聖書とは何ですか。

フィンランド語原版執筆者: 
エルッキ・コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

聖書はキリスト教の聖典です。
キリスト教の信仰によれば、神様は聖書を通して人間に話しかけてくださいます。
そして、人間とは何か、神様に対する人間の立場はどのようなものか、神様は人間から何を期待しておられるか、聖書によって教えてくださいます。

聖書には旧約聖書と新約聖書という二つの部分があります。
これらは互いに密接に関わりあっています。
両方の書物を、神様は人々の手を通して私たちにお与えになりました。
聖書はひとつのまとまった内容を有しています。
はじめに天地と人間の創造について、次に人間の罪の堕落について、また、神様の御許に人間が戻れる道を用意するために神の御子がこの世に遣わされたことなどについて、聖書は語ります。
聖書は天地の創造の記述に始まって、新しい天地の創造の記述をもって閉じられます。
この世の終わりには最後の裁きがあり、その時この世は消え去ります。
神様は新しい世界を創造なさり、キリスト信仰者をそこへ連れて行ってくださいます。

聖書を文字によって記したのは人間です。
その意味で、聖書は完全に人間の手になる作品です。
一方、キリスト教の信仰によれば、聖書は神様の啓示(メッセージ)でもあります。
その意味で、聖書は完全に神様の御言葉です。

神様は聖書の御言葉を「文字の記された書物」という多くの点で脆弱な形式を用いて人間にお与えになりました。
神様は聖書のメッセージを伝える際に、たとえば火文字のような特殊な形を使うことも、あるいは天使を直接派遣することも、やろうとすればできたはずです。
ここで思い出すのは、神様の御子がこの世に生まれてベツレヘムの飼い葉桶の中に寝かされた時にも、神様(イエス様)は非常に弱々しく脆い形をとって私たち人間の近くに来てくださった、ということです。
どうやら、これが神様のやりかたのようです。

なんともみすぼらしく見えるやりかたで神様の御子や御言葉が人間に与えられたのは、賢者や金持ちには認めがたいことかもしれません。
それとは逆に、外見のみすぼらしさに親しみを感じるであろう弱者や貧乏人にとっては、それらの贈り物は他の何者にも代えがたい宝物となることでしょう。

   詳しく見る、信仰のABC、第2章 聖書

「あなたのみ言葉はわが足のともしび、 わが道の光です。」
(聖書の詩篇119篇105節)

神様、あなたが私たちに話しかけてくださることを感謝します。 私もあなたの御言葉を聴いて理解できるようになさってください。