使徒言行録5章 ガマリエルの助言
神様を欺くことはできない 「使徒言行録」5章1〜11節
4章32〜37節では最初期のキリスト信仰者の互いに愛し合い自己犠牲に徹する教会生活のありかたが描かれていました。それとは全く対照的に、この5章の冒頭でルカはアナニヤとその妻サッピラによる欺瞞とその結末について述べています。
「ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、共謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。」
(「使徒言行録」5章1〜2節、口語訳)
アナニヤ(ヘブライ語による名前はハナニヤ)とサッピラは敬虔な信仰者のふりをして、バルナバ(4章36〜37節)と同じように自分たちの資産を売り払いました。彼らは共謀して売値の一部を手元に残したにもかかわらず、教会には資産を全額寄付したという虚偽の説明をしました。巨額な献金をするほど神様に深く帰依している信仰者といった名声を彼らは欲したのかもしれません。しかしその一方で、彼らには手元に隠し持った資産に頼ろうとする気持ちも残っていたのです。
全知全能の神様には一切のことが、もちろん彼らがお金を隠して残しておいたことも含めてお見通しでした。彼らにとってこれは想定外のことでした。まずペテロがアナニヤに(5章4節)それからサッピラに対して(5章9節)彼らの不正直さを指摘します。彼らは人間を欺くことはできるかもしれませんが、神様を欺くことはできなかったのです。ここでアナニヤとサッピラに裁きを下したのはペテロではなく神様であったことに注目しましょう。
5章4節からは自己資産を教会に寄付するのは完全に各自の自由に委ねられていたことがわかります。アナニヤとサッピラの犯した罪は彼らが資産を売却して得た全額を献金しなかったことではなく全額献金したと嘘をついたことにありました。彼らが献金を出し渋ったことではなく不正直だったことこそが罪だったのです。
この事件は誰ひとり神様を欺くことができないということを私たち人間に思い知らせます。ある人たちのことはずっとだましたままでいられるだろうし、すべての人をだますこともしばらくの間だったらできるだろうが、すべての人をずっとだましつづけることは決してできない、などと言われることもあります。これに「そして神様をだますことは一瞬たりともできない」という言葉を付け加えることができるでしょう。
この事件は神様が神聖な存在であることをきわめて厳しく教えています。イエス・キリストの守りの中にいないかぎり、罪深い人間は聖なる神様に決して近づくことができない、と宗教改革者マルティン・ルターも言っています。
中間報告 「使徒言行録」5章12〜16節
ここでふたたびルカは最初期のキリスト教会の様子について報告しています。5章11節でルカは「使徒言行録」ではじめてギリシア語で「エクレシア」(日本語では普通「教会」と訳される言葉)を用いています。これはキリスト信仰者の集まりを表す言葉です。すぐその後でルカは当時の教会の状態についてより詳しく記述しています。
「そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかったが、民衆は彼らを尊敬していた。しかし、主を信じて仲間に加わる者が、男女とも、ますます多くなってきた。」
(「使徒言行録」5章12〜14節、口語訳)
上掲の箇所には解釈上の問題があります。誰もキリスト信仰者の群れに加わろうとしなかったのにキリストを信じる人々が増えていったというのです。このようなことがどうして起こりうるのでしょうか。
この問題の解釈としては例えば次にあげる二つの説明があります。
第一の説明
「ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかった」というのは、キリスト教信仰に対する興味が外面的なものにすぎなかった人々にはキリスト信仰者たちと積極的に行動を共にする勇気がなかった、という意味であり、キリスト信仰者の群れに加わったのは心の底からキリスト信仰者たろうとした人々だけだった。
第二の説明
「民衆は彼らを尊敬していた」の「彼ら」とは使徒たちのことを指している。使徒たちは特定の人々からなる集団であり、それ以外の人間は彼らの仲間に加われなかった。「主を信じて仲間に加わる者」とは使徒以外の一般のキリスト信仰者のことであり、彼らは増加の一途をたどっていた。また、この箇所のすぐ前の11節が「教会」すなわちキリスト信仰者の群れ全体について述べているのに対し、それに続く12〜13節の箇所では使徒たちについて述べている。
第一の説明は聖書の原文に基づく考察というよりも、たんなる憶測にすぎないものといえます。聖書は「ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかった」と記述しているだけなのです。とはいえ、この説明がまちがいだとも言い切れません。
