良いニュースと悪いニュース、聖金曜日とイースターのメッセージ

フィンランド語原版執筆者: 
アリ・ユーパルオマ(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

私たちはたくさんの悪いニュースに取り囲まれて生きています。しかし聖金曜日とイースターのメッセージはそのような私たちに与えられた良いニュースです。

自然災害、疫病、戦争などについて洪水のように押し寄せるニュースの大群は今日では私たちの想像を遥かに超えるものとなっています。しかも明日にはさらに何かもっと悪いことを見たり聞いたりすることになるかもしれないのです。

この世の動向や人々の生活がたやすいものであったことは今まで一度もありませんでした。「万事は今までと同じように続いていくので心配はいらない」といった約束は私たちには与えられていません。ところが私たちはさも当然であるかのように「多くのことはこれからも変わらないままだろう」と考えがちです。

何気ない日常生活を送っている時に私たちは人生がいかに脆いものであるか忘れていることがよくあります。そして思いがけなく立ち止まるほかなくなるようなことが起きます。

他の多くの人々がすでに経験してきたのと同じような痛みや憧憬や恐れや真実に私たちも向かい合うことになるのです。

誰も避けることができない真理が存在します。この真理は目新しいニュースではありません。しかし常に私たちを不意打ちして立ち止まらせるのです。

「そして、一度だけ死ぬことと、
死んだ後さばきを受けることとが、
人間に定まっているように」
(「ヘブライの信徒への手紙」9章27節、口語訳)

自分もいつかはこの世での人生を終えることになります。また自分もいつかはこの世での生きかたについて(最後の裁きの時に)責任を問われることになります。これは私たちにとって悪いニュースです。しかし避けることのできない真実です。この真実において私たちは自分にはあまりに強大で理解不能な事態に直面します。

だからこそ私たちにはもっと良いニュース、真に良いニュースが必要なのです。このニュースは否定できない真実から目を逸らしません。そしてこのニュースは恐れや絶望の只中にいる私たちを助けてくれるのです。

私たちの利己的な行動や怠慢さは(私たちのうちにある)邪悪さ(原罪)に由来しています。この邪悪さのせいで私たちは恐れ絶望し苦々しく悲嘆に明け暮れるようになってしまうのです。私たちはこの恐れや絶望を根こそぎ消してくれる特別に良いニュースを必要としています。

さまざまなものに脅かされて幾度となく地面に叩きつけられてきた私たちは聖金曜日とイースターの良いニュースを必要としています。このニュースはあらゆる障害や敷居を乗り越える力をもっています。

「わたしたちは、御子にあって、
神の豊かな恵みのゆえに、
その血によるあがない、
すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。」
(「エフェソの信徒への手紙」1章7節、口語訳)

この世の動向や人々の生きかたは主イエス様にとってもたやすいことではありませんでした。イエス様はこの世の中にあるすべての悪と罪を御自分で引き受けるほかありませんでした。罪のないこのお方は他の人々の身代わりに律法の要求する罰を死に至るまで苦しみ抜かれたのです。

主イエス様は私たちの抱えている罪深さという問題を御自分のものとして引き受けて、罪がもたらす死と裁きから私たちを解放するという決定を私たちのためにあらかじめ用意してくださいました。すべてがイエス様の血の力と価(あたい)によって非の打ち所がない徹底さで成し遂げられたのです。

イエス・キリスト復活のニュースはこのお方が神様の律法の要求を御自身の生きかたを通して完全に実現なさったことを伝えています。(最後の裁きで)私たちのこの世での生きかたについて審議がなされる時にはキリストの御言葉と御業が決定的な重みをもちます。そして(洗礼を受けイエス様を救い主として信じている)私たちには罪の赦しの判決が下されるのです。この世を去った後の私たちには素晴らしい未来が保証されています!

それゆえ今年のイースターでも死からの贖いと罪の赦しが宣べ伝えられているのです。そして、それを実現してくださった主イエス様の受苦と死と復活が賛美されているのです。イエス様が王として支配なさる御国は素晴らしく永遠なるものです!これに優るニュースを聞くことも想像することもできません。

「時は満ちた、神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信ぜよ。」
(「マルコによる福音書」1章15節、口語訳)

主イエス・キリストは十字架で死なれ三日目によみがえり墓から外に出られました。これは全人類にとって新たな時代が始まったことを意味しています。死と裁きが打ち砕かれたのです!

良いニュースが悪いニュースに取って代わりました。それにともない私たちは「これからは新たな心構えで生きていくように」という主からの招きを受けています。これは私たちが真剣に取り組むべき課題です。私たちは物事を根本的に評価し直し、前代未聞の素晴らしいニュースを信じるようにと招かれているのです。

「すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、
その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、
わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。
神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、
わたしたちはキリストの使者なのである。
そこで、キリストに代って願う、
神の和解を受けなさい。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」5章19〜20節、口語訳)

喜びに満ちた十字架と復活のイースターを共にお祝いしましょう!