どうすれば罪を赦していただけるのでしょうか。

フィンランド語原版執筆者: 
マヌ・ルオソ(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

今から約二千年前、神様はその御子をこの世に遣わしました。
そして、御子が私たちの罪を身代わりに引き受けて十字架で死ぬようになさいました。
十字架にかかったイエス・キリストは、あなたの自己中心的な心、不信仰、貪欲、不正直、その他すべてのあなたの罪を肩代わりしてくださったのです。
また、神様は死者の中から御子を復活させることによって、この罪の赦しを確実なものとしてくださいました。

イエス様の十字架の死が神様と人間との間に和解をもたらしたことを受け入れる信仰を通して、あなたは罪を赦していただけるのです。
罪の赦しは、私たちに無代価で(ただで)与えられるプレゼントです。
罪の赦しをいただくために自分の生活の体裁を取り繕ったり、心の中から信心らしきものを絞り出したりする必要はありません。
自分自身の行いは罪の赦しをいただくための「前提条件」ではないからです。
私たちのためにすでにすべて用意されている罪の赦しの恵みをただ素直に受け入れさえすればよいのです。
私たち人間が自分の罪を自分の力で帳消しにできないことを、神様はご存知です。
だからこそ、神様ご自身が御子イエス様の贖いの御業によってすべての人間の罪を帳消しにしてくださったのです。
ですから、あなたもまた、「自分の全ての罪はイエス様のゆえに赦された」、と信じてよいのです。

「どのような人間か」、あるいは、「何をしてきたか」、といったことには関わりなく、
「神様の御業によって、自分は罪の呪いから解放され、罪の赦しの憐れみを受けている」、
とあなたは確信してよいのです。

神様の御前に立つ時、私たちのよい行いやすぐれた業績などは神様が私たちを受け入れてくださる根拠になりません。
自分のよい行いを神様に自慢するのは無益です。
神様が罪深い人間存在を受け入れてくださる唯一の根拠は、御子イエス様の十字架の死だけだからです。

「すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。
(中略)神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。
それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」
(聖書のコリントの信徒への第二の手紙5章19, 21節)

善そのものであられる神様、十字架の福音を感謝します。 イエス様のゆえに、「私の罪は赦された」、と信じてよいことを感謝します。