ヨナ書

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

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「ヨナ書」ガイドブック


内容には一部変更が加えられています。 聖書の引用は口語訳によっていますが、必要に応じて直接ヘブライ語原文からも訳出しています。なお、章節の番号についてはBiblia Hebraica Stuttgartensiaに準拠しているため、口語訳聖書とは一部ずれています。


ダメな予言者ヨナ、よい預言者ヨナ

「ヨナ書」について
「ヨナ書」1章 神様から逃げることはできない
「ヨナ書」2章 ヨナのしるし
「ヨナ書」3章 ニネヴェを憐れまれる神様
「ヨナ書」4章 ヨナを諭される神様


「ヨナ書」について

ヨナとは何者か?

旧約聖書に含まれる多数の預言書の中でも「ヨナ書」は例外的であると言えます。他の預言書では預言者自身の話や説教がその大部分を占めているのに対して、「ヨナ書」ではヨナの体験した冒険談がその主要な部分を構成しています。

「ヨナ書」に描写されていることがら、たとえばヨナが海の大きな魚の腹の中に入ったことやニネヴェの異邦人たちが悔い改めて主なる神様を信じるようになった事件などは実に不思議な出来事です。このため、多くの聖書研究者は「ヨナ書」の内容を歴史的な出来事とはみなさず、架空の教訓談や譬え話としてとらえています。

「ヨナ書」には、この書に描かれている出来事がいつごろ起きたのかを確定するために必要な情報がほとんどありません。ニネヴェは紀元前612年に滅亡したので、ヨナのニネヴェ伝道はそれ以前になされた出来事だったということになります。また「列王記下」14章25節には「アミッタイの子ヨナ」についての言及があります。彼はイスラエルの王ヤロベアム二世の時代(紀元前793年〜753年)に活動した預言者です。彼はガリラヤ地方のナザレにほど近いガト・ヘフェルの出身でした。ヨナをサルパトのやもめの息子と同一視するユダヤ人の伝承もあります。預言者エリヤが死から生き返らせたあの子どものことです(「列王記上」17章17〜24節)。

これから、ある問題を考えてみたいと思います。「ヨナ書」は紀元前750年頃にイスラエルの預言者ヨナに起きた実際の出来事を記録したものなのでしょうか。それとも、アミッタイの子ヨナを主人公に据えた架空の物語あるいは譬え話なのでしょうか。

「ヨナ書」を譬え話とみなす主張について

旧約聖書の研究者のうちの大多数は「ヨナ書」を歴史的に信用できる文書ではないとみなしています。「ヨナ書」のことを「教訓物語」とみなす人もいれば「諧謔的な掌編」ととらえる人もいます。また「アレゴリー」(寓話)に分類する人もいれば、たんなる「譬え話」と考える人もいます。

「「ヨナ書」は歴史的事実に基づくものではない」と主張する根拠としては、たとえば次のことがらが挙げられています。
1)ヨナはクジラの腹の中にいたはずがない。クジラの喉は小さすぎて人間を呑み込むことができないからである。
2)ヨナの時代には、イスラエルの民は神様の意思を異邦人に宣べ伝えることを認めていなかった。
3)「ヨナ書」にはアラム語の影響がみられる箇所がある。すなわち、この書はバビロン捕囚以後に書かれたものだということになる。
4)「英雄が魚の腹から救い出される」という物語はギリシア神話にもある。したがって、この書はギリシア神話から転用された創作品であり、ヘレニズム時代(とりわけ紀元前300〜200年ごろ)に書かれたものである。
5)「ヨナ書」はいわゆる歴史書ではない。この書を記した者もその内容を文字通りに受け取ることを期待してはいなかった。この書は教訓物語であり喩え話なのである。

こういった主張を支持する研究者たちは「ヨナ書」をバビロン捕囚以後の紀元前400年〜200年頃に書かれたものであると推定しています。

もちろん、一方では上述の主張に対する批判もあります。

1に対する批判)聖書は「クジラ」がヨナを呑み込んだとは言ってはいない。「大きな魚」とか「海の怪物」といった表現をしている。イエス様もヨナについて「すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。」(「マタイによる福音書」12章40節、口語訳)と言っておられる。ともあれ、聖書もヨナが救い出されたことを普通の出来事ではなく奇跡とみなしている。
2に対する批判)神様が異邦人たちに憐れみを豊かに示されたことをヨナも認めていない。
3に対する批判)たとえ「ヨナ書」が紀元前400年〜200年頃に書かれたものだとしても、「この書に描かれている出来事がかつて実際に起こり後代まで語り継がれていった」という可能性は否定できない。「ヨナ書」の言語的な特徴(アラム語の影響)は北イスラエルの方言の影響であるとも推定されうる。たとえば「士師記」12章6節の「シッポレト」と「シッボレト」という方言の違いに関する記述をここで思い起こそう。
4に対する批判)同一かあるいは類似した「物語」が他の書物にも登場するからといって、イスラエルの民がそれを他から借用したということの証拠にはならない。それとは逆に他の書物のほうが「ヨナ書」の内容を借用したという可能性だって同じようにありうる。
5に対する批判)「ヨナ書」は譬え話ではありえない。譬え話としてはあまりにも複雑すぎ、多様な解釈が可能でありすぎる。譬え話においては通常ある特定のメッセージが強調されるものである。「ヨナ書」が譬え話であるとするならば、どうしてその主人公としてわざわざ「アミッタイの子ヨナ」という昔の預言者が選ばれなければならなかったのか。一般的には、譬え話のメッセージを誰にでも該当しやすくするために「不特定の人物」が主人公として選ばれるはずである。

「ヨナ書」を歴史的な事実の記述として認めるのを妨げる最も強力な根拠になりうるのは、この書に記されている数々の奇跡でしょう。これらの点については後にそれらの該当箇所で詳しく取り上げることにしましょう。

イスラエルの敵

神様がヨナに行くように命じたニネヴェという都市はアッシリアの首都であり、メソポタミアのチグリス川に面していました。

当時アッシリアはまだ広大な領土を誇る大帝国ではありませんでした。紀元前745年に王となったティグラト・ピレセル3世が導入した軍制改革(徴兵制度)によって、アッシリアは文字通り「世界の覇者」となりました。紀元前722〜720年にはアッシリアの軍隊はイスラエル王国の首都サマリアを占領して破壊し、イスラエルの民を捕囚としてメソポタミアへ連れ去りました。

ヨナのしるし

「自分がメシアであることの証としてどのようなしるしを我々に示すつもりなのか」と問われたイエス様は「「ヨナのしるし」以外のしるしは与えない」とお答えになりました。(「マタイによる福音書」12章38〜42節、16章1〜4節、「ルカによる福音書」11章29〜32節)

「そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。」
(「マタイによる福音書」12章38〜42節、口語訳)

「「ヨナのしるし」という言葉でイエス様が意味していたのは悔い改めを要求する説教である」と推定する研究者たちもいますが、これは的外れです。はたして悔い改めを求める説教は「しるし」と呼べるものでしょうか。上に引用した「マタイによる福音書」12章40節でイエス様御自身が言われているように、この「しるし」は、ヨナが海の大魚の腹の中に三日間過ごした出来事が、イエス様が聖金曜日からイースター主日までの三日にまたがる期間に墓の中に埋葬されることをあらかじめ示したものだったのです。

