7.1. キリスト教ならではの特徴
私たちはキリストを通して神様につながります
キリスト教を他の諸宗教からはっきり区別しているのは「キリストへの信仰」です。ここで問題となっているのは、キリスト信仰をどのように理解するかということだけではありません。キリストの復活を信じることは、キリストが今も生きておられることを確信することだけではありません。それは、キリストが今日も世界の出来事や私たちひとりひとりの人生の歩みに働きかけておられることを実感し確信することも意味しています。ある特定の活動原則の背景にある多様な意見およびそれらに基づく体系的な価値観は「イデオロギー」と呼ばれることもあります。しかし、キリスト教はイデオロギーではありません。「信仰」とは神様と共に活きることです。「キリスト教の信仰」とは、復活して今も世界を支配なさっている活ける神の御子イエス・キリストを通して御自分の本質を啓示した神様への信仰なのです。そのような信仰によって、私たちはイエス様を通して御父を正しく知り、御父と共に正しく生きることができるようになるのです。
7.2. キリストと共にいること
聖霊様がイエス様への信仰を創生します
「ある方法」によってのみ私たちはキリストにつながることができます。この方法はキリスト教に特徴的なものであり、他のいかなる宗教にもないものです。すなわち、キリスト信仰者は、聖霊様の活動によって人間はイエス・キリストと接触することができる、と確信しているのです。
すでにこの地上で生活なさっていた頃にイエス様は弟子たちに、聖霊様すなわち助け主を送ってイエス様が言われる一切のことを彼らに思い起こさせ、彼らをまったき真理に導くようにする、と約束なさいました(「ヨハネによる福音書」14章26節、16章13節)。この約束は、聖霊様が使徒たちの上に注がれたペンテコステの日(聖霊降臨日)に成就されました(「使徒言行録」2章)。
7.3. 聖霊様について
どうして聖霊様についてのイメージは曖昧に感じられるのでしょうか?
人間にとって聖霊様を「イメージする」のはふつう難しいものです。これには理由があります。父なる神様については、自然の中で御自分を啓示していることを通して人はなんらかのイメージを抱くことができます。キリストは人となられた神であり、人間の一員として、人間の目にもはっきり見えるかたちで、人間と出会ってくださいました。しかし、聖霊様は御自分について、父や御子と同様には啓示なさいません。聖霊様はいたるところにおられますが、ある特定の手段を通して活動なさいます。そして、この手段はどこにでもあるわけではありません。聖霊様はキリスト教会において「恵みの手段」を通して活動なさるのです。ラテン語でmedia gratiaeと呼ばれるこの恵みの手段が用いられないならば、たとえそれがどれほど霊的な働きに見えようとも、それを聖霊様の働きであると確実に認識するのは不可能です。
聖霊様の使命は、救い主キリストについて証をして、そのイメージを活き活きと伝えることです。聖霊様が私たちの中で活動なさっていても、その結果として私たちが聖霊様を目の当たりにするようにはなりません。そのかわり、聖霊様の働きかけによってキリストのイメージが躍動するようになるのです。私たちの心にキリストへの信仰を形成することを第一の目的とする聖霊様の活動を通して、私たちは聖霊様について学び知るようになっていきます。この御業を通して、聖霊様は私たちにとっても(ルターがよく言っていたように)「愛する聖霊様」になります。そして、御父や御子に祈るのと同じように御霊に祈ることも自然な行為になっていきます。また、御父や御子と共に活きるのと同じように御霊と共に活きるのも当たり前のことになっていきます。