コリントの信徒への第二の手紙8章 キリスト信仰者は貧窮と富裕を分かち合う
エルサレム教会への経済的支援
8〜9章でパウロはエルサレム教会への経済的支援について述べています。この「献金」の意味を理解するために、まず私たちは異邦人伝道の始まりについて少々振り返る必要があります。
パウロとバルナバが最初の海外宣教旅行を終えて帰還した時、シリアのアンティオキアのキリスト信仰者たちは、異邦人(すなわち非ユダヤ人)もキリスト教信仰に改宗したというよい知らせを受けて喜びに満たされました。
「それから、ふたりはピシデヤを通過してパンフリヤにきたが、ペルガで御言を語った後、アタリヤにくだり、そこから舟でアンテオケに帰った。彼らが今なし終った働きのために、神の祝福を受けて送り出されたのは、このアンテオケからであった。彼らは到着早々、教会の人々を呼び集めて、神が彼らと共にいてして下さった数々のこと、また信仰の門を異邦人に開いて下さったことなどを、報告した。そして、ふたりはしばらくの間、弟子たちと一緒に過ごした。」
(「使徒言行録」14章24〜28節、口語訳)
ところがしばらく経つと、おそらくはエルサレムにまで伝わってきた様々な噂や知らせなどがきっかけとなって、キリスト信仰者の一団がユダヤからアンティオキアに派遣されることになりました。そして、彼らは異教からキリスト教に改宗した異邦人キリスト信仰者に対してもモーセの律法に従うことを要求しました。
「さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。」
(「使徒言行録」15章1節、口語訳)
割礼の要求は律法全体の遵守を意味していました。この要求は激しい論争を巻き起こしました。しかし、アンティオキア教会だけでは解決できなかったため、エルサレム教会の指示を仰ぐことになりました。
「そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。」
(「使徒言行録」15章2節、口語訳)
「コリントの信徒への第二の手紙」を執筆する約10年前に(おそらく西暦48年頃に)エルサレムで使徒会議が開催されました。そこで決定されたことには、異教からキリスト教に改宗した者(異邦人キリスト信仰者)はそれに加えてユダヤ人にもなる必要はないという事項も含まれていました(「使徒言行録」15章19〜21節)。これはキリスト教がユダヤ教から決定的に袂を分かった瞬間でもありました。もしも律法によって義とされる立場がエルサレムの使徒会議で勝利を収めていたならば、キリスト教はユダヤ教の一分派に成り下がり、あっという間に潰えてしまったことでしょう。実際の歴史においても、エルサレム滅亡(西暦70年)の後にはファリサイ派がほぼ唯一のユダヤ教の分派として存続したにすぎません。
「そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。ただ、偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい。」
(「使徒言行録」15章19〜20節、口語訳)
使徒会議によるこの決定事項はキリスト信仰者の中にユダヤ人も異邦人もいる教会で両者間の様々な摩擦を調停するためのものである、とパウロは解釈しました。彼によれば、異邦人キリスト信仰者はユダヤ人キリスト信仰者との共益を優先させるために、特定の事柄に関しては自分が本来有している権利をあえて行使せずに生活しなければなりません。それとは対照的に、異邦人キリスト信仰者しかいないキリスト教会に対しては、パウロはエルサレムの使徒会議の決定事項の遵守を要求しなかったようです。
コリントでパウロに敵対したのはユダヤ主義者のグループでした。彼らは使徒会議の決定事項をパウロとは正反対の意味で解釈しました。彼らによれば、決定事項は来るべき事態の新たな展開への第一歩に過ぎませんでした。使徒会議の段階では問題の核心部分だけを異邦人キリスト信仰者たちに要求することにしたが、いずれまもなく割礼さらには律法全体の遵守をも要求するべき時が来る、というのが彼らの考えでした。
こうして見てくると、パウロの擁護した「律法から自由な福音」がエルサレムの使徒会議で収めた勝利の重要性がわかります。ただし、この勝利にはある条件が課されました。異邦人キリスト信仰者たちはエルサレム教会の貧しい信徒たちを経済的に支援するべきであることが明記されたのです(「ガラテアの信徒への手紙」2章10節)。集められる献金は異邦人キリスト信仰者とユダヤ人キリスト信仰者の間の一致のしるしでもありました。これは異邦人キリスト信仰者がエルサレム教会との信仰の絆を表明することだけではなく、キリスト教がエルサレムから発祥したことを認めて受け入れることでもありました。
