ペテロの第二の手紙
「ペテロの第二の手紙」ガイドブック
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日本語版にはある程度の内容的編集が加えられています。
聖書の日本語訳は原則として口語訳に従っています。
章節のみが記されている場合は「ペテロの第二の手紙」からの引用です。ただし例えば「マタイによる福音書」2章3節および5章6節のように「および」が用いられている場合には後者も同じ「マタイによる福音書」からの引用であることとします。
ペテロの第二の手紙について
偽教師たちを反駁する
1章1節によれば使徒ペテロがこの手紙の書き手です。この手紙には例えば山上での出来事などイエス様にまつわる書き手の個人的な体験も多く記されています。(1章16〜18節)。
「ペテロの第二の手紙」はペテロの死の直前に書かれたものと推定されます。ローマ皇帝ネロは西暦68年に皇帝の座を追われたので、ネロの迫害でペテロが殉教したのはそれ以前であったことになります。
「ペテロの第二の手紙」の受取手はペテロが以前訪問したことのある教会でした(1章16節)。このことから判断すると、おそらくこの手紙の受取手たちは「ペテロの第一の手紙」の受取手たちとは別の人々であったと思われます。
もしもそうであるならば、「ペテロの第二の手紙」3章1節が挙げている「この第二の手紙」とは異なる第一の手紙は「ペテロの第一の手紙」のことではなく、消失してしまった他の手紙だったことになります。
「ペテロの第二の手紙」は二つの問題を取り扱っています。
第一の問題は、教会に偽教師たちがやってきたことです(2章)。キリスト信仰者たちは彼らの教えに聴き入るべきではなく神様の御言葉への忠実を貫くべきであるとペテロは警告しています(1章)。またペテロによれば、この異端者たちは不道徳的な生き方をしていたようです。
第二の問題は、キリストの再臨を今か今かと待ち望んでいるキリスト信仰者たちのことを軽蔑し、再臨が起こること自体を否定する人々がいたことです(3章)。
「パウロの名前を冠した新約聖書の手紙たちはその全部が本当にパウロによるものなのかどうか」という疑問が今にいたるまで多くの研究者によって提示されてきました。それとくらべてみても、「ペテロの第二の手紙」がペテロによる手紙であることを疑問視する人は多いです。例えば多くの研究者は「ペテロの第二の手紙」を新約聖書に収められた書物の中で最も遅い時期に執筆されたものとみなしています。執筆時期について西暦100年前後に推定する説が一般的ですが、なかにはさらに遅く150年頃であったとする説もあります。
「ペテロの第二の手紙」が偽名の手紙であるとする根拠としては次のようなものが挙げられてきました。
1)初期の頃の教会にも「ペテロの第二の手紙」がペテロの純正の手紙ではないと疑う人々がすでにいたことについて教父オリゲネス(185〜253)が証言している。教父エウセビオス(265〜340)はこの手紙を「ヨハネの第二の手紙」
や「ヨハネの第三の手紙」や「ヨハネの黙示録」と同列におき、聖書の正典としてふさわしいかどうか「意見の分かれるもの」(ギリシア語で「アンティレゴメナ」)とみなしていた。「ペテロの第二の手紙」が使徒的な書物であると一般的に認知されるようになったのはようやく300年代になってからのことである。
2)「ペテロの第二の手紙」はパウロの手紙群を収集したコレクション(ラテン語で「corpus Paulinum」)について言及している(3章15節)。
3)「ペテロの第二の手紙」3章4節は、この手紙が執筆された時点ではすでに初代のキリスト信仰者たちが全員死去していたことを示唆している。
4)「ペテロの第二の手紙」2章の内容は「ユダの手紙」と酷似している。
5)「ペテロの第二の手紙」の文体は「ペテロの第一の手紙」の文体とは明らかに異なり、決して上質とは言えないギリシア語で書かれている。
6)「ペテロの第二の手紙」に描かれている教会の状況は100年代の状況に相当するものである。
7)「ペテロの第二の手紙」に使用されている語彙は「ペテロの第一の手紙」のそれとはかなり異なっている。両者に共通して使用されている単語数はわずか100個ほどに過ぎないのに対して、一方の手紙にだけ出てくる単語は599個もある。
