コリントの信徒への第二の手紙1章 変更された使徒パウロの旅行計画

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

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「コリントの信徒への第二の手紙」1章1〜2節  はじめの挨拶

「神の御旨によりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」1章1〜2節、口語訳)

パウロはこの手紙を次のような形式に従って書き始めています。

1)紹介
2)手紙の受け取り手
3)神様の恵みへの希望
4)感謝と賛美

この「定型文」には手紙の主要なテーマがすでに表明されています。すなわち「パウロは神様が召された使徒であり、神様は彼にある大切な使命を与えられた」ということです。ルカの「使徒言行録」にも次の記述があります。

「しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。」
(「使徒言行録」9章15〜16節、「あの人」とはパウロのことです)。

「コリントの信徒への第一の手紙」の場合、パウロが想定した受け取り手にはコリントの信徒だけではなく他の全ての信徒たちも含まれていました(「コリントの信徒への第一の手紙」1章1〜3節)。それに対して「コリントの信徒への第二の手紙」はコリントとアカイア州(口語訳では「アカヤ」)のキリスト信仰者に焦点を絞って書かれています。アカイア州は現在のギリシアの南部に相当し、コリントはその地方の最大の都市でした。

「コリントの信徒への第二の手紙」のもう一人の差出人として「テモテ」という名前が挙げられています(1章1節)。テモテはコリントの教会の設立時にパウロと共に伝道していました(「使徒言行録」18章5節)。さらに、パウロの代理人としてコリントを訪れてもいます(「コリントの信徒への第一の手紙」4章17節、16章10節)。

パウロは自らの意思によってではなく神様から遣わされた者として自分が福音を宣教していることを強調します(1章1節)。

コリントの教会には難問が山積していたにもかかわらず、パウロはコリントの信徒たちのことも含めて「神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たち」と呼びかけています(1章1節)。私たちキリスト信仰者は「聖徒」と呼ばれます。それは私たち自身の落ち度のない生活態度のおかげなどではなく、ひとえにキリストに基づくものです。

「コリントの信徒への第二の手紙」1章3〜11節 神様の慰め

「兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。神はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さった、また救い出して下さるであろう。わたしたちは、神が今後も救い出して下さることを望んでいる。」 
(「コリントの信徒への第二の手紙」1章8〜10節、口語訳)

上掲の箇所でパウロがどのような困難や危険を指しているのかはわかりません。最も自然に思われるものとしてはエフェソの騒乱を挙げることができます(「使徒言行録」19章23〜34節)。当時のエフェソはアジア州の中心的な都市でした。しかし、ルカが「使徒言行録」で描写しているこの深刻な騒乱はパウロの言う「危険」とは内容的にずれているようにも思えます。とはいえ、ルカがエフェソに起きた騒動の一部始終を述べていない可能性ももちろんあります。

パウロとコリントのキリスト信仰者たちとの間には慰めの相互連関がありました。コリントの信徒たちはテトスを慰め、テトスはパウロを慰めました(7章6〜7節)。そして今度は手紙の冒頭でパウロがコリントの信徒たちを慰めています。

「わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」1章6節、口語訳)。

「人は自分の蒔いたものをいずれ刈り取ることになる」というのは多くの先人たちの経験してきたことです。ただし、これはすぐに起きるとは限らず、もしかしたら何年も経ってからのことかもしれません。苦しみの最中にいる人は苦しみにも何かしらよいことが含まれているかもしれないとは思えない場合が多いでしょう。パウロは次のように書いています。

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」10章13節、口語訳)。

病院で患者の心をキリスト教信仰に基づいて治療する仕事をしているある専門家によると、苦しみや悩みについてはそれが自分の人生で実際に起きてしまう前にあらかじめよく考えておくほうがよいとのことです。いざそれらが我が身に起きてしまうと、それについて考える力はもう残っていないことが多いからです。

最善の場合には、苦難が人を成長させることもありえます。それは、苦難を通して私たちがよりいっそう神様と神様の助けとに依り頼むことができるようになる場合です(1章9節)。

キリスト信仰者の最終的な慰めは「復活」にあります(「コリントの信徒への第一の手紙」15章19節も参照してください)。この世の人生が全ての終わりではありません。神様が私たちに賜ることはこの世の人生だけに限定されるものではありません。

「そして、あなたがたもまた祈をもって、ともどもに、わたしたちを助けてくれるであろう。これは多くの人々の願いによりわたしたちに賜わった恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」1章11節、口語訳)

