信仰生活をどのように過ごせばよいのでしょうか。どのようにしてイエス様に従えばよいのでしょうか。

フィンランド語原版執筆者: 
シルッカリーサ・フフティネン(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

キリスト信仰者はキリスト教会の一員です。
キリスト信仰者は、他のキリスト信仰者たちと連携を保ち、神様の御言葉を聴き、国内および海外伝道を支え、聖餐式に参加します。
これらすべての活動を通して、キリスト信仰者の信仰は強められ、守られます。 このようにして、聖霊様はキリスト信仰者の世話を焼いてくださるのです。

神様が定められた戒め(とりわけ「十戒」)に従うよう、すべての人は義務付けられています。
キリスト信仰者が愛する天の父なる神様の御心を無視して生きることはできません。

私たちにはそれぞれ、この世でなすべき使命が与えられています。
私たちが隣り人(周りにいる人)に仕えるときに神様が望まれるのは、私たちがなすべき使命を忠実に果たすことです。
周囲の要求が重苦しく感じ始めると、たちまち私たちは自分の力不足に気づかされます。
「自分ではだめではないか」、と落胆します。
「神様の戒めに反して行動してやろう」、という誘惑にとまどいます。
実際にさまざまな罪を行ってしまう場合もよくあります。

人間は皆、この世での歩みが終わる時まで自分のうちに罪を抱え込んで生きています。
そして、これはキリスト信仰者の場合も同じです。
私たちに染み付いている罪はいろいろな反抗を企て、私たちが神様の御心にかなう生き方から外れていくようにけしかけます。
ですから、私たちは、罪の赦しと祈りと力とを神様の御言葉から絶えずいただく必要があるのです。

信仰生活は、ただ罪の誘惑を退けたり自己を磨き高めていくことだけではありません。
キリスト信仰者は「神様の子ども」としての平和を享受し、心安らかに生きることができます。
すべての信仰の実は、自分の行いではなく、主の恵みによるものだからです。
信仰と希望と愛は、イエス・キリストにおいて私たちに賜物として与えられたものです。まさにそれゆえに、キリスト信仰者は、「イエス様の近くで生活したい」、と心から望むのです。

   詳しく見る>>「信仰のABC」キリスト教徒として生きる

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。
わたしの愛のうちにいなさい。」
(聖書のヨハネによる福音書15章9節)

神様、私をあなたの道へ、イエス様のおそばへと連れて行ってください。 そして、私がそこからさまよい出ないようになさってください。