今でもまだ私は罪の赦しを神様からいただけるのでしょうか。

フィンランド語原版執筆者: 
マヌ・ルオソ(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

「私は今でも罪の赦しを神様からいただけるのだろうか」、と自分に問いかける姿勢が失われないかぎり、その人に対して神様の恵みのドアはまだ開かれています。
罪を平気で行ったり楽しんだりせず、罪を罪として悲しむ心を失わないかぎり、私はイエス様からいただく罪の赦しという確実な守りの中にいるのです。

「私の場合は例外で、神様からいただく罪の赦しの恵みでも足りないだろう」、などと考え違いをすることが時にはあるかもしれません。

「私が行ってきた数々の罪はあまりにもひどく、私が罪の赦しを受けるのはもう無理だ」、などと人は考えがちです。

このような暗い考えを、悪魔は薄笑いを浮かべて私たちの耳元で囁きかけます。
そうやって私たちをだまして、人を神様の御許から引き離そうとするのです。

もちろん、すでに犯してしまった罪を行わなかったことにはできません。
しかし、神様の恵みは本当に一切の罪を覆うほどに大きいものなのです。
ですから、神様がくださる罪の赦しを安心して信頼しましょう。

罪深い存在である私たちは、同じような罪を何度も繰り返してしまうものです。
にもかかわらず、神様はそれらの罪を何度でも赦してくださいます。
神様からいただく罪の赦しから、まさにそこからのみ、私たちは罪と戦う力を得ます。
罪は危険な敵です。
この世を去る時まで、私たちは罪との戦いを続けていくことになります。

「主のいつくしみは絶えることがなく、
そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、 あなたの真実は大きい。
主はおのれを待ち望む者と、
おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。」
(聖書の哀歌3章22〜23, 25節)

神様、聖書はあなたについて、「主の恵みは永遠に変わることがない」、と語っています。 この御言葉の約束を信頼してよいことを感謝します。 私がまた新たに信仰生活を始めることができるように、どうか私をきよめてください。