上述した神様についての知識はすべての人の手の届くところにあるので「自然な神理解」とも呼ばれます。あらゆる民族の有する神的存在についてのイメージには次の二つの共通点がある、と言われることがあります。たとえばRudolf Otto (1937年没)はtremendum(恐るべき)とfascinosum(魅惑的)という二つの用語によって自然な神理解について一般の人々が抱いているイメージを表現しました。
人間一般に見られる自然な神理解に沿った宗教観は、人々がキリスト教においてどのような事柄を個人的に重視するのか、というところに明瞭なかたちをあらわします。啓蒙主義の時代にはキリスト教の不変の真理を「神、善、不死」という三つの言葉に集約する試みがなされました。また、西暦1900年前後に大きな影響を与えたあるリベラルな神学者(Adorf von Harnack)はキリスト教の核心を「私たちの父なる神」と「互いに兄弟姉妹である人類」と「不死の価値を有する人間の魂」という標語に要約しました。いずれの場合でも、他宗教にも見出せる自然な神理解の考えかたによってキリスト教独自の特質はすっかり排除されてしまっています。