このように経済的な支援には神学的な側面がありました。それゆえ、パウロは自分で義援金をエルサレムに運んで行こうとしたのです(「ローマの信徒への手紙」15章25〜27節)。そうすれば、誰も「パウロはエルサレム教会の決定事項を実行しなかった」とは言えなくなるからです。それはまた、福音とキリスト教信仰とがエルサレムから広まり始めたことをパウロの側で承認することでもありました。
どうしてエルサレム教会は困窮していたのでしょうか。その理由はいくつもありました。「約束の地」は旧約聖書で大いに称賛されています(「申命記」8章7〜11節)。しかし、使徒の時代にはパレスティナはとても貧しい地域になっていました。また、他の地方のキリスト教会からもエルサレムの聖地を訪れる旅行者たちがいました。彼らの一部はエルサレムに残って住むようになりました。ユダヤ教から改宗したキリスト信仰者たちはシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)との繋がりも親戚からの援助も失うことになりました。多くのキリスト信仰者の生活は困難なものになったのです。彼らはユダヤ人たちからは間違った信仰者(例えば商人など)として見下されました。また、彼らはキリスト教への改宗によってそれまでの職業を続けることが不可能になる場合もありました。後者の例としてはユダヤ教の祭司だった人々を挙げることができます。
「こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。」
(「使徒言行録」6章7節、口語訳)。
「コリントの信徒への第二の手紙」8章1〜5節 マケドニアの例
パウロは前の箇所で「神の言を売物に」しないことを強調しました(2章17節、口語訳)。彼は御言葉によって経済的な利益を得ようとはしなかったということです。
経済的な支援を話題にすると、人々の誤解や非難を招きやすいものです。そのことを考慮に入れた上で、パウロは言葉を慎重に選びながら手紙を書き進めています。
この8章でパウロはギリシア語で「カリス」という言葉を様々な意味で用いています。通常「恵み」と訳されるこの言葉は「恵みの賜物」という意味のギリシア語の「カリスマ」と同類の言葉です。「カリス」は口語訳では以下のように訳されています。
「恵み」(8章1節、4節)、「募金」(8章6節)、「恵みのわざ」(8章7節)、「感謝」(8章16節)、「贈り物」(8章19節)
「恵みの賜物」について私たちはあまりよく理解していないことが多いようです。この言葉から連想するものといえば、預言すること、病気を癒すこと、異言で話すことなどではないでしょうか。しかし、パウロの手紙に記されている「恵みの賜物」の一覧表(例えば「コリントの信徒への第一の手紙」12章28〜30節や「ローマの信徒への手紙」12章4〜8節)を読んで見ると、教えること、励ますこと、指導すること、自分の持ち物を分け与えることなどといった様々な恵みの賜物が存在することがわかります。ですから、不思議に見える恵みの賜物の種類はそれほど多くはないのです。
マケドニアのキリスト信仰者たちはきわめて貧しかったのですが、それでもなお自ら率先してエルサレムの教会を経済的に支援しようとしました(8章2〜4節)。このような態度は次に引用する「やもめの献金」にも通じるものです。
「イエスは目をあげて、金持たちがさいせん箱に献金を投げ入れるのを見られ、また、ある貧しいやもめが、レプタ二つを入れるのを見て言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持っている生活費全部を入れたからである」。」
(「ルカによる福音書」21章1〜4節、口語訳)
次の箇所からはマケドニアの信徒たちによる信仰の実践の様子がよく伝わってきます。
「わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。」 (「コリントの信徒への第二の手紙」8章5節、口語訳)
これからわかるように、神様が注目なさるのは贈り物の量ではなくその質です。マケドニアの信徒たちは最大の贈り物を主に捧げたのです。それは自分自身です。
現代の高速な旅が当たり前になっている現代人には、当時のマケドニアの信徒たちにとってエルサレムの信徒たちがどれほど遠い世界の住人であったかを実感するのは難しいのではないでしょうか。当時はテレビなどを通して全世界の出来事をリアルタイムで眺めることなどはまったくできませんでした。それでも、マケドニアの信徒たちの信仰は地理的な距離を超えてキリスト信仰者同士の絆を生み出したのです。
パウロはマケドニアの三つの場所に教会を設立しました。それらはフィリピとテサロニケとベレヤです(「使徒言行録」16章11節〜17章15節)。フィリピのキリスト信仰者たちの気前の良さについてパウロは「フィリピの信徒への手紙」で感謝を表しています(「フィリピの信徒への手紙」4章10〜20節)。
