使徒言行録2章 教会の誕生と成長
聖霊様が降り注ぐ 「使徒言行録」2章1〜13節
「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」
(「使徒言行録」2章1〜4節、口語訳)
「五旬節の日」はギリシア語で「ペンテコステ」と言い「五十番目」という意味をもっています。ペンテコステ(聖霊降臨祭)は復活祭(すなわちイースター)後の五十日目に当たるからです。
ペンテコステは今でもユダヤ人の祭りになっています。より正確に言うならば、ユダヤ人はペンテコステの時期に七週の祭りを祝うのです。この祭りはユダヤ人の三大祭りのうちのひとつです。残りの二つは過越の祭り(復活祭の時期に行われます)と仮庵の祭りです。
七週の祭りでユダヤ人は穀物の初穂を主に捧げて感謝します(「レビ記」23章15〜21節)。西暦70年にエルサレム神殿が破壊された後では神殿で犠牲を捧げることが不可能になりました。その結果、七週の祭りはシナイ山で神様がモーセに律法を授けてくださったことに感謝する意味合いを持つお祝いになりました。
上掲の箇所にあるように、弟子たち全員が「家」に一緒に集まっていました。この弟子の集団は1章15節に挙げられている「百二十名ばかりの人々」のことであると思われます。集会場所は二階の広間であったかもしれません。そのような場所で最初期のキリスト信仰者たちが集まっていたことが知られています。あるいはまた、この「家」はエルサレム神殿のことを意味していると考えることもできなくはありません。
聖霊様が120名の弟子たちの上に降り注がれた時に、人間の言葉では十分に表現できないような不思議な現象が起こりました。ルカは「舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」と記しています。人間の言葉は不完全で頼りないものであるために、神様の働きかけのすべてを言葉で表現することはできません。また、私たち人間の思考力も不完全であるため、神様の働きかけを隅々まで理解することはできません。このことを私たちはしっかりとわきまえておくべきです(「コリントの信徒への第二の手紙」13章4節も参照してください)。
弟子たちは聖霊様によって満たされました。聖霊様は彼らを御心に沿って用いるために御自分の支配の下に置かれました。聖霊様の賜物はそれを私的に消費するためではなく伝道で活用していくために弟子たちに与えられたものです。これは大切な点です。実際にも、聖霊様に満たされて賜物を受けた弟子たちは家から外に出て行って神様の偉大な御業を宣べ伝えはじめました。
聖霊様の働きかけによって弟子たちは様々な国語によって語りはじめました。しかし、この出来事はたんに異言を話すこととはちがっていました。異言にはそれを解釈する人が必要になりますが、ペンテコステの出来事では福音が様々な国語でいろいろな国の人にわかるように伝えられていたからです。異言についてはパウロが次のような説明を与えています。
「またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」12章10〜11節、口語訳)「すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである。もし異言を語る者があれば、ふたりか、多くて三人の者が、順々に語り、そして、ひとりがそれを解くべきである。もし解く者がいない時には、教会では黙っていて、自分に対しまた神に対して語っているべきである。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」14章26〜28節、口語訳)
ユダヤ人たちは当時知られていた「世界」の各地に散り散りになって住んでいました。彼らの中には都市部に住む商人や職人がたくさんいました。大きな祭りの時になると大勢のユダヤ人が世界各地からエルサレムへと集まってきました。彼らの中にはエルサレムに引っ越して来てそこに定住する人々もいました。おそらくペンテコステの時に使徒たちの福音を聴いていた人々の中には祭りのために上京してきたユダヤ人もいれば、他の土地からエルサレムに移住したユダヤ人も含まれていたと思われます。当時と同じように今日でもユダヤ人の中には世界各地に離散して住んでいる人もいれば、彼らの祖国であるイスラエルに住んでいる人もいます。
