聖書によれば、聖霊様をあざけることは、赦されない罪です。 これはどういう意味でしょうか。

フィンランド語原版執筆者: 
ヴィッレ・アウヴィネン(フィンランド神学協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

律法の専門家たちは、「イエスはサタンの手先として働いている」、と主張しました。
それに対して、イエス様は、「聖霊をあざけってはならない」、と警告しました。
律法の専門家たちは、神様の御霊の働きに故意に反対しました。

新約聖書には他にもこのような警告が記されています。
新約聖書のヘブライの信徒への手紙は、「人は故意に罪を行い続けると、ついには神様と離れてしまう」、と教えます。
ここでいう罪とは、一般的な罪ではなく、熟慮の上で意図的に信仰を否定する態度のことです。

イエス様とヘブライの信徒への手紙の言葉の目的は、誰かを裁くことではなく、取り返しのつかないこの重大な罪を行わないようにあらかじめ人々に警告することです。

これに関連してしっかり覚えておくべきことがあります。
それは、「イエス様の福音がこの世で宣べ伝え続けられているかぎり、神様は天の御国に通じる扉をすべての人間に対してまだ開けてくださっている」、ということです。

聖霊様をあざける罪を犯した人の深刻な問題は、「神様がその罪をお赦しにならない」、ということにではなく、「その人の心がすっかり頑なになり、神様の御許に立ち帰ることを全く望んでいない」、ということにあります。

「赦されないような罪を自分はしてしまったのではないか」、と罪責感におびえている人は、そうではないことを信じてください。
自らの罪を悔いる人は、神様からの厳重な警告を聴く心をもっているからです。

「また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。
しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。」
(聖書のマタイによる福音書12章32節)

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説教「償い 買い戻し 赦されない罪」吉村博明 宣教師、マルコによる福音書 3章20-35節