もしも私が二度以上洗礼を受けてしまっている場合にはどうすればよいのでしょう。

フィンランド語原版執筆者: 
ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

洗礼は二度受ける必要はないし、二度受けるべきでもない、と聖書は教えています。
洗礼は生涯で一度だけ受ければよく、その洗礼はいつまでも有効です。
私たち人間が洗礼を受けた後で神様を捨てた場合でも、一度受けた洗礼が常に有効であることは変わりません。
私たちは自分の不信仰を悔い改めて、天の父なる神様の御許に戻ることができます。
神様のほうでも私たちがそのように悔い改めるのを待ち続けておられます。
ですから、主の御許に戻る時、改めて洗礼を受け直す必要はありません。

しかし、再び洗礼を受けたいと思う人や、それを実行してしまった人もいます。
また、再洗礼を勧めて授ける人もいます。
きっと再洗礼を授ける人の多くは、
「人が幼い頃に受けた洗礼は正しい洗礼ではなかった」、
と考えているのでしょう。
しかし、この主張は深刻な内容を含んでいます。
「幼児洗礼を受けた人は、実は洗礼を受けておらず、キリスト信仰者でもない」、
と言っていることになるからです。
「受洗者が意味を理解しないままで洗礼を受けるなら、その洗礼は正しくない」、
などと言う人もいます。
しかし、洗礼は神様の御業です。
当然ながら、神様の御業は、人間の理解度に応じてその正当性が左右されるようなものではありません。
約二千年前、神様の御子が私たちのために死んでくださった時には、私たちはまだこの世に生まれておらず、それゆえ、十字架の意味も理解してはいませんでした。
しかし、私たちが理解していなかったからといって、私たちの身代わりにイエス様が十字架で死なれた御業がそれで無意味になるわけではありません。

洗礼を再び受けた人は正しくない行いをしたことになります。
まちがった行いについては、神様に告白して罪の赦しを願うことができます。
神様は罪を悔いる人に対して、その罪を赦してくださいます。
なぜなら、イエス様がすべての人のすべての罪を帳消しにしてくださったからです。

「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。」
聖書の(エフェソの信徒への手紙4章5節)