「ヨナ書」の構成

聖書の各書はいろいろなやり方で区分することができるので、ある特定の区分法だけが唯一正しいものとは言えません。

次にあげる区分は「ヨナ書」のメッセージを浮き彫りにするものであると思います。

1)海でのヨナ 1章1節〜2章10節
A. 預言者の召命を受けるヨナ 1章1〜3節
B. ヨナと船乗り 1章4〜16節
C. 救いを感謝するヨナ 2章1〜10節

2)ニネヴェでのヨナ 3章1節〜4章11節
A. 再び召命を受けるヨナ 3章1〜3節
B. ヨナとニネヴェの人々 3章4〜10節
C. ニネヴェの人々の救いを怒るヨナ 4章1〜11節


「ヨナ書」について
「ヨナ書」1章 神様から逃げることはできない
「ヨナ書」2章 ヨナのしるし
「ヨナ書」3章 ニネヴェを憐れまれる神様
「ヨナ書」4章 ヨナを諭される神様


「ヨナ書」1章 神様から逃げることはできない

預言者の召命を受けるヨナ 1章1〜3節

「ヨナ書」の始まりの言葉(「主の御言葉が来た」)は預言書に典型的なものです。旧約聖書の他の六つの預言書もほぼ同じような言葉で始まっています(「ヨエル書」1章1節、「ミカ書」1章1節、「セファニヤ書」1章1節、「ハガイ書」1章1節、「ゼカリヤ書」1章1節、「マラキ書」1章1節)。このような表現は旧約聖書において「ヨナ書」の始まりの言葉と同一のものだけでも100回以上、さらにいろいろなバリエーションを含めると600回以上用いられています。

神様は御言葉を通して御自分のことを私たちに啓示しておられます。

「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである。」
(「申命記」29章28節、口語訳)

ヨナは主の御心に従おうとはしませんでした。はたして私たちはどうでしょうか。私たちの場合にも「神様の御心が何であるか私は知らない」と言い張ったり「私は神様からさらなる「しるし」を要求する」という態度をとったりすることはできないはずです。このことに関連して、イエス様の「金持ちとラザロ」のお話を次に読みましょう。

「ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』。」
(「ルカによる福音書」16章19〜31節、口語訳)

金持ちは「病気で貧乏なラザロを助けるべきである」という神様の御心を知りつつも、生前はそれを無視し続けました。そして、死んだ後は一転して地獄で苦しみ続けています。「せめて兄弟たちは自分と同じ苦しみに合わないようにするために、死んだラザロを彼らのもとに派遣して警告したい」という金持ちの懇願に対して、アブラハムは「もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう」と答えました。

上の引用文で「モーセと預言者」とは旧約聖書のことを指しています。神様の御言葉である旧約聖書に聴き従わおうとしない者は、たとえ「死者の中からの復活」という「しるし」を伴う方(イエス様御自身のこと)が目の前に現れたとしても、そのメッセージを受け入れることはなく、不信仰の中で死ぬことになる、という意味です。

「列王記下」14章25節には「アミッタイの子、ヨナ」についての記述があります。ヨナはガリラヤのナザレから北東5kmほどに位置するガト・ヘフェル(口語訳ではガテヘペル)出身です。この近くにはメシェドという名の村があり、ユダヤの伝承によればヨナはこの地に葬られたとされています。ヨナはイスラエル王ヤラベアム二世の治世に活動しました。彼の同時代の預言者には、イスラエル王国ではホセアやアモス、ユダ王国ではイザヤやミカがいました。

「ユダの王ヨアシの子アマジヤの第十五年に、イスラエルの王ヨアシの子ヤラべアムがサマリヤで王となって四十一年の間、世を治めた。彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を離れなかった。彼はハマテの入口からアラバの海まで、イスラエルの領域を回復した。イスラエルの神、主がガテヘペルのアミッタイの子である、そのしもべ預言者ヨナによって言われた言葉のとおりである。主はイスラエルの悩みの非常に激しいのを見られた。そこにはつながれた者も、自由な者もいなくなり、またイスラエルを助ける者もいなかった。しかし主はイスラエルの名を天が下から消し去ろうとは言われなかった。そして彼らをヨアシの子ヤラベアムの手によって救われた。」
(「列王記下」14章23〜27節、口語訳)

ヨナはニネヴェに行きたくありませんでした。それで、東方のニネヴェとは逆の方角に位置する西方のヨッパに向けて出発しました。

なぜヨナはニネヴェに行きたくなかったのでしょうか。「ヨナ書」4章2節でヨナは、イスラエルの敵でもあった異邦人たちに悔い改めの宣教を伝えたくなかった、とその理由を正直に打ち明けています。

「(ヨナは)主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。」
(「ヨナ書」4章2節、口語訳)

ヨナが逃げようとしたもうひとつの理由は「恐れ」でしょう。「神様の厳しい裁きを宣告する外国人がいったいどのようなひどい目に合うか、わかったものではない」という恐怖心がヨナにあったのではないでしょうか。アッシリア人は残酷なことで悪名高い民族だったからです。

ヨッパは現在のヤッファあたりに位置する自然の良港でした。タルシシは現在のスペイン南部、大西洋に面する地域にあったという説もあります。ともあれ、ヨナはできるかぎりニネヴェから離れたはるか西方の地へと逃げて行こうとしたのです。

ヨナと船乗り ヨナの逃亡の試みは失敗に終わる 1章4〜16節

神様から逃げおおせるのは不可能であることをヨナは理解するべきでした。「詩篇」139篇7〜10節、「アモス書」3章8節、「エレミヤ書」20章9節などに書いてある通りです。

「わたしはどこへ行って、 あなたのみたまを離れましょうか。 わたしはどこへ行って、 あなたのみ前をのがれましょうか。 わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。 わたしが陰府に床を設けても、 あなたはそこにおられます。 わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、 あなたのみ手はその所でわたしを導き、 あなたの右のみ手はわたしをささえられます。」
(「詩篇」139篇7〜10節、口語訳)

ところが、神様から逃げようとする人々は今日でも後を絶ちません。そして、この「逃亡劇」は一刻も早く終幕したほうがよいのは今も変わりません。神様の指し示される正しい目的地に向けて舵を切ることが人生の早い時期で行われる場合には、不毛な放浪の期間はそれだけ短くなります。

人は皆、個人的に神様と対面しなければならなくなる時が必ず来ます。これは遅くとも最後の裁きの時には誰にでも起きることです。しかし、神様との最初の出会いが最後の裁きの時であるならば、もはや手遅れです。

ヨナの乗った船を襲った嵐は、主によって引き起こされたものでした。聖書ヘブライ語の構文では主語はふつう動詞の後に来ます。ところが、この箇所のヘブライ語原文では「主」という単語が文頭に来ています。これは主語を特に強調する表現です。神様は御計画を実行に移そうとされています(2節)。このヨナのケースからもわかるように、私たちが神様の御心に激しく反対しようとすればするほど、それだけ厳しい手段を神様は用いなければならなくなります。これは私たちが神様の御声に従うようにするためにほかなりません。「耳のある者は聞くがよい。」(「マタイによる福音書」11章15節)とイエス様が言われているように、私たちは「聞こえる耳」と「見える目」とを神様からいただけるように切実に祈り求めなければなりません。

