ヨハネによる福音書1章 人となられた神様
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賛歌ではじまる福音 1章1~18節
「ヨハネによる福音書」は驚嘆すべき壮大さをもってはじまります。何の前触れも前置きもなしに、この福音書は読者や聴き手をはるか高みへと連れ去ります。はじめの1~18節は「ロゴス賛歌」と呼ばれるものです。これは神様の御言葉について、また御言葉が人となられたことについての素晴らしい賛美歌になっています。
この賛歌の背景にある旧約聖書の第一の箇所は聖書の読者にとってなじみ深いものです。「ヨハネによる福音書」は天地創造の記述の仕方と実によく似た言葉遣いによってはじまっています。その言わんとすることは明確です。この出来事は万事において最も基本的なことに関係している、ということです。
この賛歌の背景にあるもうひとつの旧約聖書の箇所を見つけるためには、旧約聖書をかなりよく知っている必要があります。「箴言」8章は神様の創造のみわざを媒介する存在として働いた「知恵」について実に美しいイメージを提供してくれます。「ロゴス賛歌」の主題も、まさにこの知恵、すなわち御言葉なのです。「ロゴス賛歌」は、この知恵こそが神様の独り子イエス様であることを私たちに気づかせてくれます。この聖書の箇所に基づいて、教会はキリストについて、「すべてはこの方を通して生まれました。生まれたもののうちでこの方なしで生まれたものは何ひとつありませんでした」(「ヨハネによる福音書」1章3節)、と信仰告白しています1。こうしてみると、「ロゴス賛歌」のもつ非常に深い意味がわかってくると思います。世の暗さを照らし出すために、神様の独り子はその栄光から世へと下られたのです。
大部分の人々はこの方の栄光を見分けることができませんでした。それに対し、神様からそれを見る力を与えられた人々は、憐れみ深い神様が御自分の民の只中へと来られたことを知ることができました。このことの意味は「ロゴス賛歌」の最後の節(18節)で実に驚嘆すべき仕方で示されています。14節には「父の独り子」という謎めいた記述がありますが、ようやく18節で、イエス様が独り子としてお生まれになった神様であることが明らかにされます。 すでに福音書のはじめの数節の中に、「ヨハネによる福音書」の特徴ともいえる神学用語があらわれています。それは「光」と「闇」という一組の言葉です。この一組の用語はたとえば「ヨハネの第一の手紙」の中に繰り返し登場します。全世界はその罪のゆえにまったくの暗闇に覆われています。キリストが世に来られたことは、直視できないほど眩しい光が世にもたらされたことを意味していました。そして、この光のことを理解した者もいれば理解しない者もいたのです。キリストを見出した人は暗闇から光へと移りました。「ヨハネによる福音書」の他の箇所での表現によるなら、それは死から命への移行でもありました。
洗礼者ヨハネの証 1章19~28節
洗礼者ヨハネはすべての四つの福音書で決定的に大切な役割を担った人物です。「マルコによる福音書」は、イエス様の活動をヨハネからの受洗の時点から記しはじめます。「ヨハネによる福音書」は、洗礼者ヨハネの証を部分的にはすでに「ロゴス賛歌」の中に位置づけています。この福音書は洗礼者ヨハネについて読者がすでによく知っていることを前提しているように見えます。イエス様がヨハネから洗礼を受けられたことさえ記さずに、洗礼者ヨハネの証にすべての関心を集中しています。これは、すべてについて満遍なく語るのではなく出来事の核心とその意味のみについて語るという「ヨハネによる福音書」の個性的な記述のスタイルを端的に示す一例です。
洗礼者ヨハネのもとには「ユダヤ人たち」がやってきました。この言葉によって「ヨハネによる福音書」は多くの場合キリストを拒絶する選ばれた民をあらわしています。彼らがどのグループに属しているか、それ以上細かくは言及されていません。ローマ帝国の軍隊によってエルサレム神殿が破壊された後の時点では、ファリサイ派やサドカイ派、ヘロデ党といった違いはその意味を失っていました。洗礼者ヨハネは彼らの質問にはっきりと答えました。それは後に信仰を告白する人々にとっても模範となるような答えでした。洗礼者ヨハネはキリストではなく、エリヤでもモーセが約束した預言者(「申命記」18章18節)でもありませんでした。彼は「イザヤ書」が予言した「叫ぶ者の声」でした。彼の使命は自分よりもはるかに大いなる主の到来を告げ知らせることでした。
