どうしてこの世には苦しみが存在するのでしょうか。
これは、人間がいつの時代にも頭を悩ませてきた問題です。
もしも全能で善い神様が存在するのなら、なぜ神様は、戦争や飢饉や殺人やその他生命を破壊する出来事が起こるのを許されているのでしょうか。
神様にはこれらすべてのことを妨げる権能がないのでしょうか。
聖書はこの問題に対してはっきりとは答えていません。
その一方では、聖書を通して答えの与えられている事柄もあります。
とはいえ、多くの疑問には答えが明示されていません。
聖書が提示する一つの見方によると、この世にある苦しみの多くは人間自身が引き起こしたものです。
戦争や暴力や不実など人の心を深く傷つける諸々の状況を生み出すのは、ほかならぬ人間自身です。
ですから、これらに関して人間は神様を責めることができません。
むしろ、自分の哀れな本当の姿を鏡に映して見ることを余儀なくされます。
一方では、この世には直接人間が引き起こしたものではない苦しみもたくさんあります。
例えば、病気や自然災害などです。
どうして神様はこれらのことを防ごうとなさらないのでしょうか。
この問題は、私たちにとって謎として残ります。
ここで、人生における「逆境」のもつ意味を考えてみましょう。
神様は逆境を通じて人をご自分の近くへ引き寄せようとされているのではないでしょうか。
苦しみが人に与えられるのは、その人が逆境の中で自らの小ささや弱さに気がついて神様のほうへ方向転換するように促すためではないでしょうか。
苦しみは人々を互いに近づける働きもします。
神様の御心は、私たちが苦しんでいる人々を助けることです。
キリストが復活されたことを宣べ伝える福音は、それを聴いて信じる私たちに慰めと希望をもたらします。 同時に真の神でもあり真の人でもあるイエス・キリストは、十字架の死に至る過程で極限の痛みと苦しみを人として実際に体験した上で、それらに勝利して復活なさったからです。
「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。」
(聖書の詩篇34篇19節)