使徒たちの聴衆の大半はおそらくユダヤ人であったと思われます。というのも、2章11節には「ユダヤ人」と並んで「改宗者」という表現が見られるからです。改宗者とはユダヤ教徒になった異邦人を指す言葉です。新約聖書ではユダヤ人と異邦人という区分は人種に基づくものではありません。人種によるならば、むしろユダヤ人とその他の諸国民という区分のほうが実情に即していると言えます。ユダヤ人と異邦人という区分は宗教的なものです。ですから、ユダヤ人ではない何か他の国民に属する者はユダヤ教に改宗するとユダヤ人の一員とみなされたのです。ユダヤ教への改宗は次に述べるような二つの段階を経るものでした。
1)はじめに異邦人が「神様を畏れる者」となります(例えば10章2節に出てくるコルネリオ)。神様を畏れる者は安息日規定と十戒の遵守を自らに課します。
2)モーセの律法全体(および律法学者たちの律法解釈)を遵守することを自らに課すようになってから、神様を畏れる者はようやくユダヤ人すなわち「改宗者」になることができます。
この箇所で最も興味深いのは「ローマ人で旅にきている者」です(2章10節)。これはローマ市の住民のことを指しており、ローマ帝国内の全市民を指す表現ではありません。ローマのキリスト教会はこの最初のペンテコステの時に生まれたという説さえあります。ローマ人たちがその時のペテロの説教を聴いて自分たちの故郷の都市へと戻って行ったからです。ともあれ、ローマの教会はとても早い時期に、おそらくはすでに西暦30年代には生まれていたと推定されています。
奇跡だけでは足りない
「しかし、ほかの人たちはあざ笑って、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。」
(「使徒言行録」2章13節、口語訳)
ペンテコステには奇跡が起きましたが、それだけでは十分ではありませんでした。現代でも事情は同じです。弟子たちが多くの国語で話し始めた出来事はたしかに人々を驚嘆させました(2章6節)。しかし、それだけでは人々の間に信仰を目覚めさせることはできませんでした。それを成し遂げたのはペテロのペンテコステの説教です。
復活したイエス様は弟子たちに福音をすべての国民に宣べ伝えるように命じられました。
「イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。」
(「マタイによる福音書」28章18〜20節、口語訳)
この有名な大宣教命令はペンテコステで実現し始めたと言えます。すべての人々がそれぞれ自分の母国語で福音を聴くことができるようにすることは今日でも重要です。多少は理解できる外国語で福音を聴いてもメッセージの概要はわかるでしょう。しかし、自分の母国語で福音を聴けることはやはり格別です。それゆえ、海外伝道に携わる宣教師たちは少数民族の珍しい多くの母国語も習得しようと努めるのです。少数民族が母国語で福音を聴ける環境を整えることは、たとえ彼らが一般的な公用語(例えばインドにおける英語や、アフリカの多くの国におけるスワヒリ語など)をある程度理解している場合であっても、やはりとても大切なことなのです。
キリスト教信仰者による最初の説教 「使徒言行録」2章14〜40節
「使徒言行録」でルカは使徒たちが何を行ったか、またどのようなことを話したか、交互に叙述していきます。とはいえ、ルカは使徒たちによる宣教の内容について自分が知っているすべてのことを「使徒言行録」に収めることはできなかったので、そのなかから最も重要なものだけを選んで書き留めたのです。福音が広がっていく新たな段階のはじまりを告げる内容の説教をルカが特に選んでいる場合が多いことに私たちはこれからも気がつくことになるでしょう。例えば、ここで扱うペテロの説教はキリスト教信仰者による最初の説教です。聴衆の大半はユダヤ人でした。10章34〜43節にはコルネリオの家でのペテロの説教が記されており、これは異邦人に対するはじめての説教です。また13章16〜41節にはパウロによる第一回海外伝道旅行での説教が書き留められています。
ペテロの最初の説教は三つの部分に分けることができます。これらは最初期のキリスト教の説教の中に頻繁に登場した重要な構成部分でもあると思われます。
