どうすれば心から安らぐことができるようになるのでしょうか?

フィンランド語原版執筆者: 
リーサ・ロッシ (フィンランド・ルーテル福音協会宣教師、神学修士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

この世には平和がありません。あれこれとやらなければいけないことが心にのしかかるため、私たちは平静ではいられなくなります。どれほど熱心に心の安らぎを慕い求めても、それを見つけたという確信がもてないのです。どうしてでしょうか。その理由についてあなたにお知らせできることが二つあります。一つはよい知らせ、もう一つはよくない知らせです。これら二つは互いに結びついています。

まず、よくない知らせです。私たち人間が追い求めている本当の安らぎは人間の内側からは決して見つかりません。どれほど一心に自分の心の奥底を見つめてみても、そこに平安を見出すことはできません。もちろんさまざまなやりかたで自分の心を落ち着かせようと努めることはできます。しかし、そのようなやりかたは不安を一時的に和らげるだけであって、どのようなときにも変わることのない平安を与えてくれるものではありません。たとえこの世から平和をかき乱す原因がすべて消え失せたとしても、真の平安は実現しないのです。

次に、よい知らせをお伝えします。人間の心の内側には神様とちょうど同じ大きさのかたちの「空洞」があります。これは、神様をその空洞にはめ込むと人の心がすっかり満たされるという意味です。聖書によれば、もともと神様は人間をご自分と一緒に生きていくべき存在としてお造りになりました。人間が神様から離れて生きるかぎり、人生の真の目的は見失われていることになります。もともとは良好だった人間と神様の関係をだめにしてしまった原因は、すべての人間の心に染み付いている罪です。最初の人間たちが神様の言いつけを破って罪の中に堕落した結果、全人類は神様に対して不毛な戦いを挑み続ける罪深い存在になってしまいました。しかし、さいわいなことに神様はこの戦いにおいてすでに最終的な勝利を収めておられるのです。これは、神様の御子イエス様が十字架で死なれ三日目に復活なさったことによって成し遂げられました。イエス様は私たちの身代わりとして死なれることで、私たち人間の罪深さの受くべき罰をすっかり帳消しにしてくださり、また三日目に死者の中から復活なさることで、罪がもたらす死に対しても勝利なさったのです。イエス様を自分の救い主として信じることによって、私たちは誰であれ、神様との真の平和と心の平安に与ることができるようになりました。

イエス様はあなたにもこの真の平安を与えてくださいます。あなたを取り囲む世界に平和がないときにも、この平安は保たれます。イエス様と一緒に生きるあなたを全能の神様は世話し守ってくださいます。イエス様と一緒に生きていくために役立つものとして、神様はご自分の御言葉である聖書、祈り(一人での祈りや他の人々との祈り)、聖餐式、教会、またキリスト教の良い音楽などを私たちに提供してくださっています。

イエス様は次のように言っておられます。

「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」
(「ヨハネによる福音書」14章27節、口語訳)

神様、私の心には安らぎがありません。どうか私があなたの中に真の平安を見い出せるように助けてください。