それでは、もしも私のほうで他の人を赦すことができない場合には、どうなのでしょうか。

フィンランド語原版執筆者: 
マヌ・ルオソ(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

他の人を赦すことが非常に困難であったり不可能に感じられたりする場合もあるかもしれません。
自分に罪の赦しを願うと同時に、他の人の罪をも赦すように、と聖書は私たちに忠告しています。
実はもっと強い表現で、「私たちが互いに赦し合わないかぎり、私たちは自分の罪の赦しを受けられない」、とさえ聖書は教えています。

「他の人を赦せない」、「自分が受けた不正をいつまでも根に持つ」という心の状態によってさいなまれることがあります。
そんな時には、どうすればよいのでしょう。

まず大切なのは、この罪を神様に告白することです。
「自分は相手を赦すことができない」、という悲しい現実を神様の御前で打ち明けます。
それから、「イエス様のゆえにこの罪もまた赦されたのだ」、と信じましょう。
また、「神様、あなたの恵みにより、私たちのうちで御業を行ってください。
そして、私たちが他の人を赦せるように助けてください」、と祈り願います。
神様の恵みによってのみ、私たちの心の傷は本当に癒されるからです。
心理療法士や牧師や私たちを傷つけた当事者との話し合いが心の傷を癒すために役立つ場合もあります。
相手を赦すことは、私たちが行う決断です。
そうはいっても、心から相手を赦せるようになるまでには長い時間が必要かもしれません。
自分が受けた不当な扱いに対する怒りから解放されるまで何年もかかるかもしれません。
そのような難しいケースでも、復讐心を捨てることが癒しへの大切なポイントになります。

「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」
(聖書のエフェソの信徒への手紙4章32節)

憐れみ深い神様、あなたは私の事情と私の心の奥底をよくご存じです。 私が心を固く閉ざしたり、受けた不正に怒りを持ち続けたりすることがないように、お守りください。