1)導入部 (2章14〜21節)
2)イエス様についての証 (2章22〜36節) この部分で特に目をひくのは旧約聖書の引用です。旧約聖書は最初期のキリスト信仰者にとって文字通り「聖書」でした。2章17〜21節には「ヨエル書」2章28〜32節の引用、2章25〜28節には「詩篇」16篇8〜11節の引用、そして2章34〜35節には「詩篇」110篇1節からの引用があります。
3)悔い改めと洗礼を受けることへの奨励 (2章37〜40節)
終わりの時のはじまり
説教の導入部でペテロは彼らが酩酊しているのではないかという外部者からの批判を否定します。時刻はすでに第三時すなわち朝の9時になっていたからです。当時の一日の最初の食事をとる時間は平日ならば10時頃、安息日ならば12時頃でした。ですから、朝9時頃にはまだ人々は食事の際の飲み物として供されるぶどう酒を飲んでいなかったことになります。
ここで起きたことは「ヨエル書」の予言の成就でした。「終わりの時」(「ヨエル書」2章17節)がはじまったのです。神様はメシアについて旧約聖書で約束されたことを実現なさり、人が救われるために必要なことはすべて整いました。神様の救いの御業を世界中の人々に宣教するために用意された「終わりの時」を今の私たちは生きているのです。
「ヨエル書」の引用には、聖書のなかで最も単純な救いの教えであるとも言われる次の聖句に関係があります。
「そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう。」
(「使徒言行録」2章21節、口語訳)
この節は私たちにキリスト教の説教における律法と福音の正しい使用法について教えてくれます。律法(すなわち神様が人間に要求なさること)は私たちを神様の御前で律法を守れない不完全な者として裁きます。しかしそれと同時に、律法は神様に助けを叫び求める大切さを私たちに気づかせてくれます。私たちが主の名を呼び求めるとき、神様は助けを差し伸べてくださるのです。福音は救いの御業がすべて完全にすでに成し遂げられていることを教えてくれます。キリストはすでに私たちの罪を帳消しにしてくださったのです。このようにして正しく宣べ伝えられ使用された律法は私たちの良心にしかるべき動揺をもたらし、また福音は救いをもたらしてくれます。
ユダヤ人たちに示された新たな可能性
「イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示されたかたであった。このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。」
(「使徒言行録」2章22〜23節、口語訳)
上述のようにイエス・キリストのこの世の生涯について語ったペテロは、イエス様が奇跡としるしをなさったことや、ユダヤ人たちがイエス様を殺すためにローマ人たちの手に引き渡したことが当時すでに一般に知られていたことを強調します。
ユダヤ人たちの心のかたくなさにもかかわらず、神様は彼らに新たな可能性を与えてくださいました。彼らに対してもイエス様とつながる道は今もなお開かれているのです。
「あなたの敵をあなたの足台にするまでは、わたしの右に座していなさい。」
(「使徒言行録」2章35節、口語訳)
この節の「敵を足台にする」という表現は当時の戦争のしきたりに関係しています。負けた側の将軍は平伏すことを余儀なくされ、勝った側の将軍は負けた将軍を足台にしたのです。キリストは敵対者たちに対してこのような勝利を収められました。終わりの時になってようやくこの勝利は皆の知るところとなります。しかし、この世が存続する間は、イエス様から離れて実際にはすでに敗北が確定している敵対者の集団と行動を共にする人々も残念ながら出てきます。
実質的にみると「使徒言行録」の前半部の中心的な話題は「ユダヤ人たちはいったいどちらの側につくのか、イエス様の側かそれとも魂の敵すなわち悪魔の側か」という問題だとも言えます。「使徒言行録」では後半部の13章でようやく異邦人伝道についての記述がはじまります。そこに至るまでは、ルカはユダヤ人たちが結局どのようにしてイエス様を受け入れずに見捨ててしまったのかについて叙述していきます。
洗礼を通してキリスト教会とつながる
ペテロの説教を聴いていた人々は心を打たれ、自分は今どうするべきなのかと尋ねました。ペテロは次のように答えました。
