テサロニケの信徒への第一の手紙1章

フィンランド語原版執筆者: 
ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

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1章1節 はじめの挨拶

パウロのすべての手紙ではその冒頭に挨拶文がきます。このような「挨拶」は当時の習慣にならって三部に分けられています。手紙を書いたのが誰であるかが第一に語られ、次には誰が手紙の受け取り手であるかについて、そして最後には短い祈願が記されます。「テサロニケの信徒への第一の手紙」の送り手として、パウロ、シルワノ、テモテの名前が記されています。しかし、これは手紙の書き手が三人いたという意味ではありません。この手紙を書いたのはパウロです。それは手紙を読み進めていくうちにはっきりしてきます。シルワノとテモテの名前がパウロの名前と共に記されていることには、いくつかの理由が考えられます。シルワノとテモテはこの手紙が書かれた時点ではパウロのもとにいました。彼らの名前がパウロと共に列挙されていることから、彼らが手紙を見てその内容の適正さを確認したことがわかります。シルワノとテモテの名前が記されているのは、テサロニケ教会の信徒たちが彼らと面識があったからでもあります。また、シルワノとテモテが使徒パウロにとって親愛なる同僚であり、パウロと並び記されるに価するような大切な働きをしていたことも証しています。

シルワノとテモテについては新約聖書の他の箇所でも言及されています。シルワノは新約聖書に登場する「シラス」と同一人物であったと推定されています。もともと彼はエルサレム教会で重きをなしていた教会員でした。エルサレムで開催された「使徒会議」の決定を伝えるために、彼はエルサレムからアンティオキアに派遣されました(「使徒言行録」15章)。おそらくこのアンティアオキアでシラス(すなわちシルワノ)はパウロと親交を結ぶ機会を得たのでしょう。その後に行われる二回目の伝道旅行の同伴者としてパウロはシラスを選びました。シラスはパウロに近しい「福音の戦友」になりました。

パウロのもう一人の同僚であるテモテはリュストラという都市の出身でした。彼の父親はギリシア人であり、母親はキリスト教に改宗したユダヤ人でした。パウロは二回目の伝道旅行でリュストラを通った際にテモテを伝道の旅に連れ出しました。テモテはパウロと一緒に都市から都市へとめぐり歩き、ときには使徒パウロの使者としても働きました(「フィリピの信徒への手紙」2章19〜23節、「テサロニケの信徒への第一の手紙」3章1〜6節)。テモテは後に初期のキリスト教会の重要な人物となりました。新約聖書に含まれているテモテ宛の二通の手紙がこのことを証しています。

パウロがはじめてテサロニケを訪れた際には、シルワノもテモテもパウロに同伴していました。ですから、手紙の受け取り手であるテサロニケの信徒たちは彼らと面識があったことになります。

テサロニケの信徒たちについてパウロは「父なる神と主イエス・キリストとにある」と述べています。これによってパウロが意味しているのは、手紙の受け取り手たちが「父なる神様とイエス様の身内の者」であり、「神様の本当の子ども」であるということです。このように明言することによってパウロは、キリスト信仰者とユダヤ人(ユダヤ教徒)とを明確に区別しようとしています。「神様の民」を構成しているのは、今やキリスト信仰者たちなのです。イエス・キリストへの信仰が、キリスト教信徒の群れを、キリストをないがしろにするユダヤ人たちのシナゴーグから分離します。パウロは信徒たちに神様からの恵みと平和を祈り願います。この祈願の部分はパウロの他の手紙にくらべると短いですが、内容的には同じものです。神様からの罪の赦しと神様の臨在と祝福がもたらすあらゆる善き業を、パウロはテサロニケ教会の上に祈り願っています。

1章2〜10節 神様への感謝

パウロは祈りの時について語ります。彼は同僚と共に祈るのです。彼らはテサロニケの信徒たちのためにも定期的に祈ってきました。使徒のとりなしの祈りは、なによりもまず感謝の祈りです。主がテサロニケ教会のためになさったすべての善き業について、パウロは神様に感謝します。使徒には神様に感謝する具体的な三つの項目があります。

