キリスト教は、他の諸宗教とはどうちがいますか。
一般の宗教は、「どうすれば人はよい人生を送れるか」、「どのようにして人は神的な存在の近くに行けるか」、といった問題に答えを下そうとします。
しかし、こうした問題に対するキリスト教の答えは他の宗教とは異なっています。
キリスト教の核心は、「人間が何をするか」ではなく、「神様が何をしてくださったか」、ということにあります。
おおまかにいって他の諸宗教は、「祝福された人生を送り救いに到るためには、人は神的な存在に従い、善行に励み、最善を尽くさなければならない」、と人間に命じます。
キリスト教の教えは、それとはまったく別のものです。
私たち人間が祝福を受けて救われるために必要なことは、すべて、すでに、私たちのために、成し遂げられています。
私たちは自分の力で自分を救うことができません。
神様の御子イエス様が、自発的に私たちの罪を帳消しにしてくださったのです。
その恵みのゆえに、私たちは罪の赦しの賜物を神様からいただいて救われるのです。
神様からの愛を受けるためには、私たちは何か特別なことを行う必要がありません。
神様はいつも変わることなく私たち人間を愛してくださっているからです。
しかも、この愛は完全な愛です。
私たちはキリストを信じることで、本当の憩いを見出します。
そして、神様からいただく愛の力によって隣り人(他の人々)に仕えることができるようになります。
「神様は御子イエス・キリストのゆえに私たちの罪を赦してくださる」、という恵みのメッセージがキリスト教の核心です。
このキリストにおける恵みだけが、人を救う力をもっています。
人間自身の努力や善行に応じて「救われるか、救われないか」が決まってしまうすべての宗教は、結局は人間をだめにし、絶望へと追いやります。
「イエスは彼に言われた、
「わたしは道であり、真理であり、命である。
だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」」
(聖書のヨハネによる福音書14章6節)