神様の三位一体性

3.6. 三位一体なる神様

「神様の三位一体性」はキリスト信仰者の体験に根ざした事実です

 その意味をまもなく後述する「神様の三位一体性」は人間による思索の産物などではありません。それはむしろ私たちが神様と接する際に直面する事実をまとめたものです。聖書の読者は神様が私たちと3つの形で出会われることを知っています。聖書を通して私たちは天の父なる神様と出会います。この方のことについてイエス様には私たちに伝えたいことがたくさんあります。そして、聖書を通して私たちは活ける神様の御子イエス様と出会います。また、聖書を通して私たちは聖霊様とも出会います。この方についてもイエス様には私たちに伝えたいことがたくさんあります。聖霊様は初代教会を自らの賜物と命とで満たしてくださいました。私たちはこれらのお方それぞれにお祈りすることができます。父、御子、御霊は互いに明確に区別される存在です。しかし同時にその一方では、唯一の神様が存在することは不変の真理なのです。

 この唯一の神様が今述べたようなかたちで私たち人間と出会ってくださるのです。キリスト教が誕生して間もない頃の教会は神様との出会いの経験を言いあらわす際に「三位一体」というそれ自体は聖書に登場しない術語を用いました。また、神様の本質を表す3つの位格(「ペルソナ」と呼ばれます)について議論しました。神様は御自分を私たち人間に対して「父」「子」「御霊」として啓示なさったのです。それゆえに、私たちは神様を「三位一体の神様」とお呼びするのです。

「神様の三位一体性」は奥義です

 神様の3つの位格(ペルソナ)について考える際には、それらが互いにばらばらの独立した3つの単体を意味しているのではないことをまず思い起こさなければなりません。「私たち人間の言葉と理解は三位一体の真理を十分に表現して把握するためにはあまりにも貧弱すぎるのはたしかであるが、私たちが用いるこの術語は事の本質を表現できうる範囲内においては適切なものである」といった内容のことをルターは言いました。それをここで思い出しましょう。三位一体は私たち人間には決して完全には理解できないような奥義であることをキリスト教会は常に念頭に置いてきたということができます。人間は啓示を通して神様について何かしらを知ることができるが、そのすべてを知ることはできない、という現実と私たちはここで再び直面します。それでもなお、私たちは、神様を愛し神様にお仕えするために必要なことについては知っている、と言えるのです。

 御父と御子と御霊へのキリスト教の信仰に関するより正確な説明は次章以降にゆずることにします。