エステル記6〜7章
悪の自滅
「エステル記」6〜7章
ついに報われるモルデカイの善行 「エステル記」6章1〜5節
これから学ぶ箇所には「神様による導き」という重要なテーマに関わる詳細な記述がいくつも出てきます。しかし、ここでも神様の御名は明示されないまま話が進んでいきます。
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスによれば、ペルシア王たちは善行者に惜しみなく褒賞を与えたことでも有名でした。それなのにどうしてモルデカイにはしかるべき善行の報いが与えられなかったのでしょうか。なぜ王は王妃エステルの二日連続の宴を挟むちょうどその夜に眠りを妨げられたのでしょうか。どういうわけでその夜に他でもなくモルデカイの関わった五年前の事件の箇所が王の前で読み上げられたのでしょうか(「エステル記」2章16〜23節)。
前章である5章の終わりの段階では、モルデカイの破滅は避けがたいものに見えました。ところが、神様がこの状況に介入されたことにより、モルデカイとハマンの立場はすっかり逆転することになりました。
神様が御心を実現するために王たちの眠りを妨げる場合があることが旧約聖書からわかります。「エステル記」以外にも「ダニエル書」2章1節や6章19節などがその例です。
「ネブカデネザルの治世の第二年に、ネブカデネザルは夢を見、そのために心に思い悩んで眠ることができなかった。そこで王は命じて王のためにその夢を解かせようと、博士、法術士、魔術士、カルデヤびとを召させたので、彼らはきて王の前に立った。」
(「ダニエル書」2章1〜2節、口語訳)
「エステル記」6章1節で「日々の事をしるした記録の書」すなわち「歴代の記録」(「エズラ記」4章15節)を記した王の公文書を読み上げるように王は命じました。「自分は何らかの不適切な行いや過失によって神々の怒りを招いたのではないか、そのせいで今自分は眠れなくなってしまったのではないか」と王は考えたのかもしれません。王がモルデカイに正当な褒賞を与えることを忘れてしまったのは確かに不適切でした。しかし、クセルクセス王の眠りが妨げられたのは天と地の創造主なる神様の御心によるものでした。王に働きかけることによって主は僕モルデカイをハマンの手中から救い出そうと思し召しになったのです。
王ばかりではなくハマンもまた早朝から行動を開始していました(6章4節)。まるで彼の眠りも妨げられたかのようです。しかし、その理由は王の場合とは全く異なるものでした。ハマンはモルデカイの死を渇望していたのです。その不眠の夜にクセルクセス王もハマンも共に同じ人物のことを考えていました。にもかかわらず、その動機や意図は相反するものでした。
王に特別に重用されていたハマンでさえ王宮の庭に勝手に入ることは許されていませんでした(6章4節)。「エステル記」4章11節には王宮の中庭について同様の記述があります。ちょうど今王は自らの過誤を具体的に正すやり方について助言を求めているところでした。それでハマンは王宮の中庭に入る特別な許可を王から得ることができたのだと思われます(6章5節)。
褒賞を受けるモルデカイ 「エステル記」6章6〜11節
古代ギリシア人歴史家ヘロドトスによれば、クセルクセス王は彼の兄弟の命を救ったある男に褒賞としてキリキア地方の支配権を与えました。ですから、ハマンは王の褒賞が極めて莫大なものになる場合があることを知っていました。もちろん、彼は王の言う「栄誉」が他ならぬ自分に与えられるものと思い込んでいました(6章6節)。もっとも、ハマンが渇望していた栄誉は、王だけに向けられるような特別な尊崇でした。これはハマンの権力欲をよく物語っています。ハマンにとっては皆がひれ伏す権力者になることは巨万の富を得ることよりも重要だったのです。その一方で、ハマンには王にへつらう如才なさもありました。これは「王の着られた衣服」や「王の乗られた馬」(6章8節)がいかなる財産よりも価値があるものであることを彼が王に対して強調していることからわかります。
「王が栄誉を与えようと思う人にはどうしたらよかろうか」(6章6節)という王の質問に対してハマンは自らの願望を込めた項目を列挙しました。モルデカイが自分に敬礼しようとしなかったことをハマンはまるで重大な国家的犯罪であるかのようにみなしました(「エステル記」3章2〜6節)。このリストはその理由を明らかにします。自分よりもただひとり上位に君臨する王のみが帝国全体から受けている特別な尊崇と同様の尊崇をハマンはたとえ一瞬ではあれ自分でも体験してみたかったのでしょう。
「モルデカイは青と白の朝服を着、大きな金の冠をいただき、紫色の細布の上着をまとって王の前から出て行った。スサの町中、声をあげて喜んだ。」
(「エステル記」8章15節、口語訳)