それは「信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐」です(1章3節、口語訳)。

信仰は、神様の御心に適う生き方を教会において実現しました。キリスト信仰者としての愛は、テサロニケ教会においては、他の人々の最善を求める努力のうちにあらわれました。テサロニケの信徒たちは、イエス様がこの世に帰ってこられる再臨の時を忍耐強く待ち望んでいます。ここで、テサロニケ教会の良好な霊的状態について、パウロが感謝を述べている主要な相手が教会ではないことに注目しましょう。感謝をお受けになるべきなのは、ほかならぬ神様だからです。神様がテサロニケ教会の面倒を見続けてくださったおかげで、この教会は困難の只中にあってもよい状態を保つことができたのです。

4〜10節で、パウロはテサロニケ教会の誕生のきっかけについて語ります。同僚と共にパウロはテサロニケで、十字架で死に三日目に復活されたイエス様についての福音を宣べ伝えました。神様は御言葉のメッセージを通して働きかけ、パウロが真理を宣べ伝えていることをテサロニケの多くの住民に確信させてくださいました。聖霊様がイエス様への信仰を生み出してくださったおかげで、福音を聴いた人々の多くは洗礼を受けました。こうして、テサロニケにはキリスト教信徒の群れ(教会)が誕生したのです。

信仰に入った者たちの中からは、パウロや彼の同僚と同じく「主にならう者」が出てきました(1章6節)。このことによってパウロが意味しているのは、信仰に目覚めた人々がパウロと同じ道を歩み始めた、ということです。

教会の誕生に関するパウロの描写は多くの点で参考になります。使徒パウロが神様による選びについて語っていることに注目するのがとりわけ重要です。伝道の実際においては、テサロニケの数人の住民が信仰の道に入ることを自ら決意し教会を設立した、という順序でテサロニケ教会が誕生したのではありません。教会を設立なさったのは神様でした。テサロニケの信徒たちに信仰の賜物を与えてキリスト教会を生み出すことを神様が「善かれ」と思われた、ということなのです。教会の誕生は人間の行いによるものではなく、神様の御業によるものでした。まさにそのゆえに、教会は「確固とした礎」の上に立っていることになります。

テサロニケ教会は苦難の只中で誕生しました。「使徒言行録」17章には、パウロとシラスがテサロニケで迫害された様子が描かれています。彼らは人々を反乱に駆り立てた者とみなされて糾弾され、テサロニケからの退去を余儀なくされました。キリスト信仰者になりたてのテサロニケの信徒たちもまた迫害の対象になったのは明らかです。人々からの侮辱を受けながらも、彼ら信徒たちはイエス様を信じ続けました。しかも迫害の最中にあっても喜びを保ったのです。新約聖書に含まれている手紙には「喜び」についてたくさん書かれています。そして、この喜びは苦難と結びつけられて記述されています。それも、喜ぶ理由など少しも見当たらなさそうな時における喜びについてです。そうした例を以下に挙げてみます。

「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。」
(「フィリピの信徒への手紙」4章4節、口語訳)

「むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。」
(「ペテロの信徒への第一の手紙」4章13節、口語訳)

苦難の只中で喜び祝う理由とは何でしょうか。聖書において「喜び」とは愉楽一般を指すものではありません。聖書のいう喜びはそれよりもっと深い幸福な状態を意味しています。それは、罪を赦された私たちが恵みによって「神様の子ども」として生きることを許されている、という大いなる喜びです。迫害の只中にあってもテサロニケ教会の信徒たちが喜びをもって信仰生活を守ることができたのは、イエス様の弟子たる者は信仰生活においてイエス様の御名のゆえに苦しみを受けるものである、というイエス様の教えを伝え受けていたおかげであったのかもしれません。

「またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。」
(「マタイによる福音書」10章22〜25節、口語訳)

イエス様のゆえに教会が迫害を受けたという事実は、テサロニケの信徒たちがイエス様の弟子たちの群れに加えられている証拠でもあります。ですから、彼らが真の歓喜に満たされるのは当然でした。