ここで私たちは驚かされます。異邦人である船乗りがヨナのところにやって来て、ヨナもヨナ自身の神に祈るように促したのです(6節)。ヨナは神様から逃げようとしていたのに、異邦人がヨナに神様に近づくよう命じているわけです。このように神様は時には御自分を知らない人々のことも用いて御心を実現なさっていく場合もあるのです。

ヨナ自身はすでに知っていた事実がくじを引くことで立証されました(7節)。天と地と海を創造された神様に仕える身であることをヨナが自白したことによって、この嵐がヨナのせいで起きたことがはっきりしました(9節)。

10節は私たちに大切なことを教えてくれます。活ける神様への信仰をもっていない人々は、自分では神様の御心に従うつもりがないにもかかわらず、キリスト信仰者に対しては神様の御心を行うことを当然のように要求する、ということです。「キリスト信仰者は一番熱心に読まれている第五の福音書である」などと言われたりもします。

ヨナは自らに死刑宣告を下すことになりました(12節)。船乗りたちはこの厳しすぎる裁きを喜んで受け入れることができず、ヨナに同情し、なんとか彼を救い出そうと奮闘しました。しかし、すべての努力は無駄に終わりました(13節)。

多くの現代人にとっても、神様の下される裁きは厳しすぎると感じられます。そのため、裁きそのものを人間にとってもっと喜ばしいものに変えようとします。しかし、こうした試みは結局のところ徒労に終わります。

とうとう船乗りたちも神様の御心に従うほかありませんでした。神様が望まれたのは船の難破ではなく、ヨナがニネヴェに向けて出発することでした。こうしてヨナは海に投げ込まれました。

私たちはここでヨナの出来事とイエス様の御業との間に共通点と相違点を見いだします。イエス様は十字架で犠牲となられました。それは人類が救われるためでした。ヨナは船が救われるために自らが犠牲となりました。イエス様が苦しみを受けられたのは御自分の罪のためではありませんでした。それに対して、ヨナの場合は神様の御心に従わなかったために海に放り込まれたのです。

なぜヨナは船乗りたちの生命を救おうとしたのでしょうか。なぜ彼らが滅ぶままに放っておかなかったのでしょうか。このことについては、ガイドブックの終わりで「なぜヨナがニネヴェの人々を憐れもうとしなかったのか」という疑問を扱うときにふたたび取り上げることにしましょう。

はたして船乗りたちの信仰はその後も維持されたのか、それとも危険が去った後に忘れ去られてしまう一時的なものであったのかについては、はっきりと書かれていません。

さて、海に放り込まれたヨナはどうなったのでしょうか?


「ヨナ書」について
「ヨナ書」1章 神様から逃げることはできない
「ヨナ書」2章 ヨナのしるし
「ヨナ書」3章 ニネヴェを憐れまれる神様
「ヨナ書」4章 ヨナを諭される神様


「ヨナ書」2章 ヨナのしるし

ヨナを憐れまれる神様 2章1節

いよいよヨナが海に投げ込まれることになったとき、ヨナ自身も船乗りたちも「ヨナは溺死する」と考えたことでしょう。

「そこで人々は主に呼ばわって言った、「主よ、どうぞ、この人の生命のために、われわれを滅ぼさないでください。また罪なき血を、われわれに帰しないでください。主よ、これはみ心に従って、なされた事だからです」。」
(「ヨナ書」1章14節)。

ところが、人には「死」しか見えない場で、神様は「命」を創造してくださるのです。そして、ヨナにもこの奇跡が起こりました。

神様が海の嵐を引き起こされた理由は、神様の「怒り」ではなく「憐れみ」でした。嵐は神様に従わなかったヨナを懲らしめるためのものではありませんでした。神様はヨナがニネヴェへの宣教の旅に出発することを望まれたからこそ嵐を起こされたのです。神様はニネヴェの人々にも憐れみを示されたかったのです。

私たちの人生でも、あたかも神様が私たちのことを怒って懲らしめようとなさっていると思えるような出来事が起きるかもしれません。しかし実のところ、それは神様の愛の表現なのです。

私たちは時にはあまりにも自分で立てた計画や希望にとらわれすぎて、それらと合わないことなら何であっても「神様による懲らしめやいじめ」であるとさえ思い込んでしまうことがあります。にもかかわらず、神様が私たちの意思が実現しないように取り計られ、その代わりとして御自分の御意志すなわち最善の御心を実現なさるのは、神様による愛のあらわれなのです。たしかに私たちが望んでいたことはよいことではあったかもしれません。しかし「よいこと」が「最善のこと」の最悪の敵となってしまうのはよくあることです。もしも「よいこと」で満足してしまうなら「最善のこと」を達成する機会は永遠に失われてしまうからです。ところが、神様は私たちにはいつも「最善のこと」だけを与えることを望んでおられます。神様が私たち人間の期待することをいつも実現してくださるとは限らないのはこうした理由によるのです。

「神様は、私たち人間の期待することではなく、御自分のお立てになった救いの計画を実現なさる」ということを常に覚えておきましょう。

先にも書いたように、ヨナが海に投げ込まれた出来事はイエス様の十字架の死をあらかじめ示しているものでもあります。イエス様が死なれたとき「すべては終わった」と弟子たちの誰もが思いました。「イエス様は我々の期待や計画を実現しないまま死んでしまった」と彼らは考えて失望し、すっかり落ち込みました。たとえば、イエス様が十字架で死なれた後にエマオへ向かったイエス様の二人の弟子たちの言葉からもその落胆の深刻さが伝わってきます(「ルカによる福音書」24章19〜24節)。

ところが、神様はそのような弟子たちを驚愕させる奇跡を行われました。十字架と墓はすべての終わりではなく、逆に新しい時代の幕開けだったのです。それと同じく、ヨナが海に投げ込まれたことも、ヨナにとってすべての終わりではなく、もともとの神様の御計画であったニネヴェへの伝道の旅の新たな始まりを意味していました。

譬え話か、歴史か

「ヨナが大きな魚に呑み込まれた」という記述から「ヨナ書」の歴史的信憑性をめぐる議論が生じたのは無理もありません。「普通に起こりうる出来事だけが起こりうるのだ」という立場をとれば、奇跡は決して起こらないことになるからです。奇跡というものは通常の生活では決して起こり得ないものだからです。

しかし「神様は全能である」ということを議論の出発点とする場合には、ヨナを大きな魚に呑み込ませることも、逆に、ヨナに大きな魚を呑み込ませることさえも、全能なる神様には何ら難しいことではなくなるはずです。

「ヨナ書」の出来事が歴史的にも信頼できることをヨナの体験に類似する出来事によって証明しようとする試みがなされてきました。その一例として1891年にクジラを捕獲するために銛(もり)を打ち込もうとした漁師が誤ってクジラに呑み込まれてしまった事件をあげることができます。まもなく殺されたそのクジラの腹の中からは、その漁師が意識不明の状態ながらも生きたまま見つかったのです。もっともこの事件に関しては「救助された男性の死後、彼の妻はこの事件そのものを否定した」と主張する研究者もいます。

「ヨナ書」の歴史的信憑性を擁護するために、これと同じような他のケースも提示されてきました。しかしそれらはすべて、事実を信仰心による想像で補ったものにすぎなかったともいえます。