「「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」
(「使徒言行録」2章38節より、口語訳)
ペテロが「バプテスマ(洗礼)を受けなさい」という箇所でギリシア語原文では受動態が用いられていることに注目しましょう。聖書では神様の働きを記述するために受動態が用いられる場合がしばしば見られます。その場合に文章の真の主語は人間ではなく神様です。人間が救われるのはその人自身の行いによるのではなく神様の御業によるものだからです。
上掲の節は、人が洗礼を受けるときにいただく賜物が聖霊様に他ならないことを教えています。新約聖書では洗礼を受けることと聖霊様をいただくこととは常に結びついています。このことについてはこれからもたくさんの例が出てくるでしょう。
最初のペンテコステ以来、洗礼は人がキリスト教会の一員となる唯一の入り口であり続けてきました。歴史の古い教会では洗礼盤が礼拝堂の正面入り口付近に設置されている場合があります。これは洗礼を通してキリスト教会につながることを象徴的に表しています。
「あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、
あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。」
(「使徒言行録」2章27節、口語訳)
この節は「黄泉」(あるいは「陰府」)と呼ばれる「死者の世界」に新約聖書が言及している数少ない箇所のうちのひとつです。この「陰府」はキリスト教の最も基本的な信条である使徒信条にも登場します。例えば神様の御子イエス様についてキリスト信仰者は次のように信仰を告白します。
「主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。」
最初期のキリスト信仰者たちの生き方 「使徒言行録」2章41〜47節
ルカは「使徒言行録」で三度にわたりエルサレムのキリスト教会の最初の頃の様子について短くまとめています(2章42〜47節、4章32〜35節、5章12〜16節)。これらのうちの一番目の記述の箇所(2章42〜47節)はその後に続く3章の出来事が最初のペンテコステのすぐ後にではなく、ある程度の時間が経過してから起きたことを示唆するものかもしれません。
ペテロのペンテコステの説教の後で三千人ほどの人が洗礼を受けました。「ほど」という表現からもわかるように、ルカは受洗者の数についてある程度の幅を持たせています。当時、大人数の集まりを正確に数え上げるのは容易ではありませんでした。ともあれ、今まで数十人のキリスト信仰者の集まりだった教会がたった一日で何千人ものキリスト信仰者の教会になったのです。
まだこの時点では、洗礼を受けるための教えを受ける場(例えば洗礼準備会)が必要であるとは考えられていなかったようです。この時キリスト信仰者になったのがすでに旧約聖書をよく知っているユダヤ人たちであったこともそれと関係しています。彼らは旧約の予言の数々がまさしくイエス様のことを指していたことがわかった人々でした。
「使徒言行録」は最初の頃のキリスト信仰者たちが自分たちのことを「新しい真のイスラエル」とみなしていたことを教えてくれます。今まで通り、彼らはユダヤ人の神殿で祈っていました(2章46節)。それは彼らが神殿に出入りするのを禁じられるまで続きました。このことからわかるように、キリスト信仰者たちはユダヤ教徒の集まりから自主的に離脱したのではなく、一方的に排除されたのです。
「そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。」
(「使徒言行録」2章42節、口語訳)
ルカはここでキリスト信仰者が教会生活を送る上で大切になる四つの基本事項を列挙しています。
1)使徒たちの教えを守ること
2)キリスト信仰者同士の交わり
3)共にパンを裂くこと
4)祈り
最初の頃のキリスト信仰者の集いでは愛餐会(すなわち教会での食事会)や聖餐式があったことが知られています。以下の引用は前者についてです。
