「ハバクク書」ガイドブック
聖書の引用は「口語訳」によっています。日本語版では「ハバクク書」全文およびその他多くの聖書の箇所を具体的に本文で明示しました。またフィンランド語版の表現や内容などにもある程度の編集が加えられています。
なぜ神様は沈黙しておられるのか?
はじめに
「義人はその信仰によって生きる」
「ハバクク書」の預言者ハバククについては殆ど何も知られていません。例えば父親の名前や本人の出身地などについても旧約聖書には記述が見当たりません。ハバククはレビ族に属する神殿奏者だったのではないかという推論もあります。「ハバクク書」3章は「詩篇」の形式で書かれており、しかもそこには演奏する際の注意事項まで付記されているからです(「ハバクク書」3章1、3、9、13、19節)。
このようにハバククは謎に包まれた人物です。それでも「ハバクク書」に記されている幻がいつの時代に該当するものかを確定するのは比較的容易であるとも言えます。ハバククは中近東地域における権力を掌握したカルデア人によってユダ王国やその首都エルサレムが滅ぼされる混迷の時代が到来することを予言しました。このことから、ハバククは預言者エレミヤの同時代人であったのではないかと推測されています。
アッシリア帝国のアッシュルバニパル王が紀元前627年に死去すると、中近東世界は後継者をめぐって大混乱になり、その政治的な空白に乗じて権力奪取を目論む多くの者があらわれました。その結果、紀元前612年にアッシリア帝国およびその首都ニネヴェはメディア、エラム、バビロニア(世界史に登場する新バビロニア王国)の攻撃を受けて滅亡します。さらに、この状況を自国の権益拡大に利用しようとしたエジプトとバビロニアの間にも戦争が起こります。そして、紀元前605年のカルケミシュの戦いに勝利したのはネブカドネザル二世に率いられた新バビロニア王国でした。これ以降、エジプトは中近東地域での権勢を失うことになります。「ハバクク書」に収められている予言がこのカルケミシュの戦いからまもない時期に書き記されたものであるのはほぼ確実です(「ハバクク書」1章12節)。また、この戦いは次の「エレミヤ書」の箇所でも言及されています。
「エジプトの事、すなわちユフラテ川のほとりにあるカルケミシの近くにいるエジプトの王パロ・ネコの軍勢の事について。これはユダの王ヨシヤの子エホヤキムの四年に、バビロンの王ネブカデレザルが撃ち破ったものである。その言葉は次のとおりである、」
(「エレミヤ書」46章2節、口語訳)
以上に述べた歴史的考察から、預言者ハバククの活動時期は紀元前605〜598年頃であったと推定することができるでしょう。なぜなら、紀元前597年に始まった最初のバビロン捕囚について「ハバクク書」は触れていないように見えるからです。
ここで、この時期のユダ王国の状況を振り返ってみることにしましょう。敬虔なヨシヤ王(在位期間は紀元前640〜609年)は前述のカルケミシュの戦いに向けて進軍するエジプトに挑戦しメギドの地で戦死します。ユダ王国を継承したエホアハズはわずか三ヶ月間在位しただけでした。その次に王となったのは悪辣さで知られたエホヤキムです。彼は紀元前609〜597年の間、ユダの王位にありました(「歴代志下」36章1〜10節)。
絶望的に見える混迷の時代にあって、主の預言者ハバククは神様が偉大で全能なるお方であることを「選ばれた民」すなわちイスラエルの民に説き聞かせます。主はたしかに一時的にではあれバビロニア(「カルデヤびと」)が強大な権力を掌握することを許されました。しかし、そのバビロニアもいずれは主の御心によって滅ぼされることになるのです。そして、その通りになりました。
預言者ハバククが熱心な祈りの人であり、また詩的な表現を巧みに駆使して預言を書き記す人でもあったことが「ハバクク書」からは伝わってきます。この書で彼は神様との対話を試みています。「ハバクク書」1〜2章はおおよそ次のように区分することができるでしょう。
1章2〜4節 預言者の第一の嘆き
1章5〜11節 神様からの第一の返答
1章12〜17節 預言者の第二の嘆き
2章1〜20節 神様からの第二の返答
どうして神様は悪辣なバビロニア王国の力を利用してユダ王国を罰するようなことをなさったのでしょうか。この疑問をハバククは神様に素直にぶつけます。バビロニアはユダよりもさらにひどく神様を蔑ろにする悪辣な国であったからです。このもっともな質問に対する神様からの返答は次のようなものでした。義人はその信仰によって生きる(「ハバクク書」2章4節)。それに対し、神様を蔑ろにする悪辣な者は裁きを受ける。最終的にはバビロニアもまた裁きを受けることになる(「ハバクク書」2章7〜8節)。事実、紀元前539年にペルシアがバビロニアに勝利し、ユダの捕囚民を解放することになります。
ハバククは真の神様がいずれは世界中であまねく知られるようになるという幻を受けていました(「ハバクク書」2章14節)。すなわち、彼は主の御心を正しく伝える宣教活動が世界中で大規模に展開される未来を予言していたことになります。
1940年代に死海のほとりのクムラン洞窟で発見されたいわゆる「死海文書」には「ハバクク書」の釈義書も含まれていました。しかし、それには「ハバクク書」3章の説明が欠けています。ともあれ、この書がクムランで発見されたことから、紀元前後の時期のユダヤ教において「ハバクク書」が重要視されていたことがわかります。
また「ハバクク書」には使徒パウロや宗教改革者マルティン・ルターにとって極めて重要になった聖句が含まれています。それは 「義人はその信仰によって生きる」(「ハバクク書」2章4節、口語訳)という一節です。この言葉は新約聖書の「ローマの信徒への手紙」1章17節や「ガラテアの信徒への手紙」3章11節にも引用されています。預言者ハバクク自身にとってこの言葉は、真の神様への信仰を守り通すイスラエル人たちがバビロニアという異国で捕囚の民として過ごす時期にも信仰によって「主の民」として生き抜くことができるという希望と慰めを与えてくれるものでした。信仰を失った国民や人間は世界の混乱の只中で正しい道を見失い行方が分からなくなってしまうものです。しかしその一方で、信仰を保ち続ける人々はどのような苦境の只中にあっても耐えて生きることができるのです。