もう一つの極端な考え方を代表するものとしては「ヨナは三日三晩「魚」という名の宿屋に宿泊していた」という主張をあげることができます。

ヨナが大きな魚に呑み込まれた出来事がもつ「ヨナ書」全体における意味を考えてみるとき、「魚」という言葉は二回だけ使われていることに気付かされます(2章1節、2章11節)。また、この出来事は「ヨナ書」全体の構成において中心的な部分を占めるものではありません。ですから、ヨナの経験した一連の出来事全体の歴史的信憑性に疑念を抱かせるようなエピソードがあえて「ヨナ書」に加えられているのだとしたら、それはかなり奇妙なことです。なお後の時代においては「この出来事こそは、それ自体で大変重要なメッセージをもつ、私たちの心の琴線に一番触れる部分である」とみなされるようになりました。

結局のところ、私たちは次のような結論で満足するほかないでしょう。すなわち、もしも全能なる神様がヨナを魚によって救い出そうと望まれたのなら、そうすることがおできになるのは当然であった、ということです。

救いについて神様に感謝するヨナ 2章2〜10節

神様が自分を救われたことを知ったヨナは神様に感謝します。「ヨナ書」の他の部分とは異なり、この箇所は詩の形で書かれています。

私たちもヨナと同じような経験をすることがあるでしょうか。私たちもまた苦境や困難に巻き込まれてからようやく神様とその御心を探し求めるようになるのではありませんか。このことはキリスト教会についてもあてはまります。「キリスト教会はどのようなことにも耐えることができるが「よい時代」にだけは負けてしまう」などと言われることもあります。

4節でヨナは「自分が海に投げ込まれ、またそこから救い出されたのは、神様の御心によるものであった」と信仰告白します。この証は非常に重要です。神様が自分のうちで働きかけておられることに気づいたとき、ようやく人間は神様に自分自身をすっかりおゆだねすることができるようになるものです。人間は「自分の力でなんとかできる」とか「神以外の何か(たとえば偶然や運命など)が自分の人生を導いてくれる」などと思い込んでいるかぎり「神様にすっかり信頼しよう」と思うようにはなりません。

5節でヨナは「自分は神様の御前から追放された」と語ります。ヘブライ語原文では「追放する」という動詞の受動的な意味をあらわすニファル態が用いられていますが、旧約聖書においてこのような受動文の真の主語は「神様」であるケースがよくみられます。神様の働きによって何か重要な出来事が起きたときに、神聖なる神様の御名を明示せずに文章を綴る場合には、受動態が用いられるのです。

ヨナはある意味では正しかったものの、別の意味ではまちがっていたとも言えます。「自ら神様の御許から逃げ出した」という点でヨナはまちがっていました。神様がヨナのもとを去ったのではなく、その逆だったのですから。しかし「人間は自らの行いによって神様と自分自身との間の関係を切り離すことができる」という点ではヨナは正しかったとも言えます。人間は自分の行いについては自分で責任を負わなければなりません。人間は神様から逃げることはできます。しかしその場合には、自らの行いのもたらす結果についても責任を問われることになるのです。

この同じ箇所では、すでに希望の視界も開けています。「しかし、私はあなたの聖なる宮を見つめ続けることができるのです」(「ヨナ書」2章5節後半、高木訳)とヨナは言っています。全能なる神様は「それ自体よくないこと」も「よいこと」に変えることがおできになります。私たちの不従順でさえも後には祝福に変えてくださることが可能なのです。もちろんこのことは「神はどうせよくないことも結局はいつも最善のことに変えてくれるだろうから、神の御心を破ってもたいしたことではないのだ」といったまちがった考え方を正当化するものではありません。「最後の決定的な一言」を宣告する権利をお持ちなのは、おひとり神様だけなのです。次の「ローマの信徒への手紙」の箇所を参照してください。

「律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。」
(「ローマの信徒への手紙」5章20節〜6章2節、口語訳)

イエス様がこの地上で生活しておられた時代に、サドカイ派はユダヤ教において理性中心主義的な考え方を標榜する祭祀階級でした。たとえば、サドカイ派は復活も天使の存在も信じていませんでした。サドカイ派は「旧約聖書の最初の五書(「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)のみが唯一真正なる神の言葉であり、復活や天使といったことがらは、これら五書(いわゆる「律法」)に表明されている正しい信仰に後から付け加えられたものである」と主張したのです。このサドカイ派に対して、イエス様は「復活がすでに上記の五書の中に記されていること」を次のように指摘なさいました。

「復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、その日、イエスのもとにきて質問した、「先生、モーセはこう言っています、『もし、ある人が子がなくて死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。さて、わたしたちのところに七人の兄弟がありました。長男は妻をめとったが死んでしまい、そして子がなかったので、その妻を弟に残しました。次男も三男も、ついに七人とも同じことになりました。最後に、その女も死にました。すると復活の時には、この女は、七人のうちだれの妻なのでしょうか。みんながこの女を妻にしたのですが」。イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。群衆はこれを聞いて、イエスの教に驚いた。」
(「マタイによる福音書」22章23〜33節、口語訳)

伝統的に旧約聖書は「律法」「預言者」「諸書」の三つの部門に分けられます(それぞれヘブライ語で「トーラー」「ネヴィイーム」「ケトゥヴィーム」と言います)。旧約聖書の中でも、「律法」(旧約聖書の最初の五書)以外の「預言者」(預言書)や「諸書」(「詩篇」など)の部門にこそ復活についての明瞭な記述があるのは事実であり、この点でサドカイ派の主張は正しかったとも言えます。たとえば「ヨナ書」2章7節は「預言者」の中で、また「ヨブ記」19章25〜26節は「諸書」の中で、復活があることを最も明瞭に証しする箇所として知られています。

「わたしは地に下り、
地の貫の木はいつもわたしの上にあった。
しかしわが神、主よ、
あなたはわが命を穴から救いあげられた。」
(「ヨナ書」2章7節、口語訳。節数は旧約聖書原語版によっています)

「わたしは知る、
わたしをあがなう者は生きておられる、
後の日に彼は必ず地の上に立たれる。
わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、
わたしは肉を離れて神を見るであろう。」
(「ヨブ記」19章25〜26節、口語訳)

このように、イエス様の時代のユダヤ人たちやイエス様の弟子たちにとって「復活」はなじみのない奇妙な考え方ではありませんでした。しかし、彼らは復活が世の終わりの時に起きるものとすっかり思い込んでいました。だからこそ、十字架の死からもう三日目にはイエス様が死者たちの中から復活されたことは、彼らに大きな驚きを与えました。

ヨナは自分では主から罪の赦しを受けておきながら、依然としてニネヴェの人々に対しては憐れみの心を示しませんでした(9節)。彼はまるでイエス様の譬え話に出てくる負債者のような存在でした。この負債者は自分では多額の借金を帳消しにしてもらったのに、友人たちに貸した少額の借金を免除してあげようとはしませんでした(「マタイによる福音書」18章23〜35節)。ここでのヨナの不従順さはこの負債者よりもはるかに重大なケースです。「罪人を憐れみたい」というのが神様の御心でした(「ヨナ書」4章11節)。そのことをヨナは知っていたのに対して、ニネヴェの人々はまだ知らされていなかったからです。

