使徒言行録9章 「主の敵」から「主に選ばれた器」へと

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

神様に止められたサウル 「使徒言行録」9章1〜9節

ディアコニアの仕事に従事するピリポについて語った後でルカはふたたびエルサレムの出来事に視点を戻します。

エルサレムの外の世界に出て行ったキリスト信仰者たちは黙ってはいられませんでした。行く先々で彼らは復活されたイエス様についての福音を宣べ伝えたのです(「マタイによる福音書」10章23節も参考になります)。ユダヤ人たちの側からすると、エルサレムでキリスト信仰者たちを迫害したことはかえって事態を悪化させてしまいました。迫害の結果、キリスト信仰者たちが地中海東部の広い範囲に散在するようになったからです。

タルソ人サウロはキリスト教の勢力が拡大していく有様をそのまま指をくわえて黙って見ていることができませんでした。彼は他の地域のユダヤ教徒の集まりからもキリスト教徒を撲滅するための許可を大祭司に願い出たのです。大祭司からの手紙を携えて彼はダマスコへと出発しました。当時のダマスコにはかなり大きなユダヤ教徒の集まりがありました。

サウロの得た大祭司の手紙がどれほどの影響力をもつものであったのかははっきりしません。少なくともそれはダマスコのシナゴーグ(会堂)への公式の命令状などではなかったはずです。ユダヤ教徒の会堂は互いに独立して活動していたため、エルサレムのユダヤ教の指導者たちも彼らに対して一方的に上から権力を振りかざすことはできなかったからです。その手紙はエルサレムから新しい危険な教えを持ち込んで蔓延させようとしている者たち(すなわちキリスト信仰者たち)をエルサレムに連れ戻して裁判にかけなければならないという旨を記したものだったかもしれませんし、あるいは、たんにサウロの仕事への協力を要請する手紙だったのかもしれません。

手紙の内容がどのようなものであったかはともかく、それが実際に使用されることはありませんでした。サウロがエルサレムから約200キロメートルのところにありダマスコに近づいた時に、復活されたイエス様が彼にあらわれてキリスト信仰者迫害の旅を中断なさったからです。サウロは眩しい光を見、アラム語の語りかけを天から聴きました(それがアラム語であったことは26章14節からわかります)。この時サウロは自分が今まで迫害してきた相手はたんにキリスト信仰者たちばかりではなく神様御自身でもあることをイエス・キリストから啓示されたのです。活きておられる神様に対して戦いを挑むのはまったく勝機のない愚かな試みです(5章38〜39節)。サウロの人生におけるこの無謀な戦いはまさにこの瞬間に終わりを告げることになりました。

二つの盲目さ

「サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。」
(「使徒言行録」9章8〜9節、口語訳)

サウロはキリストに出会った時に視力を失いました。この肉体的な盲目さはまた霊的な盲目さについての比喩でもありました。それまでのサウロは神様の御意思を正しく理解していなかったという意味での盲目さです。自分が神様のために働いていると思い込んでいた彼は実際には活ける神様に敵対していたのです。

三日の間サウロは目が見えなくなり断食することにもなりました。彼にとってこれは自らを空っぽにして神様の真の御心を探し求める時でもありました。サウロがそれまで歩んできた道は実はまちがいであったことが明らかになったため、彼は今、自分がこれから歩むべき新しい道を神様から示されることを待っていたのです。

不思議なやりかたで歴史は繰り返すものです。今、ベニヤミン人サウロがキリスト信仰者を迫害したのと同じように、はるか昔、ベニヤミン人サウル王は後に神様によって油を注がれ王となるべきダビデを迫害しました。サウルとダビデおよびサウロとイエス様の間に交わされた次の対話を比較してみてください。

「サウルはダビデの声を聞きわけて言った、「わが子ダビデよ、これはあなたの声か」。ダビデは言った、「王、わが君よ、わたしの声です」。ダビデはまた言った、「わが君はどうしてしもべのあとを追われるのですか。わたしが何をしたのですか。わたしの手になんのわるいことがあるのですか。」
(「サムエル記上」26章17〜18節、口語訳)

「ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
(「使徒言行録」9章3〜5節、口語訳)

神様からふたたび視力を与えられたパウロ 「使徒言行録」9章10〜19節前半

サウロは神様の御意思によって視力を失いました。ところが神様は彼に視力をふたたび与えてくださったのです。サウロは新しい幻を見ました(9章12節)。アナニヤという名のキリスト信仰者が彼のもとにやってきてその手を彼の上においてふたたび見えるようにしてくれるという幻です。

