もしも善そのものなる神様が万物を創造なさったのなら、悪はいったいどこから生じてきたのでしょうか。
聖書はすべてを解き明かす書物ではありません。 人間が救われるために是非とも知っておくべきことについてのみ、聖書は告げています。
悪の起源について、聖書はあまり多くを語りません。
聖書の最初の数章には、本来人間には善か悪のどちらかを選ぶ自由があったことが書かれています。
人間と世界は「よいもの」として創造されました。
しかし、人間はサタン(悪魔)に欺かれて造り主に不忠実となり悪を選んでしまいました。
ここで補足しておきますが、悪魔もまた神様がお造りになった被造物のひとつです。
聖書によれば、かつて悪魔は神様に反抗した天使でした。
サタンは、神様の御心とは反対の行動をするように人間を誘惑します。
そのようにして、この世には悪がはびこるようになったのです。
善そのものであられる神様が、なぜこの世に悪が入り込むのを許されたのでしょうか。
これは、私たちには謎のままです。
しかし、神様ご自身が悪の諸力に勝利なさったことは明らかです。
神様が人としてお生まれになり、私たちの罪のゆえに私たちの身代わりとして十字架で死んでくださったことが、そのなによりの証拠です。
聖書によれば、最初の人間(アダム)は、神様の御心に反する悪の道を選択した際に、自分自身ばかりか自らの子孫たる人類全体をも「罪の奴隷」として売り渡す、というきわめて深刻な事態を招きました。 私たちも、最初の人間による罪の堕落の結果として生まれながらの罪が染み付いてしまい、神様に従順であろうとする自由意志を失ってしまいました。
イエス・キリストは、ご自分の流す十字架の血を「贖いの代価」として私たちを買い取り自由の身にするために、この世に来てくださったのです。
私たちは、イエス様を通してのみ、罪の隷属から解放されます。
それとともに、神様の御心に従って生きることを人生の目標に据えることができるようになります。
「イエスは彼らに答えられた、
「よくよくあなたがたに言っておく。
すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。
そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。
しかし、子はいつまでもいる。だから、
もし子があなたがたに自由を得させるならば、
あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。」
(聖書のヨハネによる福音書8章34〜36節)