これと似たような危険は私たちにもつきまとっています。ともすると私たちは自分と神様との関係だけを考えて、他の人々のことを忘れたり裁いたりさえする傾向があるからです。それに対して、「自分の罪が赦されたのは自分のよい行いとはまったく関係なく、イエス・キリストの贖いの御業にのみ基づいている」とはっきりわかった人には「イエス様の十字架上での犠牲の死のゆえに全世界のすべての人の罪を赦してくださった憐れみ深い神様について他の人たちにもぜひ告げ知らせたい」という伝道する心が自ずと生まれてくるものです。

こうしてみてくると、神様がヨナに対して教えたり働きかけたりしなければならないことがらはまだたくさんあったことがよくわかります。自らの人生を通して神様の御心を実現していくことをヨナは神様に約束しました。そして、主の命令を受けた魚はヨナを陸に吐き出しました(10節)。

ヨナのしるし 2章11節

「すると、(イエス様は)彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。」」
(「マタイによる福音書」12章39〜40節、口語訳)

ユダヤ人の時間の数え方は現代の私たちのそれとは異なっています。当時のユダヤ人は「1日未満」でも「まる1日分」とみなしました。また、一日は日没から次の日没までが同じ「一日」でした。たとえば、金曜日の日没から土曜日が始まり、土曜日の日没からは日曜日が始まります。イエス様が墓の中におられたのは金曜日の夕方(日没前)から日曜日の朝方まででした。私たちの計算に従えば、この期間は約1日半の長さになりますが、ユダヤ人の計算によれば、まる3日間が過ぎたことになります。イエス様が墓におられた期間が金曜、土曜、日曜にまたがっていたからです。


「ヨナ書」について
「ヨナ書」1章 神様から逃げることはできない
「ヨナ書」2章 ヨナのしるし
「ヨナ書」3章 ニネヴェを憐れまれる神様
「ヨナ書」4章 ヨナを諭される神様


「ヨナ書」3章 ニネヴェを憐れまれる神様

ヨナをニネヴェに遣わされる神様 3章1〜4節

神様はヨナにすでに一度与えた使命をふたたび彼にお与えになりました。「ニネヴェに出かけて行って、神様の御心をそこの人々に宣べ伝えなければならない」という使命です。

ヨナの説教は「まだ四十日間ある。そしてニネヴェは滅ぼされる」というものです(「ヨナ書」3章4節の一部、高木訳)。これはヘブライ語原文ではわずか6つの単語からなっています。

もちろんヨナの説教は本来もっと長いものであった可能性もあります。そうである場合には「ヨナ書」を書き留めた人物がヨナの説教の核心部分を短くまとめたことになります。

ニネヴェの人々に向けられたこの説教のメッセージには、ヨナの言いたいことではなくて、神様がお伝えになりたいことが込められています。これは特に重要な点です(2節)。神様の御言葉を宣べ伝えるべきである伝道者にとっても、自分がよく知っていると思うことや、会衆が期待していることを「神様からのメッセージ」として伝えてしまう誘惑はとても大きいものがあります。このことについて、たとえばパウロは同僚者のテモテに次のように書いています。

「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。」
(「テモテへの第二の手紙」4章3〜4節、口語訳)

それゆえ、説教者が御言葉を通して神様からいただいたメッセージを忠実に聴衆に伝えることができるように祈りで支えるのは、教会員の大切な使命です。

神様の御言葉を理解する正しいやり方は実はたったひとつしかないとも言えるでしょう。それは「御言葉に従うこと」です。以下の「申命記」の箇所を参照してください。

「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである。」
(「申命記」29章28節、口語訳。節番号はヘブライ語原文に従っています)

ところが、実際にはそれとはまったく逆の順序で行動してしまうことが私たちはしばしばあります。たとえば「活動方針をまず決めてから、それを神様の御言葉によって後から根拠付ける」というやり方がそうです。本来ならば「まず神様の御言葉から神様の御心を聴き取ることからはじめて、それから具体的な活動内容を決めていく」というやり方を取るべきところです。

エルサレムからニネヴェまでは約800キロメートル離れており、当時の旅ではおよそ一ヶ月間かかりました。ヨナはエルサレムからではなく、どこか海岸部からニネヴェへと出発したのでしょう。しかし、その旅に要する時間はエルサレムから出発した場合とさほど変わらなかったものと思われます。ですから、旅の途中でヨナには神様から受けた教えの内容をゆっくり考える時間が与えられたことになります。このようなやり方で神様は僕ヨナに時間をかけて働きかけてくださったのです。

ニネヴェの都市としての規模については「神様にとって大きな町であり、徒歩で三日を要するほどであった」(「ヨナ書」3章3節より、高木訳)という記述があります。これは私たちの尺度に換算すると約100キロメートルに相当します。この距離がニネヴェの直径なのかそれとも円周なのかについては研究者の間でも意見が分かれています。

当時の都市の規模としてこの距離はあまりにも大きすぎると考える研究者もいます。考古学的発掘調査によって得られた推定データ、および、アッシリア諸王の年代記の記述によるならば、ニネヴェの大きさは約20キロメートルであったことになります。

この「ずれ」については「ヨナがあげた「三日を要するほど」の大きさとは、都市ニネヴェの周辺にあった小さな町々をも加えたものとしての規模であった」と説明することもできます。たとえば「創世記」10章11〜12節には4つの町の名があげられています。それらのうちで最初にその名があげられている町がニネヴェであり、それら4つの町々は(一緒にすると)「大きな町」であったと言われています。

「神様にとって大きな町」(3節)という表現はニネヴェが「神様にとって大切な町」であったという意味にもとれます。後者の意味で考えると「だからこそ神様はニネヴェ市内の路地の隅々に至るまで御自分のメッセージをしっかり宣べ伝えるための労を惜しまれなかった」ということになります。

この神様の伝道への熱情とは対照的に、ニネヴェに対するヨナのメッセージは冷淡そのものでした。「ニネヴェにはもはや40日間しか憐れみの時が残されていない」というのです。この40という数字は無作為に選ばれたものではありません。預言者エレミヤは来るべきエルサレムの滅亡についてそれが実現する40年前に宣べ伝えています(「エレミヤ書」1章1〜3節)。またイエス様もエルサレムの崩壊(紀元70年)についてその実現する40年前に宣教なさいました。さらにまた「一世代分の長さ」は当時40年とされていました。

ヨナの宣教のケースについて言えば、悔い改めのための時間が「40年間」ではなく「40日間」であったというごく短い制限時間からもわかるように、神様のお立てになった御計画はきわめて急を要するものでした。エレミヤはエルサレムで40年間宣教しましたが、ヨナはニネヴェで40年間宣教するわけにはいかなかったので、このスケジュールの慌ただしさはわからなくもありません。

ヘブライ語原文では、ヨナのとても短い説教を締めくくる「滅ぼされる」(4節)という言葉には受動的な意味を表すニファル態の動詞が用いられています。同じ動詞はソドムとゴモラの滅亡の描写(「創世記」19章24節以降)にも登場します。なお、この動詞には「根本的に変えられる」という別の意味もあります。ですから「主に対するニネヴェの態度は根本的に変えられる」という解釈も可能です。

聴き入れられたヨナの宣教 3章5〜9節

イスラエルとユダで活動した主の預言者の多くは「イスラエルとユダは、今の不信仰な状態が変わらないかぎり、いずれ滅ぼされ厳しい裁きを受けることになる」という内容のメッセージを伝えました。しかし、イスラエルの民もユダの民も「自らの罪を悔い、主を救い主として信じる」すなわち「悔い改める」ことをしませんでした。ところが、ヨナは自ら伝えたメッセージを聴衆が受け入れていくのをその目で見ることができました。これは主の預言者としてはきわめて異例なケースです。

