エステル記4〜5章

フィンランド語原版執筆者: 
パシ・フヤネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

ユダヤの民を救うのは誰か?

「エステル記」4〜5章

助けを要請するモルデカイ 「エステル記」4章1〜17節

旧約聖書において人が纏っている衣を裂く行為は深い悲嘆を表現しています(4章1節)。「ヨブ記」2章12節や「ダニエル書」9章3節などにもその例が見られます。これは当時ユダヤ人に限らず中近東の諸民族にも広く見られた慣習でした。サラミスの海戦(紀元前480年)でペルシア軍がギリシア軍に敗北したとの知らせを受けたスサでも人々はこのやり方によって悲嘆を表したとされています。

「その衣を裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、町の中へ行って大声をあげ、激しく叫んで」(4章1節)悲嘆に暮れたモルデカイは、その振る舞いによって自らの頑固一徹な態度を悔いた、と考える研究者もいます。しかし、4章14節でモルデカイ自身がエステルにはっきり告げているように、この大変な危機的状況もまた神様からのお許しによって生じたものなのです。

「あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」。
(「エステル記」4章14節、口語訳)

モルデカイの「無礼な振る舞い」をきっかけにハマンはユダヤ人一般に対して激しい憎悪を抱くようになりました。しかし、神様を心から尊崇するがゆえにモルデカイはそのように振る舞ったのです。その意味では、彼は決して傲慢でも頑迷でもありませんでした。

「すべて王の命令と詔をうけ取った各州ではユダヤ人のうちに大いなる悲しみがあり、断食、嘆き、叫びが起り、また荒布をまとい、灰の上に座する者が多かった。」
(「エステル記」4章3節、口語訳)

このように、ペルシア帝国の各地に住む多くのユダヤ人がモルデカイと同じようなやり方で深い悲嘆の念を表したのです。

おそらくモルデカイはエステルと話し合う機会を持とうとしたのだと思われます。しかし、荒布を纏ったままで王宮に入ることは禁じられていました(4章2節)。その理由は、荒布が王の栄華と矛盾するものとみなされていたからか、あるいは、従僕が王の面前で個人的な悲しみをあらわにするのは不適切な態度とされていたからでしょう。例えば「ネヘミヤ記」2章1〜3節は後者に該当する事例になります。

上掲の4章3節には、例えば「神様への祈り」といった形で神様の御名が明記されていたとしても何ら不思議ではありません。しかし容易にわかるように「エステル記」では神様の御名前を明示することが意図的に避けられています。このことは4章14節および16節にも当てはまります。これは「エステル記」を特徴づける文体の一面であるとも言えましょう。神様の御名そのものは「エステル記」には登場しません。それでもやはり他ならぬ神様御自身が全事象を常に導いておられたことは明らかです。

おそらくエステルはユダヤ人絶滅計画について何も知らなかったのでしょう。もしも知っていたのなら、モルデカイが今どうしてこのように振る舞うのかについて、よりよく理解したでしょうから(4章4〜5節)。モルデカイに着物を贈ったこと(4章4節)からもわかるように、エステルはモルデカイが王宮に来て、なぜ彼が悲嘆に暮れているのか、その理由を自分に直接説明してくれることを期待していました。

おそらく王宮では、エステルがどの民族の出身であるか、また、エステルがモルデカイとどのような親戚関係にあるのかについてはまだ広くは知られていなかったのでしょう。

「ハタクは出て、王の門の前にある町の広場にいるモルデカイのもとへ行くと、モルデカイは自分の身に起ったすべての事を彼に告げ、かつハマンがユダヤ人を滅ぼすことのために王の金庫に量り入れると約束した銀の正確な額を告げた。また彼らを滅ぼさせるために、スサで発布された詔書の写しを彼にわたし、それをエステルに見せ、かつ説きあかし、彼女が王のもとへ行ってその民のために王のあわれみを請い、王の前に願い求めるように彼女に言い伝えよと言った。」
(「エステル記」4章6〜8節、口語訳)

上掲の箇所からわかるように、ようやくこの段階になってモルデカイはエステルがユダヤ人であることを王の侍従ハタクに明かしました。そして、エステルが王に対して「彼女の民」(4章8節)に憐れみを請うようにハタクを通して彼女に要求しました。

ハマンはユダヤ人を滅ぼすことによって銀一万タラントを王の宝庫に収めることを王に公約しました(3章9節)。そして、モルデカイはこの金額について正確な情報を得ていました(4章7節)。このことから彼が王宮において高位の職に就いていたことが伺われます。ハマンが王に提示した具体的な金額を大々的に言いふらしていたとは考えにくいからです。

「王の名をもって書き、王の指輪をもって印を押した書はだれも取り消すことができない」ものでした(8章8節)。王の一度下した命令は誰も、たとえ王自身でさえも帳消しにすることができなかったのです。