テサロニケのキリスト教会は他の多くのキリスト教会にとって模範的な存在となりました。テサロニケにキリスト教会が誕生したという知らせは、現在のギリシアに相当する各地域に広められました。テサロニケの教会の誕生とその信仰生活については、ギリシア本土のみならず他の地域でも話題にのぼりました。パウロは都市から都市へ伝道の旅を続けた際に新たに出会った人々に対して、神様がテサロニケでどのように働いてくださったかについて改めて相手に語る必要がありませんでした。なぜなら、逆に相手のほうからパウロに対してテサロニケで何が起きたのかについて話し聞かせ始めるほどであったからです。では、どのようにしてテサロニケでの出来事について、他のいくつもの都市や村に知らせが広がっていったのでしょうか。ギリシアの諸都市間における交通は非常に頻繁なものでした。ですから、テサロニケ教会についての知らせは新しい地域に商人や他の旅行者たちを通じて速やかに拡散していったのではないでしょうか。また、テサロニケの信徒たちが自らいろいろな場所に赴いてテサロニケで起きた出来事について語ったというのもありうることです。もしも後者の見方が正しいとするなら、テサロニケ教会は非常に模範的な教会であったことになります。その場合には、教会がただ福音を受け入れるだけではなくて、救いのメッセージを他の人々にも伝えようとしていたことになるからです。

9〜10節でパウロは、テサロニケや、異邦人の間ならどこであれ、宣べ伝えてきたメッセージを短くまとめています。
第一に、パウロが語るのは、異邦人が偶像礼拝を捨てたことです。諸偶像は真の神々ではありません。それらを拝むことは実は悪霊を拝むことになります。

「(・・・)偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。そうではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである。わたしは、あなたがたが悪霊の仲間になることを望まない。」
(「コリントの信徒への第一の手紙」10章19〜20節、口語訳)

それゆえ、偶像礼拝は「十戒」の中でも最も重要な第一戒を破ることになります。
以下にルターの小教理問答書による第一戒の説明を引用します。

「あなたには、他の神々があってはなりません。(出エジプト記20章3節) これは、どういうことですか?
答え。私たちは、何ものにもまして、神様をこそ、畏怖し、愛し、信頼するべきです。」
(ドイツ語版より高木が訳出)

唯一の活ける神様が存在します。人は皆この方のみにお仕えし、跪かなければなりません。偶像に関するパウロの言及は、テサロニケ教会の信徒たちが異邦人キリスト信仰者であることを教えてくれます。この教会にはユダヤ人はいないか、いたとしてもごくわずかであったと思われます。もしもパウロがユダヤ人たちにこの手紙を書いていたとするなら、偶像礼拝については語らないはずです。ユダヤ人が礼拝する旧約聖書の神様は偶像ではありません。

第二に、パウロは「イエス様の復活」について宣べ伝えます。イエス様は墓に留まることはありませんでした。神様がイエス様を死者の中からよみがえらせてくださったからです。イエス様は神様の御子であり、全世界のすべての罪を十字架の死によって身代わりに引き受けて帳消しにしてくださったのです。イエス様の復活がこのことが本当であることを証しています。

第三に、パウロは「来たるべき神様の怒り」について語っています。イエス様はまもなくこの世に戻ってこられます(この出来事は「再臨」と呼ばれます)。その時に世は裁きを受けます。人間は一人一人、神様の裁きの御座の前に出ていかなければなりません。そして、この世での自分の生き方について申し開きをしなければなりません。その時に、人は皆それぞれ、「自分で行ったこと」および「行わないままになったこと」に応じてそれに見合った「報酬」を受け取ることになります。「裁きの日」は「怒りの日」です。 神様の要求なさる水準を満たす人間は誰一人いません。それゆえ、人は皆、おそるべき罰を受けるのが当然の存在なのです。

この世の最後の日々に起きることについて、イエス様は「マタイによる福音書」25章で具体的に語っておられます。「怒りの日」には救い主がひとりだけおられます。それはイエス・キリストです。この方は「御自分に属する者たち」のことを来たるべき罰から救い出してくださいます。そして、弟子たちに対して地獄の代わりに天の御国を賜ります。「裁きの日」は、イエス様を信じる者たちにとっては「救いの日」となります。それゆえ、イエス様を信じる私たちは「最後の日」のことを恐れることなく、喜びながら、その速やかな到来を待ち望むことができるのです。


第1回目の集まりのために

「はじめに」と「テサロニケの信徒への第一の手紙」1章

はじめの挨拶のあとで、使徒パウロはテサロニケ教会に、彼がテサロニケを訪れた際に起きた奇跡を思い起こさせようとします。すなわち、聖霊様が信徒たちにイエス様への信仰を生み出し、テサロニケ教会を設立してくださったという奇跡です。「テサロニケの信徒への手紙」1章の終わりでは、パウロはテサロニケ教会に、彼がそこで何を宣べ伝えたのかを思い起こさせます。使徒パウロが宣教旅行で宣べ伝えた内容については、この章からも十分に伺い知ることができます。