上記のような疑いの根拠付けに対しては次のような反証が与えられてきました。
1)「ペテロの第二の手紙」は新約聖書に含まれる書物のひとつとして公同の教会で承認された。この手紙の正統性に対する疑いが生じたのは、ペテロ以外の人物によって書かれた外典福音書である「ペテロによる福音書」や「ペテロの黙示録」という使徒的正典性に欠ける書物群がすでに当時存在していたためである。これらの偽典のせいで教会は「ペテロの第二の手紙」が使徒的な教えを忠実に継承する正典にふさわしい書物であることを確信するまでにある程度の時間を要したのである。
2)「ペテロの第二の手紙」3章15節の意味しているものが、パウロの手紙群のコレクションについてなのか、それともパウロのある特定の手紙についてなのかは判断が難しい。
3)「ペテロの第二の手紙」3章4節に出てくる「先祖たち」が使徒のことなのか、それとも旧約聖書の聖徒たちのことなのかはわからない。
4)「ペテロの第二の手紙」2章が「ユダの手紙」からの引用であるとは断言できない。もしかしたら「ペテロの第二の手紙」と「ユダの手紙」の背景に共通の伝承が存在したのかもしれない。「ユダの手紙」の成立時期が遅かったという前提をとりあえず保留して議論を進めるならば、かりに「ペテロの第二の手紙」が「ユダの手紙」からの引用を含んでいたとしても、それは「ペテロの第二の手紙」の成立時期が遅かった根拠にはならない。
5)ペテロが「ペテロの第一の手紙」の代筆者(シルワノ)とは別の代筆者を用いたか、あるいはペテロ自身がこの手紙を書いたのだとすれば、ペテロのこれら二通の手紙の間に見受けられる文体上の相違は特筆すべきことではなくなる。
6)キリスト教会の最初の100年間の状況については実はあまりよくわかっていない。そのために次のような循環論法が生じやすい。
「「ペテロの第二の手紙」は西暦100年代に書かれた。なぜならば、この手紙の描いている教会の状況が100年代の教会の状況を反映しているからである。しかし100年代の教会の状況がこのようなものであるとわかるのは「ペテロの第二の手紙」がそれについて描写しているからである」といった循環論法である。
7)複数の手紙を口述させた人物がたとえ同じであったとしても、代筆者がその手紙の成立自体に大きな役割を担っていた場合には、当然ながら手紙に使用された語彙も代筆者に応じて変化することになる。なお新約聖書全体を通して一度しか出てこない(ラテン語の術語で「hapax legomena」と呼ばれる)単語が両方の手紙にほとんど同じ数だけ含まれていることは注目に値する事実である(「ペテロの第一の手紙」には59個、「ペテロの第二の手紙」には56個)。
かりに「ペテロの第二の手紙」を受け取った諸教会がパウロの手紙(「ペテロの第二の手紙」3章15〜16節)を信用していなかったとするならば、同じ諸教会がペテロの手紙のことも信用していなかったという可能性も当然ながら考えられる。
かりに「ペテロの第二の手紙」の書き手がペテロ本人ではなかったとするならば、この手紙を受け取ることになる諸教会から信頼されていたかどうかわからないペテロの名をあえて借用してこの手紙が書かれた理由が説明できなくなる。
神様の約束は確実である
「ペテロの第二の手紙」には聖書の解釈の仕方にかかわるよく知られた箇所があります。
「こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。」
(「ペテロの第二の手紙」1章19〜21節、口語訳)
このように聖霊様だけが聖書の真のメッセージを聖書の読者に開示してくださるのです。
神様の約束は確実です。キリストについて聖書が予言してきたことは時が満ちて、ユダヤ人たちが期待していたのとは異なる時に異なる仕方で成就しました。同様に、例えばキリストの再臨(3章8〜13節)など、この世でまだ実現していない神様の約束についても神様御自身が選ばれた時と仕方によって実現すると私たちは信じてよいのです。
ペテロはこの手紙でキリストの再臨の遅延の問題を扱っています。当時の教会内には様々な異端が広がりつつあり、「キリストの再臨はこれからも実現することはない」とうそぶく異端者たちさえ存在しました。