原文をそのまま直訳すべきか、それともそれに解釈を加えるべきなのか、というのは翻訳に際して常につきまとう問題です。翻訳には適切な解釈を加えたほうがよいという見解は、翻訳者が一般の聖書の研究者や読者よりもその原文をよく知っていることを前提としています。
「ついには、病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにしたほどであった。」
(「使徒言行録」5章15節、口語訳)
この節の意味もやや曖昧です。ペテロの影が病人を癒した、とルカは言っていないことに注意しましょう。
この文も二つのやりかたで解釈することができます。ルカがこの出来事を述べたのは、使徒たちのうちに働いている不思議な力に多くの人々が強い信頼を寄せていたことを示すためでした。それとともにルカはペテロが力強い奇跡を行なったことを強調しようとしたと考えることもできます。病人が癒やされたのは事実だからです。
「またエルサレム附近の町々からも、大ぜいの人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人たちを引き連れて、集まってきたが、その全部の者が、ひとり残らずいやされた。」
(「使徒言行録」5章16節、口語訳)
使徒たちを黙らせようとする 「使徒言行録」5章17〜33節
ここにいたってユダヤ教の指導者たちの我慢もついに限界を越えました。使徒全員を逮捕するようにと大祭司が命令したのです。ルカはここでふたたび私たちに興味深い事実を指摘しています。キリスト信仰者たちにとって、ユダヤ人の派閥の中で最悪の敵対者だったのはパリサイ派ではなくサドカイ派だったということです。イエス様とパリサイ派との間には何度も論争が起きたと福音書は述べています。しかしこれらの論争は両者の間に何らかの話し合いが成立していたことを示すものでもあります。それとは対照的にイエス様はサドカイ派とは話し合いの場さえもつことができませんでした(ただし「マタイによる福音書」16章1節と22章23〜33節は除外します)。
夜になると「主の使」が牢屋の戸を開いて使徒たちを連れ出しました。そして神殿の庭に行って宣教するようにと彼らに命じました。使徒たちはユダヤ教の最高議会よりもはるかに強力なお方が彼らの味方として共におられることを理解しました。それゆえ彼らは逃げ出したりせず、主の使に命じられたことに従って宣教し、ふたたび捕らえられるまで神殿の庭にとどまりました。
使徒たちが主の使によって解放された夜のあくる日の朝、ユダヤ教の指導者たちはとても驚きました。囚人たちが消え失せていたからです。使徒たちがわざわざ神殿に戻ったという知らせを受けて彼らはさらに驚愕しました。しかし民衆がすっかり使徒たちの側についていたため、力づくで再度逮捕するのはためらわれました(5章26節)。むしろ最高議会の尋問を受けるために使徒たちのほうから進み出たと言ったほうが実際の状況をよく表しているでしょう。
大祭司は使徒たちの罪状を読み上げます。
「「あの名を使って教えてはならないと、きびしく命じておいたではないか。それだのに、なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を、はんらんさせている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと、たくらんでいるのだ」。」
(「使徒言行録」5章28節より、口語訳)
使徒たちはこれ以上イエス様の御名によって宣教してはならないと厳命されていました(4章18節)。にもかかわらず彼らはそれに従いませんでした。罪状には「イエスの血の責任をユダヤ人たちに負わせようと使徒たちはたくらんでいる」という項目が追加されています(27章25節も参照してください)。これは使徒たちがイエス様の十字架の死を説教の中で強調していたからでしょう。ユダヤ教の指導者たちはイエス様がまさしく十字架刑で死ぬことを望んでいました。それはイエス様が神様によって呪われた者であることを公に示すためでした。例えば使徒パウロは「ガラテアの信徒への手紙」で次のように書いています。
「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。」
(「ガラテアの信徒への手紙」3章13〜14節、口語訳)
このように「十字架」はすでに最初からキリスト教信仰の宣教の核心にありました。また十字架はユダヤ人とキリスト信仰者の間を峻別する分水嶺にもなりました。十字架はユダヤ人にとっては神様によって呪われたことのしるしですが、キリスト信仰者にとっては神様による救いの御業のしるしなのです。パウロは「コリントの信徒への第一の手紙」で次のように書いています。
「いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」1章17〜18節、口語訳)
「使徒言行録」4章19節と同様に、ペテロは5章29節でもふたたび「人間に従うよりは、神に従うべきである。」という返答をします。この発言の趣旨は、例えば神様に51%、人間に49%分だけ従うというようにどちらのほうにより多く従うかということではなくて、単純にどちらに従うかということを問うています。
さらにペテロはキリスト教信仰の宣教では十字架のもたらす苦難を片隅へ退けることはできないと次の引用箇所で明言しています。ほかならぬ十字架こそがキリスト教信仰の核心だからです。
「わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである。わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である。」
(「使徒言行録」30〜32節、口語訳)
このペテロの宣言は最高議会を激昂させました。殺人は律法に反することであったにもかかわらず、ペテロの話を聞いていた人々は使徒たちを殺そうとさえしたのです。そのとき使徒たちの窮地を救ったのが「国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人」でした(5章33〜34節)。
ガマリエルの助言 「使徒言行録」5章34〜42節
ガマリエルはパリサイ派による「宗教改革運動」に賛同していた律法学者でした。彼は著名で温厚なラビであったヒレルの息子の息子すなわち孫であり、また弟子でもありました。当時の彼はヒレル学派を統率する立場にあり、彼の弟子の中には後に「パウロ」と呼ばれることになるタルソ人サウロがいました(22章3節)。おそらくルカはパウロ自身からこの最高議会での事件について聞いたのでしょう。
サドカイ派は死者の中からの復活を信じていませんでした(「マタイによる福音書」22章23節)。しかしパリサイ派はそれを信じていました(「使徒言行録」23章6〜9節)。それゆえ、パリサイ派はイエス様の復活について使徒が話すのを聴いてもサドカイ派とはちがって憤慨しませんでした。
ガマリエルは少し以前に起きた諸事件に言及しつつ助言を始めました。近年メシア(救い主)を標榜するユダヤ人が何人も現れて、その度ごとに彼らの下には多数の者が参集したものの、結局それらのメシア運動はすべてまもなく消え失せてしまったという諸事件です。
「先ごろ、チゥダが起って、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。」
(「使徒言行録」36〜37節、口語訳)
ガマリエルが挙げた「ガリラヤ人ユダ」という人物によるメシア運動は「ゼーロータイ」(熱心党)と呼ばれる人々による反乱を巻き起こしました。しかしそれも当時さほど重要な意味をもちませんでした。ちなみに後に西暦66年にはゼーロータイが始めたユダヤ人たちの反乱はローマの軍隊によって鎮圧され、それとともにゼーロータイそのものも消滅することになります。もしも使徒たちによるメシア運動が人間によって勝手に捏造されたものならば、その運動は暴力に訴えなくとも自然に消滅することになるだろうが、もしも彼らの運動が神様の御意思によるものならば、この運動に反対することは神様御自身に対して戦いを挑むことになってしまう、というのがガマリエルの助言の要旨でした。
ガマリエルのこの慎重な助言は賢明でもありました。神様と戦うことになるような危険を冒すべきではないからです。このような助言は現代の私たちにとっても大切な指針となりえるものです。もちろん神様の御意思がいったい何なのか確信を得るのが不可能な場合もあります。しかしそのような時にも「神様、私は今このように行うつもりでいます。もしもそれがあなたの御心に適わないのであれば、どうかあなたがそれを止めてくださいますように。」と祈ることはできます。
最高議会はガマリエルの助言を受け入れた上で、使徒たちをむち打ちにしました。これは最高議会が使徒たちに再度無罪の宣告をするのを回避するためでした(「使徒言行録」4章21〜22節を参照してください)。むち打ちの処罰は合法なものでした。どのシナゴーグ(ユダヤ教徒の会堂)にもその会員に対してむち打ちの処罰を行う権利があったからです。これは「使徒言行録」でキリスト信仰のゆえに下された最初の処罰のケースです。
最後に最高議会は、今後イエスについて宣教してはならない、とふたたび念を押した上で使徒たちを解放しました。しかしむち打ちの刑にあっても使徒たちの信仰は変わりませんでした。彼らは家々や神殿で宣教活動を続行したのです。このようなことが起こる、とイエス様からあらかじめ教えられていたことも使徒たちに伝道を続ける勇気を与えたのでしょう(「ルカによる福音書」12章51〜53節、6章22節などを参照してください)。