1)テサロニケがどこにあるか地図で探してください。そして、「使徒言行録」17章を読んで、テサロニケにおけるパウロの活動について学んでください。

2)パウロは、テサロニケ教会のために絶えず祈っている、と言っています。 あなたは自分の所属する教会のために祈っていますか。 また、そのように祈ることでなんらかの役に立つと感じていますか。

3)私たちが「神様の子どもたち」であることは、私たちの生き方の中に実際にも見えていますか。 また、それはどのように見えるべきものなのでしょうか。

4)パウロは、聖霊様がテサロニケにおいて働いてくださった、と語っています。 どのようにして聖霊様は活動なさるのでしょうか。 聖霊様が働く際に用いられる手段はどのようなものでしょうか。 聖霊様の働きかけの目指すものは何でしょうか。 なぜ聖書は聖霊様について「それ」ではなく「この方」という表現を用いるのでしょうか。

5)あなた自身の住んでいる国では偶像礼拝が行われていますか。 私たちの生きる現代において、偶像から活ける神様のもとへ方向転換するとは、どのようなことなのでしょうか。

6)パウロは「神様の怒り」について話します。 私たちは「神様の愛」についてのみ耳にすることが多いのではないでしょうか。 「神様の怒り」とはなんでしょうか。 私たちはこのことについてもっとたくさん話し合うべきなのでしょうか。

7)「イエス様の再臨」を私たちは待ち望んでいるでしょうか。 この待ち望む姿勢は、私たちの実際の生活においてどのような意味をもっていますか。

8)来たるべき神様の怒りから私たちはどのようにして救われるのでしょうか。


終わりのメッセージ

福音はギリシア語由来の単語であり、「よいメッセージ、よい知識、よいニュース、よい宣教」を意味します。この福音について人々は歌い、語り、喜びます。ダヴィデが巨人ゴリアテに勝った時のように、ユダヤの民の間には、あのよいメッセージ、喜ばしいニュースが広められていきました。その知らせとは、彼らの恐るべき敵が倒され、救われた彼らは喜びと平和の中に置かれた、ということです。それゆえに、彼らは飛び回り、歌い、喜ぶのです。同様に、この神様の福音と新約聖書はよい知らせです。使徒たちが宣べ伝えたこのメッセージは世界中に反響していきました。罪と死と悪魔と戦って勝利した「真のダヴィデ」のもとから、このメッセージは発しています。罪の奴隷であり、死にまといつかれ、悪魔の支配下にあったすべての者を、このようにしてこの方は贖い、義とし、活ける者、救われた者としてくださいました。そして、彼らを平和の中に導き入れて、神様の御許である本来の故郷にふたたび戻してくださったのです。彼らにはそのような報いを受けるに価するような業績が自分自身にはまったくなかったにもかかわらず、です。それゆえに、このような信仰を強く保持するかぎり、彼らは神様に向かって歌い、感謝し、賛美し、永遠に喜び続けるのです。この喜びに満ちたメッセージ、この神様からの福音の知らせは「新たな遺言」(「新約聖書」)とも呼ばれます。なぜなら、死を間近に控えた人が遺言によって自らの死後その遺産を自ら指名した遺産継承者たちにどのように分配するべきか指示を与えるのと同様に、キリストもまた、御自身の死後この福音を世界中で宣べ伝えるようにと、死なれる前に自ら命じてお定めになったのです。福音においてキリストは御自分を信仰する者全員に、御自分の所有なさっているすべてのものを与えてくださいました。その遺産とは「キリストの命」です。この命によってキリストは死を呑み込んでくださったのです。またその遺産とは「キリストの義」でもあります。この義によってキリストは罪を滅ぼしてくださったのです。その遺産とはさらに「キリストによる救い」でもあります。この救いによってキリストは永遠の滅びに勝利してくださったのです。今や、罪や死や滅びに縛られた悲惨な人間にとって、この尊くて好ましいキリストのメッセージを聴くことほど喜ばしい知らせは他にはどこにもありはしません。このことが本当であると信じる者は、心の底からの笑顔になって喜びにあふれます。

F. G. Hedberg