人が王の服に身を包まれることは、その人が大いなる尊敬を受けることを意味しました。これは他にも聖書に例があります。
「パロは更にヨセフに言った、「わたしはあなたをエジプト全国のつかさとする」。そしてパロは指輪を手からはずして、ヨセフの手にはめ、亜麻布の衣服を着せ、金の鎖をくびにかけ、自分の第二の車に彼を乗せ、「ひざまずけ」とその前に呼ばわらせ、こうして彼をエジプト全国のつかさとした。」
(「創世記」41章41〜43節、口語訳)
「サムエル記上」18章4節(ダヴィデとヨナタン)、「列王記下」2章13〜14節(エリヤとエリシャ)「ゼカリヤ書」3章(大祭司ヨシュア)の箇所にも上記の説明が当てはまります。また、次に引用する「イザヤ書」の「救の衣」や「義の上衣」は「キリストの義」と密接に関連する極めて重要な箇所です。
「わたしは主を大いに喜び、
わが魂はわが神を楽しむ。
主がわたしに救の衣を着せ、
義の上衣をまとわせて、
花婿が冠をいただき、
花嫁が宝玉をもって飾るようにされたからである。」
(「イザヤ書」61章10節、口語訳)
王の馬に乗ることもまた大いなる尊敬を受ける行為でした。
「それで王はハマンに言った、「急いであなたが言ったように、その衣服と馬とを取り寄せ、王の門に座しているユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたが言ったことを一つも欠いてはならない」。そこでハマンは衣服と馬とを取り寄せ、モルデカイにその衣服を着せ、彼を馬に乗せて町の広場を通らせ、その前に呼ばわって、「王が栄誉を与えようと思う人にはこうするのだ」と言った。」
(「エステル記」6章10〜11節、口語訳)
ソロモンは父ダヴィデの後を継ぐ新しい王として戴冠する時に、先王ダヴィデの騾馬に乗りました。
「ダビデは言った、「祭司ザドクと、預言者ナタンおよびエホヤダの子ベナヤをわたしの所に呼びなさい」。やがて彼らは王の前にきた。王は彼らに言った、「あなたがたの主君の家来たちを連れ、わが子ソロモンをわたしの騾馬に乗せ、彼を導いてギホンに下り、その所で祭司ザドクと預言者ナタンは彼に油を注いでイスラエルの王としなさい。そしてラッパを吹いて、『ソロモン王万歳』と言いなさい。それから、あなたがたは彼に従って上ってきなさい。彼はきて、わたしの位に座し、わたしに代って王となるであろう。わたしは彼を立ててイスラエルとユダの上に主君とする」。」
(「列王記上」1章32〜35節、口語訳)
かつてダヴィデ王は預言者ナタンからウリヤの妻バテシバとの不倫の罪について厳しい叱責を受けました。その際、ナタンは極悪なことを行ったある男についての譬え話をダヴィデ王に語りました。そして、ダヴィデがその非道さを激しく非難するのを聞いた上で「あなたがその人です。」と告げました(「サムエル記下」12章7節)。これとは全く逆のことがハマンの身には起こったとも言えるでしょう。クセルクセス王は著しい功績をあげた立派な人物にどのような栄誉を与えるべきかハマンに相談しました。しかもその上で「その人はお前ではなくモルデカイである」と言われたようなものだからです。
すでに旧約聖書のはじめでアダムとエバは神様の命じられたことに背き、罪の中に堕落してしまいました。「それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」(「創世記」3章5節、口語訳)とエバを唆した蛇の言葉には次の二つの事柄を含意しています。第一に「善悪を知る者」となる誘惑こそがアダムとエバが罪に陥る要因になったことです。第二に「善悪を知る者」となった人間には様々な欲望がつきまとうことになったということです。例えば権力欲は世の為政者などを駆り立てる原罪の一つです。しかし、広く捉えるならこの罪の傾向は全ての人間に該当するものです。私たちは皆、自分を他人よりも上位に置いておごり高ぶる傾向があることからもそれがわかります。
クセルクセス王はモルデカイのことをユダヤ人と呼んでいます。おそらく王は帝国の歴史文献かあるいは従僕たちを通してこのことを知る機会があったのでしょう。王の門にいる王の侍臣たちに対してモルデカイは自分がユダヤ人であることをすでに語っていました(「エステル記」3章3〜4節)。おそらく王はハマンがどの民族を滅ぼすつもりなのか、知らなかったのでしょう。王に提案した際にハマンは迫害の対象となる民族名を明言しなかったからです(「エステル記」3章7〜12節)。また「エステル記」7章5節からも王がハマンの絶滅計画の詳細を事前に知らなかった様子が伺われます。あるいはまた、王が絶滅の対象になる民族の名を聞いた後でそれを忘れてしまったという可能性ももちろんあります。ペルシア帝国領内には当時何十もの異なる民族が住んでいたからです。