洗礼者ヨハネの証には興味深い特徴があります。彼の弟子のグループは彼の死後もその活動を継続しました。「ヨハネによる福音書」における洗礼者ヨハネの言葉はそのグループに対しても向けられています。もうひとつ興味深い点は一連の質問、とりわけ最後のふたつの質問です。ヨハネは自分がエリヤではないという自己理解を示しています。しかし「マタイによる福音書」は、彼がエリヤであった、と記しています(「マタイによる福音書」11章14節)。つまり、すくなくとも彼は「エリヤの霊において」活動していたことになります。洗礼者ヨハネは第三の偉大な人物、モーセの約束した預言者でもありませんでした。この人物の来るべき出現がユダヤ人とりわけサマリア人の間では大きな期待を集めていました。洗礼者ヨハネはこれらのレッテル張りをすべて斥けて、むしろ、その時まさに世に御自身をあらわそうとしていた方の証人になる立場を選びました。
神様の小羊 1章29~34節
翌日にヨハネの証は現実なものとなりました。彼がイエス様に出会ったとき、神様はヨハネにこの方の真の本質を示されました。このイエス様のゆえに、ヨハネはそのすべての活動をはじめていたのです。洗礼者ヨハネの人差し指は、人となられた神様の御言葉を指し示しているのです。
「神様の小羊」について語るとき、ヨハネは旧約聖書のふたつの御言葉を念頭においていました。そのひとつは過ぎ越しの祭に関係しています。御自分の民をエジプトの隷属から解放なさったとき、神様は過ぎ越しの食事をとるよう彼らに命じられました。その食事の中心は小羊です。そして、その血をイスラエルの人々は家の戸柱に塗りました。神様の遣わされた「滅ぼす者」がエジプトの初子をことごとく殺害したときに、家の入り口に塗られた小羊の血はその家の中に神様の民が住んでいることを示す印となり、彼らの初子は殺されずに済みました(「出エジプト記」12章)。この出来事は「ヨハネによる福音書」の後の箇所(19章36節)にも関係しています。小羊に関する旧約聖書のもうひとつの箇所は「イザヤ書」53章です。このように「ヨハネによる福音書」は、すでに最初の章の冒頭でキリストを正しく位置づけています。イエス様は神様の御子、また神様御自身であり、御自分の血によって罪人を救い出される方でもあります。
最初の弟子たち 1章35~51節
「ヨハネによる福音書」によれば、イエス様の最初の弟子たちは元々は洗礼者ヨハネの弟子でした。(イエス様の)ヨハネからの受洗の時(1章22節)以来イエス様に従ってきたグループの中からユダの代わりとなる使徒を選ばなければならなかった、と語る「使徒の働き」(1章21節)もまたこのことを裏付けています。
「ヨハネによる福音書」は弟子の召命の出来事を詳細に描き出しています。その表現の仕方は他の三つの福音書とはかなりちがいますが、基本的な流れは共通しています。イエス様は12人の弟子たちを召されました(「ヨハネによる福音書」6章67節)。また、ペテロは12弟子の中でも特別な地位にありました。最初の二人の弟子たちは洗礼者ヨハネの助言を受けてイエス様に従うようになります。そのうちのひとりはアンデレ、もうひとりの名前は記されていません。古くから教会はこの後者の弟子が福音書を記したとする見方をしてきました。これは確かではありませんが、まったくありえないとも言い切れません。アンデレの勧めによって、彼の兄弟シモンもまたイエス様の弟子に加わりました。このシモンをイエス様はケファ(ギリシア語では「ペトロス」といい、日本語に訳すと「岩」という意味です)と名づけられました。他の三つの福音書では、イエス様がペテロに新しい名前をお与えになったのはペテロがイエス様に対して信仰告白をした時でした(「マタイによる福音書」16章16節)。
イエス様はヨルダン川の峡谷を後にして、ガリラヤへと向かわれました。この旅に同行していたフィリポはナタナエルに、キリストを見つけた、と語りました。ナタナエルは疑います。しかし彼は、イエス様が彼の全人生を不思議なやり方ですっかり見通しておられることに気がつきます。ここで私たちははじめて、奇跡信仰と真の信仰との間の緊張関係に出会います。ナタナエルは奇跡を見たため、イエス様に従うようになりました。このような機会が彼に与えられるのはもちろんかまわないのですが、奇跡に頼る信仰はまだ表面的なものにすぎません。真の正しい信仰告白は、たとえばマルタの口から聴くことができます。これはイエス様が彼女の兄弟ラザロを死からよみがえらせる奇跡の前に(ここに注目!)なされた信仰告白なのです。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずのメシア、神様の御子であられることを、私は信じています2」(「ヨハネによる福音書」11章27節)。このマルタの信仰告白や「ヨハネによる福音書」1章の前半、また「ロゴス賛歌」や洗礼者ヨハネの証の中に反響しているような信仰を、イエス様の弟子たちはまだもってはいませんでした。それでも彼らは、イエス様に従っていくことや、イエス様の弟子として学びを続けていくことを許されたのでした。