「コリントの信徒への第二の手紙」8章6〜15節
「等しくなるようにする」ために
コリントの信徒たちはすでに前年からエルサレムの信徒たちを経済的に援助するための募金を始めていました(8章10節、9章2節)。しかし、これはコリント教会で表面化した数々の問題のために中断されたままになっていました。
パウロは「コリントの信徒への第一の手紙」16章1〜4節で募金活動を組織的に行うための具体的な指示を与えています。それは、安息日の翌日すなわち日曜日ごとにお金をそのために取り分けておくように、というものでした。募金活動はガラテアの教会でも行われました。同様にパウロの設立した他の全ての教会でも実行されたものと思われます。
コリントの信徒たちがエルサレムの貧しい信徒たちのための募金活動を再開する気があるのかどうかについてパウロは確信が持てなかったようです(8章8節を「コリントの信徒への第一の手紙」16章1〜4節と比較してください)。やや後になってから書かれた「ローマの信徒への手紙」によれば、異邦人キリスト信仰者が多数を占める諸教会が一致協力して行った募金活動にコリントの信徒たちも参加することになりました(「ローマの信徒への手紙」15章26節)。
貧しいマケドニアの諸教会と比べてコリントの教会は経済的な余裕がありました。にもかかわらず、パウロは彼らの豊かな資金力に訴えかけることはしませんでした。むしろ彼は「キリストの模範」を前面に押し出したのです。
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」8章9節、口語訳)
ここにもパウロの典型的な特徴があらわれています。パウロは一見すると目立たないやり方で重要な信仰の真理を語っているのです。
上掲箇所の「主は富んでおられた」という表現は、キリストが人としてこの世にお生まれになる前に神様の御許におられたことを意味しています。このことについては「フィリピの信徒への手紙」2章5〜11節に詳細に説明されています。パウロはキリストの生誕については手紙で一度も言及していません。にもかかわらず、パウロがイエス・キリストがただの人間の子どもであったとは全く考えていなかったことは明白です。この世界の始まる前からずっと神様であられたイエス様は人としてこの世にお生まれになってからは「神の子」でもあり「人の子」でもあるという存在になられたのです。
たしかにパウロは「キリストの模範」を提示しています。しかし、コリントの信徒たちに上から高圧的に命令しようとしているのではありません。彼はすでに1章24節で「わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎない。あなたがたは、信仰に堅く立っているからである。」(口語訳)と言っています。パウロはただ助言しているだけなのです(8章10節)。
「私たちには何が欠けているか」ではなく「私たちには何があるのか」ということに神様は関心を寄せておられます(8章12節)。ですから、私たちも「これらの条件が整ったら、このように行おう」というように考えるべきではないでしょう。私たちは未来や期待においてではなく現在と現実の中でこそ生きていくべきだからです。
パウロの本意はコリントの信徒たちに要求を突きつけることではありません。ただ彼はコリントの信徒たちが信仰の兄弟姉妹を助けたいという心を持つようになることを望んでいるのです。愛するように強制することは誰にもできないからです(8章8節)。
「勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。」
(「ローマの信徒への手紙」12章8節、口語訳)
この箇所の終わりでパウロは、かつてイスラエルの民が荒野をさまよった時期に「マナ」という不思議な食べ物を与えられ続けたという奇跡に言及しています。このマナを集めることに関して主はイスラエルの民に次のように命じられました。
「主が命じられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい』と」。イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。」
(「出エジプト記」16章16〜18節、口語訳)
教会全体の共同責任と協力体制
フィンランドも含めた北欧諸国では「社会的な弱者を守って世話することは社会の果たすべき責務である」という考え方をする人は以前よりも増えてきています。社会福祉は税金によって賄われるべきものです。とはいえ、それを積極的に実現しようとする意思はさほど強くはありません。人は皆、経済的な利益は欲しがるくせに、自分が経済的な損失を被ることは嫌うからです。