アナニヤはサウロに会いに行くのをためらいました。エルサレムから逃げて来たキリスト信仰者たちからこの人物が彼らに対してどれほどむごいことをしてきたかについて聞いていたからです(13節)。サウロはダマスコのキリスト信仰者を全員逮捕するための大祭司からの委任状さえ携えていました。ところが神様はサウロのところに行きたがらないアナニヤをサウロの滞在していた『真すぐ』という名の路地に遣わしました。この路地は現代でもダマスコの古い市街に残っているそうです。

すべてはサウロの見た幻の通りになりました。視力を回復した後でサウロは洗礼を受けます(18節)。サウロにとっても洗礼だけがキリスト教会の一員になるためのただ一つの道でした。古くからあるキリスト教会建築には洗礼盤が教会の入口に設置してある場合があります。これもまた人間は洗礼を通してキリスト信仰者となり教会の正式な一員になることを象徴的に示しています。

「そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、また食事をとって元気を取りもどした。」
(「使徒言行録」9章17〜19節、口語訳)

サウロは視力を回復し、それと共に彼の断食も終わりました。その時にサウロがとった最初の食事は主の聖餐であったと説明されることもあります。

主によって選ばれた器

「しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。」
(「使徒言行録」9章15節、口語訳)

神様はサウロを主の御名を伝える「器」(ギリシア語の「スケウオス」)としてお選びになりました。この「スケウオス」という言葉には「器」のほかにも「武器」や「道具」といった意味があります。

口語訳の通りにそれを「器」と訳す場合には、神様を「陶器師」にたとえる旧約聖書特有の考え方との関連がわかりやすくなります(「エレミヤ書」18章がその典型的な例です)。すなわち神様はサウロを全く新しい「器」として作り直すと決心なさったということです。

しかしここでは神様によって選ばれた「武器」という訳も可能です。この訳も深い意味をもちます。サウロ(すなわちパウロ)はこれから福音のために戦うことになるという意味になるからです(22節や29節も参考になります)。またこれは、彼がキリストのゆえに苦しみを受け、ついにはキリストへの信仰のゆえに自らの命を犠牲にすることになるという意味でもあります。キリスト信仰者の人生はいつも楽なものであるなどとはとうてい言えません。しかし、それは神様の真理に導かれた本物の人生です。

なぜ神様は他の誰でもなくサウロを「異邦人の使徒」として選ばれたのでしょうか。私たちはそのすべての理由を知ることはできませんが、少なくとも次のような三つの理由を挙げることはできるでしょう。

1)サウロ(すなわちパウロ)はユダヤ人の文化のこともヘレニズムの文化のこともよく知っていた。また彼は旧約聖書を知悉しており、それをギリシア人の世界観と結びつけて説明することもできた。

2)律法に厳格に従おうとする行いを通して神様の義を獲得しようと真剣な努力を重ねた人間だけが恵みとは何かを深く理解することができる。パウロはまさしくそのような人間だった(「フィリピの信徒への手紙」3章7〜11節)。

3)かつてキリスト信仰者の迫害者だったパウロは今ではもう安易に傲慢にはならない、すべての栄誉を神様に帰する者となっていた。

「わたしは、自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する。主はわたしを忠実な者と見て、この務に任じて下さったのである。わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。その上、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた。」
(「テモテへの第一の手紙」1章12〜14節、口語訳)

陰謀 「使徒言行録」9章19節後半〜30節

もともとラビ(ユダヤ教の教師)になるための教育を受けていたサウロが復活なさったキリストを宣べ伝えるための準備は今や整いました。キリストとの出会いは彼に旧約聖書の本当の意味を明らかにしてくれたのです(「ルカによる福音書」24章32節にも同様の例があります)。イエス様こそが旧約聖書で約束されていたメシアであり、ダビデの子であり、さらには神様の御子でもあることを正しく理解できるように聖霊様がサウロの心を開いてくださったのです(「使徒言行録」9章20節)。

次に引用する「ガラテアの信徒への手紙」の箇所はルカの「使徒言行録」の記述を補うものです。

「ところが、母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、血肉に相談もせず、また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰った。その後三年たってから、わたしはケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在した。」
(「ガラテアの信徒への手紙」1章15〜18節、口語訳、「わたし」とはパウロのことです)

ダマスコからやってきたサウロはアラビヤに出て行きます。当時そこにはナバテア王国が存在し、アレタス4世が王として国を治めていました。後にパウロはアラビヤからダマスコへと帰還しましたが(9章22〜25節)、さらにそこからも脱出することを余儀なくされて、結局エルサレムに行きます。このエルサレム訪問はパウロが回心してから約3年後に起きました(「ガラテアの信徒への手紙」1章18節、「使徒言行録」9章23節)。サウロのダマスコからの脱出については次に引用する「コリントの信徒への第二の手紙」の箇所にも記されています。

「ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕えるためにダマスコ人の町を監視したことがあったが、その時わたしは窓から町の城壁づたいに、かごでつり降ろされて、彼の手からのがれた。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」11章32〜33節、口語訳)

ダマスコでもエルサレムでもサウロは今度は自分が迫害される側になる経験をします。特にエルサレムでは困難が彼を待ち受けていました。彼はエルサレムのキリスト信仰者の群れにすぐには迎え入れてもらえなかったのです。サウロがキリスト信仰者の群れに接近してきたのはきっと何かの策略にちがいないという嫌疑をかけられたからです(9章26節)。

慎重さは決して悪いことではありません。ヨハネは手紙でキリスト信仰者たちに霊を見分けるよう奨励しています(「ヨハネの第一の手紙」4章1節)。パウロは手紙で光の天使に偽装する魂の敵(すなわち悪魔)に気をつけるように警告しています(「コリントの信徒への第二の手紙」11章14節)。教会では疑うことを知らない純真さがいつもよいことであるとはかぎりません。

「サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名で大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。」
(「使徒言行録」9章26〜27節、口語訳)

このようにキプロス人のバルナバが孤独なサウロを助けてくれました。バルナバは使徒たちのところへサウロを連れて行き、本当にパウロが真剣なキリスト信仰者になったことを説明してくれました。これが功を奏したのでしょう、サウロはエルサレムの信徒たちにも受け入れられ、福音を宣べ伝えることができるようになりました。ところが反対が起こってサウロのエルサレム伝道は短い期間で終わってしまいます。サウロは出身地のタルソに帰郷するほかありませんでした(29〜30節)。そこで彼は12年間ほど宣教活動を続けた後、同僚のバルナバに頼まれてシリヤのアンテオケ(アンティオキアとも表記します)への伝道旅行に同行することになります(11章25〜26節)。

現代の私たちの教会でも信仰に入ったばかりのキリスト信仰者を教育し支え面倒を見てくれるバルナバのような人々が必要とされています。

平和と成長の時期 「使徒言行録」9章31節

「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。」
(「使徒言行録」9章31節、口語訳)

以前キリスト信仰者たちを最も激しく執拗に迫害していた者(サウロ)が回心してキリスト信仰者になったこともあり、教会は平和な生活を送り聖霊様の導きによって成長する時期を迎えることになりました。

幸いなことに神様は私たちひとりひとりに特別なやり方で神様の祝福を経験できる時期を与えてくださいます。もしもそのような時期がまったく与えられなければ、きっと私たちはキリスト信仰者としてこの世で生きていくことがすっかり辛くなってしまうことでしょう。

地中海沿岸での奇跡 「使徒言行録」9章32〜43節

「使徒言行録」のこれから先の章に記されている様々な出来事の導入部としてルカはここでルダやヨッパという名の地方でペテロを通して起きた奇跡について語っています。

ペテロはその地方にあったユダヤ人キリスト信仰者の諸教会を巡回していました(32節)。ルダで彼は八年間も床についていたアイネヤという人を癒します。しかし癒やしたのはペテロではありません。すべての奇跡を起こしてくださったのは共におられたイエス・キリストでした。ペテロは次のように言っています。

「ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。」
(「使徒言行録」9章34節、口語訳)。

この奇跡は人々に信仰を生み出すために起きたのです(35節)。

ヨッパ(現在のヤッファ)で起きた奇跡はルダでの奇跡よりも大掛かりなものでした。死んだ子どもが息を吹き返したのです。この事件はヤイロの娘のよみがえり(「ルカによる福音書」8章40〜56節)だけではなく旧約聖書の次の二つの出来事も想起させるものです。すなわち、預言者エリヤがザレパテのやもめの息子を死からよみがえらせた奇跡(「列王記上」17章17〜24節)と、預言者エリシャがシュネムの裕福な婦人の息子を死からよみがえらせた奇跡(「列王記下」4章18〜37節)です。神様が異なる時代に同じような奇跡の御業をなさるのは少しも不思議なことではありません。

死人のよみがえりは人々に信仰を生み出すために役立ちました(42節)。奇跡が起きたのは奇跡そのもののためではなく福音を前進させるためだったのです。

ペテロはヨッパで皮なめしシモンの家に滞在しました(43節)。当時、皮なめしという職業は人々から賤しくみられていました。仕事として死んだ動物の皮を取り扱わなければならず、それによって宗教的に穢れることになるからです。このことからわかるようにペテロはある程度はユダヤ教の清めの規則から解放されていました。しかしこの問題について神様は後ほどさらにはっきりとペテロに教えてくださることになります。