ですから、ユダヤ人が救われるためには真の奇跡が必要でした。

「王の侍臣および王の諸州の民は皆、男でも女でも、すべて召されないのに内庭にはいって王のもとへ行く者は、必ず殺されなければならないという一つの法律のあることを知っています。ただし王がその者に金の笏を伸べれば生きることができるのです。」 (「エステル記」4章11節より、口語訳)

この法律は王の暗殺を事前に阻止するために制定されたものでした。古代ギリシア人歴史家ヘロドトスもこれと同じ法律に言及しています。エステルはここひと月ほどの間は王からの召を受けていませんでした(4章11節)。そのためもあって、召されてもいない自分が王の面前に突然現れた場合にどのように遇されることになるのか、エステルには全く予想もつきませんでした。誰であろうといとも簡単に王の逆鱗に触れることになりかねなかったからです。ここでの状況を2章17節と比較した場合、王のエステルに対する愛顧は変わってしまったかのようにも見えます。しかし、王のこうした態度の背景には先のペルシア戦争で帝国がギリシア都市連合に敗北したことが関係している可能性があります。王はまだ予想外の敗戦の痛手から癒えていなかったのかもしれません。

「モルデカイは命じてエステルに答えさせて言った、「あなたは王宮にいるゆえ、すべてのユダヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」。」
(「エステル記」4章13〜14節、口語訳)

エステルへのモルデカイの返答には、神様の御名が明示されてはいないものの、神様への彼の深い信頼がにじみ出ています。「仮にエステルが他の人々からは自らの出自を隠しおおせると考えたとしても、神様は全てをお見通しになっているため、エステルはその臆病な裏切りに対して相応の仕打ちを受けることになる。また、神様は御自分の民をみすみす敵対者ハマンの手中に陥らせるようなことはなさらない。」というのがモルデカイの返答の要旨でした。

エステルには「創世記」に登場するヨセフと似ている側面があります。来るべき飢饉の折にヨセフの父親の家族を救うための準備の一環として、神様はヨセフをエジプトのファラオ(口語訳では「パロ」)の宮廷にあらかじめ派遣なさったのです。

「ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしに近寄ってください」。彼らが近寄ったので彼は言った、「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。この二年の間、国中にききんがあったが、なお五年の間は耕すことも刈り入れることもないでしょう。神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。神はわたしをパロの父とし、その全家の主とし、またエジプト全国のつかさとされました。あなたがたは父のもとに急ぎ上って言いなさい、『あなたの子ヨセフが、こう言いました。神がわたしをエジプト全国の主とされたから、ためらわずにわたしの所へ下ってきなさい。あなたはゴセンの地に住み、あなたも、あなたの子らも、孫たちも、羊も牛も、その他のものもみな、わたしの近くにおらせます。ききんはなお五年つづきますから、あなたも、家族も、その他のものも、みな困らないように、わたしはそこで養いましょう』。
(「創世記」45章4〜11節、口語訳)

また「エステル記」4章16節におけるエステルの決意と「創世記」43章14節におけるイスラエルの覚悟にも類似性を見ることができます。

「エステル記」4章14節からも読み取れるように、人間は神様の御意志への絶対的服従を常に強制されているわけではありません。しかし、神様に対する不服従は好ましからざる結果を招くことはあらかじめ覚悟しておくべきでしょう。

同じく4章14節から分かるように、エステルがペルシアの王妃になったのも決して偶然などではありませんでした。神様の御名こそ明示されてはいないものの、出来事の背景には神様御自身による導きがあったのは明瞭です。

エステルがユダヤの民に命じた断食は通常の断食よりもはるかに厳しい条件のものでした(4章16節)。例えば「士師記」20章26節や「サムエル記下」1章12節からもわかるように、断食は一日間だけ(その日の夕方まで)行われるのが普通でした。しかし、エステルの命じた断食は悲しみや悔いの心を行為で示すものではなく、断食を通して神様の御許に近づこうとするものでした。これと同じような断食は以下に挙げる聖書の箇所にも出てきます。

例えば、バビロン捕囚から故郷に帰還するユダヤ民族の宗教的指導者であった祭司エズラは次のように記しています。

「そこでわたしは、かしこのアハワ川のほとりで断食を布告し、われわれの神の前で身をひくくし、われわれと、われわれの幼き者と、われわれのすべての貨財のために、正しい道を示されるように神に求めた。これは、われわれがさきに王に告げて、「われわれの神の手は、神を求めるすべての者の上にやさしく下り、その威力と怒りとはすべて神を捨てる者の上に下る」と言ったので、わたしは道中の敵に対して、われわれを守るべき歩兵と騎兵とを、王に頼むことを恥じたからである。そこでわれわれは断食して、このことをわれわれの神に求めたところ、神はその願いを聞きいれられた。」 (「エズラ記」8章21〜23節、口語訳)

