていくことになりました。旧約聖書に与えられた神様の大いなる約束が実現するのを目撃した人々が、それについて話さずにおくことがどうしてできたでしょうか。この奇跡と関連する「イザヤ書」35章を読んでみてください。
聖書の引用箇所は以下の原語聖書をもとに高木が訳出しました。
Novum Testamentum Graece et Latine. (27. Auflage. 1994. Nestle-Aland. Deutsche Bibelgesellschaft. Stuttgart.)
Biblia Hebraica Stuttgartensia. (Dritte, verbesserte Auflage. 1987. Deutsche Bibelgesellschaft. Stuttgart.)