この節でパウロはコリントの信徒たちに「とりなしの祈り」を頼んでいます。パウロの人生における苦難がまだ完全には終わっていないからです。キリスト信仰者はこの世での全生涯にわたって自らの「十字架」を担い続けるように召されています。イエス様は次のように教えておられます。

「それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。」
(「マタイによる福音書」16章24〜28節、口語訳)。

苦難の中にいる人を助けることができるのは同じ苦難の経験者だけなのでしょうか。もちろん同じ苦難の体験を共有できることが実際に助けになるのは明らかです。イエス様はまさにそのようなお方でした。

「この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。」
(「ヘブライの信徒への手紙」4章15節、口語訳、「大祭司」とはイエス様のことです)。

とはいえ、共通の経験は必要不可欠のものというわけでもありません。もしもそうだとするなら、極端に言えば、助ける者も助けられる者と同じ罪に陥らなければならなくなります。要するに「あるキリスト信仰者が何を経験したのか」とか「キリスト信仰者はどのようなことについてなら他の人の助けとなれるのか」ということではなく「神様が何を見ておられ、キリストとキリスト信仰者を通してどのようなことを行ってくださるのか」ということにこそ私たちは注目するべきなのです。

「コリントの信徒への第二の手紙」1章12〜24節 変更になった計画

はじめパウロはコリント経由でマケドニアに行くことを公言していました。ところが、実際の旅はこれとは逆の順序でなされました。おそらく彼は以前コリントを短く訪れた際に、コリントを再訪する約束をしたのでしょう。しかし、その後パウロの旅の計画は変更になりました。パウロはテトスをコリントに派遣し、自分はエフェソにとどまったのです。その際に彼はテトスにいわゆる「涙の手紙」を託したものと思われます。

もしも2章1〜2節に記されているコリントの再訪問が実現していたならば、コリントの教会の状況はいっそう悪化してしまったことでしょう。しかしそれは実現しなかったため、とりあえずコリントの教会の問題は未解決のまま残されました。パウロは旅の計画変更によってコリント再訪までに時間的な間隔をおくことになりました。しかしこれが、問題の早急な解決を試みるよりも良好な結果を生むことになったのです。じっと待機することが最も賢明な選択である場合もあります。しかしこれは、放置すれば自ずと状況は好転するという意味ではありません。「時」は全てを修復してくれる全能な存在などではないからです。

コリントの信徒たちの一部はパウロの旅程の変更を見て「我々との約束を守らなかったパウロは信頼できない」と考えたようです。さらにはパウロの宣教の内容にも疑いが持たれるようになってしまいました。

どうして旅程が変更になったのか、パウロはすぐには説明し始めません。彼はまず二つの点を強調します。パウロとコリントの教会の信徒たちはキリストにあって一つであること、また、キリストは旧約聖書に記されている全ての約束の成就であることです。これら二つのことについては疑う必要はないし疑うべきでもありません。

キリスト信仰者として私たちは誠実に生きるように召されています(「マタイによる福音書」5章37節、「ヤコブの手紙」5章12節)。しかしそれは、考えたことや約束したことに従って常に行うべきであるという意味ではありません。むしろ、神様は御自分の計画を変更なさる場合があるということを私たちはわきまえるべきなのです。

「よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。ところが、あなたがたは誇り高ぶっている。このような高慢は、すべて悪である。人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。」
(「ヤコブの手紙」4章13〜17節、口語訳)。

私たちは次のように祈るべきであるとさえ言えるでしょう。「神様、あなたは私の立てた計画をご存知です。もしもそれがあなたの御心にかなうものでしたら、それが実現するようになさってください。しかし、もしもそれがあなたの御心にかなわないのでしたら、私の計画が実現するのをどうか妨げてください!」

次の箇所はパウロとテモテの伝道旅行の計画がイエス様によって変更された例です。

「それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。そして、ムシヤのあたりにきてから、ビテニヤに進んで行こうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかった。それで、ムシヤを通過して、トロアスに下って行った。」
(「使徒言行録」16章6〜8節、口語訳)

次の箇所の「証印」は洗礼を意味しています。

「神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」1章22節、口語訳)

洗礼において私たちは聖霊様の証印をいただいています(「使徒言行録」10章38節、「ローマの信徒への手紙」8章15〜16節)。それを具体的に表すやり方として初期のキリスト教会では洗礼を授ける際に受洗者の額に油を塗って十字架を描くことが行われました。