何かについて共同責任を取ろうとする態度が実際には誰もそれについて責任を取ろうとしない結果を生じさせることはよくあります。それでも、キリスト信仰者として私たちは社会の背後に隠れて身を隠すことはできません(「マタイによる福音書」25章31〜46節)。
「コリントの信徒への第二の手紙」8章16〜24節 パウロの推薦状
エルサレムの貧しい信徒たちのための支援金はことのほかたくさん集まりました(8章20節)。そのため、全額がきちんと正しい受け取り手に送り届けられるのかを疑う人が出てくることをパウロは予期していました。パウロはあらかじめ悪口や噂を封じる方策として、この支援金を一人で取り扱うのを避け、テトスを彼の代行者として選ぶことにしました。マケドニアの諸教会が選出した二人の信仰の兄弟がテトスに同行して出発しました(8章23節)。
マケドニアからコリントへの旅でテトスに同行したこの二人のキリスト信仰者とは誰だったのでしょうか。普通パウロは手紙で彼の旅の同行者の名前を明示していますが、今回はそれを伏せています。
8章18節によれば、彼らのうちの少なくとも一人は教会でよく名が知られた存在だったようです。また8章22節によれば、もう一人のほうはあまり知られていない人物で、おそらくマケドニア人であったのではないかと思われます。
「使徒言行録」には、パウロのコリントからエルサレムへの旅に同行した7人のキリスト信仰者たちの名前が挙げられています。
「プロの子であるエペソ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、それからテモテ、またアジヤ人テキコとトロピモがパウロの同行者であった。」
(「使徒言行録」20章4節)
さらに8番目の同行者として「使徒言行録」を執筆した福音書記者ルカがいました。そう言えるのは、この「使徒言行録」20章は「わたしたち」という言い方で書かれており、ルカもまたパウロたちと共に旅していたことが知れるからです。
とはいえ、先に挙げたマケドニアからコリントへの旅に同行した二人の信仰の兄弟がその後も引き続いてコリントからエルサレムまでの旅に同行したかどうかはわかりません。ですから、彼らの名前が上述のリストに含まれているかどうかもはっきりしません。
8章18〜19節は、マケドニアの諸教会によって旅に送り出された無名の信仰者について、どうして彼が選ばれたのかを説明しています。
「わたしたちはまた、テトスと一緒に、ひとりの兄弟を送る。この兄弟が福音宣伝の上で得たほまれは、すべての教会に聞えているが、そのうえ、彼は、主ご自身の栄光があらわれるため、また、わたしたちの好意を示すために、骨を折って贈り物を集めているわたしたちの同伴者として、諸教会から選ばれたのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」8章18〜19節、口語訳)
選出法についてパウロは「手を挙げて選出の意思を示す」という意味のギリシア語の言葉を用いています。
キリスト教会にはすでに最初の頃から専門的に教会の職務を担う人々が存在しました。彼らはパウロやテトスのように神様の御国の伝道を日々の仕事とする人々でした。教会には彼らに加えて、何か他の仕事で生活を賄いながらボランティアで福音伝道に従事している教会の役員たちもいました。
キリスト教伝道における金銭の取り扱いには特別な正確性が求められます。献金者に対してもまた神様に対しても福音伝道者は責任を負っているからです、献金の使い方については、口さがない噂や陰口がなされないように細心の配慮を心がけなければなりません。
「そうしたのは、わたしたちが集めているこの寄附金のことについて、人にかれこれ言われるのを避けるためである。わたしたちは、主のみまえばかりではなく、人の前でも公正であるように、気を配っているのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」8章20〜21節、口語訳)
キリスト教会の金銭の使い方は税務署など公的機関の検査も合格するものでなければなりません。
私はあるとき北米人の神学教授に「あなたの国にはテレビなどで大々的に活動しているキリスト教の説教者たちがいるが、彼らについてどう思いますか」と尋ねたことがあります。その教授は「彼らのうちの大部分は福音をできるだけ多くの人に伝えたいという純粋な動機から活動を始めたのです。ところが、彼らの伝道活動を宣伝する番組を通してたくさんお金が手に入ることに気づくと、今度はお金を儲けることが彼らの活動の目的に変わってしまうのです」と答えました。
お金は誰にとっても魅力的に見えるものです。だからこそ、キリスト教会は経済的な不正を許さないような運営の仕方を行わなければなりません。