1)ギリシア語の「エックレーシア」という言葉はしばしば「教会」と翻訳されています。この「教会」は各個教会のことも、また各個教会がひとつに集まって構成している教会全体のことも指しています。
次にあげる聖書の箇所についてそれらの文脈を踏まえたうえで、それぞれの場合どのような意味でこの言葉が使われているかを考えてみてください。
「マタイによる福音書」16章18節
「使徒言行録」8章1節,9章31節、16章4節
「コリントの信徒への第一の手紙」1章1~2節
「ガラテアの信徒への手紙」1章1~2節
「エフェソの信徒への手紙」1章22~23節、5章25~27節
「テモテへの第一の手紙」3章15節
2)次の新約聖書の箇所から「教会」というものをはっきり際立たせる表現や言葉遣いを探してみてください。たとえば、教会が一体であること、聖なるものであること、公同なるものであること、キリストの体であること、聖徒の集まりであること、恵みの提供によって創り出されるキリストとの結び付きであることなどです。
「ヨハネによる福音書」15章17節
「ローマの信徒への手紙」11章17~20節、12章3~8節
「コリントの信徒への第一の手紙」10章16~17節、12章4~13節
「エフェソの信徒への手紙」4章3~6節
3)大祭司としてイエス様は「教会がひとつであるように」と祈られました(「ヨハネによる福音書」17章14~23節)。何が教会を本当にひとつにするのか、また教会がひとつであることがこの世にどのような意味をもっているかについてイエス様は語っておられます。次にあげる質問に答えてみてください。
A) どのようなことが弟子たちを互いにひとつにまとめていましたか?(14,16,17,19,22節)
B) 他の人たちも互いにひとつとなっている弟子たちの仲間に入れます。
その前提となるのは何ですか? (20節)
C) 弟子たちが互いにひとつとなっていることはどのような影響を周りの人々に与えるでしょうか?また逆に、弟子たちが互いにばらばらになっている場合にはどうでしょうか? (21,23節)
D) エキュメニカル的な視点からみたときに、この箇所からどのような大切なことを学ぶことができるでしょうか?
エキュメニカル運動とは、この世に存在する多くのキリスト教会(カトリックやプロテスタントなど)の一体化をめざす運動のことです。
E) 次にあげる「アウグスブルグ信仰告白」の第5,第7,第8信条を読んでください(できればグループで)。「アウグスブルグ信仰告白」とはルーテル教会にとって核心ともいえる信条です。
第5条 教会の職務について
私たちがこの信仰を得るために、福音を教えて聖礼典を分け与える職務が設定されました。というのは、あたかも手段を通すように御言葉と聖礼典を通して聖霊様が与えられるからです。聖霊様は、神様が適当であるとみなされた時と場所とにおいて、福音を聞く人々のうちに信仰を起こしてくださいます。すなわち、キリストのゆえに自らが恵みの中に受け入れられることを信じる人々を、神様が私たちの功績のゆえではなくキリストのゆえに義としてくださる、ということです。「ガラテアの信徒への手紙」3章(14節)には「私たちは御霊の約束を信仰によって受ける」とあります。
外的な御言葉なしに自分たちの準備と活動によって聖霊様と関わり合うことができる、と考えている再洗礼派やその他の人々を、私たちは異端と宣告します。
第7条 教会(エックレーシア)について
また私たちの諸教会はこう教えます。唯一の聖なる教会は永遠に存続していきます。教会は聖徒たちの集まりであり、その中では福音が純粋に教えられ、聖礼典が正しく執行されます。そして、教会の真の一致のためには、福音の教理と聖礼典の執行についての同意があれば十分です。人間的な伝承、あるいは人によって定められた儀式や典礼は、どこにおいても同じでなければならないという必要はありません。それはパウロが「ひとつの信仰、ひとつのバプテスマ(洗礼)、ひとりの神、またすべての者の父」云々(「エフェソの信徒への手紙」4章5〜6節)と言っている通りです。
第8条 教会とはなにか
教会は、本来聖徒たちと真に信仰している者たちの集まりであるとはいえ、「律法学者たちとファリサイ人たちとがモーセの司教座にすわっている」(「マタイによる福音書」23章2節)云々というキリストの御発言にあるように、この世での生活では多くの偽善者たちや悪人たちが混じり込んでいるので、悪人たちによって執行される聖礼典を用いることは許されています。聖礼典も御言葉も、キリストの任職であり委託であるゆえに、たとえそれが悪人たちによって与えられても有効なのです。
われわれの諸教会は、教会において悪人たちの教職を用いることが許されていることを否定し、悪人たちの教職は無益で効力がないという意見を持ったドナトゥス派およびその同類たちを異端と宣告します。
F) あなたが所属している教会や今通っている教会は、私たちが新約聖書から得る教会観とどのように対応しているでしょうか?
G) 「ローマの信徒への手紙」6章1~5節と「テトスへの手紙」3章4~7節とは、洗礼に関連する主要な箇所です。それらをルターの「小教理問答書」の第4章(洗礼についての教え)と較べてみてください。ルターがそれらの箇所をどのような文脈で引用し、どのような問題に答えを得るために適用しているか、注目してみてください。