また「ネヘミヤ記」1章4節が伝えるネヘミヤの断食も同じ種類のものです。

本来ならばキリスト信仰者の断食も、他の事柄を生活から退けて特別なやり方で霊的な事柄に心を傾注するためのものであるべきでしょう。

ところで、中近東の猛暑の中で三日間も断食することは、死人が出てもおかしくないほど過酷を極めたものでした。とりわけ水分の摂取不足が人間の健康状態を悪化させました。

旧約聖書の時代の断食には祈りの実践が伴っていました。例えば「イザヤ書」58章(特に9節)を読んでみてください。

エステルはモルデカイに次のように言います。

「「あなたは行ってスサにいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために断食してください。三日のあいだ夜も昼も食い飲みしてはなりません。わたしとわたしの侍女たちも同様に断食しましょう。そしてわたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」。」 (「エステル記」4章16節、口語訳)

旧約聖書には「キリストの予型」とみなしうる人物が複数登場します。この節からはエステルも「キリストの予型」の一人であったことがわかります。しかし、他の予型についてと同じことがこの場合にも言えます。キリストにおいて成就された偉大な御業はエステルという予型をはるかに超越しています。自分の民族を救うためにエステルは死も辞さない決意をしました。それに対して、キリストは御自分の民すなわち全人類を救うために本当に死ななければならなかったのです。


王の恵みを得るエステル 「エステル記」5章1〜8節

エステルが自らを死の危険にさらしてまで訴え出ようとした案件が極めて重要な内容のものであることを、クセルクセスは理解しました。当然ながら、彼はそれがいったいどのようなことなのか、是非にでも知ろうとしました。その気持ちは「王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう」(5章3節)という優しい問いかけからも伝わってきます。しかし、エステルはその願いを明かすのを二度にわたって先送りにしました(5章4節および8節)。どうしてエステルが王にすぐさま大切な願いを打ち明けなかったのか、この段階ではまだ明らかではありません。どのような願いであろうともそれを叶えることを王はすでに彼女に約束していたのですから(5章3節および6節)。しかし先を読み進むと、エステルが意図的に王を焦らなければならなかった理由がわかってきます。

エステルが王とハマンを招待した二度目の酒宴の前夜に王は眠りを得ることができませんでした。その結果、王はモルデカイの以前の善行が何の褒賞も受けなかったことを知ることになりました。不思議なタイミングで起きたこの出来事もまた、ユダヤ民族に関する王の印象を、ハマンが与えた否定的なものから肯定的なものに変える効果があったと思われます。

許可なく王の面前に現れたエステルは王から恵みを得ることができました。ヘブライ語原文ではこの「恵みを得る」(「ナーサー・ヘーン」)という同じ表現が5章2節の他に2章15節や17節にも用いられています。王がエステルに恵みを示した理由がエステルの美しさにあったのか、それとも何か別の事柄に関係していたのか、明確ではありません。王には恵みを示すことも示さないこともできる権能がありました。しかし、その王でさえもエステルの直訴については結局のところ神様の御心に従うほかなかったのです。しかも、このことは王自身が神様の御心を知っていたか知らなかったかには依存していません。次の聖句からもそれがわかります。

「王の心は、主の手のうちにあって、
水の流れのようだ、
主はみこころのままにこれを導かれる。」
(「箴言」21章1節、口語訳)

同様に、神様はその御心に応じて恵みを与えてくださいます。人は神様の恵みを己の善行の報酬として獲得することはできません。もしも神様の恵みがそのようなものだとしたら、それはもはや真の恵みではなくなります。

「主はモーセに言われた、「あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう」。モーセは言った、「どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください」。主は言われた、「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前にのべるであろう。わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ」。」
(「出エジプト記」33章17〜19節、口語訳)

ちなみにこの箇所は「ローマの信徒への手紙」9章15節にも引用されています。

「国の半ばでもあなたに与えよう」(5章3節および6節)という王の約束は昔話でもおなじみの表現です。おそらくこの約束はクセルクセス王自身による発案ではなくて、気前の良さを強調する古くから知られた諺の一種であったと思われます。なお、新約聖書にも同じ表現が出てきます(「マルコによる福音書」6章23節)。

エステルが王とハマンだけを酒宴に招待した(5章4節)のはもっともな理由があってのことでした。こうすることにより、宮廷の人間たちを除外した内輪の酒宴の席でエステルは王に自分の願いを個人的に伝えることができたからです。自らの死を賭したエステルの真の目的が酒宴などにはないことを王はもちろん承知していました。

「酒宴の時、王はエステルに言った、「あなたの求めることは何か。必ず聞かれる。あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる」。」
(「エステル記」5章6節、口語訳)