おそらくすでにヨナの上述の短い説教によってニネヴェの人々は悔い改めに導かれたのではないかと思われます。「ヨナ書」にはヨナが行った他の説教についての記述がありません。ですから「悔い改めは速やかに人々の間に広がっていった」という印象を受けます。

どうしてこのような大規模なリヴァイヴァル(信仰の覚醒)が起きたのでしょうか。その理由はわかりません。考えられる理由のひとつとしては「滅亡が差し迫っている」という危機的状況でしょう。ヨナの宣べ伝えた「ニネヴェの崩壊」はいつか遠い未来に起きるかもしれない出来事ではなく「数週間後には現実になる」とされていたからです。

これと同じような問題は今日にもあります。「魂の敵」は私たちに対して次のように囁きかけてきます。「あなたにはまだ十分時間がありますよ。今はまだ人生を自らの快楽の赴くままに過ごしなさいな。信仰に関わることや神については年老いてから考えはじめればよいのですよ。老後にはそのための時間があるのですから。」キリスト信仰者としてこの世を生きていくことは決して「惨めなもの」ではありません。このようなイメージは「魂の敵」が捏造して私たちに押し付けてくる虚偽のイメージに過ぎません。このことを私たちは明確に教えていく必要があります。文字通り「惨めな人生」を送っている人は、人生のできるかぎり早い段階で神様の御許に助けを求めに行く人ではなくて、神様の御許に行くことを先へ先へと引き延ばしにする人のことなのですから。

福音の宣教は聴衆をふたつのグループに分かちます。福音は人に信仰を与えるか、あるいはその心を頑なにするか、そのどちらかなのです。それゆえ、福音の宣教が大勢の人々から反対を受けることを驚き怪しんではいけません。多くの人々は自らのやましい良心に悩まされることなく、むしろ平気で神様から離れて生活することを望んでいるからです。

神様から御言葉に基づく福音メッセージを受けとめていない場合には、「このメッセージに聴き従わないなら、お前たちはすぐにでも滅びるぞ」といった脅し文句で伝道を「効果的なもの」にしようとしてはいけません。

ニネヴェでは人間のみならず動物さえも荒布をまとい、断食し、ひたすら神に呼ばわりました(3章7〜8節)。荒布を身にまとったり断食したりすることはこの世的な快楽を捨て去ることであり、悔い改めの具体的な表現でもありました。預言者ヨエルも同じような悔い改めをイスラエルの民に要求しました(「ヨエル書」2章12節以降)。しかし、ヨエルの言葉は人々に聞き入れられませんでした。

「ヨナ書」のこの箇所では「アッシリアの王」ではなく「ニネヴェの王」という表現が用いられています。一般的なのは「アッシリアの王」という呼称のほうです。この点に研究者たちは注目しました。アッシリアの歴史を研究するうちにわかったことがあります。当時のニネヴェの王の権力はまだ不安定で、その実質的な国土も広大ではありませんでした。その意味では「ヨナ書」で用いられている「ニネヴェの王」という表現は的確でした。

アッシリアの年代記には「ヨナ書」が伝える出来事についての言及がありません。そのために、一部の研究者たちは「もともとそのようなことは起きなかった」と主張しました。しかし、これについては次のふたつの点を考慮に入れるべきでしょう。第一に、ちょうどこの時期(紀元前700年代の前半)にあたるアッシリアについて私たちがもっている知識はきわめて不十分なものであるということです。第二に、たとえば「ヨナの宣教によって起きた大規模なリヴァイヴァル運動はその後も継続されていった」とか「ニネヴェの人々は旧約の主なる神様の僕となった」といった記述は「ヨナ書」には見当たらないということです。

「あるいは神はみ心をかえ、その激しい怒りをやめて、われわれを滅ぼされないかもしれない。だれがそれを知るだろう。」
(「ヨナ書」3章9節、口語訳)

この3章9節は興味を引きます。ニネヴェの人々は神様が全能なるお方であることを認めてそれを公に告白していることになるからです。すでに1章で見たとおり、異邦人の船乗りたちもこれと同様の信仰告白をしていることに注目しましょう。

「そこで人々は主に呼ばわって言った、「主よ、どうぞ、この人の生命のために、われわれを滅ぼさないでください。また罪なき血を、われわれに帰しないでください。主よ、これはみ心に従って、なされた事だからです。」
(「ヨナ書」1章14節、口語訳)

ヨナの宣教において福音は奥深くに隠されており、表面には見えません(3章4節)。この福音は40日間の「待機時間」にのみ啓示されました。しかし、それで十分でした。神様は御言葉を通してニネヴェの人々に働きかけてくださったのです。神様は「福音のごくわずかのかけら」をも祝福することがおできになります。キリスト信仰者となった私たちにとって、このような「かけら」としては、たとえば子どもの頃聞いた家庭での夜のお祈り、教会の子ども会で耳にした御言葉の簡単な説明、学校などで学ぶ機会のあったキリスト教についての説明、教会の堅信キャンプでの聖書の学びなどがあげられるでしょう。現代ならインターネットを通して読んだり聴いたりする機会のあった聖書やそれについての説明などもそうした「かけら」に加えられることでしょう。

はたして私たちは、福音を聴き取ることが十分によくできるようなやり方でまわりの人たちにキリスト教信仰を伝えているでしょうか。

ニネヴェの受けた恩赦 3章10節

「神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。」(「ヨナ書」3章10節、口語訳)

神様は御自分の預言者たちの活動を通して何を目指されたのかがこの節からわかります。神様が預言者たちを遣わされた目的は、御自分の民を断罪するために裁きの宣告を下すことではありませんでした。そうではなく、御自分の民が悔い改めてまちがった道から神様の御許に立ち戻るようにさせることだったのです。このことについて主は「エレミヤ書」で次のように言われます。

「ある時には、わたしが民または国を抜く、破る、滅ぼすということがあるが、もしわたしの言った国がその悪を離れるならば、わたしはこれに災を下そうとしたことを思いかえす。」
(「エレミヤ書」18章7〜8節、口語訳)。

イスラエルやユダに遣わされた主の預言者たちには、彼らの宣教が身を結ぶのを実際に目にする機会がほとんどまったくありませんでした。それとは異なり、ヨナの伝えたメッセージはニネヴェの人々に聴き入れられました。 

このことを考慮すると「ヨナはよい預言者でもあり、ダメな予言者でもあった」と言ってもよいのではないかと思います。ヨナの予言した「主の裁き」は実現しませんでした。にもかかわらず、ヨナの預言者としての活動には深い意味が隠されていたからです。

10節の英語の翻訳を見てみると"repent"(神様は悔いた)という訳もあれば"relent"(神様は和らいだ)という訳もあります。

人間はまちがったことを行ってしまったときには「悔いる」ものですが、神様はこのような意味では、人間のようには「悔い」ません。これは適切な翻訳が難しい箇所ですが、次に引用する「ペテロの第二の手紙」3章9節が参考になるのではないでしょうか。

「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」
(「ペテロの第二の手紙」3章9節、口語訳)