こうしてハマンは罰を受けて死刑に処されました。しかし、ユダヤ人絶滅の危機は未だ去ってはいません。なぜなら、ユダヤ人を絶滅させるよう命じた法律は依然として有効なままだったからです。
役に立たない助言者たち 「エステル記」6章12〜14節
「ハマンは憂え悩み、頭をおおって急いで家に帰った。」(6章12節)とあります。「頭を覆う」という行為は当時の中近東の地域では悲嘆とへりくだりを表していました。例えばダヴィデが息子アブサロムの謀反を逃れてエルサレムから都落ちする際の描写にもそれが出てきます。
「ダビデはオリブ山の坂道を登ったが、登る時に泣き、その頭をおおい、はだしで行った。彼と共にいる民もみな頭をおおって登り、泣きながら登った。」
(「サムエル記下」15章30節、口語訳)
また干ばつに関してエレミヤに臨んだ主の言葉にもこの表現が使われています。
「地に雨が降らず、土が、かわいて割れたため、
農夫は恥じて、その頭をおおう。」
(「エレミヤ書」14章4節、口語訳)
昨晩はモルデカイを木に掛けて処刑するようにハマンに助言した者たち(「エステル記」5章14節)が今度は一転してハマンに反対する側に回り、ハマンがモルデカイを前にして破滅するであろうことを予言し始めます(「エステル記」6章13節)。もしかしたら彼らは、ユダヤ人がそれまでの歴史の中で遭遇した数多くの絶体絶命の危機からその都度救い出されてきた奇跡的な諸々の出来事について、何かしら聞いて知っていたのかもしれません。それに加えて「どのような逆境下においても神様は御自分の民を必ず守られる」というユダヤ人の信仰についても、彼らは聞き及んでいたのかもしれません。それにしても、ハマンの「賢い」助言者たちはどうして今頃になってハマンにこのような警告をしたのでしょうか。なぜ彼らは以前にはハマンの悪巧みを支持するような発言ばかりしたのでしょうか。
人間、とりわけ権力の座にある人々は、ことと場合によっては彼ら自身とは異なる意見を述べる意思と勇気を持たない「偽りの助言者」などに頼るべきではありません。
「彼らがなおハマンと話している時、王の侍従たちがきてハマンを促し、エステルが設けた酒宴に臨ませた。」
(「エステル記」6章14節、口語訳)
この節には、もうすぐ厳しい裁きが自分に下されるのを予期しつつもその裁きの場に連行されていくほかない一人の男が描写されています。もともとの計画によればその日はまさにモルデカイが破滅する日となるはずでした。しかし、神様が人間の立てた計画に介入なさったために、裁きを受ける人間はモルデカイではなくハマンに変更されたのです。
明るみに出たハマンの悪巧み 「エステル記」7章1〜7節
エステルがその日の昼間に何が起きたか知っていたのは確実です。モルデカイの栄達とそれに関わるハマンの役割についての知らせは王宮の人々の間にも瞬く間に広がって行ったものと思われます。しかし、それさえも王が彼女の願いを聞き届けてくれる保証とはなり得ないことをエステルはよくわきまえていました。ですから、自分がユダヤ人であることをあえて王に明かすことで彼女は自らを危険にさらすことにしたのです(7章3節)。
王はエステルのことも彼女の素性のことも、また彼女の抱いていた不安についても何も知りませんでした(7章3節)。何とも不幸なことです。しかし実のところ、王はハマンのことや彼の悪い目的についても何も知らなかったのです(7章5節)。
エステルは王にユダヤ人の窮状を訴えます。
「「わたしとわたしの民は売られて滅ぼされ、殺され、絶やされようとしています。もしわたしたちが男女の奴隷として売られただけなら、わたしは黙っていたでしょう。わたしたちの難儀は王の損失とは比較にならないからです」。」
(「エステル記」7章4節、口語訳)
ユダヤ人が売られる(7章4節)というのは、ハマンが王に約束した多額の銀のことを指しているのでしょう(3章9節、4章7節)。
7章4節の終わりの箇所については二通りの解釈ができます。「ユダヤ人たちを奴隷として売ることは、そのためにわざわざ王を煩わすほどの大ごとではない」とも読めますし、あるいは「ユダヤ人たちを奴隷として売ることは、ユダヤ人たちを滅ぼすことほど大きな損害を与えるものではない」とも解釈できるでしょう。話題は変わりますが、第二次世界大戦史においてヒットラーがユダヤ人を迫害することによってドイツ経済に大打撃を与えたことをここで思い起こすべきでしょう。ユダヤ人迫害がドイツを致命的に弱体化させ、第二次世界大戦の敗北の原因となった、と結論づける研究者たちもいるほどです。
