どこから神様を見つけることができますか。

フィンランド語原版執筆者: 
ヴィッレ・アウヴィネン(フィンランド神学協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

正しく言えば、人間は神様を見つけることができません。 神様のほうで人間を探して見つけてくださるのです。

神様は、人間には近づくことが許されない「いと高き場所」に住んでおられます。 わざわざ神様ご自身が、そこから私たちを探すために私たちの近くに来られるのです。

神様は、「恵みの手段」を通じて私たちのところに来てくださいます。
恵みの手段とは、神様の御言葉、洗礼聖餐懺悔(ざんげ)のことです。
それゆえ、私たちは神様を恵みの手段を通じて探すべきなのです。

もしもあなたがすでに洗礼を受けており、洗礼の本当の意味を改めて学び直したい場合には、キリスト教の基本をまとめた「小教理問答書」の説明を参考にしてください。
もしもあなたがまだ洗礼を受けていない場合にも、この説明の学びから始めてください。

また、聖書を読むこともお勧めします。
新約聖書の福音書から読み始めてください。
そして、礼拝に参加できるルター派のキリスト教会を探してください。
礼拝では、他の礼拝参加者と一緒に、自分の罪を告白し、罪の赦しの宣言を受け、聖書についての教えを聴くことができます。
聖餐式では、最も身近に神様と接することができます。
聖餐式では、神様の御子がパンとぶどう酒を通して私たち人間と出会われるからです。
聖餐のパンはキリストの身体であり、聖餐のぶどう酒はキリストの血です。

「わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする 。」
(聖書のエゼキエル書34章16節より)

神様、私はあなたを見つけたいのです。 私があなたを探すのを助けてください。