神様の御心を破ることがどのような結果を招くのか、神様は教えてくださいました。神様に従いたいのか、それとも従いたくないのか、このどちらを選ぶのかは人間の側の問題になります。人間がどのようなことを行うかには関わりなく、神様は常に御自分の聖なる御心に従って活動なさいます。これについては次に引用する「ヨシュア記」の箇所が参考になるでしょう。

「それゆえ、いま、あなたがたは主を恐れ、まことと、まごころと、真実とをもって、主に仕え、あなたがたの先祖が、川の向こう、およびエジプトで仕えた他の神々を除き去って、主に仕えなさい。もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、または、いまあなたがたの住む地のアモリびとの神々でも、あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」。その時、民は答えて言った、「主を捨てて、他の神々に仕えるなど、われわれは決していたしません。われわれの神、主がみずからわれわれと、われわれの先祖とを、エジプトの地、奴隷の家から導き上り、またわれわれの目の前で、あの大いなるしるしを行い、われわれの行くすべての道で守り、われわれが通ったすべての国民の中でわれわれを守られたからです。主はまた、この地に住んでいたアモリびとなど、すべての民を、われわれの前から追い払われました。それゆえ、われわれも主に仕えます。主はわれわれの神だからです」。しかし、ヨシュアは民に言った、「あなたがたは主に仕えることはできないであろう。主は聖なる神であり、ねたむ神であって、あなたがたの罪、あなたがたのとがを、ゆるされないからである。もしあなたがたが主を捨てて、異なる神々に仕えるならば、あなたがたにさいわいを下されたのちにも、ひるがえってあなたがたに災をくだし、あなたがたを滅ぼしつくされるであろう」。民はヨシュアに言った、「いいえ、われわれは主に仕えます」。そこでヨシュアは民に言った、「あなたがたは主を選んで、主に仕えると言った。あなたがたみずからその証人である」。彼らは言った、「われわれは証人です」。ヨシュアはまた言った、「それならば、あなたがたのうちにある、異なる神々を除き去り、イスラエルの神、主に、心を傾けなさい」。民はヨシュアに言った、「われわれの神、主に、われわれは仕え、その声に聞きしたがいます」。
(「ヨシュア記」24章14〜24節、口語訳)


「ヨナ書」について
「ヨナ書」1章 神様から逃げることはできない
「ヨナ書」2章 ヨナのしるし
「ヨナ書」3章 ニネヴェを憐れまれる神様
「ヨナ書」4章 ヨナを諭される神様


「ヨナ書」4章 ヨナを諭される神様

ニネヴェの恩赦を承認しないヨナ 4章1〜3節

自分が伝えたメッセージをニネヴェの人々が受け入れてくれたわけですから、本当ならヨナは満足するべきところでしょう。ところが、ヨナの反応はそれとはまったく逆のものでした。ヨナは喜ぶどころか怒り出したのです。

2節でヨナは自分がタルシシに逃げ出した理由を明かします。ヨナは神様がニネヴェを憐れまれることを望まなかったのです。

「(ヨナは)主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。」
(「ヨナ書」4章2節、口語訳)

神様が憐れみ深いお方であることを認めてそれを公に告白する一方で、神様のその憐れみ深さをよくないこととみなすヨナの態度はいかにも奇妙です。

1980年代の終わり頃、大学生向けのある雑誌に、若くしてキリスト教徒からイスラム教徒に改宗したフィンランド人女性のインタヴューが載りました。彼女は自分が改宗した理由として次の二つの点をあげました。
1)イスラム教では「どのような生き方をすべきか」について明確な指針が与えられているが、キリスト教では自分自身で物事を決定していかなければならない。
2)イスラム教では罪は赦されない。それに対して、キリスト教徒は「神は憐れみ深い」と知っているがために罪を行うことができる。

神様が罪を赦すことを許すことができない人間は、この女性ひとりだけではないでしょう。しかし、多くの場合そういう人は、神様が他の人たちの罪を赦すことは承服できないくせに、自分自身の罪を赦してもらえることは問題だと思っていません。

4章2〜3節のヘブライ語原文には「私」という言葉が動詞の主語や所有名詞などの形でなんと9回も出てきます。ヨナがいかに自己中心的に考えていたのかがよくわかる箇所です。神様がニネヴェを憐れもうとされることを喜ばないヨナの態度には「神様の恵みは自分自身や自分の属する国民にだけ与えられるべきだ」と考えるヨナの本音が見え隠れしています。

幸いなことに、私たち人間は神様の恵みの及ぶ範囲を勝手に制限することができません。

神様の憐れみ深さに対してヨナは「自らに死を望む」という態度で応じました(3節)。自らの死を願うヨナの姿は、次に引用する「列王記上」の預言者エリヤを彷彿とさせます。ただし、エリヤの場合では王妃イゼベルがエリヤの命をつけ狙っていたのがその理由でしたが。

「自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」
(「列王記上」19章4節、口語訳)

おそらくヨナが怒ったのは、彼の予言が実現しなかったせいでもあったでしょう。ヨナは自尊心が傷つけられたと感じたのではないでしょうか。

唐胡麻の木の教え 4章4〜11節

ヨナは神様の御心が変わることを期待しつつニネヴェの東側に移動し、この都市がこれからどうなるか見届けるために待つことにしました。

「今回だけは、神様はいつもとはちがうやり方をなさるのではないか」とか「たぶん私に対してだけは、神様は例外的な態度をとってくださるのではないか」という期待を込めた憶測は、時には私たちにも魅力的に映ることがあるのではないでしょうか。しかし、神様が御言葉を通して明らかに啓示されている御心に反するやり方で活動なさることはありません。その意味では、神様が心変わりするのをヨナが期待したのは無駄でした。

キリスト教会の歴史をみるとわかりますが、おびただしい数の様々な異端の集団が荒野にひきこもり「神様をないがしろにする彼ら以外の人々」が滅びるのを今か今かと待ち受けたケースが今までたくさんありました。異端の信奉者たちの態度には、福音を伝えてあらゆる人々を分け隔てせずに救いへと招きたいという情熱がまったく欠けています。彼らは「神様をないがしろにする人々」からできるだけ遠ざかり、彼らが滅ぶのを冷ややかに傍観する態度をとりました。私たちはキリスト教会がこのようなまちがった方向に進まないように祈りたいと思います。

ヨナはニネヴェの行く末を我が目で見届けるために待ち続けることにしました。これはヨナ自身にとって無意味な時間ではありませんでした。神様はヨナに大切なことを教える機会としてその時を利用してくださったからです。

ヨナは見晴らしの良い場所に座りました。そのため、神様が成長させた唐胡麻の木はヨナに涼しい日陰をつくってくれました(6節)。ヨナは唐胡麻の木とその木陰のことを喜びました。

ところが、次の日になると神様は虫によって唐胡麻の木をだめになさいました。唐胡麻の木のことでヨナはふたたび神様に対して怒りを発しました。

これと似たような出来事は私たちの人生でも起こったことがあるでしょうか。「何が人生で一番大切なことか」がわからなくなり混乱してしまうことは、私たちにも身に覚えのあることではないでしょうか。神様の恵みや大いなる愛について神様に感謝することはあまりなく、むしろ、ごく些細なことについて神様にいちいち腹をたてることがありませんか。私たち人間には小さな事柄にばかり気を取られ、木を見て森を見ないことがよくあります。

