ヨハネによる福音書

執筆者: 
エルッキ・コスケンニエミ(フィンランドルーテル福音協会、神学博士)
日本語版翻訳および編集責任者: 
高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

序論

ヨハネによる福音書を解釈する上で決定的に重要な問題は、この福音書が成立する背景にあったイエス様にまつわる伝承に関する問題です。伝承の内容をどう捉えるかに応じて、この福音書に対する理解の仕方がちがってきます。例えば、「この伝承は初期のキリスト教会の宣教を反映したものである」とする立場を取るか、あるいは、「この伝承の背後には初代教会の重要人物がおり、この福音書はイエス様ご自身にもさかのぼる歴史的に確実な伝承に基づいている」という立場を取るか、ということです。

キリスト教会成立初期の時代にさかのぼる一連の文書は、初代教会のある重要人物について触れています。約190年頃、小アジアのビショップ(教会長)だったポリュクラテスは、(最後の晩餐の時に)「主の胸に寄りかかった」ヨハネが「長じて剣を担う牧者、証人、教師となり、(今は)エフェソで眠りについている」、と記しています。125年頃に生まれたポリュクラテスは小アジアのイエス様にまつわる伝承を知悉していたと思われます。彼はこのヨハネが使徒であったとは言っていません。一方で、彼はフィリポについては使徒であったと記しています。エイレナイオスによれば、ヨハネは「主の胸に寄りかかっていた主の弟子であり、小アジアのエフェソに住んでいた時に彼もまた福音書を記した(公けにした)」ということです。エイレナイオスは福音書を記したこの人物のことを使徒とは言っていません。また、ヒエラポリスのビショップ(教会長)は約130年頃に、「アンデレやペテロが言ったこと、あるいは、フィリポやトマスやヤコブが言ったこと、あるいは、ヨハネやマタイや主の弟子たちの他の誰かが言ったこと、あるいは、アリスティオンや老ヨハネ、主の弟子たちが言っていること」、と記しているので、ここで彼は二人のヨハネについて言及しているとも受け取れます。最初にでてくるヨハネは(イエス様の)弟子であり、後にでてくる「老ヨハネ」は当時まだ人々の記憶にあった人物であると思われます。

ヨハネによる福音書の記者自身が証するところによれば、この福音書は初代教会の確固たる正統な立場に基づいて記されました。しかも、この正統性は自らをペテロと同等かペテロの上位に位置づけるほど確かなものでした。ですから、伝承の内容を事実に基づいているものとして真剣に受け止めるべきでしょう。もっとも、ヨハネが一人だったのか、それとも二人いたのか、あるいは、ヨハネは使徒だったのか、それともヨハネという名の敬愛された老教師だったのか、といったことに関しては、伝承によって結論を導くのは困難です。

三通のヨハネの手紙、およびヨハネによる福音書(さらにヨハネの黙示録の一部)とは共通した内容を多く含んでおり、「ヨハネ」の名前を冠した新約聖書の一連の書物群に分類することが容易にできます。ただし、これらの書物が同じ記者によるものかどうかは明らかではありません。ともあれ、キリスト信仰についての教えが錯綜し混乱の度を深めていた当時の神学的状況に対して、正統な伝承に基づく立場からの断固とした応答として、一連のヨハネの書籍群は書かれたものと思われます。

ヨハネによる福音書は他の三福音書よりも成立時期が遅く、記者は三福音書の記事を利用したと推定されるのが通説となっています。「ヨハネによる福音書の記者は共観福音書を知らなかった」、と考える研究者が現在では多数います。しかし、通説の正しさは疑う余地がありません。ヨハネによる福音書と共観福音書との間には共通する資料が大量に存在しており、ヨハネによる福音書はそれらの資料を共観福音書とは異なったやり方で扱っています。その例として、イエス様による宮清めの時期(2章13〜16節)、ペテロの信仰告白(6章67〜71節)、ベタニヤでの塗油(12章1〜8節)、大漁の奇跡(21章1〜14節)などが挙げられます。すべての福音書記者によれば、イエス様の公の活動は洗礼者ヨハネのもとで始まりました。

マルコによる福音書と、その後に成立したマタイによる福音書やルカによる福音書は、イエス様がガリラヤとその周辺地域で活動された後で最後にエルサレムに旅立たれたことを記しています。ところが、ヨハネによる福音書によれば、イエス様はエルサレムに何回も赴かれています(2章13節、5章1節、7章10節)。過越の祭が三回も記されているので(2章13節、6章4節、11章55節)、イエス様の公の活動は他の福音書に比べてはるかに長い時間にわたって描かれていることになります。

ヨハネによる福音書はすでにその冒頭(プロローグ)から神学的な側面が強調された書物です。このことは、イエス様とニコデモの対話(3章)でも、イエス様の奇跡(例えば、9章の目の見えない人の癒しの出来事)でも、そしてもちろんイエス様の十字架への道のりでも、明らかに見て取れます。ヨハネによる福音書において終末論は、一方では最後の裁きの日に実現するものとして(5章28〜29節、12章48節)、他方ではすでに実現されているものとして捉えられています。後者は、イエス様を見出した者はすでに死から命へと移っている、という見方にあらわれています(4章23節、11章25〜26節)。ヨハネによる福音書では、洗礼と聖餐についての記述はそれぞれ3章と6章にありますが、共観福音書とは異なり、間接的な言及にとどまっています。

ヨハネによる福音書はその全体をはっきりと二つの部分に分けることができます。
1〜12章は神様の御子が人々の間に入って宣教なさっている様子を、
12〜20章はイエス様の受苦の道のりを描き出しています。
21章は福音書のエピローグです。