「そこで、あなたがたが一緒に集まるとき、主の晩餐を守ることができないでいる。というのは、食事の際、各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である。あなたがたには、飲み食いをする家がないのか。それとも、神の教会を軽んじ、貧しい人々をはずかしめるのか。わたしはあなたがたに対して、なんと言おうか。あなたがたを、ほめようか。この事では、ほめるわけにはいかない。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」11章20〜22節、口語訳)
愛餐会の時には聖餐式も施行されることが多かったようです。同じようにイエス様も十字架にかけられる前日の木曜日の夜に弟子たちとの食事会の締めくくりとして最初の聖餐式を施行されました。
4)にある「祈り」とはユダヤ教徒にはおなじみの日々の祈りの時を指しています。もしも可能ならば神殿で彼らはこうした祈りの時をもちました(2章46節)。
私有財産とキリスト信仰者
「信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。」
(「使徒言行録」2章44〜45節、口語訳)
この箇所に描かれているキリスト信仰者の生活はいわゆる原始キリスト教共産主義的な生活形態であるとみなされる場合もあります。例えば、クムラン洞窟から文書群が見つかったユダヤ教の一派に属する人々や共産主義者の団体に属する人々はグループの一員となるためにすべての私有財産を放棄するように要求されました。彼らとは異なり、キリスト信仰者となるためには私有財産を放棄しなければならないということはありません。私有財産の放棄は所有者であるキリスト信仰者各自の自由な裁量に任されていました(5章4節)。人間が所有するすべての物は神様からの借用物とみなされていたため、所有物は可能なかぎり最善のやりかたで本来の所有者である神様にお仕えするために用いられることが望ましいとされたのです。
ところで、どうしてエルサレム教会には貧しい信徒が大勢いたのでしょうか。その主要な理由として、キリスト信仰者に対するユダヤ教徒の態度が以前よりも厳しくなったユダヤ社会の状況を挙げることができるでしょう。キリスト信仰者となったユダヤ人は他の普通のユダヤ人たちから家族や親戚として扱ってもらえなくなりました。これはユダヤ社会の中で経済的支援を享受できるネットワークから除外されることを意味していました。また、キリスト信仰者ユダヤ人の中には今までの職業を営めなく人々も出てきました。例えばユダヤ教の祭司だった者や、他の普通のユダヤ人たちと商売の取引ができなくなった商人などがそうでした。
しかし、この問題が社会問題として表面化してくるのはもっと後になってからです。まだ今の段階ではキリスト信仰者とユダヤ人との間の関係は良好でした。
「資産や持ち物を売って」(2章45節)という表現からもエルサレム教会に貧しい信徒が大勢いた理由を推測することができます。多くのキリスト信仰者は田舎(とりわけガリラヤ地方)から出てきてキリスト教会のあるエルサレムへと移住したのですが、そこで彼ら全員が仕事を得たわけではありません。それゆえ、収入のある者はない者を経済的に援助しなければならない状況だったのです。
さらに考えられる別の理由は、もともと経済的に貧しかった人たちがこぞってキリスト教に改宗したということでしょう。最初の頃の教会は会員たちが貧乏なことで知られていました。まだこの時点では裕福な人々は福音を受け入れようとしなかったのです。
万人の好意と神様の御好意のうちのどちらを選択するべきか?
「神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。」
(「使徒言行録」2章47節、口語訳)
この節でルカはキリスト信仰者たちがすべての民に好意を持たれていたと記しています。ところが、この同じ好意がまもなく迫害や圧迫に変わっていくさまを私たちは見ることになります。
キリスト教会が現代社会の中で生き残るために一般の大多数の人々の好意を得ようとして教会固有のメッセージや信仰を歪曲したり放棄したりするのはあってはならないことです。すべての教会とキリスト信仰者は常にこの危険に晒されてきました。それゆえ、私たちは自分たちの教会とその教会員が神様からの御好意の代わりに万人からの好意を求めることにはならないように祈らなければなりません。