ヨナは唐胡麻の木が枯れたことを残念がりました。なぜなら、その木はヨナ自身にとって有益なものだったからです。ここにも預言者ヨナの自己中心的な心があらわれています。私たちも、自分と神様との間の関係ばかり考えて、自分と隣り人たちとの間の関係を忘れてしまうと、結果的には神様との関係も歪んでしまい、自己中心的な傾向が強まるものです。「人間と神様との関係においては、神様と人間との間の「垂直関係」と人間同士の「水平関係」という両方の関係が同じように大切である」と言われることがありますが、的確な指摘であると思います。「最も重要な戒めは神様のことを他のすべてよりも深く愛することであり、この戒めと同様に重要なもうひとつの戒めは隣り人を自分自身を愛するのと同じように愛することである」とイエス様も教えておられます。

「さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。」」
(「マタイによる福音書」22章34〜40節、口語訳)

自己中心的な心のおもむくままに、ヨナは自らの死を望みました。これはもうすでに二度目です(8節)。しかし、神様はヨナの希望を受け入れてはくださりませんでした。それを見てヨナは神様に対してさらに失望したことでしょう。

ヨナの怒りに対して神様はふたたびお答えになりました。今回はヨナも神様に返答しています(9節)。

「しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。」
(「ヨナ書」4章9節、口語訳)

最良の教育のやり方は、生徒が学ぶべきことを自分で学べるようにすることであり、自分の頭を使って気がついたり発見したりできるようにすることです。ヨナが神様の教えてくださったことにどのように反応したのか「ヨナ書」は何も記していません。しかし、何を神様が伝えようとされたのか、ヨナにはわかったと思います。唐胡麻の木を通して神様がヨナを教育なさるやり方は、バト・シェバ事件をめぐる預言者ナタンとダヴィデ王との対話を思い起こさせます。以下に引用するこの対話のおわりでダヴィデ(口語訳ではダビデ)は自分で自らの罪深さを認めて断罪することになりました。

「主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。ダビデはその人の事をひじょうに怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである。かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、その小羊を四倍にして償わなければならない」。ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだし、あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふところに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。主はこう仰せられる、『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。」
(「サムエル記下」12章1〜14節、口語訳)

神様は全能です。このことをヨナの乗った船の船長は信仰告白し(「ヨナ書」1章6節)、船乗りたちも信仰告白しました(「ヨナ書」1章14節)。ニネヴェの王も同じ信仰告白をしました(「ヨナ書」3章9節)。そして、ヨナ自身も信仰告白するほかありませんでした(「ヨナ書」2章10節)。主の使徒パウロが「神様の全能性」について記した以下の箇所も参考になるでしょう。

「では、わたしたちはなんと言おうか。神の側に不正があるのか。断じてそうではない。神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。」
(「ローマの信徒への手紙」9章14〜15節、口語訳)。

神様が全能なることの具体的なあらわれとして、神様にはニネヴェを「救うこと」も唐胡麻の木を「滅ぼすこと」も実現なさる権能をお持ちであることを、ヨナは信仰告白するほかありませんでした。

「列王記下」14章25節が語るところによると、ヨナはユダの領土の来るべき拡大について予言しました。そして、この予言はユダの王アマジヤの治世に実現しました。ところが、ヨナはここで、ユダの敵であるアッシリアに益をもたらすような伝道活動をする立場に自分が置かれていることに気がついたのです。ヨナは自分のした予言に反するような行動を強いられていたということです。きっとこのことはヨナの心を苦しめたことでしょう。「神様はいったい何をなさろうとしておられるのか」とヨナは訝しげに思ったことでしょう。

おそらくヨナはまた唐胡麻のケースから「どれほど強大な大国であったとしも、国は瞬く間に興隆する場合もあれば衰退する場合もある」ということを学んだのではないでしょうか。まだしばらくの間は繁栄を続けるユダ王国が最終的には滅亡することを預言者ヨナは知っていました。そして、いずれはアッシリアもまたユダと同じ経過をたどることになるのでした。ユダとアッシリアを滅ぼしたのは同じ敵国であるバビロニアでした。


「ヨナ書」ガイドブックを閉じるにあたり、次の問題を最後に考えることにしましょう。

(問題)船乗りを憐れに思ったヨナがニネヴェの人々を憐れには思わなかったのはなぜか?

「ヨナ書」1章でヨナが船乗りたちの悲惨な状況に同情したことをここで思い出しましょう。ヨナは「船乗りたちも私もろとも海の底に沈むがよい!」と冷たく考えることもできたはずです。ところがヨナはそれとは反対に、嵐が収まり乗員全員が船まるごと救われるために、船乗りたちに彼だけを海に放り投げるよう促したのです。

しかし、ヨナはニネヴェの人々に対してはまったく憐れみのない態度で接しました。

どこからこのような相違が生じたのでしょうか。確実な答えを用意することは私たちにはできません。聖書自体が答えを示していないからです。とはいえ、なんらかの説明を考えてみることぐらいなら私たちにもできるでしょう。

思いつく理由は「乗船中にヨナはなんらかのかたちで船乗りたちとすでに知り合いになっていた」というものです。もはや彼らはヨナにとって「見ず知らずの他人」というわけではありませんでした。冷淡な批判的態度をとるのは、知らない人々に対してのほうが知り合いの人々に対してよりも容易であるものです。

人間のもつこのような傾向を別の角度から検討してみましょう。キリスト教の福音伝道の集会に参加した人々の中から、普段はキリスト教関係の集会には参加しない人々を特に選んで行ったアンケート調査によれば、彼らのうちの大部分(80〜90%)は「自分の知り合い、友人、親戚、同僚に誘われたから集会に参加した」と答えました。集会について新聞、雑誌、インターネットなどを通じて告知することも大切ですが、キリスト教信仰についてあまり知識がない人たちや、キリスト教信仰をまだ受け入れていない人々を集まりに招くためには、個人的なコンタクトを通じて行うのが最もよいやり方であることがこの調査からは伺えます。

別のある調査によれば「キリスト教信仰とは何の関わりもなく生活している人々には身近に熱心なキリスト信仰者がひとりもいないケースが多い」ということがわかりました。だからこそ、キリスト信仰者は自らの殻に閉じこもらずに、むしろ「不正の富」によって友だちを得る(「ルカによる福音書」16章9節)くらいの意気込みが大切であるとも言えます。

ヨナがふたつの異なる状況でそれぞれちがう態度を示したことは、それぞれの状況に関わった人々の数の多さや少なさにも関係があったかもしれません。船に乗っていたのは数十人か、多く見積もっても二百人くらいだったでしょう。それに対して、ニネヴェには十二万人以上もの住民がいたのです(「ヨナ書」4章11節)。

私たちも「自分の国全体や全世界を相手に福音を伝えたい」という大望を抱く場合には、志半ばで疲れ果て、落胆し、結局は伝道への熱意や希望をまったく失ってしまうのではないでしょうか。むしろ「この人やあの人に福音をしっかり伝える」とか「このグループやあのグループにイエス様について語る」といった具体的な目標を段階的に設定していくやり方のほうがよいのではないでしょうか。

私たちは神様の御計画の中に「自分の場所」を見つけるべきなのです。おそらく私たちに与えられる使命はヨナに与えられた使命ほど不思議な奇跡のようなものではないでしょう。しかし、私たちにとって最良の使命が何であるか、全知全能の神様はよくご存じです。

おわり。