どうしてエステルはハマンを二日間連続して酒宴に招いたのでしょうか。その理由については様々な憶測がなされてきました。例えばタルムードと呼ばれるユダヤ教による旧約聖書の解釈書には12種類もの異なる理由が述べられています。ここでもまた私たちは「聖書自体その理由を私たちに明かしていない」という説明で留めておくほかありません。次の箇所は私たちが聖書を読む上で極めて重要な指針を与えてくれます。私たちは聖書に明示的に書かれた事柄で満足するべきであり、聖書に書かれていないことをあれこれ詮索するべきではないのです。

「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである。」
(「申命記」29章28節、口語訳。節番号はヘブライ語版によっています)

エステルは自分の民族を救うために我が身の危険を顧みない行動に出ました。私たちは「何もやらないのが一番安全だ」と考えがちです。しかし皮肉なことに、間違ったことをしでかす最も確実なやり方というのが、まさにこの「何もやらない」という態度であることがしばしばあります。

緊迫を増す状況 「エステル記」5章9〜14節

ハマンは激怒しました。「モルデカイが王の門にいて、自分にむかって立ちあがりもせず、また身動きもしないのを見た」からです(5章9節)。自分の「富の栄華と、そのむすこたちの多いことと、すべて王が自分を重んじられたこと、また王の大臣および侍臣たちにまさって自分を昇進させられたこと」、また「王妃エステルは酒宴を設けたが、わたしのほかはだれも王と共にこれに臨ませなかった。あすもまたわたしは王と共に王妃に招かれている」といった誇らしく喜ばしい事柄でさえ、モルデカイに対するハマンの怒りを鎮めはしませんでした。「ユダヤ人モルデカイが王の門に座しているのを見る間は、これらの事もわたしには楽しくない」(5章11〜13節)。

「エステル記」4章2節の描く状況と比較して、この5章9節の時点ではモルデカイが王の門に座しているところを見ると、彼がすでに断食をやめていたことがわかります。彼が自分の職場でもある王の門に座っていたのは「王妃エステルがどうなるのか見届けねばならない」という思いがあったからではないでしょうか。

先ほど5章11〜12節でハマンが自慢話をしたことを述べました。高慢になったハマンの身には次の箴言の箇所が実現したとも言えます。

「高ぶりは滅びにさきだち、
誇る心は倒れにさきだつ。」
(「箴言」16章18節、口語訳)

「人の高ぶりはその人を低くし、
心にへりくだる者は誉を得る。」
(「箴言」29章23節、口語訳)

王妃エステルの酒宴に自分が招待された本当の理由をもしもハマンが知っていたのなら、「王妃エステルは酒宴を設けたが、わたしのほかはだれも王と共にこれに臨ませなかった。あすもまたわたしは王と共に王妃に招かれている」(5章12節)などと自慢する気はさらさら起きなかったことでしょう。

「見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、
胎の実は報いの賜物である。
壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。
矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。
彼は門で敵と物言うとき恥じることはない。」
(「詩篇」127篇3〜5節、口語訳)

ユダヤの民にとって子どもたちは神様からの尊い授かりものでした。古代のペルシアにおいてはとりわけ男の子たちが尊重されました。男の子たちよりもさらに重要視されたことと言えば「戦いにおける勝利」くらいのものでした。王が一番多くの息子たちを得た者に贈り物を与えることさえありました。ハマンにはたくさんの息子(10人)がいました(「エステル記」5章11節および9章10節)。

「高さ五十キュビトの木」(5章14節)は約25メートルの高さの木です。これほど高い木を用意させた目的は、ハマンの敵対者モルデカイがどれほど酷い仕打ちにあうことになったかをできるだけ大勢の人々に見せつけることにありました。

モルデカイは王宮の重要な役職に就いていました。おそらくはそれゆえに、ハマンはモルデカイを処刑するために王から直々の許可を得る必要があったのでしょう(5章14節)。

エステルの酒宴が始まる前にハマンはモルデカイの件をさっさと片付けてしまうつもりでいました(5章14節)。ですから、モルデカイの命が救われるためには何か奇跡が起きる必要がありました。ここでの「エステル記」の緊迫した描写は主人公がギリギリのタイミングで救い出されるアクション映画の脚本のような印象さえ与えるものです。

5章14節は私たちに大切なことを教えてくれます。現代の国々の指導者たちにもよくない助言を与える側近がいるかもしれません。そのような側近たちは主人を良い方向にではなく悪い方向へと誘導しようとします。このことを踏まえると、次のパウロのとりなしの祈りについての教えの意味がよりいっそうわかってくるのではないでしょうか。

「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。これは、わたしたちの救主である神のみまえに良いことであり、また、みこころにかなうことである。神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。」
(「テモテへの第一の手紙」2章1〜4節、口語訳)


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