エステルの訴えを聞いた王は怒って酒宴の席を立ち、宮殿の園へ行きました(7章7節)。この時に王はハマンの職権乱用に憤ったことでしょう。その一方で王は、ハマンに唆されるまま深く考えもせずに制定させた悪法が「ユダヤ人絶滅」という悲劇を生む場合にその責任を自ら引き受ける覚悟もしたのではないでしょうか。時の権力者は自分の権力が他者によって乱用されることを好みません。おそらく王は己の非力さも感じたのではないでしょうか。エステルを含めたユダヤ民族を救い出すための具体的な方策が何もなかったからです。とはいえ、王はユダヤ人迫害の勅令の件でハマンに罪をなすりつけ彼を極刑に処することも本当ならばできないはずでした。その法令は王自らの署名によって布告されたものだったからです(3章10〜12節)。
7章7節には深い皮肉が込められています。まずハマンがユダヤ人を破滅させようと欲しました。モルデカイがハマンの前にひれ伏すことを拒絶したからです。ところが今、ハマンは自分の命乞いをするために、ユダヤ人である女性エステルの前にひれ伏さなければならなくなりました(7章8節)。ハマンがこのようにせざるを得なかったのは「王が自分に害を加えようと定めたのを見たから」でした(7章7節)。
ハマンの破滅 「エステル記」7章8〜10節
「王が宮殿の園から酒宴の場所に帰ってみると、エステルのいた長いすの上にハマンが伏していたので、王は言った、「彼はまたわたしの家で、しかもわたしの前で王妃をはずかしめようとするのか」。この言葉が王の口から出たとき、人々は、ハマンの顔をおおった。」
(「エステル記」7章8節、口語訳)
後宮では誰であれ王以外の男性が王の許可なしに王妃に話しかけることは御法度でした。「彼はまたわたしの家で、しかもわたしの前で王妃をはずかしめようとするのか」(7章8節)とハマンを叱責する王の態度は意図的に誇張されたものでした。しかし、ハマンがエステルに対して無礼なやり方で嘆願したことも事実です。さらに、ハマンがエステルに危害を加えようとしたという見方も間違ってはいません。なぜなら、彼はユダヤ民族全体を滅ぼそうと企んでいたからです。「ハマンはせっかく自分が立てた壮大なユダヤ人撲滅計画を潰してしまったエステルに復讐しようとしている」と王が短絡的に考えてもおかしくない状況ではありました。
上流階級の人々は寝台や長椅子の上に横たわりながら食事をするのが当時の慣習でした(7章8節)。例えば「アモス書」6章4〜7節や「ヨハネによる福音書」13章23〜25節にもこのことに関連する記述があります。
人々がハマンの顔を覆った行為(7章8節)の意味はやや曖昧です。ハマンがこれ以上エステルに視線を向けることができないようにするのがその一つの目的であったのかもしれません。例えばギリシア人やローマ人には有罪判決を受けた罪人の顔を覆う慣習がありました。このやり方は後の時代にも死刑囚の取り扱い方として受け継がれて行きます。しかし、ペルシア人にもこのような慣習があったかどうかはよく知られていません。ちなみに「エステル記」6章12節にはハマンが自ら顔を覆う場面がありました。
ハルボナ(7章9節)は以前に王妃ワシテを王の許に呼び出した際に派遣された「王の前に仕える七人の侍従」の一人です(1章10節)。王宮で仕えていた者たち全員がハマンの支持者であったのではないことがこれからわかります。ハマンの悪巧みの犠牲になったのはエステルばかりではなく、王のために功労を立てたモルデカイもそうであることを、侍従ハルボナは王に指摘します(7章9節)。おそらくハルボナは王の侍従の一人として他の侍従たちと一緒にハマンを王妃エステルの酒宴に連れて行く際に(6章14節)、ハマンの家に立てられた高さ五十キュビトの木を目にしたことでしょう。
こうしてハマンの立てた処刑用の木には「使い道」ができました。ただし、その木で処刑されることになったのは、もともとハマンが考えていたのとは異なる予想外の人物になりました。ここでは次の御言葉が実現したとも言えるでしょう。
「穴を掘る者は自らその中に陥る、
石をまろばしあげる者の上に、その石はまろびかえる。」
(「箴言」26章27節、口語訳)「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。」
(「ガラテアの信徒への手紙」6章7〜8節、口語訳)
ハマンが処刑されたことでクセルクセス王の怒りは和らぎました(7章10節)。なお、2章1節にもワシテの件に関する王の怒りが溶けた時の様子が記されています。
キリスト教信仰にもこの事例と通底するとても大切な真実があります。すなわち、キリストの死は王の中の王なる神様の怒りを完全に鎮めたということです。
「もろもろの国民の中に言え、
「主は王となられた。
世界は堅く立って、動かされることはない。
主は公平をもってもろもろの民をさばかれる」と。」
(「詩篇」96篇10節、口語訳)「しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」
(「コリントの信徒への第二の手紙」5章18〜21節、口語訳)